希望と絶望
いつからこうしているのだろう。
空はいつしか赤みを帯び、黒雲を漂わせていて、終末の訪れを知らせていた。
スイーツの山々は完全に消え去って、虚無を子供たちは眺め続けている。
目に見える危機は刻々と迫っているのに、焦る気持ちは少しもなかった。
いま俺の中にあるのは『結愛を守る』ただそれだけだ。
だから何も迷うことはなかった。
俺と結愛は抱擁を終えると、迫り来る現実に目を向ける。
「結愛。思いついたよ。君を守る方法を」
結愛は視線をこちらに向けて、俺の話を聞き続けた。
俺は彼女を見て、その方法を口にする。
「信じるんだ、仲間を」
その瞬間、轟音と共に俺たちの目前に稲妻が走った。
眩しくて瞬きを何度かしていると、誰かの後ろ姿があることに気づく。
そしてそれは、見覚えのある背中だった。
「待たせたな。幸一」
元の姿に戻ったレオが、微笑みながら顔を振り返らせた。
後からシャルロットも空から下りてくる。
見上げてみると、空中にワームホールができていた。
それはまさに希望の出口だ。
「レオさん!! シャルロットさん!! 無事だったんですね!!」
「まあね。このお寝坊さんを捜すの大変だったんだから」
「その話は後だ。幸一、一体なにが起きている? まるで世界の終わりじゃないか」
「ああ、その通りだ。レオ、シャルロット。何も聞かずに俺の言う通りにしてくれないか? 細かい説明は後でする」
二人は顔を合わせると、すんなり了承してくれる。
何をして欲しいか伝えるとレオは砂時計へ跳び移り、シャルロットは容器内の上部にワームホールの出口を作った。
結愛には子供と動物たちが離れないように見守ることを頼む。
そして俺は創造の魔法で砂を作り出せるか試した。
すると右手のひらから、少量ではあるがちゃんと生み出せることが分かる。
よし、これなら成功できるかもしれない!
「レオ!! 始めてくれ!!」
俺が呼びかけると、レオは容器の上部を叩き斬り始めた。
何度も何度も、その湾曲したガラスに衝撃を与えている。
それに続いて俺は、ワームホールの入り口に目がけて砂を噴射した。
その砂は容器内のワームホールから勢いよく落下する。
「これでどうにかなるの!? 星が消えかかっているのは変わらないわよ!?」
「砂を継ぎ足せば星が元に戻るとは思っていないよ。俺の目的はあの容器を破壊することだ」
「できるのそんなこと!? それよりワームホールで他の星に逃げたほうがいいんじゃないかしら?」
「子供と動物たちも守りたいんだ。それじゃあ時間が足りない。大丈夫。俺を信じてくれ」
容器内上部の砂のかさが増えていく。
だが元々、入っていた砂の半分以上は既に落下していた。
急がないとまずい。
しかしそんな俺の焦りすら甘かったと、子供の叫ぶ声を聞いて思い知った。
「ママッー!! パパッー!!」
彼の悲痛な声の先には、遠くで瓦礫と化して崩れていくお菓子の家があった。
中から人が出てくる様子はない。
それでも砂時計が進行を止めることはなかった。
全てが破片となり家の輪郭がなくなると、俺は守れなかったことを悟る。
こんなにも呆気なく命は奪われてしまうのかと、身震いを隠せなかった。
周りでは子供たちの阿鼻叫喚が飛び交っている。
誰かの両親であろう二人の大人が家の中から出てくるが、逃げきれずに崩壊する大地の隙間へと落ちていった。
それを助けに行こうとして結愛に止められる者、目を背けて現実逃避をする者、ただただ呆然とする者。
笑顔など一つもなく、悲痛な声だけが聞こえてくる。
それはまさに、この世の地獄だった。
でも、それでも俺は結愛との約束を見失う訳にはいかない。
交わした約束は結愛を守ることだ。
たとえ他の何かを失おうとも、これさえあれば諦めることはない。
俺は目の前に広がる残酷な現実を直視しながら、手のひらから希望の砂を放ち続けた。
「家が、全部なくなりました……」
「もうすぐそこまで迫ってきてるわよ!! 急いで!!」
星が崩壊する音が次第に近づいてくる。
砂時計を見てみると、容器の上部は砂で満たされていた。
そしてワームホールの入り口から、入りきらない砂が溢れ出ている。
ここまでくれば後はもう少しだ!
