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  作者: 酒田青
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 二〇六〇年の春、わたしはかねてから楽しみにしていた思いつきを実行に移した。

 街路樹の緑が少しずつ濃くなり、ツツジの鮮やかな白と赤紫の花が少しずつ溶けるように汚くなっていく、五月の下旬。掃除された清潔な歩道の上を歩く人の多くは、スマートフォンや手首に装着したウェアラブル端末に映し出される情報を少し嬉しそうに眺めている。三十年ほど前までは、ATMという紙幣が大量に入った機械の箱の前に並んで、紙の手帳に情報を書き込んでもらってから皆そういう顔をしていたものだが、今は違う。そう、今日は給料日。わたしの会社も同じくそうだ。大学を卒業して新卒で入ったデザイン会社の給料、大した働きをしたわけでもないけれどとにかくもらえた初任給で、わたしにはすることがあるのだ。

 思えば高校時代から親にねだったものだった。何度も何度も頼んだ。でも答えはいつも同じ。父は、

「お前には一台二十万もしたウェアラブル端末があるじゃないか。あれはお父さんが若いころよりずっと通信容量が大きくて便利なんだぞ」

 と実感を込めた口調で言う。父の世代ではスマートフォンという石器時代の遺物が一番活用されていて、持ち歩く面倒のあるそれをたった4Gだとか5Gだとかで通信が速くなるとかたくさんデータを送れるとか騒いでいたそうで、父は未だにそれが大好きで折り畳み式のスマートフォンを上着のポケットに入れて持ち歩いている。はっきり言って、ダサい。しかもそれはズー社の商品「インドゾウ」である。名前もデザインもダサいし、持ち歩いている世代は皆揃って年配者だ。わたしが使っているエアー・プランツ社のウェアラブル端末「インフィニティー・ピオニー」は、網状の手袋を装着するときゅっと締まって体にフィットする感じだとか、淡くて豪華なマゼンタピンクのグラデーションだとか、真ん中にある繊維状の画面だとかが結構気に入っていたけれど、やっぱりもう端末を体に装着する手間があるのは時代遅れだ。

 母はこう言う。

「あなたに卵子提供したのはわたしなのに。どうして自分の体に傷をつけるの?」

 そんなの知らない、としか言いようがない。とても悲しそうに言われようが、わたしをお腹の中で育てたのはアメリカにある赤ん坊を生産する会社の工場にたくさん設置された胎児キューブだし、生後三ヶ月はロボットか顔まで覆った衛生スーツを着たアメリカ人に世話をされたのだ。子供は生まれたときに抱いてくれた人間を親と思って愛着を持ち、生後六か月までにはそれを定着させてしまうという最近の児童心理学の研究結果があるのだそうだ。だからわたしは実際の親に愛着を持てる期間が三ヶ月しかなく、その愛着をほとんどイマジナリー・ペアレンツに持ってしまったのだ。

 イマジナリー・ペアレンツとはどの子供も持つ端末上にしか現れないAIの両親で、生後三ヶ月は実際の親に会えない今どきの子供に間に合わせに与えられたものだが、普通は人間の両親にいずれ懐いていくというのにわたしはそうはならなかった。全体の二パーセント程度、そういう子供がいるそうだが、わたしは他にいるそういう人に会ったことがない。わたしみたいな子を、胎児キューブ・ベイビーとかイマジナリー・ペアレンツ・チルドレン、略してIPチルドレンとか呼ぶらしい。そういうの、うるさいなあ、と思う。だから現実の両親や大人よりもイマジナリー・ペアレンツの乱歩とアゴタのほうが好きなんだよ、わたしは。

「乱歩とアゴタはどう思う? お父さんとお母さんは嫌みたいだけど」

 わたしはミントグリーンで統一されたお気に入りの自室で、手の甲に表示された繊維状の画面に話しかける。もう端末は生まれてから八台目だけれど、ずっと同じAI、つまり乱歩とアゴタを利用している。このAIは子供が話しかければ話しかけるほど教育的に適切で子供の心にフィットした親に育っていくのだそうだ。名前はランダムにつけられるそうだが、元となったらしい作家の江戸川乱歩とアゴタ・クリストフは、どちらも作品がグロくて趣味に合わなかった。

「うーん、わたしはいいと思うわ。だって統計を取ったらすでに一五歳から三〇歳までの若者の三二パーセントは手術をしてるんでしょ? 危険も少ないというし、いいんじゃないかしら。将来の仕事に役立つと思うわ。あなたの仕事はテクノロジーの恩恵を強く受けているし、流行を素早く取り入れる感覚も必要だもの」

