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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
SecondGame
127/365

第127話

「香介!」


 シャトルが吉田の目に掠るようにして飛んだのを、後ろから見ていた武には分かった。軌道はアウトになったが吉田に触れていたために武達からサーブ権が安西達へと移る。

 試合が再開される前に武は吉田の顔を覗き込む。

 かすかに瞼の上が切れていた。


「大丈夫か?」


 庄司が審判へとタイムを要請し、コートの中に入っていく。さほど緊張感がなかったのは遠目から見て大きな怪我ではないと分かったからだろう。実際、傷自体は深くないためすぐに血は止まるはずだった。

 武もほっと一息をついたが吉田は顔を曇らせて立ち上がる。


「大丈夫です。早く試合を再開しましょう」


 吉田の言葉には張り詰めたものがある。もう少しで優勝という優位にも関わらず、逆に緊張に体が包まれていた。武は吉田の言動の真意はつかめなかったが、何か嫌な予感がしていた。


「先生。大丈夫です。優勝してきますよ」


 いつもならば周囲を安心させる言葉だが、武にも吉田の持つ焦燥が伝わる。庄司にならば尚更だ。それでも庄司は何も言わずに下がった。今までの吉田に対する信頼もあるのだろう。


「さあ、武。ストップだ」

「おう」


 スコアは八対十。安心は出来ないが不安になる点数でもない。相手側のファーストサーブだが今まで通りシャトルの一球一球に集中するのみだ。


「一本!」


 安西のサーブ。吉田はプッシュでシャトルを押し込もうとラケットを立てて手首の力で文字通り押し出す。

 しかし、シャトルはネットにかかってしまった。一瞬で得点され、安西の立ち位置が変わる。


(香介……?)


 微かな傷でもやはり遠近感が狂うのか。特に吉田は前衛で動体視力を駆使してシャトルを取り続ける。シャトルが目を掠めたことで一時的に視覚が曇っているのかもしれない。


「香介。無理するな」


 吉田の背中に向けて武は呟く。今のワンプレイで安西達も吉田の異変に気づいただろう。それでも手を緩めては来ない。逆に吉田ばかりを狙ってくるに違いなかった。相手の弱点を狙うのは王道。それが今回は弱っている吉田であるというだけ。


「ぎりぎりを狙わないで、ロブで上げるんだ。スマッシュもドロップも何でも、俺達なら取れる」

「武……」

「あいつ等が攻撃力を上げたなら、俺達は真っ向勝負で守りきろう」


 自分の姿が吉田の瞳に映るのを確認できるほどに、武は吉田をしっかりと見据えた。試合を中断させないために短い間だったが、自分の気持ちは確実に吉田に通じたと武は確信している。パートナーを組んでから今まで、様々な辛いことを乗り切り、喜びを分かち合ってきたから。


(そうだ。今まで吉田に助けてもらったんだ。俺が、ここでやらないでいつやるんだ!)


 自分は攻め続ける。吉田は無理せず上げる。安西達からの攻撃はしのぎ切る。吉田の防御力ならばきわどい場所を狙わなければ乗り切れると武は信じていた。事実、ほぼ百パーセントの確率で吉田はシャトルを跳ね返す。試合が再開されて、安西のスマッシュは吉田によって後ろに飛ばされていた。それがまた次のスマッシュを生むが、何度も吉田はかわし続ける。


「はっ!」


 唐突に武へと向けられたシャトルも、集中していた武はロブを上げる。攻められ続ければいつかは貫かれる。ピンチをチャンスに変えるためにきわどいプレイをするが、コート奥に返すだけならば武も余裕を持って打てる。

 十度ほどスマッシュレシーブを繰り返したところで、武にはある隙が見えていた。


(岩代が、孤立してる)


 安西がスマッシュを打ち続けているために、岩代がネット前でシャトルに触れない。そこにヘアピンを打った瞬間にプッシュを打ち込めるよう集中しているとは分かっているが、安西のスマッシュの感触は意図的に岩代達が狙っているとは思えなかった。


(安西はスマッシュに固執してる。岩代はネットプレイに……よし)


