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第五話「悪者」(2)


 男の一人が放った拳を、リーファは搔い潜るようにして避ける。

 違法なる手段で膨れに膨れあがった男の腕は、不自然に青筋が浮かび上がっている。盛り上がった血管には、きっと違法なる『オリエンス』が流れているのだろう。ドクドクとした邪悪なる脈動が、皮膚を越えたリーファの耳にまで聞こえてきそうだ。

 男は案の定、グロウの取り巻きの一人だった。彼だけでなくこの場にいる全員が取り巻きで、そしてその中にはグロウ本人もいた。彼はいやに虚ろな目でリーファを見たまま、ガーデンテーブルに腰掛けている。その姿こそは不良のリーダー格のそれだが、温室に入った時から無言を貫く彼からは、いつもの覇気は感じられなかった。

 大振りの攻撃につんのめった取り巻きの一人に、リーファは顎を狙って掌底をぶち込む。普段のじゃれ合いのような喧嘩ならやり過ぎのこの行為だが、今はジャンキーを相手にしている。感覚が鋭敏になっているであろう麻薬の効いている人間には、多少やり過ぎくらいの攻撃でないと効果がない。

 どさりと大きな音を立てて男が倒れ、それに入れ替わるようにして別の取り巻きが一人、リーファの前に進み出る。彼等は、リーファと決闘をしているのだ。一対一のタイマンで、己の強さを――己が得た力を確認している。

 温室でギーラを見つけてから、既に五人。いや、さっきの男も含めて六人の男と戦い、そして倒した。あとは目の前でニヤニヤした口元を隠そうともしない男と、ガーデンテーブルに座るグロウだけだ。意識を失ったままのギーラの身体は、隅に移動させて横たえている。彼女は命に別状はないようだが、しかし精神的なショックにより意識を手放してしまっているようだった。

 その『ショック』が何なのか、わからないリーファではない。彼女の身体は汚されていた。そこにどんなやり取りがあったかは知らない。だが、遠目から見て『襲われている』と言わせる程に、彼女が意識を失う程に、彼等は彼女の身体を、心を傷つけたのだ。

 戦う理由はそれで充分だった。怒りに燃える瞳で相手を睨み付け、唸り声を言葉に変えた。彼等にはそれで充分だ。彼等は人の形をした獣でしかない。人間にとって何より重要な、理性というものを吹き飛ばしてまで得た力が、こんな女生徒一人の憎悪すら抑えることが出来ない。何故ならそこには、感情がないから。相手を想う心がないから。

「てめえも詫びろ! ギーラに詫びろ!!」

 ありったけの憎しみを込めて、リーファは相手の男をぶちのめす。こちらに伸びる腕を抱えて関節を攻める。丸太のように太い腕には、直接的な打撃は効果がないと見切りをつけて、鍛えようのない関節を破壊する。彼等が痛みに鈍感になっていることは、これまでの男達で理解しているので、それだけでは満足せずに、攻撃の手は緩めない。

 腹を一発蹴る。これはフェイントなので相手の意識が足に向けばそれで良い。案の定鋼のように硬くなった腹筋は、蹴ったリーファの足の方がダメージを負っている。もう倒れ込みたいくらいには疲労しているが、彼等は彼女を傷つけた張本人だ。負けるわけにはいかない。

 首ごと足――下を向いた男の首に両腕を絡めて、絞める。理性を剥がされただけではない、本能からの容赦ない抵抗が来るが、飛びつくように背後に回っているリーファの被害は、肘から下だけに抑えられている。タイマンというにはあまりにも決まりの悪い手ではあるが、男女の体格差だけでなく筋肉量が異常な相手をしているのだから、これくらい反則でもなんでもないだろう。

 男の両手がリーファの腕にかかる。指の一本一本すらもリーファの倍はある鍛えた男の指だ。だが、それでもリーファは負けない。負けられない理由と憎悪があるのだから。しばらくばたつくようにしてもがいていた男の身体が、重力に従って地面に倒れる。前に倒れた男の背から、リーファは問題なく離れて残る一人に目を向ける。

 彼は――グロウは腰掛けていたガーデンテーブルから立ち上がり、リーファの正面に歩み出た。

「グロウっ……」

 リーファは彼の名前を呼んだ。彼の名前を呼びさえすれば、普段通りの彼の言葉が返ってくるような気がしたからだ。

 彼は、答えない。彼は終始無言だった。リーファが温室を訪れたその時から。普段ならば率先して話を纏めるリーダー格が、今は何も話さない。先程のリーファに対する挑発も嘲笑も、全て取り巻き連中から投げ掛けられたものだった。

