7話 門出
「なるほどね。そういうことだったの」
俺は昨日から今日にかけての出来事を、かいつまんでリーンに語り終えた。もちろんアンについての詳しい話、ホムンクルスの名前は出さないように。シルヴァには、アンがホムンクルスだとバレたらまずいだろうから。
ひとまずは研究資料を国に渡したくなかったからと説明はしておいた。納得したようなしてないような、微妙な表情を浮かべてはいたが、とりあえず納得してくれたようだ。
そして国外追放の刑が下ったと伝えた時、俺は、リーンが怒りに震えるか悲嘆にくれるか、何らかの形で感情を露わにして取り乱すのではと恐れていたのだが、彼女は非常に静かに話を聞き終えた。あまつさえ、まるで話の概要は知っていたかのような落ち着きぶりなのだから、ますます理解が追いつかない。
むしろ俺の方が動揺してしまいそうだ。
「……驚かないんだな。知ってたのか?」
俺は冷静を装ってリーンに尋ねた。
「うん。トラストから聞いてたから。貴方が罪に問われて、禁固刑か国外追放か、最悪の場合死罪かもって」
やはり殺される可能性もあったと聞いて、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。その情報一つで、この国がどれほどホムンクルスと魔女を恐れているかは明白だった。
それも無理のないことかもしれない。
かつて、とある一つの大国が戦争によって滅んだ。その国を滅ぼしたのは他でもない、ホムンクルスだと、そう言われているのだ。
ただあくまで、言い伝え程度。俺もそう思っていた。今日実際に、ホムンクルス本人と出会ってみるまでは。
「どういう刑が下っても、なんとかしてアダムをもう一度ここに連れてくるって。それと絶対に死なせはしないって。そう約束していったわ、トラストのおたんこなす!それなら最初からもっと温便に済ませなさいって話よ」
リーンの怒りがヒートアップし始めると、なかなかお説教が終わらないことを俺はよく知っていた。彼女を落ち着かせようと、俺は慌てて口を挟んだ。
「トラストにも立場があるからな。仕方がないさ」
「何よ、男同士で庇っちゃって。私が怒っているのはあなたにもなんだからね、アダム!」
これは失敗。怒りの矛先の照準をこちらへと変えてきた。
「どうしても自分で調べたいことだからって、国に捕まるなんて間抜けもいいとこだわ。アダムらしくもない。それで殺されたら何にもならないじゃない」
「それは……ごめん」
アンを匿うためとはいえ、側から見れば合理的でない行動をしている自覚はあった。
「それと、この子。あなたがアンって呼んでるこの子は、一体何なの?今のあなたの話には登場してこなかったけど」
「知り合いの子なんだよ。どうしても引き取らなきゃならなくってさ。詳しい事情はちょっと……ね?」
俺はウインクを連発して、今はこれ以上追及しないでくれと目配せをしながら、リーンにそう説明した。
「フーン……、まあいいわ。ひとまずは無事で何よりだわ。アイツが物騒なこと言うから心配してたけど、貴方が戻ってきて、生きててくれたって分かった時、本当に嬉しかった」
リーンは神妙な顔をして話を続ける。
「トラストからあんな物騒なこと言われたもんだから、ちょっとだけ想像してみたの。殺されちゃうか遠くへ行っちゃうか、それは分からないにしても、もうアダムがお店に来ない、私の前に姿を見せてくれなくなっちゃうことを。そうしたら、私には我慢出来そうもないなって。寂しくて泣きそうになっちゃったもん」
感情が昂ぶってきたのか、リーンの目にはランプの光に照らされ光る涙が見えた。
「それでね、私なりに考えてみたの。私はどうするべきか。どうしたいのか。答えは簡単で、すぐに見つかった」
指先で涙を払いのけ、リーンは真っ直ぐに俺のことを見据えた。
これ以上、リーンの言葉は聞いてはいけないと、俺の直感が叫んでいる。
「駄目だ、リーン。君を巻き込むわけには……」
「アダム!お願いだから!お願いだから、私の言葉を黙って聞いて」
リーンの語気の強さに、俺は思わず抗議の声を止めてしまう。