 武は安西のスマッシュをロブではなくドライブで岩代の顔面に向けて放った。それを待っていた岩代には絶好球のはず。

 岩代のラケットが一瞬ぶれて、シャトルを叩き落そうと動いた。


「そこだ!」


 シャトルが打たれた瞬間に武はその方向に動いてラケットを振り切る。シャトルは岩代の顔傍を通り過ぎ、コート端へと落ちていた。


「セカンドサーバー。エイトテン(8対10)」

「ナイスショット、武」

「おうよ!」


 手を打ち合わせて手ごたえを感じ取る。いくらネット前で待ち構えているとしても、長い間集中力を切らさずにいるのは至難の業だ。それをこなしていた吉田が凄いのであって、岩代には技術を真似できても集中力までは真似できなかったようだ。


「一本!」


 岩代のサーブに武はヘアピンで前に落とす。すぐにロブが上がり、吉田がジャンピングスマッシュで前方を急角度で狙う。岩代はすぐに反応してシャトルをバックハンドで捉えたが武がラケットを突き出してシャトルの軌道に乗せた。


「うら!」


 咆哮が遅れて飛ぶ。打った瞬間の岩代は硬直が解けないままシャトルがコートに落ちるのを見送った。


「サービスオーバー。テンエイト(10対8)」

「しゃあ!」


 武の拳が掲げられる。吉田も武の傍まで走っていき、自分の右掌を武の背中に叩きつけた。


「いて!?」

「ナイスプレイだ、武!」


 吉田の喜びように武は痛みも吹き飛んでいた。心の底から喜んでいる。そんな吉田の姿は武にとっても喜びだった。自分が力になっている確信。安西達が成長してきても、それを上回る成長をしていると今なら自信を持って言える。


「勝つぞ」

「当たり前だ」


 武も軽くラケットを吉田の肩に当てる。そこから武の熱が吉田に伝わると信じて。吉田もその思惑を読み取ったのか笑ってラケットを武の左肩に当てた。

 循環する想い。互いに燃え上がり、目の前の相手を乗り越える。二人の手が意識の中で繋がる感覚。


「一本!」

「応っ!」


 吉田のショートサーブがネットぎりぎりを越える。安西が飛び込んでプッシュを狙うも、ラケットがネットに当たってしまい、ポイントとなった。


「もう一本!」

「オッケイ!」


 吉田の背中から武が後押しする。武の声に押し出されるように放たれたシャトルは絶妙な位置を進み、容易にプッシュを打てずにふわりと中距離に落ちようとする軌道しか打てない。そこならば武の守備範囲。ドライブ気味にシャトルを飛ばして安西達を攻めた。安西は武がしたようにラケットをシャトルの軌道に置くだけにしてみるが、ラケットの中心を取れなかったのかコート外へと飛んでしまった。


「しゃおら!!」


 武が叫び、吉田が迎える。学年別や、全地区大会時に幾度も繰り広げてきた光景。今度もまた同じように勝つ結末を迎えるのかという気配が周囲を包みかけたその時。


「ああああ!」


 安西が頭上に向けて叫んでいた。

 そして、ラケットを脇に挟むと自分の頬を張り手で包む。あまりの光景に周囲は静まり返った。


「よし、ストップだ」


 その静寂の中、気にする様子も無く安西は呟いた。



 ◆ ◇ ◆



(負けてたまるか。もう負けるのはいらない)


 安西は心の中で呟いて、武達を睨み付ける。視線で心臓を射抜くようにしてから、一度息を吐いた。

 幾度も対峙してきた相手。

 これまで、勝ったことは確かにある。忘れもしない中体連の準決勝。そこで勝てたことで全地区大会までも出場できた。結果は、簡単に二回戦で負けてしまったが。

 それ以上にショックだったのは、団体戦で出ている吉田と武の試合を見て、心の中に自分達では勝てないと分かってしまったことだ。

 だからこそ安西は完全に勝利したとは思えなかった。精神的に崩れている相手に勝つということはスポーツにはある。そういう心の面も完全にしてくることが必要だということは理解できる。それでも、心技体完全な相手に勝ちたいと、安西は思っていた。

 だからこそ今回のジュニア予選に安西は賭けていた。


(越える機会はここしかない!)