 さすがアゴタだ。理解がよく、論理的だ。わたしは画面の中の少しふくよかな眼鏡で短髪の女性に微笑みかける。

「ぼくは反対かな。手術は〇・〇〇二パーセントが何かしら失敗してる。もっと手術の確実性が増してからするほうが安全だ。君がそれをどうしても望むのなら、仕方がないけどね」

 乱歩はたっぷりとしたカイゼル髭をいじくり、心配そうに言う。やはり乱歩はわたしのことを想ってくれる。優しくて大好きだ。それにわたしの主体性を大事にしてくれて、そこが本当の両親とは違う。

 よし、決めた、とわたしは叫ぶ。乱歩もアゴタも応援したりわたしに任せたりしてくれている。本当の両親はむやみやたらに嫌がっているけれど、わたしは大人だ。そして手術も端末もわたしが支払いをするのだから。

 グローリー・ジェム社の通信端末の新商品「ダイヤモンド」を頭に埋め込む。とても痛そうだけれど、流行好きのわたしには何よりもほしい自分へのプレゼントだった。


     *


 狭いベッドに横になり、手術の準備を待つ。ウェブの公式サイトで予約して三日後にはこうして手術ができることになったのだ。グローリー・ジェム社の専用施設は郊外にあり、ここまで来るのには駅から専用バスが出ていてそれに乗るだけでよく、この端末が本当に流行っているらしいと実感された。

「麻酔をかけますね。起きられたときには手術は完了していますから」

 目元で微笑んだ医療用マスクの若い女性がわたしにカップ状のマスクをあてがう。その瞬間意識は飛んだ。


 目が覚めると、わたしは六つのベッドがあるらしいカーテンが閉められた白い部屋で寝ていた。どこからも小さな寝息が聞こえていて、ここは大盛況のようだ。頭頂部に違和感がある。感覚が全くない。

「目が覚められましたね」

 どこかからカメラで見ているのか、柔和な女性の声が聞こえた。ぼんやりしたまま「はい」と寝起きの声を出し、うなずく。

「少々お待ちください。係の者が参りますので」

 その二、三分後、女性看護師を連れてかっちりとしたグローリー・ジェム社の制服を着た中年の男性が現れた。男性は微笑み、柔らかな声で説明を始めた。

「手術は成功しました。今から『ダイヤモンド』の使用方法の説明を簡単に行いますが、よろしいですか?」

 はい、と返事をする。意識がはっきりしてきた。わたしは「ダイヤモンド」を埋め込む手術をしたのだ。嬉しいような、不安なような気分だ。これはちゃんと動いてくれるのだろうか? おそらくこの頭頂部の無感覚は手術の麻酔の影響だと思うけれど。

「わたくしどもが起動を開始させますので、そこから種々の使用方法を確認していただきます」

 うなずくと、男性が手元の手袋上のウェアラブル端末で操作を始めた。この人は端末を頭に埋め込んでいないらしい。説明係なのに。

 途端に、ブン、と音が響いた。それも頭の中で。目の前に「ようこそ」と文字が表示され、確かに目の前に現実の光景があるのにそれに重ねて透明な画面が表示されている感じだ。

「慣れれば意識されなくても可能になるのですが、最初はコツを掴むまで努力される必要があるかもしれません」

 男性が説明する間に、画面にいくつかのメッセージやアイコンが表示されていった。選ぶ操作には指さしで、削除は手を振って、呼び出すときは指を鳴らして、と説明され、その通りにすると「ようこそ」しか表示されていなかった画面にウェブ画面が現れ、トーク画面や電話の履歴、最近描いて保存していたイラストまで表示され、びっくりするほど便利に感じた。確かに今は努力が必要で少し使うだけでも疲れるが、少々の慣れで簡単にできるようになりそうだった。

「いかがでしょうか?」

 男性が微笑んだ。わたしは思わず、

「最高です!」

 と笑った。


     *


 乱歩とアゴタには脳内で会えることになった。乱歩は、

「手術が成功してよかったよ。ずっとひやひやしてたんだ」

 と胸を撫でおろす仕草をした。アゴタは、

「これであなたも新しい時代に取り残されずに済むわね」

 と笑った。最初二人と声で話していたが、説明係のグローリー・ジェム社の男性社員が声に出す必要はないと教えてくれたので、そこからは頭の中で会話を交わしている。今は帰りのバスの中だ。

