魔女と野獣
もちろん俺は、レオを倒す気なんてさらさらない。
最初から対話で説得させるつもりだった。
戦いには彼の闘志を和らげるために付き合うだけだ。
問題はその胸に持つ目的をどう対処するか。
レオが認められたがっていることは話を聞いて分かった。
それならまずすべきことは、俺がレオのことを認めることだ。
「レオ。俺なんかがこんなことを言っても意味がないかもしれないけど、俺はレオのことを凄い奴だと思ってる。初めて会った時、レオは巨大なモンスターをいとも簡単に倒してみせた。あんなこと普通はできないよ」
「ドラゴンを一捻りで仕留めた奴にそう思われていたとは、心底嬉しいな。最高の皮肉に感謝だ」
まずい、墓穴を掘っちまった!
レオは目にも留まらぬ素早さで俺を斬り付けてきた。
すかさず俺も剣を使ってそれを防御する。
剣と刀がぶつかっても再び斬り直すことはせず、さらに刀へ力を加えて俺を押し負かそうとしてきた。
レオの力はとてつもなく強くて、迫力がある。
実際のところ、俺は彼より経験や技術の面ではかなり劣っているだろう。
誰がどう見ても俺の負け試合だ。
しかし、俺にはレオと仲良くしたい想いがあった。
レオにもみんなに認めてもらいたいという思いがある。
だが、おもいの面では俺も彼に負けるつもりはない。
ここで想いという名の馬鹿力を、発揮する時がきたんだ。
「レオ。お前は何で認められたいんだ?」
「何だ? 今度は精神攻撃か? お前、意外とずる賢いんだな」
「答えろ。なぜ認められたいんだ?」
レオの押し付ける力が少し弱まった。
俺の問いについて考えているのだろう。
「親父を超えるためだ。そのために今まで努力してきた」
「じゃあ聞くが、親父を超えてどうなる? 努力の先に何が残る?」
「……何が言いたい?」
レオがより鋭く俺を睨みつけてくる。
それでも俺は、この言葉を口にすることを躊躇わなかった。
「認められても、何も残らないだろう? それどころかレオは親父に囚われている。もっと欲しいと思っていたものが、他にあったはずだ」
俺が握っている剣に一瞬、震えを感じた。
レオが手を震わせたのが伝わってきたのだろうか?
「なのにレオは認められることに異様な程こだわっている。本来、求めていたものから目を逸らしてな」
彼は刀を押し付けるのを止めて、後ろに退いた。
そして俯きながら手に握っている刀を見つめる。
「幸一。お前は勘違いをしている」
刀から目を離すと、その瞳が俺の目を貫いた。
今までにない程に鋭く、そして憎悪に満ちた眼光だ。
「俺が他に求めたものなど一つもない。認められることが全てで、それが俺の唯一の生きがいだ」
「嘘だな。レオはそう思い込みたいだけだ。その証拠に、さっき手が震えていたじゃないか」
「黙れ……」
その時、満月の明かりがやけに眩しく感じた。
だから俺はその光を手で拒絶するように遮る。
けれど俺のこの選択は、間違っていたのかもしれない。
なぜならその光から守らなければならなかったのは俺ではなく、レオだったからだ。
「レオ……体が……」
満月の光を浴びたレオの体は被毛で覆われ、人間味を失った。
その姿は巨大化し服は破れて、見上げなければ目を合わせることができない。
尖った耳に、長い鼻面。
そしてその鋭利な牙を持った顔は、狼そのものだった。
月夜を背景に日本刀を片手に握りながら佇むその姿は、禍々しくありながらどこか神秘的にも見える。
俺は一頻りの時間、その光景に目を奪われていた。
♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢
「幸一さん、レオさん。大丈夫ですか!?」
狼男へ変貌したレオに気を取られていたが、結愛の呼ぶ声でハッとする。
辺りを見回してみると、下に見える五階の屋根に結愛とシャルロットの姿があった。
「城外を捜している時に、ふとこの城の天辺を見たらあなたたちが戦っているのが見えたのよ! 一体どうしたの!? それに……」
「そこに立っているのって、モンスターですか? それとも……」
二人が不安そうにこの状況について聞いてくる。
正直、俺が聞きたいぐらいだ。
まさかレオがこんなことになるなんて。
「レオだ。戦っている途中で、こんな姿になってしまったんだ」
それを聞いて、二人は呆然とした。
だがここは面食らっていても仕方ない。
考えるんだ。
これからどうするべきか。
「レオ。話すことはできるのか? もしできるなら返事をしてくれ」
「……」
俺の問いかけにレオが答えることはなかった。
話すことができないのか、それとも他に問題があるのか?
まさかもうあれがレオではなく、ただのモンスターになってしまったなんてことはないよな?