 彼は、答えない。

「グロウ!」

 彼の反応にリーファは、涙が出そうだった。いつも過剰なまでに絡んで来るその男が、今朝、自分へ心のこもった贈り物を贈ってくれたその男が、今は何も答えない。話さない。

「なんとか言ってくれ!!」

 悲痛なリーファの叫び声に、ようやくグロウの口元が動いた。

「……お前は、オリエンスを使わなかったんだな」

「あ、当たり前だろ! こんな麻薬で力なんて欲しくねーよ! グロウ! お前だってそうだろ!?」

「お前は……そういう奴だったよな……俺は、馬鹿野郎だ……」

「グロウ?」

 俯いてしまった彼の姿には、普段の暑苦しいまでのエネルギーは感じられない。そんな彼の姿が見ていられなくて、リーファは縋るようにその男の名を呼んでしまう。

「……俺は、お前があの女からてっきり、オリエンスを貰ったんだと思ったんだ。俺への当てつけに、俺の目の前で……っ!」

「そんな……あたしが、受け取ったのは……っ!」

 思わず反射的に反論しようとして、そこで言葉を選ぶリーファ。そんなリーファにグロウは鋭い視線を、まるでこの身に突き刺すかのように送る。

――いったい、なんて言や良いんだよ……

 何を言っても、まるで言い訳にしか思えなかった。彼からのこの身を貫くような真っ直ぐな『気持ち』が、リーファの中の小さな『違和感』を増幅させてくる。

 真っ直ぐにリーファを見据える。真っ直ぐな『純愛』だ。そんな彼は、きっと……リーファに『勝つ』ためにオリエンスに手を出したのだろう。リーファを納得させるためだけに、その身に違法なる力を取り込んでしまった。

 どれだけ違法なる力に犯されようとも、彼の瞳は真っ直ぐなままだ。彼の瞳は、リーファを――いや、リーファの背後を見据えたままだ。

「……グロ――」

「――リーファ、避けろ!!」

 突然の彼の怒鳴り声に、リーファは反応が遅れた。そんな彼女の身体目掛けて、グロウが突進してくる。思わずガードしようとするリーファの身体に、グロウは側面から抱き着くようにして密着して――

 酷く赤黒い雨が降った。

 透明なる天井に守られた温室に、雨風が侵入することはない。異常に鍛えられた筋肉の重みが、リーファの肩に圧し掛かってくる。力を失くしたグロウの身体が、リーファの身体を巻き込むようにして地面に倒れた。リーファはその下敷きになってしまうが、彼女の身体もまた力を失くしてしまっている。

 腹が尋常ではない程に熱かった。この感触は知っている。喧嘩が常のリーファは、女だが不良である。なので己の身体に穴が開く、あの痛みを、あの熱さを知っている。確か初めて経験したのは、相手が突き出した小型のナイフに自分から拳を叩き込んだ時だが、その時の小さな傷ですら、灼熱の痛みを伴ったのだ。あの小さな傷ですら、拳を再び握れるようになるまで一か月掛かったか。

 リーファは意識を強く保とうと、自分を叱咤する。恐る恐る視線だけで傷口を確認。自身の腹と、グロウの腹の辺りから、ドクドクと大量の血が流れている。

――っ! グロウ!

 頭では声の限りに叫んでいて、彼の身を揺り動かしていた。しかし、腹に開けられた風穴のせいで、リーファの身体は満足に動くことも、ましてや声を出すことすら出来ない。

 ガーデンテーブルの横、この温室の中心で、重なるようにして倒れている二人に、足音が一つ、近づいてきた。視線だけで相手を確認しようとして、悍ましいまでのプレッシャーに、視線一つ動かすことが出来なくなる。足音はリーファ達ではなく、ギーラの前で立ち止まった。

「おやおや、温室の前には特務部隊がうろついておりましたし、中では中で、不良達の仲たがい、ですかな?」

 ふぉっふぉと笑う声は、酷くしわがれている。老人、だろうか? しかしこの学校にはそんな老齢な教員はいなかったはずだ。それは即ち――この老齢らしき男が、他国の軍人であることに他ならない。

 地面に飛び散っていた『黒い雨』が、意思を持ったようにその声の主に向かってぬるりと動き出す。これは老人の魔力で操られた『凶器』であって、自分とグロウはこの凶器に貫かれたのだとリーファは確信する。

「生徒を護れなくて残念でしたね、先生さん。せめて特等席でその眼に焼き付けてくださいませ」

 声の主が何かを地面に放り捨て、それと同時に蠢いていた黒い雨が再び上空に浮かび上がり、そして――グロウの取り巻き連中の身体を貫いた。相変わらずのプレッシャーに、リーファはその目を閉じることすらも出来ないで、その凶行を見届けた。ザクザクと何度も何度も、小さな雫達がまるで弾丸にでもなったかのように、膨れ上がった筋肉も飛び散る臓腑も関係なく、その身体を単なる肉の塊に変える。


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