 岩代も安西の気合についていった。吉田に匹敵するほどに反射速度を引き上げて、安西も武に負けないほどに筋力やフォームを整えることでスマッシュ力を上げた。

 全てはこの一戦のために。一度勝ったならば、勝ち続ける。

 ここで勝つことで自分達の力が上のことを証明出来るのだから。


「ストップだ」


 一度言った言葉を再び使う。武達にも聞こえるように。岩代は黙って頷いて自分の位置へと戻っていく。安西の胸の内を分かっているからこそ、それは行動でしか示せない。


(お前達に負け続けて。もう負けることはいらない。俺達に必要なのは勝つことだ)


 ショートサーブを今度こそプッシュで叩き返し、安西は前に残る。ロブが上がって後ろから岩代がスマッシュを放つがやはり威力はこの四人の中では最も劣り、シャトルを拾った吉田には完璧に後ろへと弾き返された。

 だからこそ安西は前に残らずにそのままシャトルを追いかける。カバーするように岩代が前に飛び込んでいた。岩代が前にいる安心感に押されるように、ラケットを振りかぶり振り切る。


「おおお!」


 渾身の力を込める。

 自分の全てを込めて、武達を打ち破るために。

 今までならば貫かないだろうスマッシュ。今の自分の力ならば、きっと越せる。相手の防御を崩せると信じられる。


「はっ!」


 想いを込めたシャトルは武のバックハンド側へと突き進んだ。待ち構えていたはずの武も一瞬反応が遅れたのか、レシーブは力なくネット前に飛んでいく。それでもぎりぎりに近い高さを飛んでいたが。


「はっ!」


 しかしそのシャトルは岩代のプッシュによってコートに叩きつけられていた。

 安西が打ち込み、岩代が決める。

 これがたどり着いた形。理想の攻撃陣形。

 サーブ権を奪い返して、安西はロングサーブを飛ばす。飛距離が出せない分、鋭さと弾道で吉田の隙を突こうとする。しかし吉田は後ろに飛んで弾道に逆らわずに打ち返した。安西は反射的に体勢を低くして岩代のショットへの布石を作る。

 スマッシュが放たれ、安西はリターンに備えてラケットを掲げる。そこを通り過ぎてドライブが岩代へと飛んでいく。後衛の力をつけた分、前衛の反射神経は安西は劣っていた。そこを逆に吉田と武に突かれたのか、安西の傍をシャトルが飛んでいく。姿は見えないが、岩代が後ろで必死にシャトルを追っていることは想像できる。


(くそ。下手に手を出したらチャンス球。最悪弾かれちまう!)


 そう簡単に手を出せず、安西は焦りを抑える。試合を続けてきて分かったのは鍛え上げた自分のスマッシュや、岩代のネット前プレイは対抗できるまでに昇華させることが出来た。しかし、他の劣っている部分がこの試合の明暗を別けるのだと気づいてしまった。このままでは押し切られて負ける。その事は第二ゲームが始まったあたりから安西の頭を過ぎっていた。

 それでも諦めるわけにはいかなかった。技術で負けているなら精神で勝つ。自分達の練習は裏切らないと、確信を得るために。


「うおおおあああ!」


 咆哮と共にラケットを突き出す。完全にシャトルの流れを把握したというわけではなかった。依然、危機はあるものの動かないならば岩代が押し切られてしまう。ならば、まだサーブ権があるうちに冒険するしかない。

 ラケット面から伝わる衝撃。ラケットは後ろに弾かれるものの、シャトルはネット前に落ちていく。


(成功した!)


 前に「出現」するのは吉田。安西から見れば瞬間移動にも見えるほどに、切れた動きで現れた吉田は、ラケットを傾けてクロスヘアピンを打った。ラケット面を滑らせてスピンをかけたことで不規則な回転でネットを越える。

 それを完全に安西は読んでいた。


(ここで吉田なら打ってくる!)


 それまで、同世代ならば最も多く対戦したからこそ分かること。試合だけではなく、市内体育館で共に練習をしてきた。

 互いに実力を上げると共に、相手の癖も見抜いたのだ。

 シャトルは武の足元へと着弾していた。


「しゃあ!」


 まだまだ終わらない。

 安西の心の咆哮は試合を支配し始めていた。

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