俺の当たって欲しくない想像を、彼の行動が裏付けてしまった。
何の兆候もなく、彼は全力で俺に斬りかかってきたのだ。
俺は突然のことに防御体勢をとれず、慌てて横へ避けると滑りながら屋根の外側へと回避した。
立ち上がると彼はすぐにこちらへ駆けてきたので、剣を正面に構える。
渾身の力で斬りつけられた俺は、それを受け止めきることができずに構えていた剣がはね飛ばされて、体は後ろへ仰け反った。
幸い彼の刀は胸を擦った程度で、致命傷の一撃にはならない。
だが仰け反った反動で、俺は下の階の屋根へと落ちてしまった。
その衝撃で体を痛めて、立ち上がることができない。
戦いを見ていた結愛が俺の名前を叫びながら走ってきて、上体を抱えてくれた。
嬉しいが、このままじゃ結愛も危ない。
しかし今の俺は満足に戦える状態ではなかった。
何もせずにいる内に、彼は俺たちのいる屋根へと跳び下りる。
そしてこちらへゆっくりと歩いてきた。
一体どうすればいいんだ……。
すると不意に何かを叩く音が聞こえた。
それは魔法少女になったシャルロットが、ステッキで彼を叩いた音だ。
彼がシャルロットのほうを向くと、彼女は跳んで姫路城の頂上へ乗った。
それを追うように、彼も頂上へ跳び移る。
互いに、棟の両端に立って向かい合う。
彼は立ち止まらず、シャルロットのほうへ歩き始めた。
それに構わず彼女は彼に呼びかける。
「レオ!」
話には応じてくれないはずだが、何か考えがあるのか?
「さっきは助けてくれてありがとう」
シャルロットがそう言うと、彼は歩くのを止めた。
そして棟の真ん中で、シャルロットを見つめている。
言葉は理解できているのか?
「坑道でモンスターたちに襲われた時、とても怖かった。私、ここで死ぬのかなって諦めてた」
彼女はそう言いながら、あの時の恐怖を思い出したのか手を震わせている。
そうだ、俺は結愛のことで頭が一杯で、シャルロットを守ることができなかった。
罪悪感の気持ちが今さら湧き上がってくる。
「そんな時あなたは突然、私の目の前に現れて助けてくれた。私に群がる怪物たちを全て倒してくれた」
シャルロットの話し方は真剣で、ありのままの気持ちを伝えていることが分かる。
その話を彼は動かず黙ったまま聞いているようだ。
「感謝の気持ちもあるけれど……私、気づいてしまったの。あなたのことが好きだって。自分でも信じられないのよ。助けられるまではあなたのこと、無口で変な人としか思っていなかったから」
サラッと傷つくようなことを言ったな。
だけどそれも本心で話しているからこそ出てきた言葉だろう。
「私ね、ルイを守ることで精一杯だったの。だから本当は自分が誰かに守られたい……なんて気持ちに少しも気づかなかったわ。でも、あなたのおかげで気づいたの。私が本当に欲しいものは何か……」
シャルロットはスカートを夜風でなびかせながら、彼の元へ歩いた。
彼の前に着くと、獣と化したその顔を見つめながら、ずっと我慢してきたその言葉を口にする。
「レオ。私と一緒にいて。私のことを守って」
彼女は魔法で背中に真っ白な羽根を生やすと、彼の目前まで浮かび上がり、口づけをした。
満月の夜の城であった、ロマンチックな事件だった。
♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢ ◇ ♢
ここに来て目を奪われるのは何度目だろうか。
姫路市の夜景にレオの変貌、そして彼女の甘美な愛。
決して安心できる状況ではないはずなのに、連なって現れる情景に心を奪われてしまう。
いま現在もその真っ最中だった。
結愛も俺の側で同様に、彼女らに目線が釘付けのようだ。
無理もない。
辛いこと続きだった今までを忘れさせる程に、この場面には幸せな驚きがあったのだから。
シャルロットは短いけど長く感じるような時間を終えると、屋根の上に下りて再び彼の顔を見つめた。
ほのかに口を湿らせた彼は微動だにしない。
すると突然、彼は頭を手で押さえながら苦しみ始めた。
足元はふらついて、今にも倒れそうになっている。
「どうしたのレオ!?」
シャルロットが支えに行こうとするが、彼は屋根の端まで安定しない足を歩めていき、そして遂には踏み外して落下してしまった。
「レオ!!」
落ちてから何度か落下音が聞こえてきた。
恐らく下の階の屋根を転がり落ちるのを繰り返して、最後は地上に叩きつけられてしまったのだろう。
「私、下に行ってくる!」
シャルロットは羽ばたいて、彼の落ちた方角へと飛んでいった。
「大丈夫ですかね。レオさん……」
「普通の人間なら死んでいるだろうな。でもいま落ちたのはレオだ。しかも凶暴なモンスターに成り果てている。心配するな、大丈夫だよ」
「はい……」
シャルロットが戻ってくるまでの間、俺は結愛の膝で休んでいた。
照れくさいから拒んでいたのだが、「怪我人は大人しくしていなさい」と押しきられてしまった。
意外と気が強い部分があるけれど、それも優しさの内だと知ってから結愛を守りたいという気持ちがまた大きくなる。
結愛がこうやって俺の心を守ってくれていることへの感謝も、忘れないようにしよう。