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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
SecondGame
145/365

第145話

 坂田のドロップがネット前に綺麗に弧を描き、刈田の目の前でコートに落ちていた。柔らかいタッチで放たれたからか、ほとんど音を立てることはなかった。静かなシャトルに反比例するように審判の口調は熱く告げた。


「ポイント。フィフティーンイレブン(15対11)。チェンジエンド」


 坂田は小さくガッツポーズをしてコートから出る。刈田もそれに引きずられるようにコートサイドへと出ていた。顔から流れる汗の量は多く、用意していたスポーツ飲料を一気に飲み干す。一つ飲み終えた後でもう一本をラケットバッグから取り出し、口に含む。


(結局は取れなかったが……悪くはないだろ)


 体から吹き出る汗そのままに体力が低下しているわけではない。あと一ゲームはスマッシュを打ち続けるくらいの体力は残っている。相手にはどう映っているのか刈田は考えた。もし体力がもうないと見られているのなら、そう見せかけておいて出し抜くのも一つの手だ。


(いや、坂田はそういうの、見てないだろうな)


 自分の考えを否定する。

 坂田は淡々と試合の流れを見ている。相手が疲れてようとそうでなかろうと、自分が勝つために最良の打ち込み場所を探して、そこへシャトルを打つだけ。ならば、余計な小細工をせずにシャトルでの刺し合いに集中するべきだ。


「よし!」


 自分に気合を入れるために頬を両手で包み込み、張る。勢い良くコート内に進んでいく様を見せることで自分の健在をアピールする。体力低下のブラフを生かせないのならば逆に大丈夫だと見せることでプレッシャーをかけていく。


(ここまでくれば気力勝負。そして、どれだけ自分のスタイルを突き通せるか)


 実力は拮抗している。勝ち進んできた自分の、得意なスタイルを信じて突き進むしかない。


「ファイナルゲーム、ラブオールプレイ」

「お願いします!」


 刈田の声だけが審判に返される。坂田は静かにロングサーブを放っていた。ラケットを振りかぶり、ストレートにスマッシュを放つ。坂田がラケットを出してただ返すだけでヘアピンにする。シャトルはふわりと柔らかい弾道でネット前に落ちるのを刈田はラケットを前に出しながら突進し、追いつく。フェンシングのように前にラケットを突き出して、シャトルにスピンを加えた。

 スピンをかけられたシャトルはコートにすんなりと落ちていた。目前に迫りながらも坂田のラケットは届くことがなかった。そのことに刈田は微かな違和感を得る。


(なんだ? 今まで間に合ってたのに間に合わないなんて)


 三ゲーム目に入り、体力が低下してきたということか。刈田は自分なりに、相手に気づかれないように坂田の様子を見る。表情は試合が開始された時点から変わっているようには見えない。しかし、刈田は微かに坂田の動きが鈍くなっていることに気づけた。体を起こし、サーブを迎え撃つ場所まで戻る間の足取り。そこに違和感を見つける。


(まさか、少し足をくじいたとか、そういうことはないだろうけど)


 気づいてしまえばもう分からないはずがなかった。坂田は右足を少し引きずるように歩いている。しかしそれを表情には出さずにラケットを掲げて構えた。


(どこで痛めたかは分からないが、チャンスは逃さないぜ)


 シャトルを思い切り飛ばして、坂田を後ろに下がらせる。本来ならば軽快なフットワーク。確かに外から見れば最初から変わっていないように見える。だが、今の坂田ならば痛みが刻一刻と積み重なっていくはずだ。弱点を攻めるのはバドミントンの、スポーツのセオリー。自分がされても仕方がないことをする。卑怯とは言わせない。


「おら!」


 スマッシュをあえてコート後方へと叩きつける。鋭さよりも飛距離。そして速さ。坂田はラケットを突き出すが、返すのが徐々に辛くなっていくようだった。明らかに反応速度が鈍ってきている。三ゲームの間に足もそうだが集中力も削られていったようだ。


(俺の根気勝ちみたいだな! お――ら?)


