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FlyUp!  作者: 紅月赤哉
SecondGame
107/365

第107話

『夏休み・橋本と林の場合』


 夏休みに入って一週間が過ぎていた。体育館内は蒸し風呂のごとく熱く湿っぽい。その中に乾いた音を立ててシャトルが舞い上がるギャップは外から見れば不思議なものだろう。

 実際にプレイしている人間からすれば、暑さが体に巻きついてくるような錯覚を得ている。

 それでも、コートに挟まれた中央部分。ネットの上すれすれを行き来するシャトルの速度は徐々に上がっていった。それがもう五分も続いているというのだから、部員達も注目している。

 打ち合っているのは橋本と林だ。

 共にドライブを得意としているプレイヤー。橋本のシャトルはたまに浮いたり沈んだりと安定しないが、林のそれは本当に平行に飛んでいるようだった。誰もがいつ終わるのかと思った矢先にカァン、と甲高い音と共に橋本の真上にシャトルが舞った。

「しゃ!」と林が自分の勝利を喜び、橋本は逆に「やってしまった」と言わんばかりに落ち込んだ顔を見せていた。タイミングよく交代の合図が出たことで二人は体育館の壁側に移動する。


「じゃあ、桃華堂の巨大パフェおごりで」

「自分の土俵で勝ったからって人にたかるのはどうかと思うぞ!」

「そもそも挑んできたの橋本だし」


 橋本の言い分に林も反論する。

 それは二年に入るまでは見られない光景だった。

 橋本は武と。林は吉田と行動することが多く、一年の間にはそれほど接点はなかった。ダブルスを組んだのも学年別の直前からでまだまだ一年も経っておらず、話すとしてもどこか距離が遠かった。

 それを変えたのは三年生との団体戦の時。

 初めて二年生ではダブルスの二番手という位置で試合をした。その経験が二人の結束を強くする。林の堅実なプレイと橋本のトリックプレイ。それらが合わさることで大きな力となることを知った二人は、一気に信頼関係を深めていった。


「よし、次の二人入って」


 今までノックをしていた吉田が二人に声をかける。ダブルスとしてコートに入るということは、その目的は限られてくる。


「俺、相沢組と試合」

「おっけ」

「よーし、今日は勝つ」


 林がやる気を見せることで橋本もラケットのシャフトを持ち、手の中で回転させた。集中力を高める時に使う林の癖。

 練習時とはいえ、自分達よりも強い相手と試合が出来る良いチャンスを生かそうと目を輝かせる。


「最初はグー。じゃんけんしょ!」


 吉田と橋本がファーストサーバーとしてじゃんけんをする。結果、シャトルを手に入れた橋本が吼えた。


「よし、一本!」


 橋本のショートサーブで試合は幕を開ける。林のドライブを後方に下がった武が前にシャトルを落とし、橋本が吉田の頭上を抜けるような軌道で返したが、武が飛び込んでシャトルを叩き込む。


「俺、俺!」


 橋本はその声に咄嗟にラケットを止め、代わりに林がシャトルに追いつき、ネット前へと落とすと吉田がクロスヘアピンで橋本を振り切ろうとした。


「おっとぉ!」


 ラケットを目一杯伸ばしてシャトルを取る。橋本のラケットはシャトルを捉えてコート奥に飛ばした。そこに待ち受けるのは武。


「おらぁ!」


 振り切られたラケットから放たれたスマッシュ。林がその場で腰を落として取る体勢になったが、その時にはもうシャトルはコートを転がっていた。


「しっ!」

「速すぎるって」


 ガッツポーズを決める武を尻目に呟く橋本。林はシャトルを拾い、羽根を整えながら橋本に呟く。


「やっぱり相沢にチャンス球上げるのはまずいよね」

「全くだ。って俺か、上げたの」

「そうだって」


 けしてふざけているわけではないが、二人の間に流れる空気は緊張感からは程遠い。あくまで緩い雰囲気を作り出す橋本。その頭はすでにどうやってサービスオーバーにするかを考えている。林もそれを分かっていて空気に乗る。