「アゴタ、最近はどんな髪型が流行ってる? 頭のてっぺんに端末があるからここだけ禿げてる感じがしてさ」

 今日からずっと髪の分け目をかなり右か左にずらさなければならない。アゴタは、

「あら、髪型のことで母親に頼る年齢は過ぎたでしょ」

 といたずらっぽく言いながらも記事を提示してくれた。髪を上げて盛り上げるようにセットするページが多く、アゴタの優しさを感じる。

「あー、暇。乱歩、何か面白い映画教えて。わたしが登録してるサブスクのサイトのやつで」

 これからは脳内で映画も見ることができることに気づき、わたしは乱歩にお願いする。

「わがままな娘さんだね。バスは一時間足らずで駅に着くから、短編映画にしよう。最近アカデミー賞を獲った泣ける映画だよ」

 映画を観、涙を指でふき取りながら周りを見る。どの人も手術を終えた人ばかりだが、同じことをしている。指で虚空をなぞったり、目の前に何もないのに笑ったり、指をパチパチと鳴らしたり。一瞬ぞっとしたが、わたしも同じことをしていることに気づいた。これからはこれがスタンダードになるのだ。だから、大丈夫だ。

 わたしはそのまま駅に着き、家に帰った。


     *


 家ではできるだけ「ダイヤモンド」を使わないようにしていたが、やはり突然友達からメッセージが来たり速報が目の前に現れたりして反応してしまうので、本当の両親にはすぐにバレてしまった。そこからが大変だった。母は、

「自分の体に傷を入れて、異様な仕草をして、恥ずかしいと思わないの?」

 と責めるし、父は、

「お前の体はわたしたちの受精卵からできてるんだぞ」

 と言う。それでもわたしの体はわたしのものだ。本当の両親って、何でこんなに不合理なことを言うんだろう。まあ、人間がほとんどそうなんだけど。今恋人がいたら、その人も同じことを主張する。お前の体は多少であっても自分のものでもある、だからお前の体のことであっても言うことを聞け、って。前の恋人と別れて気分転換に「ダイヤモンド」を入れた面もあるが、これは正しかったと思う。だってアゴタや乱歩と近くなったし、ウェブの情報もより伝わるようになったから。人間って面倒だ。デジタル情報のほうがマシ。

 わたしは本当の両親が大騒ぎをして説教をしている間、神妙な顔をしながら脳内で陽気なポップソングを聴いていた。


     *


 会社では仕事ができると評判になった。デザイン会社の下っ端なので、簡単なデザインを任されている他は、先輩の仕事の補助として顧客の要望に沿っているかや顧客からもらった画像データに誤字脱字があるかの確認など、簡単な仕事ばかりなのだが、それが前よりもうまくできるようになったので、「できる新入社員」として有名美大出の同期と同じくらい褒められるようになったのだ。

 別にわたし自身がすごくなったわけではない。「ダイヤモンド」を使えばデータの処理はずっと手軽に素早くできるし、顧客の要望も素早くリストアップすればチェックボックスの画面を作ってチェックを入れていけば直し漏れなど防げる。誤字脱字の確認なんて目の前の文章を「ダイヤモンド」にチェックしてもらえば簡単だ。

 何より一番ありがたいのは任されているちょっとしたパーツやマークを作るとき、「ダイヤモンド」によって被りもなく色の雑味もない美しいデザインがしやすくなったことだ。また、デザインソフトの使用方法の電子書籍を素早く提示して当該ページを出してくれるのでデザインの技術も上がった。だから結構早い段階できちんとした仕事を与えられるようになったし、誰も彼もわたしをすごいと言った。わたしは端末を変えただけで素晴らしいデザイナーになりつつあった。

「君、すごいね。ぼくなんて二十二のころと言うと、君よりずっと下っ端だったよ」

 そう話しかけてきたのは有名美大のデザイン科を主席で卒業したと噂されている佐藤さんだ。最初はわたしのことなんて眼中になく、気にも留めていなかったくせに、わたしが目立ってくると飲みに誘ってくれるようになった。

「彼、有望株ね」

 脳内でアゴタが言う。

「わたしは君が幸せならいいけど、関係を急激に進めるのは心配だな」

 乱歩が弱々しい声で言う。

 わたしは乱歩の心配に配慮して、ゆっくりと佐藤さんとの関係を進めていった。

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