 スマッシュを打とうとラケットを振りかぶり、刈田は右腕にだるさを感じて一瞬躊躇した。それで遅れながらも強引に腕を振り切ってスマッシュを叩きつける。

 ポイントは5対2。刈田自身のテンションとしてはここで一気に突き放したいところだった。だが、シャトルを受け取ったところで右腕のだるさが激しくなる。二の腕あたりの筋肉が軽く痙攣しだしていた。


(俺も……限界が近そうだな)


 今までの二ゲーム。手を抜くことなくスマッシュを打ってきたツケがとうとうやってきた。地区予選では腕に疲労が溜まる前に試合が終わっていたため、上限が分からなかったのだ。


(しょうがねぇ。限界が近いなら、その前に試合を終わらせるだけだ)


 腕の痺れを強引に取るかのようにシャトルを打ち出す。微妙な狙いをつけられるか分からなかったため、ロングサーブは今までよりもコースは甘く、だがしっかりと深い場所へと飛ばす。坂田は下に回りこみ、スマッシュを刈田のバックハンド側に打ち込んだ。刈田は右腕に力を込めたが、やはり力がいつもよりも入らない。右足をしっかりと踏み込んで体を捻ってから、右腕を弾き飛ばすように振り切った。

 ラケットにはじき出されたシャトルは今まで以上に鋭い弾道で速く坂田のコートに返っていった。


(なんだ? 腕に力入らないのにここまで……)


 坂田の次のショットは逆方向。左サイドに寄っていた分、右サイド側はがら空きだ。そこにドライブを叩き込まれるが、刈田は今度は背中を見せようとでも言わんばかりに上体を捻り、足を踏み出す。そこから思い切りラケットを振りぬくと、シャトルはストレートドライブで坂田の防御をかいくぐった。

 シャトルが返される間に刈田は今回のショットを反芻する。明らかに今までの自分の打撃よりもインパクトが強かった。掌に熱く残っている感触が、刈田の体の中に変化をもたらすようだ。


(今まで腕の力だけに頼ってきたけど、これが体を使うってことなのか)


 自分のフォームが吉田や武と違うことは分かっていた。ハイクリアなどオーバーヘッドストロークでは得に顕著になる。通常は左腕でシャトルをロックオンして、右腕を振ると共に左腕も下げる。その動作をすることで力の伝道をスムーズにし、スマッシュなどに力を与える。だが刈田はあくまで右腕一本のみの力で弾き返してきた。それでも問題がなかったのは、純粋な力が他のプレイヤーよりも上だったから。しかし、今回、力で押し切れない相手に対して自分のスタイルが変わっていくのを感じる。


(腕に負担がかけられないから、自然と体が不利を補おうとしているのか)


 ロングサーブを打ち放ってから中央に陣取る。巨体を生かしてコースを塞ぎ、どこでも取れるようにプレッシャーを与える。坂田はその威圧感を特に感じないのか、冷静に刈田の胸部へとスマッシュを打ち込んだ。それも想定内だったためにバックハンドでヘアピンとして打ち返したが。

 坂田のヘアピンを先読みして前につめ、手首のスナップだけでシャトルを跳ね上げる。ヘアピンと見せかけての動作に坂田も一瞬動きを止めて一歩が遅れる。それを取り戻すために、坂田は後ろに仰け反るようにジャンプをしてラケットを振り切った。シャトルは刈田のコートへと戻ってくる。強引に流れを押し戻そうと放たれたシャトルだったが、刈田は真下に入り、体を捻る。


(重心移動)


