誘拐
「ふー、疲れたぁー」
バシャ、と音を立てて水から上がったソフィーだが、服は濡れていない。
あらかじめかけておいた、防水魔法の効果だ。
「楽しかったです!」
「ねー!」
満足そうな笑顔を浮かべた5人が解けたリボンを結び直したり、髪を整えたりしている。
すると、エマがそーっと私に近付いて来た。
「あの…ティア、お花、摘みに行きたいんだけど…」
「え?」
花なら辺りにたくさん咲いてるじゃん、と言いかけてーもじもじとした様子から察した。
「学校まで我慢は…」
「無理」
即答。
その辺でというのは可哀想だし…どうしたものかと考える。
「ちょっと離れてるけど、森まで行こうか。創るから」
静かに皆から離れて、森へ向かう。
歩いて5分ちょっとで、木々が見えてきた。
「ちょっと待ってね…全てを創りし創造神の眷属たるー」
光・風・氷属性を合わせると幻覚魔法が使える。
囲いを創り、その上に周囲の背景を重ねて、エマの姿を見えなくした。
「エマは水属性だから大丈夫だよね」
「ありがと。いいよ、先戻ってて」
見えていなくても誰かがいるのは嫌だろう。
そう思い、元いた場所に戻ることにした。
「あれ?ティア、エマ知りませんか?」
無言で離れたため、皆が心配していたようだ。
「うん、ちょっとね」
言うのは流石に躊躇われるので、笑って誤魔化しておいた。
「余ったパン、おやつ代わりに食べようと思って。ティアもいる?」
「いるいる!」
エマが戻って来るのを待ちつつ、皆でパンを頬張る。
…だが、いつまで経ってもエマは帰って来なかった。
「流石に、遅すぎるよね」
「もうすぐ日暮れだよ…」
何かあったのだとしか思えない。
心臓が嫌な音を立てる。
「リアとクルト、カレンとアンゼルムは一緒に行動して。ソフィーは…1番足速いよね?《連絡鳥》の準備をしながらここで待ってて」
ソフィーなら1人でも大丈夫だし、ここから森まで1分以内に駆け付けられるだろう。
「ティアは?」
「幻覚魔法をかけたのは私だし、場所も覚えてる。探しに行くよ」
「わかった」
私が少なからず責任を感じていることがわかったのか、ソフィーは何も言わずに了承した。
「何かあったら基本魔法でいい、空に向かって放って。私が行くから」
ソフィーの言葉に、こくり、と全員が頷く。
「じゃあ、行くよ」
何かの間違いであって欲しい。
迷っちゃった〜とか言いながら、無事に戻って来て欲しい。
そう願いながら、地面を強く蹴る。
無意識の内に発動していた《身体強化》の影響もあり、他4人が到底追いつけない速さで森へ進んで行った。
「エマー?いるの?」
私がエマと離れた場所はここだ。
だが、誰もいない。
「エマー?冗談はやめて、出てきてよー」
別れる時に確認したが、あの時、魔獣の気配も人の気配もなかったのだ。
やはりエマが頓珍漢な方向に歩いたのだろうかと思い、引き返そうとしてーー
「っ!?」
ぞっとするような気配を背後に感じた。
振り返る間もなく、首筋に冷たいものが当てられる。
「誰?」
視線を落とさないでもわかる、金属の質感。
だが、さっきまでは誰もいなかったーー。
「聞く必要があるか?特待生」
1週間前に対面したばかりの、魔力。
やはりあいつか。
「そうだね。でも、他にも聞きたいことがあるんだ」
エマの居場所。
それさえわかれば用はない。
「まぁ、待てよ。聞きたいのは、こいつのことだろ?」
ナイフが離される。
代わりに突き付けられたのは…水色の、髪…
「これ…」
エマのだ。間違いなく。
刃物ー恐らく、あのナイフで切ったのだろう。
「エマは?どこにいるの?」
この男が予想通り魔族なのだとしたら、魔法では敵わない。
会話を続けて、聞き出すしかー
「これを飲んだら教えてやる」
交渉失敗。
いや、最初からそれが目的か?
差し出された小瓶の中身は、明らかに怪しい液体で…栄養ドリンクでした、とかいうオチは期待出来そうにない。
「中身は…?」
「言うと思うか?」
言わないよね、絶対。
どうしよう、と悩んだのは一瞬。
ソフィーに連絡することも出来た。リア達を呼ぶことも出来た。
だが、それでエマに何かあったらと思うと…
「わかった」
放られた小瓶を受け止め、栓を開ける。
鼻につんとくる、強烈な刺激臭。
「致死性のものじゃない。それは約束する」
「何が目的なの…?」
問いに答える気はないのか、男は余裕ぶった笑みを浮かべるだけだった。
期待するだけ無駄。
そう判断して、一気に小瓶の中身を口に流し込んだ。
予想していた程苦くはない。
そして、何の変化も起こらない。
「即効性だと聞いたんだが…特待生はすごいな」
特待生だからと言うよりは、フリートベルク領にいた時に、継母に毎日のように毒を盛られていたからだけど。
「で、水色の女の子の場所」
謎の液体を飲ませることが目的だったのか、男は地面の岩に腰を下ろして警戒を解いた。
「この姿を見てもわからないか?」
違う、解いたのは警戒だけじゃない。
男の身体から黒い靄のようなものがゆらりと立ち上がる。
そこまでされて初めて、気が付いた。
男の髪の色は墨汁で染めたように真っ黒。
瞳も同じく、黒。
黒眼黒髪は…魔族の、最大の特徴…
「変装は得意だからな」
小馬鹿にしたような口調。
数秒前のこいつの姿はもう思い出せない。
一体いつ、意識に干渉された?
「エマは…連れて行ったの…?」
「正解」
想定していた中で最悪の答え。
なら、行き先はどこ?
どこかの領地だとしても、抵抗する女の子1人を連れて入るなんて不可能だ。
だが…こいつには転移魔法が使える。
それなら他領にも…いや、もっと遠く…それこそ…
ゼアスト魔皇国、とか。
「じゃあ…っ!?」
ぐらりと身体が揺れた。
平衡感覚がおかしくなり、自分がどんな体勢でいるのかもわからない…
「効いてきたか。意外とかかったな」
魔族の声がどこか遠く聞こえた。
脳内がぼんやりとした白で埋め尽くされていく。
膝に痛みが走ったことで、自分が前のめりに倒れたことがわかった。
だが、その痛みで意識を覚醒させることはなくーー
ゆっくりと、瞼が落ちていった。
地面に倒れた少女の襟首を掴む。
「行くか」
魔族と少女の身体が黒い渦に呑まれーー
「ティア〜、速すぎるよ…?」
他4人が到着した時にはもう、辺りには影1つなかった。