「よーし、ストップ」

「ストップ」


 セカンドサーバーである林が前に出て、吉田のサーブを迎えうつ。ショートサーブをヘアピンで返し、吉田は高くロブを上げた。後ろに橋本が回りこみ、スマッシュの体勢を取る。橋本の速度ならば打たれてもカウンターを取れるという自信の表れかと林は思う。

 しかし、橋本もそれは分かっているだろうと、林は前方中央に陣取って橋本の次手を待つ。打たれたシャトルに反応して移動するだけ。

 クリアなら横に。前に落とされるなら前に踏み込む。


「うら!」


 打たれたのは、右前へのドロップ。シャトルはネットすれすれに落ち、吉田もこれにはロブを上げるしかなかった。


「はっ!」


 橋本のドライブが林の頭の上を抜けていき、武のバックハンド側を攻める。カウンターを狙ったのか同じ軌道に乗せて返す武。しかし途中で林が割り込んだ。

 掲げていたラケットをただ前に押し込む。それだけで勢いがついていたシャトルには十分だった。吉田と武の間にシャトルが落ちていた。


「よーっし!」


 カウンターの成功に林も顔が綻んだ。


「よし、今度は一本!」

「ストップだ!」


 橋本の気合を削がんとするように、吉田も吼えていた。


 * * *


「いい線、行ってたと思うんだけどな」


 林はそう言いながらペットボトルを橋本へと渡す。受け取りながら思わず周囲を見回した。初めて見る林の部屋。特に真新しい物はないが、新鮮な光景に目を奪われる。かかっている時計は午後二時を指していた。


「何。何かあると思った?」

「まー普通だよなーと」


 ペットボトルのキャップを空け、飲む。とたん、口の中に広がる炭酸と独特の味に橋本は一瞬喉が詰まった。噴出さないように堪えながら、徐々に喉に液体を通していく。

 口の中を空にしてから林へと言った。


「っくはぁ。これ、変わった味だな」

「だろ。前に吉田や相沢が来た時にも渡したら驚いてた」

「いつ?」

「去年の今頃」


 林は一度ぐいっとペットボトルを傾ける。元の姿勢に戻した頃には、ペットボトルの中身は半分となっていた。炭酸を一気に飲めることに橋本は感嘆した。


「まあ、それは置いておいて。結局、今日も十五対十か」

「最近は大分スコア上がってるけど……勝てる気がしないっていうのはな」

「手加減されてるってわけじゃないんだろうけど、何か余裕感じるんだよな」


 林が橋本を自宅に呼んだ理由。それは部活での自分達を反省するためだった。正確には試合をした時のものだが。

 橋本が続ける。


「あいつら、二手先三手先読んでいる気がするんだよな。だから逆に俺が不意を付いたようなことすると引っかかってる気がするんだけれど」

「最後にはねじ伏せられるな……。ほら、ラスト一本の時に上手く吉田と相沢の間に落とそうとした時さ。吉田がぱっと後ろ下がってスマッシュ打って終わったろ。それまで何度か引っかかってたのに」


 吉田の動き、武の動きを互いに思い出す。振り返ることで自分達の問題点を理解し、次に修正しようとする姿勢は大事なことだ。


「何度か引っかかったから耐性出来たってことなのかもしれないな。どうも一度上手くいくと何度も使うんだよな。阿部さんはそういうのあまり感じなかった」

「あの人の場合は同じフェイントを使うにしろいつ使うか分からなかったよね」

「そういう林は――」


 二人の反省会は続いていく。一通り終わると今度は部活についての話になっていった。


「最近な。怪しいと思うんだ」

「何が?」

「早坂と相沢」


 今の部活の雰囲気についての話をしようとしていたはずだったのに、と林は肩をがくりと落とす。先ほどまで真面目に練習の反省会をしていたのとはうって変わり、橋本は顔に満面の笑みを浮かべている。目からキラキラと星が飛び散っているのが林には見えていた。


