結愛の秘められた過去
「あんなもの作るなんて、どうかしてます!」
結愛はさっき作った蜘蛛のことを、まだ根に持っていた。
「いきなり虫を作るなんて酷いです」、「あんな気持ち悪いもの何で触れるんですか?」、「あの出来事は一生忘れないです」と、そんなことをずっと繰り返している。
そんなにも虫が嫌いだったことを俺は知らず、怒る彼女に平謝りを続けることしかできなかった。
「ごめん、結愛。もう変な物は作らないよ。約束する」
「もういいですよ」
結愛がドーナツでできた椅子に座ったから、俺もその隣に座る。
しばらく無言でいると、彼女は申し訳なさそうな声で話した。
「ごめんなさい。私もしつこく怒り過ぎました」
「結愛は悪くないよ。遊び半分であんなことをした俺が悪いんだ」
「わたし幸一さんに依存し過ぎているんだと思います。だからあんな些細なことで、あなたを責め立てちゃったんです」
俺はそんなことはないと思ったが、結愛の表情は真剣だ。
彼女が俺に依存しているなんて考えたこともなかった。
「自分の身を自分で守ったこともなければ、あなたについて行くだけで自分の意志で行動したこともないです。あなたがいないと、私は生きていくことができない」
「さっき巨人を倒せたのは、結愛の助言のおかげだって言ったじゃないか」
「でも、それだけですよね? あの一度きりです」
結愛は俺が思っている以上に、思い悩んでいたようだ。
彼女のその心境に気づけていなかったことが、俺はとても悔しかった。
守ることだけを考えていて、心にも気を配ることができていない。
上辺だけで、本当の意味で守ることを忘れていた。
「私、元の世界にいた時いつも孤独を感じていて、辛かったんです」
結愛は自分の過去を語り始めた。
俺は静かにその話を聞くことにする。
「親とは仲が良い訳ではなく、かといって悪い訳でもなかったです。両親の関係も似たような感じでした。上手くは言えないけど、家族がお互いへの関心を失っていると思ったんです」
その状況は、何となく想像ができた。
辛いけど騒ぎ立てる程の状態でもなく、抱え込むしかないタチが悪い問題だ。
「恋人も友達もいませんでした。だから話す相手もいなくて、声を出すこともほとんどなかったです。学校も放課後はすぐに帰って、自分の部屋にひきこもっていました」
全てではないが、結愛には俺との共通点があることに気づいた。
俺はそういったことに寂しさを感じたことはなかったが、それは気づいていなかっただけなのかもしれない。
「そんな私に唯一の話し相手ができたんです。それは近所の公園で遊んでいた、小さな女の子でした。その子がベンチに座っている私に「一緒に遊んでくれませんか?」って、声をかけてくれたんです」
結愛は微笑みながら、遊んでいる子供たちのほうを眺める。
さっきはあの子たちのことを、当時の小さな女の子だと思って仲良くしていたのだろうか?
「その子と遊んでいたら、その時まで寂しさしか感じていなかった気持ちに楽しいが加わったんです。それからは毎日、公園に行ってその子と遊んだり、お喋りしたりして楽しい時を過ごしました。私が誤ちを犯してしまうまでは……」
良い思い出に、最後の一言で陰りが見え始めた。
薄々は分かっていたが、この話がハッピーエンドで終わるなら結愛はここにいないのだろう。
俺はより身を引き締めて、話に耳を傾けた。
「ある日その子がプレゼントがあると言って、私の元へ両手を合わせて来たんです。私は物よりも気持ちが嬉しくて、心を弾ませていました。しかし、開いた中にいたのはてんとう虫でした。大の虫嫌いの私は、その子に怒って立ち去りました」
俺は驚いた。
さっき俺がしてしまったことと被っているではないか。
結愛があんなにも怒っていた理由が分かった気がした。
「その後は何日か公園へは行きませんでした。わたし結構、根に持つ性格なので。そして怒りが収まった頃に公園へ行ったら、毎日いたその子がいなかったんです」
嫌な予感がした。
恐らく結愛が自死を選んだきっかけが、この先にある。
「訳が知りたくて遊んでいた子供たちに聞いたら、その子はプレゼントをくれた次の日に引っ越していたことが分かったんです。多分あのてんとう虫を渡してから、別れを切り出すつもりだったんだと思います」
あんまりな話だ。
結愛の時折、話を中断させる様子を見て、涙がこぼれるのを必死に我慢しているのが伝わってきた。
「それからの私は病んでいく一方でした。唯一の話し相手を傷つけて、謝ることもできずに失ってしまったことが、余りにも辛くて。そして自分を責めました。アンタは人を傷つけることしかできない人間だって」
確かに傷つけてしまったかもしれないが、客観的に見ればそこまで追い詰める必要はない気がする。
