魔眼の力
ー嘘だ
ーリアが、そんな…絶対に…
ガタンッと何かが倒れる音がした。
私が立ち上がったことで椅子が勢いよく後ろに倒れた音なのだが、耳に入って来なかった。
ーうそだ…
ソフィーが読み間違えるわけない。
手紙は偽物で手の込んだ悪戯…?そうに、決まってる。
「リア…」
自分の目で、確認するまでは。
絶対に信じない。
倒した椅子も、食べかけの食事も、それが乗った食器も、全てそのままに食堂を飛び出した。
廊下を走って、走って…身体を叩き付ける様に医務室のドアを押し開ける。
白いシーツ、整えられたベッドとカーテン、棚に並ぶ回復薬と、薬草の匂い。
…そして、奥のベッドを囲む先生達の姿。
「ティアナさん!?」
トスパン先生、校長先生、医務室の先生の3人がバァン!とドアが開く音で振り返った。
「先生…違います、よね…?リアが…」
「残念だが、手紙に書いた内容は全て事実だ」
ーそんな…
わかっていても、容易く飲み込むことは出来ない。
ふらつく足取りで、ベッドに向かう。
「…リア」
2ヶ月の間、一緒に過ごした友達を見間違えるわけがない。
たとえその友達が…全身に酷い火傷を負い、あちこちが焼け焦げた服を着て、ぼんやりと開いた目に虚無を映していたとしても。
「火傷は治癒魔法で治せる。もちろん、上級治療師でないと不可能な域だが。問題は…」
「自我の喪失…魔眼の効果、ですか」
校長が驚いた様に目を見張り、頷いた。
「そうだ。呼びかけにも一切反応しない。名前も、歳も、出身も、何一つ答えることが出来なかった」
あの序列3位の魔眼。
あれをまともに見たのだろう。
「治療法はない。今、騎士団が全力で追跡しているが…皇族街を出た途端、姿を消したそうだ。転移したと見て間違いはないだろう」
「ティア!リア!」
バン!と大きな音が響き、ソフィーが入って来た。
ここまで時間差があるのは、私の食器を片付けたりしてくれていたからだろうな、と思う。
「り、あ…」
ベッドを見て、言葉を失った。
怪我の酷さではなく、抜け殻の様な状態を目にし、症状を悟ったから。
「3人に、してやろう」
気遣わしげに校長が声を掛け、先生達がカーテンをそっと引いて離れていった。
医務室の先生が去り際にベッドの側に置いてくれた椅子に座る。
「…これが魔眼の力?」
『うん。混ざってる状態の時に声を掛ければ防げるんだけどね。混ざって、こんがらがって、抜け落ちちゃったんだ』
「今から上書きしても、ダメなの?リア・アーメント。ヘルガ・トスパンの娘。エーデルシュタイン学園、魔術科所属…」
思い付く限りの情報を挙げていくが、リアに反応はない。
『無理だよ。手遅れだ』
「そんなことっ…」
まだわからないじゃないか。
そう叫べたら楽なのに…頭の、冷静な部分では理解してしまっている。
「ノエル…精霊王の所に行ける?何か、情報を…」
『それは命令?ティアの望みは、それを知る事なのかい?』
依り代越しに紡がれる言葉には、「止めておいた方が良い」というニュアンスが混じっている。
何か事情があるのかもしれないが、それを察して引ける状況ではない。
「うん。私の望みは、リアを助けること。そのために必要な情報が欲しい」
『了解した』
ぴょこん、と光と共に飛び出したノエルが右前足を額に当てて敬礼の様な動作をすると、頷いた。
「ネージュ、ノエルと一緒に行ってきて」
『はーい』
ノエルとネージュが前足を繋ぎ合わせーー姿を消す。
情報収集は任せるしかない。
あと、私に出来ることが何か…
「ティア…《魔法秩序創造》なら治せないかな?」
「ソフィー…それは…」
私達の固有魔法であり、魔法の秩序を創る魔法。
『リアを治す』魔法を創れば、魔眼が相手とは言え可能性はあるのかもしれない。
だが、最大の懸念事項…私達がこれを乱発しない理由は「何か代償が必要なのではないか」という疑いがあるからだ。
「わかってるよ。チート過ぎて怪しいって…でも、それ以外に方法が…」
フリートベルク家を出る時は、特に何も考えずに使った。
万年氷を溶かし、ノエル達を助けた時も同様だ。
…あの時は、何もなかった。
だが、次もそうだという確証はない。
もし回数制限があるものだったら…残り何回かはわからない。
もう使えない可能性もあるのだ。
ーでも…それでもやっぱり…
「…わかった。やってみよう」
危険性も、怪しさも、わかっている。
でも、出来ることはしたい。
椅子から立ち上がり、ソフィーと向かい合って手を繋いだ。
「「《魔法秩序創造》」」
私達を中心に吹いた風で髪がなびき、服の裾が揺れる。
「『発動条件:リアの手を握る』」
「『魔法効果:リアを治す』」
複雑なものは必要ない。
簡潔に、今求めている魔法を創っていく。
「「以上をティアナ・ディオワリス、ソフィア・ディオワリスが定める。発動」」
繋いだ手から溢れた光が、私達を包み込む。
成功だとわかる、温かい光だった。
「…創れた、ね」
「うん。心配のしすぎだったのかな?」
ソフィーと頷き合い、そっとリアの手を取った。
力の入っていない、白くて小さい手を優しく握る。
手と手が合わさった所から、先程と似た様な光が生まれ、リアの身体を包んでいった。
その光は全身に行き届いたかと思うと、パッと弾けて消える。
もう、これで大丈夫だ。
よかった、と言いかけて開いた口から…リアの姿を見た途端、真逆の言葉が漏れた。
「…うそ…でしょ…」
「なんで…?」
確かに魔法は成功した。
なのに…
ベッドに横たわる少女の火傷は癒えておらず、瞳は虚空をぼんやりと見つめたままだった。