「シャルロット!! ワームホールの出入り口をできるだけ狭くしてくれ!!」
「えっ? いいけど、どうする気よ!?」
「見ていれば分かるさ!」
彼女が穴を小さくすると、俺はさらに発射する力を強めた。
容器の中はこれ以上は入りきらない状態だが、構わず出し続ける。
レオも休むことなく容器を叩き斬っていた。
後は信じるだけだ。
俺の考えたこのやり方が、間違っていないことを。
……その時だった。
外から衝撃を受け、中から圧迫された容器にひびが入った。
そしてそのひびから亀裂が入っていき、容器全体へと広がっていく。
するとガラスの破片が飛び散って、砂は俺たちの元へ溢れ落ちた。
破片の落下音が所々からして、それがとても綺麗でまるでウィンドチャイムの音色のようだ。
宙に残ったフレームは消え去ったこの星のように、破片と化して天へと昇っていく。
気づいた時には、絶望の進行は食い止められていた。
♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢
砂時計のフレームが全て昇っていった頃には、空は青くなって真っ白な雲を流していた。
辺りは断崖絶壁になっていて、少しでも遅れていたら犠牲者はさらに増えていただろう。
結愛は泣き喚いたり塞ぎ込んだりしている子供たちの世話をしていた。
レオは散らばっているガラスの破片を集めて、崖の外へ放り投げている。
シャルロットはワームホールを作り、ルイのいる地元の星へと子供と動物たちを連れていっていた。
仲間たちが人のためになることをしているというのに、俺は突っ立って崩壊した大地を眺めながら、失った人たちのことを思い返している。
そこに人がいると知っていたにも関わらず、忘れてしまっていたこと。
辛い記憶を背負って、取り残された子供たちのこと。
そして守るべき人を守れたのに、後悔の気持ちを捨てきれないことが俺の胸に罪悪感として重く伸しかかる。
結愛さえ守れれば、それでいいのに。
「あんた、よくこの事態に収拾をつけたね」
老女が冷静な面持ちで話しかけてきた。
だから俺は純粋な疑問を投げかける。
「なぜお婆さんはそんな冷静でいられるんだ?」
「夢を失ってはいないからね」
「夢……?」
老女は俺の顔を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。
そして人差し指を口の前に立てて、静かに言う。
「それは秘密」
秘密って……何だろう。
でも夢があることは良いことだ。
俺も結愛との約束を忘れないようにしよう。
そう誓っている間に、老女の姿はなくなっていた。
♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢
シャルロットは全ての子供と動物たちを運び終えた。
子供たちは児童養護施設へ、動物たちは動物愛護センターへ預けられる予定だ。
ここには俺たち四人だけが残った。
「やっと落ち着きましたね」
「ええ。一時はどうなることかと思ったけどね。みんな助かって良かったわね」
「助かってないよ。子供たちの親は、みんな亡くなった。助けられなかった」
俺の言葉で、場の雰囲気が一気に暗くなった。
みんな悲しげな顔をしている。
「確かに、助けられなかった人たちもいますが、仲間や子供たちを守ることができました。最悪の事態は避けられたはずです」
「そうだな……」
結愛は前向きだった。
俺は結愛のことを守れたのに、なぜこんなにくよくよしているんだ?
切り替えよう。
結愛に習って、俺も前を向こう。
俺が決心をしていると、崖の付近にワームホールが出現した。
その中から、気が滅入っているガブリエルが出てくる。
「どうしたガブリエル? 元気がないな」
「申し訳ありません、幸一様。このガブリエル、次の行き先である星を見つけることができませんでした」
彼は深々と頭を下げて謝罪をした。
「あら、それはしょうがないわよ。だってさっきまでお姉さんとレオのことを捜していたんだから。だから謝るんだったらあなたじゃなく、レオがしなさいよ」
「お、俺か……?」
「当たり前でしょ!! それに彼だけじゃなく幸一くんや結愛ちゃんにも迷惑かけたんだから、ついでにそのことも謝りなさい」
レオは何か言い返したそうだったが、シャルロットの言い分が正論すぎて口に出せないようだ。
観念したのか、俯いていた顔を上げて言った。
「どんな迷惑をかけたのかは覚えていないんだが、悪いことをしたのは確かだ。すまない」
「レオが悪い奴じゃないってことは分かってるよ。これからもよろしくな」
「そうですよ! あれは何かに取り憑かれていただけです。これからも一緒に頑張りましょう!」
「わたくしのことはどうか、気になさらないで下さい。ご無事で見つかって何よりです」
レオは俺たちの言葉を聞いて、優しく微笑む。
それはレオが見せた、初めての自然な笑顔だった。
……その時、隣からドサッという何かが倒れる音がする。
何事かと目を向けてみると、そこには倒れ込んだ結愛の姿があった。
「結愛!!」
俺はすぐに彼女の元へしゃがみ込み、肩を持ちながら何度も名前を呼びかける。
しかし結愛は気を失ったままで、返事はなかった。