「なんでまた。相沢見てると早坂苦手そうだし。何より川崎がいるだろう?」

「つまり二股だよ」

「相沢にそこまで甲斐性あるとは思えないけど。って中学生で二股とか凄いよね」


 林も人の恋愛話に興味があるのだろう。徐々にテンションが上がっていく。


「結構さ、相沢も勝てるようになって試合会場行ったりするのに早坂と一緒にいる時間が長くなるじゃないか。必然的に川崎といる時間も少なくなるしよー。距離が縮まってもおかしくないぜ! 小学生の時と違って、早坂と相沢見てても間の雰囲気が違うんだよ」


 そこから橋本は雄弁に語りだす。小学生の時にいかに早坂が恐怖の対象だったか。試合をしてもほぼラブゲームで負け、武と二人がかりでも負け、きつめの性格に怯えていたことを。

 何の自慢にもならないが、それでも林には自分の知らない時間を語る橋本が面白く、話の内容も楽しかった。


「林はさ、誰か好きな女の子とかいないの?」


 一通り早坂と武のことを話し終えて話題がなくなったのだろう。橋本の矛先は林に向かった。目の前に標的からどうにか情報を引き出そうと頭が回転している様子が林には良く分かった。試合では対戦相手の思考の裏を読んで出し抜くために使われる頭脳が、今は林に向けられている。


「いるよ」


 しかし林にとっては別段隠すことのほどではなかった。人を選ぶことは選ぶが、基本的にバドミントン部の男子には伝えてもいいと思っていたのだ。橋本に対しては素直に言ったほうが逆にダメージを与えられるという思惑もあったが。

 実際、橋本は拍子抜けしたようで「へぇ。誰?」と逸る気持ちを抑えられない様子を上辺だけで表現する。だから林も躊躇なく答える。


「早坂」


 その瞬間、部屋にぴしりと亀裂が入ったように林には思えた。それは橋本の顔に入った見えないひび割れの影響だろう。先ほどまで弛緩していた表情が一瞬で凍りつく様は見ていて楽しかった。


「あのえーとその」

「どうした?」


 自分で聞いておいて、という空気をかもし出す林に橋本も気おされていた。相手の裏をかくために動いていた脳も正攻法から攻められてその力を失い、更に真正面からの攻撃で機能停止まで追い込まれた。林は冷静に橋本の状態を分析する。


(トリッキーな動きで翻弄するのはいいけど、正攻法にこれだけ弱いと困るよな)


 それをカバーするのが自分だと分かっているだけに、林は苦笑を表に出さないようにする。

 橋本が崩した相手の隙にセオリー通り打ち込む。中学から始めたからこそ基本通りにショットを打てるよう、基礎を徹底してきた。その結果、派手なプレイがなくても道が開けた。一人ならば無理でも、橋本というプレイヤーがいるおかげで。


「いや、悪い。全然気づかなくて。相沢との話とかして」

「別に早坂と相沢が怪しいからって何も問題ないだろ。俺が好きなことには」

「お前なんでそんな冷静なのだい」


 動揺している自分が情けなくなったのか、橋本は肩を落としながらもいつもの調子に戻る。


「そういう橋本は?」

「お、俺か?」


 相手に言及すれば自分も尋ねられる可能性は十分ある。それを考慮しない橋本ではないと考えていた林はこのまま有耶無耶にして終わらせるつもりだった。しかし、予想に反して考えていなかったらしい。


「橋本。バドミントン以外はもしかして普通なの?」

「その普通っていうのがどんなのか分からんが……いや、林がそういうこと聞いたり言ったりするのが意外すぎて」


 実生活もバドミントンのように基礎を守るような男に見られていたのかと思うと、林は笑いを堪えることができずに噴出した。お互いにバドミントン以外のことが見えていない。けして部活だけで一緒にいるということはないのに。


「なんかもっと学生生活を楽しんだほうがいいかもね、俺達」

「それは凄く枯れきった発言に思えるが」


 自分の発言がおかしいのか笑う橋本。林も振り返ってみて橋本の言う通りだと思い、笑う。二人の笑いが部屋に広がって、和やかな空気をかもし出す。

 部活以外でこうして話す経験はほとんどなかった二人。しかし、初めて話したことで新たな面も見えてくる。


「まあ、今はバドミントンに青春しよう」

「おうよ。目指すは」

『相沢と吉田に勝つ!』


 最後に揃う言葉に、また二人は笑いあった。

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