「どんな刑になるか分からなかったけど、あなたがどうなろうとも、私はあなたを助けようって、自分に誓ったの。もしアダムがこの国から出て行くことになったら。もしそうなったら、私は貴方について行くって、そう決めたの。だって友達でしょ?小さい頃からの、大切な親友。そんな簡単に見捨てられるわけがないじゃない。貴方がダメって言っても、私はついて行くわ。危険だとかそんな理由で断るんだったら、貴方の体に私の体を縛り付けてでも、連れて行かせるんだから」
リーンは一瞬たりとも俺から目を離さず、息をつく間も無くそう言い切った。
そして一つ深呼吸をし、再び口を開くが、今度は対照的にその声は震えていて弱々しく感じられた。
「……もし。もし私が嫌で、嫌いだから付いてきて欲しくないんだってことなら、今ここでそう言って。迷惑だから、邪魔だから、お前とは一緒にいたくないって、そう言って。アダムがそう言うなら、私も諦められるから」
言葉から、表情から、リーンの決意は伝わっていた。それでもダメだと、本当ならそう言うつもりだった。トラストにまで助けてもらって、すでにアンを一度匿ってもらっていて、せめてリーンはこれ以上、巻き込まないようにと決心したつもりだった。
それだというのに、俺の意思というやつはどうにも踏ん張りが効かないようで。彼女に熱い想いをぶつけられてしまっては、それを突っぱねることはもう叶わなかった。
「……アンの身の周りのことをどうしようか、ずっと考えてはいたんだ。女の子だし、男の俺に世話されるのは、流石に抵抗があるかもしれないからね」
思っていた以上に自分は弱い人間だったらしい。迷惑をかけると分かっていながら、俺は今一度だけと親友を頼ることにした。
「リーンが来てくれるなら、これほど心強いことは無いよ。危ない橋を渡ることもあるだろうけど、それでも君を頼らせてくれるかい?」
「ええ、喜んで!!危険なんてどんとこいよ!!」
リーンは今日一番の嬉しそうな笑顔で答えた。
「皆さま、ハミルの村が見えて来ましたよ」
馬車は村の入り口と思しき小さな門の前で止まった。
「アダム様。お望みでしたら、日の出までのあと数刻、この馬車を足として使って頂いて構いませんが、いかがいたしましょう」
「いや、ここまでで大丈夫だ。頼りはあるからね」
「左様でしたか。それでは、私めはこれでお暇いたします。短い間でしたが、今宵の旅がアダム様にとって良き門出となることを祈っておりますゆえ、ゆめゆめお身体に無理をさせないようにとだけ、恐れながら進言させていただきましょう」
「ありがとう。トラストのこと、よろしく頼むよ」
シルヴァは深々と一礼すると、御者席に颯爽と戻り、闇夜の中へと帰っていった。
「ようよう、アダム。久し振りだな。話はディグリーから聞いてるよ」
シルヴァの馬車が見えなくなると同時に、門の側に建てられた小屋から、火の灯ったランタンを手に下げた青年が現れた。
俺はその面影に見覚えがあった。
「もしかして、ミックか?」
「ああ、そうさ!何年振りになるかなぁ。王都の学校に行ってからはからっきしだったからな」
出迎えてくれたのは、俺の幼い頃の友人、ミックであった。
「ずっと待ってたんだ。遅かったんで心配したよ。すぐに門を開けるからちょっと待ってな」
そう言ってミックが駆け足で小屋へ戻ると、しばらくして村の門が開かれた。
「着いてきてくれ」
ミックに先導されて、アダム達はハミルへと足を踏み入れる。
「ディグリーは上手くやってくれたか?」
「ああ。バッチリだと思うぜ。ところでアダム、何があってこんなことになったんだい?今晩中にこの国を発つだなんて、まるで追放でもされるみたいじゃないか」
言い当てられてドキッとしたが、詳しい事情も話せないのでとりあえずは誤魔化そう。
「当たらずとも遠からず、だな。ちょっと訳ありなのは確かだけど。気にしたところでとくに面白いことは無いよ」
「ふーん。ま、同郷のよしみだ、詮索はしないでおいてやるよ」
それ以上は特に話すこともなく、暫しの間、四人は無言で村を歩き続けた。
