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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
SecondGame
141/365

第141話

 武も、スマッシュを打った杉田も硬直せざるを得なかった。確かに杉田はスマッシュを、淺川よりも先に打った。しかし、先に着弾したのは淺川のスマッシュ。確かに、打ったタイミングはそこまで離れてはいなかったが、先に放たれたシャトルを追い越すというのは二人に衝撃を与える。


(マジかよ……今の、見間違いじゃなければ)


 武は自分の思い起こす言葉を、飲み込む。うっかりすれば試合前の杉田に聞かれるだろうと寸止めできた。だが、武のその行動が逆に杉田にある種の確信を抱かせたようで、武を見ながら杉田は笑った。


「サンキュな」

「あ、ああ」


 何に対しての「ありがとう」なのか武は分からない。ただ、杉田の体から緊張感を超えた何かが抜け出ていったように武には思える。

 試合に臨む前の精神状態としてリラックスしているのは良いことだが、あまりに気が抜けすぎると悪影響を与える。外から見れば杉田の状態は危険なものに見えた。


(まさか、何もかも諦めたんじゃないだろうな)


 不安はある。だが、口には出せない。すでにコート中央に淺川と杉田は相対し、ラインズマンに武も入る。


(全道……いや、全国一位の実力が見られるんだ。杉田、気持ちで負けるな)


 武の胸の内を知って知らずか、握手を交わす際には武並みの声を張り上げる杉田。淺川は特に驚くこともなく手を握る。少なくとも表面上の気合には動じないらしい。


(後はプレイで相手をねじ伏せるしかないな、杉田)


 武は杉田にも勝機はあると思っていた。相手は第一シード。それゆえに、一回戦から負けるわけはないと考えるはずだった。昼間際とはいえ、その日の一試合目。一回戦を勝ち上がって体をほぐした杉田ならば、先手を取って逃げ切ることも可能かもしれない。


(相手は杉田を見くびっているはずだ。そこが付け入る隙だぞ)


『フィフティーンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ』

「お願いします!」

「お願いします」


 審判のコールに沿って杉田と淺川が相手に礼をする。

 サーブ権を取ったのは淺川。杉田が構えるを見届けるとゆったりとした速度でサーブを放った。綺麗な放物線を描いていくシャトルの下にもぐりこみ、杉田は狙いを定めて打ち放つ。


「うら!」


 スマッシュは淺川の胸部中央へと突き進んだ。

 その攻撃が予想出来なかったわけではないだろう。淺川は苦もなくバックハンドでシャトルを受け止める。ネット前にぎりぎり落として上がってきたシャトルを、スマッシュで逆に杉田へと打ち込もうとしたに違いない。武はそう思い、実際にその意図が見えた。

 だから、杉田の動きもまた予想できた。

 スマッシュを打った瞬間に前に飛び込むために足を進めていたことを。


「おおお!」


 シャトルは綺麗にネットを越えようとしていた。最も取りづらい位置に打たれたシャトルをバックハンドで返したとは思えないほど、その返球は完璧で、浮かず、絶妙な距離を進む。だがそのシャトルも立ち塞がるラケットの前にはその身を落とすしかなかった。

 コートに落ちるシャトルを、淺川は動かないまま見送った。


「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」


 審判のコールを待たないまま、杉田はネットの下をラケットを通してシャトルを回収する。サーブ権をもぎ取った時こそ小さく気合を表したが、すぐに潜めていた。気合を表す力さえも蓄えて、全てをシャトルを淺川のコートへと叩き込むことへと費やすために。


「一本」


 サーブの言葉も小さく、サーブを高く上げる。

 コート奥へとしっかりと進むシャトルの下に回りこんだ淺川はラケットを、振りぬいた。


(え……?)