ただ当時の結愛の環境や精神状況を考えると、冷静になることが難しかったのだろう。
「悩んだ末、私は自死することに決めました。ただ……」
そこで結愛の口が止まる。
何かを続けて言おうとしていたから、俺は待った。
しかしいくら待ってもその先を話すことはない。
「まだ話したいことはあるか? どんな話でも聞くよ」
「ごめんなさい。話そうと思っていたことがあったんですけど、気が変わってしまって……話したくないです」
「そうか。どうして話したくないか、理由を聞いてもいいか?」
結愛の手に力が入っていて、緊張しているのが分かった。
だから俺は彼女の手を上から握って、安心していいことを伝える。
すると結愛は手の力を抜いて、訳を教えてくれた。
「これを話したら幸一さんに嫌われてしまうと思います。だから話したくないんです」
「分かった。結愛が言いたくないのなら、言わないほうがいい。ただ俺は結愛のことをもっと知りたいと思ってる。だからもし話したくなったら、いつでも話してね」
「分かりました……」
話し終えると、沈黙が続いた。
でも、それは気まずいものではない。
生まれて初めて経験する、心地よい静寂の時間だ。
俺は結愛の顔が見たくなり、彼女のほうを向いた。
すると彼女も、こちらのほうを向く。
特に話すこともなく、笑顔になる訳でもない。
ただ見つめ合って、この時を幸せに感じている。
そして俺と結愛は目を瞑り、気づけば唇を重ねていた。
この瞬間に気づく。
俺は結愛を守りたいだけではなく、愛しているのだと。
今まで自分しかいないと思っていた幸せの輪に、結愛もいるのだと。
それが分かれば、もう何も迷うことはない。
これからはただ、結愛を愛していけばいいだけなのだから。
口づけを終えると、俺と結愛はしばらくのあいだ互いの瞳を見つめ続けた。
恥ずかしがる素振りも見せず、ありのままでいるだけ。
それだけでいい。
「行こうか、子供たちの元へ」
「はい」
俺たちは立ち上がると、手を繋いで歩み始めた。
そしてそれは俺と結愛、二人の人生の始まりでもある。
遠くで遊んでいる子供たちの声が、まるでそのことへの祝福に聞こえた。
♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢
俺たちはたわいない話をしながら、子供たちのいる場所へ戻る最中だった。
頭の中がぼやけているのは、現実かどうかも分からなくなっている結愛との特別な時間のせいだろう。
彼女もいま同じ気持ちでいるのだろうか?
そんなことを考えていると、周りが妙に騒がしいことに気がつく。
何だろうと見回していると、結愛が声をかけてきた。
「幸一さん。あれを見て下さい」
そう言いながら空中を指差す。
そっちの方向に視線を向けてみると、異様な物が宙に浮いていた。
「あれは……砂時計?」
それは巨大な砂時計だった。
フレームは金色で、内にガラスの容器があって、その中に砂が収まっている。
容器は真ん中がくぼんでいる一般的なもので、砂は下部に積もっていた。
こんな物が一体なぜ、微動だにせず空に浮かんでいるのだろう?
見当もつかなかった。
「ただの砂時計なのに、何だか不気味に感じますね……」
「ああ。少なくとも、俺たちに幸せをもたらしそうにはないな」
「どうします?」
何をすればいいのか分からないし、そもそもこれが何を意味するのかも知らない。
しかしこういう時どうすればいいのか、俺は理解していた。
だが見る限りこの辺りには子供と動物しかいない。
それなら……。
「さっき魔法をくれたお婆さんを捜そう。何か知っているかもしれない」
「そうですね! そうしましょう!」
俺たちは老女を見つけるために、子供たちから離れるほうへと駆け出す。
しばらく走ると、人が入れそうな程に大きいお菓子の家がちらほら目についた。
あの中には人が住んでいるんだろうか?
「家を訪ねてみないか? 誰かいるかもしれない」
「いいですね。話が聞ければ、早くお婆ちゃんを見つけられるかもしれないです」
早速、俺たちは近くにあった家の扉をノックする。
すると扉は開いて、中から大人の女性が出迎えた。
「あら、この辺じゃ見ない顔ね。何かご用かしら?」
「突然でごめん。さっき魔法の石を持ったお婆さんに会ったんだけど、今どこにいるか知らないかな?」
「ああ、その方ならさっき中央広場へ向かっているところを見たわよ。子供たちと遊んでいるんじゃないかしら」
すれ違いになっていたのか、聞いてみて良かった。
見当はつくが一応、中央広場がどこか聞いておくことにする。
「中央広場ってどこですか?」
「子供たちが集まっている所よ。この星の中心と呼ばれているわね」
あの場所が中心だったのか。
俺たちは女性にお礼を言うと、中央広場へ戻った。