そして空が白み始めた頃。俺たちは一軒の家の前に辿り着いた。
「ディグリーさん!」
「はっはっは!やっとこさ大将のお出ましだな!待ちくたびれたぜぇ、あんちゃん!」
そこで待ってくれていたのは、魔女の隠れ家を見つけた時にも一緒に作業をしていた、発掘仲間のディグリーだった。さらに彼の傍らには、納屋かと見紛うほど大きく立派な車箱を携えた牛車が止まっていた。繋がれた二頭の牛の方も、車箱に負けず劣らず大きく逞しかった。
「ご要望に応えて、なるべく大きなやつにしておいたぜ。牛もまだ若い。しかも『強くて速い』がウリの駿牛と水牛のハーフだ。最近見つかった種らしくて結構値は張ったが、なんとか用意できたよ。ついでに、軽めの鎧付きだ。もし襲われた時なんかに、少しは役に立つといいな!まあ、襲われることがないのが一番だがな!ハッハッ!!」
ディグリーは勢いよく解説を終えると、豪快に笑いながら、こちらに歩み寄ってきた。
「何から何まですまない。本当に助かったよ」
「いやなに。あんだけ駄賃を貰ったら、そら頑張るしかないだろうよ。正直大変だったけどな」
「今日は……ああ、もう昨日になっちまったか、まあいい。ともかく、今までの人生の中でも一番と言っていい、おかしな一日だったよ。とりあえず、頼まれごとは滞りなく済んだはずだ。これは、アンタに渡しておくぜ。牛車を扱う上での諸々を渡しておこう。笛とか鞭とかだな」
後で確認しておいてくれと、ディグリーから茶色い皮袋を預かった。
「お前さんが発掘現場で行方不明になったと思ったら、突然山の方から戻ってきて、しかも急に発掘を切り上げやがるもんだから、何が何やら訳が分からんかったぜ。あの後、お国の奴らがやってきて、根掘り葉掘り取り調べ受けて大変だったんだぜ?」
ディグリーは大げさに両手で持ってポーズをとりながらしかめっ面を浮かべた。
「夕方にゃあ、お前さんがいきなり俺の家まで押し掛けて来て、国家機密レベルのとんでもないことを抜かしやがる。そんで、あれやこれやと頼まれた訳だが……。アンタに世話になってなきゃ、誰が死と隣り合わせで若造の夜逃げなんぞを手伝うかと思ったね」
だが、そんな言葉とは裏腹に、ディグリーはその話をしている間、終始楽しそうに笑っていた。
「まあ話を聞いた時は驚いたが、アンタならどうとでもなるだろうさ。もう一緒に宝探しを出来ないと思うと寂しくはあるがな。まだまだ喋っていたいが、急ぐんだろ?」
俺は感謝してもしきれず、思考が迷子になってしまった。問いかけに頷くだけで精一杯で、気の利いた別れの言葉も思いつかない自分が情けなかった。
「それじゃ達者でな。元気でやれよ」
「……本当にありがとう。お元気で」
ディグリーは、俺の肩を軽く二回、ポンポンと叩くと、そのまますれ違って、俺たちが今来た道を歩いて行ってしまった。
「僕もここまでだね。外門の奴には話を通してある。そのまま進めば問題ないよ。それじゃあ、アダム。元気でな」
ミックもそれだけ言うとそそくさと去っていった。俺にこれ以上関わらない方が身のためだと、雰囲気から察していたのかもしれない。
それでもこうやって助けてくれたのだから、やはり彼にも感謝すべきだろう。
俺は二人が消えていった道へと、深く一礼した。二人には見えてなくとも、俺の中で区切りをつけるためにそうしておきたかったのだ。
そしてその道に背を向けるように振り返れば、この国と決別する時が来たことを、嫌でも実感できた。
いよいよもって、時間が差し迫っている。地平線からは、もう太陽が頭を覗かせているのではと思えるほどに、地上は明るくなっていた。
「細かいことは全部後だ!二人とも、車に乗ってくれ!」
俺は御者席に飛び乗ると、腕を振り上げて鞭を打った。
力強く、牛車は動き始める。その先に待つのは、国の外へと続く外門。そこを抜ければ、文字通り見たこともない世界へと足を踏み入れていくことになる。
「さあ、行こう!」
俺は自らを奮い立たせるようにそう叫び、朝日に向かって牛を走らせる。
幾筋もの白い光が暗い夜の影を切り裂き、今まさに夜明けを迎えようとしていた。