 武は、シャトルの行方を見失った。

 次の瞬間響いたのは、自分の目の前での着弾音。そして跳ね上がるシャトルを見て初めてシングルスラインぎりぎりにシャトルが打ち込まれていたことを知った。

 シャトルが二度目の落下をし、審判が武の判定を待っていることに気づいたところで慌ててシャトルインの合図をする。呆気に取られていたが、シャトルは確かにラインぎりぎりに打ち込まれていたのは確認できていた。着弾した瞬間だけ視界が捉え、意識がそれに追いつくのに時間がかかった。

 それほどまでに、淺川の打ち込むシャトルは速かった。


(間違いない。淺川のスマッシュは、俺や刈田よりも速い)


 自分よりも速いスマッシュを打つ選手に初めて会った衝撃は武の中では大きく広がる。刈田は自分より速いと思ってもほぼ同じくらいだと感じていた。

 明らかに自分よりも速く、重いと感じたスマッシュは初めてだった。


(これが……全国一位になったりする奴の実力か)


 武の背筋に冷たい汗が流れていった。

 背中に流れた汗と共に試合の流れも淺川に一気に傾いていった。淺川のサーブをどう打ち返しても、低く小さく自分のコートに入れられ、たまらず上げれば高速のスマッシュが突き刺さる。杉田が必死にスマッシュのコースを読もうとするのが武には見て取れたが、淺川は一度たりとも同じコースに打ち込むことはなかった。斜線を微妙に変え、以前と同じように見えてラケットを振ってもジャストミートせずにチャンス球が上がってしまい、それを更に叩きつけられる。


「ポイント。サーティーンラブ(13対0)」


 ワンサイドゲームの様相を呈してきた試合だが、観客は消えない。誰もが淺川の挙動に注目している。

 勝つのは当たり前。

 その上で今日の調子はどうなのか。どのような試合の組み立てを行っていくか。

 それを考えることだけが目的。

 もう誰も、杉田のことを見ているとは武には思えなかった。


「ポイント。フィフティーンラブ(15対0)。チェンジコート」


 審判の淡々とした声。淺川の停滞なき動き。

 武の中に浮かんだ言葉は「作業」だった。試合ではなく作業。淺川にとってこの試合は勝つためにこなす作業といってもいいほど感情が見られなかった。必要なところにシャトルを打って、甘い球を沈めるだけ。


(杉田……)


 どんなに悔しがっているだろうかと視線を向けた武は、心の中が更に暗くなった。

 杉田の顔が明らかに青ざめている。相手との実力差に悔しがることもできないほどの実力差。さりとて諦めることが出来るほど自分も弱くもない。結果、心に絶望と名のつく汚泥が溜まっていく。


(ここで諦めたらそれこそ負けだぞ)


 だが、武は自分が杉田の立場だったとしたらどのように動けるのか考え付かなかった。杉田も打開しようとネット前に落としたりスマッシュを放つなど攻撃や防御に機を配っていた。だが、そのどれもを無力化され、更に相手のスマッシュは一撃で杉田から得点を奪っていく。

 どうにも出来ないまま、いつの間にか試合が終わっている。そんな未来しか描けない自分が杉田に何を言えるのか。


「ストップ!」


 場所を変わっての第二ゲーム。淺川のサーブの前に杉田が叫んでいた。しかし、それは淺川のシャトルの動きを抑制することなく、一ゲーム目と同じく圧倒的な蹂躙が繰り返される。


「ポイント。ワンラブ(1対0)」


 一度目のスマッシュが綺麗に決まっていた。



 ◆ ◇ ◆



(これが、全国一位の力か)


 一ゲーム目をラブゲームで。二ゲーム目もいきなり得点を奪われて、杉田は自分の意識が闇に飲まれていくのを感じ取っていた。このまま意識まで飲み込まれて横になれば楽になれるものを、と思うが体はその場に立っている。


「ストップ」


 心は折れかけていても口からは言葉が漏れる。体はシャトルを打ち返さんと構える。シャトルが放たれればそれを追い、淺川のいない場所へとシャトルを打ち込んだ。すぐに回り込まれて鋭いドライブが対角線を切り裂いていく。咄嗟にフォアハンドでストレートに返しても、そこには既に淺川の姿。


(瞬間移動かよ!)