 右足に負荷をかけ、左手を掲げる。今まで慣れていない動作をすることに躊躇もあったが、自分の記憶を頼りに体が動いていく。


「ぅおおおら!」


 左手を下ろすと共に右腕が霞んだ。

 ラケットが振り下ろされて、シャトルを飲み込む。爆発音に近いものを響かせてシャトルが坂田のコートへと突き刺さっていた。


「ぽ、ポイント――」


 審判があまりの音に呆気に取られ、コールをしばし忘れていた。応援していた武達も、試合を観戦していた他校のプレイヤー達も、息をすることを忘れたかのごとく静まり返る。

 次に来た波は、人々を飲み込む巨大なもの。


『おおおおおお!』


 刈田の打ち込んだ一撃は間違いなく本物。会場の誰もが息を呑むほど速く重い一撃。間違いなく、今日行われたどの試合で放たれた一撃よりも強かった。


(これが、俺のスマッシュか)


 自分の変則フォームが変わればここまで違うのか。今回の一撃は上手くはまりすぎたからだとは分かっていたが、それでも坂田には良い牽制になったはずだった。ここまで速いスマッシュを放てるなら簡単に前には出てこれなくなり、更にはロブも迂闊に上げられないはずだった。

 低く打ち分けようとすればどうしても選択肢が狭まる。特に刈田は体が大きいため中途半端に鋭く高く上げようとしてもインターセプトできるだろう。


(後は、本当に、俺の腕が持つか、だな)


 右腕の痺れが、先ほどよりも強くなっている。最速のスマッシュの代償は大きい。これから何発打てるか分からないが、最後まで打ち通すしか手はなかった。


「一本!」

「ストップ」


 初めて坂田が口にする、刈田を阻止せんとする意思。ここが試合の分水嶺と見据えてのものか。それだけ追い詰められているのか。

 考える間にも、右腕の力が抜けていくように思えて刈田はシャトルを飛ばしていた。



 * * *



 そして――


「ポイント。フォーティーンマッチポイントトゥエルブ(14対12)」

「しゃ! 一本!」


 審判のコールとほぼ同時に刈田はシャトルを打ち放った。サーブでシャトルを打ち上げるだけで右腕に負担がかかる。刈田自身、ここで決めなければ後がないと悟っていた。


(スマッシュは……打つしかない、か)


 ここまで来るにも打ち続けた。幸い、威力が落ちることはなかったが急激に右腕に感覚がなくなっていく。手の中から砂が零れ落ちていくように。シャトルに込めた力がそのまま抜けるように。

 しかしその代償に勝利は目前まで近づいていた。


「おら!」


 返って来たハイクリアをストレートスマッシュで返す。坂田の動きは終盤になって更に速さを増し、刈田のスマッシュにも十分な体勢で逆サイドへと打ち返していた。刈田もまたフットワークの遅さを本来の体の大きさによりカバーして、足を一歩踏み出すこととラケットを目一杯伸ばすことでシャトルに追いつかせる。そのためより右腕に負担がかかるわけだが、そうするしか坂田のレシーブ力に対抗できない。


(おら! 決まれ!)


 決まれと思って打ったシャトルは決まらない。意識しすぎて雑になっているのか相手もその意思に反応するのか分からないが決め球こそ決まらない。

 ならば、逆を取れば良いのか。


「はっ!」


 試しに刈田はあえてシャトルを決めようとせずにインパクト直前に力を抜いた。緩急をつけたことで余計に右腕がしびれたが、今までの力押しに対して急な変換に坂田のバランスが明らかに崩れた。シャトルに何とかラケットは届くもヘアピンにもロブにもならないシャトルが刈田の目の前にあがった。


(ここで……!)


 決める、と思えば駄目になると瞬間的に思い出し。

 刈田は一瞬だけ力を抜いて坂田のコートを見た。

 今打つはずだった場所には立ち上がろうとする坂田の姿。しかしコート右奥はがら空き。

 刈田はドライブを坂田がいないコート右奥へと打ち込んでいた。立ち上がるも間に合わずにシャトルが坂田の傍を抜けていく。そのまま空気抵抗に勢いを失って。

 シャトルはコートに静かに落ちていた。


「ポイント。フィフティーントゥエルブ(15対12)。マッチウォンバイ、刈田」

「……うぉおおお!」


 勝利のコールにあわせて、刈田は天井へと叫んでいた。

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