第二話「秘密のお茶会」(4)
放課後の面談の舞台は、職員室でも教室でもなく、どういうわけか音楽室だった。この時間に音楽室を使用するであろう吹奏楽部は、本日屋上にて青空の下練習に励んでいるらしい。
完全に閉め切られた音楽室は、防音機能がしっかりしているために、声を発しても壁に全て吸い込まれるような不思議な感覚が残る。
「なんで面談場所が音楽室なんすか?」
くだけた敬語もどきで声を掛けるリーファを怒ることもせず、リティストは血色の悪い顔で笑った。どことなく昼間見た時よりも疲れ切っている気がする。
「職員室も教室も、リーファくんのプライバシーを守ることが出来なさそうだったからね。君達とは入学当初の面談でしかしっかり話したこともなかったし、良い機会だと思っているよ」
あくまでもっともらしいことを言っているリティストからは、昼間の殺気は感じられない。本当に、今この時だけを見るならばお人好しの数学教師だ。
だが、リーファの身体は忘れていない。彼から発せられた恐ろしいまでの殺気を。今だって音楽室という広い教室の真ん中で、こんなにも隙なく立っている。前後にある扉にその神経が走らされているのもわかる。彼は、強い。
「あたし的にはさっさと帰りたいんだよなー。グロウ達とはいつものからかいの延長だって。あいつ、あたしが女だってのを忘れてるからよ」
「忘れてなんかないだろ。グロウくんは君のことを、入学当初から女だと意識しているよ」
さも当たり前のことのようにそう言い切ったリティストに、リーファは思わず噴き出してしまう。
「おいおい、先生。冗談はやめてくれよ。いくらなんでもグロウが怒るっての」
「午前中の教室で『放課後付き合ってくれ』と散々誘われていたのに?」
「あー、あれは……違うんだって……」
この担任になんて弁明しようか考えながら、壁に掛かった時計に目を向ける。放課後に突入して早三十分。このままだと約束の時間に遅刻してしまう。
「先生、あたしこれから友達と約束があるんだ。とにかくグロウとはなんともないから、今日はもう、いいだろ?」
およそ年上の教師に対する言葉遣いではないリーファのことを、それでもリティストは笑って許してくれる。こういうところばかりが目立つから、赤組での彼の発言権が無くなるのだ。だが、それも今日までだろうが。
赤組のリーダー格であるグロウが、不本意ながらも彼の強さを認めたのだ。さすがに逃げ帰ったということは絶対に口を割らないだろうが、これから彼はそれなりにこの教師に対しては態度を改めるだろう。
「それは……ギーラ・ボーデンとの約束かい?」
「っ!? なんでそれを?」
まさかこの教師まで昨日の帰り道を見ていたというのか?
訝しむ視線を送るリーファに、リティストは頭痛でも覚えたのかこめかみに片手をやって目を瞑った。
「グロウくん達が散々騒いでいたじゃないか。ギーラくんは上流階級のお嬢様だ。この学校にもたくさん援助を戴いている。まさかグロウくん達が、彼女に付き纏ってるわけじゃないだろうな?」
なるほど。学校に対しての金払いによって、教員達からの待遇も良くなるのか。さすがは悪評高きグリーンローズハイスクールだ。もしかしたら先程のリティストの質問も、リーファとギーラの関係ではなく、グロウ達が彼女に手を出していないかを聞きたかっただけかもしれない。
「その点は大丈夫だよ。あたしらも他クラスに絡む程暇じゃねーし。さすがに上流階級様に喧嘩売ったらどうなるかなんて、あのグロウだってわかってるだろ」
「リーファくんのその言葉を信じるよ……生徒の恋愛関係に口を出すつもりはないが、あまり羽目を外し過ぎるなよ? 特にリーファくんのその香りは禁止にする。明日からはつけてこないように」
信じると言いながらちゃっかり注意を挟んでくるのが、いかにも真面目な教師らしい。どうやら昨日飲んでいた紅茶の香りがまだ制服から漂っていたようだ。てっきり香水とでも勘違いされたのだろうが、残念ながらその指摘には頷くことは出来ない。今日もまた、彼女のお手製紅茶の味見をする約束をしているのだから。
「はいはい。了解しましたよー。じゃ、あたしはこれで……」
口だけで了承の言葉を放ち、リーファは音楽室の扉に向かった。
「……リーファくん」
まだ何か用があるのかと、面倒くさいが振り返ったリーファに、リティストは笑顔でこう言った。
「何か少しでもおかしなことがあったら、担任である僕を頼るように。これでも生徒を守るくらいには、強いつもりだ」
その笑顔が何故だか少し魅力的に見えて、リーファは慌ててそっぽを向いて扉に手を掛けた。
――結局聞けなかったな。あの担任がなんであんなに強いのか……
音楽室から出たリーファは、階段を降りたところで偶然にもギーラとばったり出会った。
「ギーラ。今から温室に行こうとしてたんだ。悪い、遅くなっちゃって」
「ううん、私も実は遅くなっちゃって、慌てて向かってたところなの。こんなところでリーファと会えて嬉しい。同じ高校なのに、クラスが違うと全然会わないね」
二人で並んで階段を降りて、廊下を歩いてそのまま温室まで向かう。さすがに学内では手は繋げない。愛しい彼女が隣にいて、少しじれったいと思うのはリーファだけなのだろうか。
「でも、これからの時間は一緒、でしょ?」
「リーファって、カッコいいね」
ちょっとキザだったか心配になるセリフを言ってしまったが、どうやらギーラには刺さったらしい。こういう価値観のフィット感も、彼女が愛おしいと思える部分だ。彼女に対してならどんな甘い恥ずかしい言葉も、この口から流れていくことだろう。
「そう? ギーラにそう言われて、嬉しい」
思わず抱きしめたくなったが我慢する。だがそんなリーファの心境を、今回ばかりはギーラは読み取ってくれなかった。
「リーファ、さっきちらっと見えたんだけど……」
昨日も受けた上目遣い。だがなんだか今日は居心地が悪い。それはきっと、彼女の目が疑いの色を含んでいたからだろう。
「音楽室でリティスト先生と、二人っきりで何してたの?」