 今度は完全に逆サイドに打ち返されるが、バックハンドでぎりぎり当てるとシャトルは甲高い音を立ててネット前に跳ね返った。杉田の特技とも呼べるフレームショット。ある程度意図的に打てるそれは、今までならば起死回生の一撃になりえた。だが、杉田が見たのはまたしても一瞬で前につめる淺川の姿。ラケットを下から上にスライドさせ、ネットぎりぎりを進んだシャトルを綺麗に叩き落した。


「ポイント。ツーラブ(2対0)」


 切り札さえもあっさり返される。どこに打っても姿を現され、シャトルを叩き込まれるということが刷り込まれていき、杉田の体は徐々に硬直していく。

 打ち込まれるたびに伸ばされるラケットは止まり、徐々に届かなくなっていった。


(ちくしょう。何も出来ないまま敗戦かよ!)


 悔しさに思い切り振りかぶり、杉田はシャトルを淺川のコートに叩きつけようとした。だが、シャトルを捉えた感覚さえなく、振り切られたラケットに引きずられるように前のめりになった後頭部へとシャトルが落ちた。


{クスクス}


 聞こえてきたのは微かな笑い声。客席から発せられたのは分かった。あまりにも滑稽な自分。

 最後に残ったプライドまでも粉々になっていく。

 後に残ったのは。


(ふざけんな)


 脱力しきった体に再び力がみなぎっていった。絶望による倦怠に沈んでいた体に入っていく力。何故なのか杉田は理解していなかった。ただ、淺川への怒りが精神も体も引っ張り上げていく。


(このまま終わってたまるか。全国一位だとか第一シードとか関係ない)

「ストップ!」


 淺川が構える姿を見て、今度こそ止めんとするために全力で吼える。

 だが、次の瞬間に杉田の頭に過ぎったのは。

 ――恐怖だった。


「一本」


 それは呟きだった。小さく、水面にささやかな波を起こす程度の強さしかなかっただろう。客席から見ているプレイヤー達にも聞こえないほどの声。

 それでも杉田の耳にははっきりと聞こえ、悪寒を背筋へと走らせた。


(なんだ? このプレッシャーは)


 怒りに任せた反撃をまるで読んでいて、タイミングよく潰したかのような淺川の言葉。放たれたサーブは今まで通りのロングサーブ。杉田は虚を突かれたが何とか追いついてハイクリアを上げる。このまま負けるにしても、一矢報いなければ気がすまない。

 どんなシャトルでも取ってやる、と杉田は思い切り腰を落とした。スマッシュさえもドライブで捉えられそうなほどに。

 だが、そんな杉田の構えをあざ笑うかのように淺川はハイクリアを打ってきた。腰を落とした状態から飛び上がるように足を伸ばしてシャトルを追う杉田。それをスマッシュで叩き込むと淺川はネット前に落としていく。強引に前に体を押し出してラケットを届かせるも、返した瞬間にシャトルは杉田の胸部へと叩き込まれていた。


「ポイント。テンラブ(10対0)」

「ごめん。痛かったか?」


 胸に当たって落ちたシャトルを呆然と見ていると、痛みに動けないと思ったのか淺川が声をかけてきた。いいや、と首を振ってシャトルを拾い、淺川へと渡す。淺川は少し安堵した表情で歩いていった。その後姿を見て杉田は確信する。


(こりゃ、一矢報いることも出来なさそうだ)


 がむしゃらになれば、何か痕跡を残せると思っていた。

 同じ中学生。どんなに実力の差があったとしても、玉砕覚悟の動きで相手の心に一瞬でも傷を負わせることが出来るんだと思っていた。

 だが、本当の実力差という物の前にはバンザイ・アタック等簡単にかわされる。


(こんなのに勝てる奴が、いるのかよ)


 再び流れる水に乗るように得点が積まれていく。と言っても、あと五点でゲームは終わる。既に二桁に突入し、更に重ねられれば一瞬で十四対ゼロまで上り詰めた。

 あと一点、という段階でも杉田の心に炎が灯ることはなかった。

 淺川のサーブをハイクリアで打ち返し、スマッシュ。

 再び胸部へと走ったそれを、バックハンドで打ち返そうとしたがシャトルは真上に飛んでいた。


「ポイント。フィフティーンラブ(15対0)。マッチウォンバイ、淺川」


 杉田の完敗だった。

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