6話 逃避行
馬車に揺られること十数分。
窓から覗く景色から市街地に入ったかなと、当たりを付ける。しかし既に外は暗く、この馬車がどこへ向かって駆けているのか、具体的に把握することは難しそうだ。
なおもしばらく馬車に運ばれていたが、次第に地面から伝わってくる振動が緩やかになり、そして完全に止まった。窓の外の建物ももう動いていなかった。
「着きましたよ」
御者に言われて「どこに?」と問い返したかったが、御者の男はスルリと自身の座っていた御者席から降りて、俺の視界から消えてしまった。
降りれば分かるから説明する必要も無いだろう、と言わんばかりの説明の不十分さに多少の憤りを覚えるが、そもそも自分が罪人であることを思い出し、怒りの言葉を飲み込んだ。
ただ馬車から降りようにも、手枷を掛けられたままでは、客車のドアを開けることすら今の俺にはちょっと難しかった。仕方が無しに、俺は暫しの間、馬車の客席に座り続けていた。
降りようとしない俺を変に思ったのか、男が御者席に戻ってきて、そこと客車を繋ぐ小窓から再び声を掛けてきた。
「どうかされましたか?降りられないのですか?」
「コイツのおかげで、降りたくても降りられないんだ」
俺は体を捩って、背中に枷で拘束されたままの両手を見せた。
「こ、これは失礼しました!」
御者は慌てて馬車から飛び降りると、俺の座る客車の扉を開いてくれた。
「お先に、手枷を外させていただきますね」
俺は御者に背を向けた。しばらくガチャガチャと金属音が鳴り続ける。
「手枷、外しちゃっていいんですか?一応罪人だと思うんですけど……」
「問題ないですよ。どの道、国から出られるまでには外すことになりますので……。それと、鍵を外すのに少々お時間頂きますね。申し訳ございません。ちょっと複雑なのと、なにしろ暗いもので……」
「いや、別に構わないですけど。ところで、どうして俺なんかに敬語使ってるんですか?」
「どうしてもなにも……。アダム様はトラスト坊ちゃん……おっと、今はもうこの呼び方だと怒られてしまいますね」
御者の男は嬉しそうにホッホッホッと笑う。
「アダム様はトラスト王子の大切な友人でございますから。昔から存じ上げておりますゆえ、今更話し方を変えるつもりもありませんよ」
枷が外れて、客車の床から鈍い金属音が聞こえた。
「お待たせしました」
両手が開放感に包まれた。
俺はすぐに馬車から降りる。見ると、俺の王都での自宅兼研究室の前であった。
「ありがとう。助かったよ」
俺が礼を言うと、使用人の男は深々と一礼をした。ぶっきらぼうな言い方になってしまって使用人のおじさんには申し訳ないが、何しろ時間がない。
俺はすぐに家のドアに手を当てて魔力を流す。錠の開く音がした。そしてドアノブに手を掛けて、家の中へ入った。明かりを点けると、ところどころに物色された形跡が残っていた。
王たちの言い方からして、やはり俺の家に調査が入ったようだった。仕方がないことだとも思ったが、それでも良い気分はしない。
しかし、そのことを気にしている時間すら今は勿体無い。ちゃっちゃと荷造りを済ませなくては。この国を後にする前に訪ねる場所はここだけではないのだから。
俺は大きな旅行用カバンに、必要なだけの衣服や生活用品を適当に詰める。とりあえず、もう考古学者じゃなくなる訳だし、仕事関係の物は無理して持って行く必要も無いか。最少限に抑えよう。
そして、俺は次に研究室へと向かった。研究室に入ってみると、目に見えてこちらの方が酷い有様だった。研究室に置かれていた物は、かなりの量が床に散乱し、分かりやすく何かを探すために荒らされていた。
俺は『魔女の隠れ家』から持ってきた本を片っ端から探した。幸いにも、殆どが部屋に残されていたようだ。それらの本は魔力が染み付いており、魔力感知を駆使して探査することで、すぐに見つけることが出来た。
この家を家探しした奴らに、魔法に秀でた奴はいなかったようだ。不幸中の幸いだ。
なにしろ中身は白紙にしか見えないんだからな。これがホムンクルスの資料だとは気付くまい。
ただ一つだけ無くなっていたのは、俺があの場所で一番最初に手に取った、アンについて詳しく書かれていた本だ。
昨日、帰ってきてから今日この家を飛び出すまでに、読み進められるところまでは読み進めてはおいたが、流石に少々残念である。机の上に開きっぱなしで置いていたので、そりゃあ持っていかれて当然なのだが。中身を読まれる心配が無いのが唯一の救いである。
バレなければ持っていかれることもないと思ったんだけどな。発掘に携わった誰かが密告したんだろう、俺が本とかを持ち逃げしたことを。ディグリーのおっさんが教えに来てくれなきゃ、今頃アンも一緒に捕まってたかもしれない。
「これくらいかな」
俺はホムンクルス関連など、魔女の隠れ家で手に入れた本と、その他地図や役に立ちそうな本をいくつか選んで、研究室を後にする。この場所も、これで最後かと思うと名残惜しいが、感慨に耽っている暇などない。
俺は旅行用カバンに本を詰め込むと、カバンを持って外へ出た。
「お待ちしておりました」
これは驚いた。御者の男が、まだそこにいて俺を待っていた。
「てっきりもう帰ったと思ってたんだけど」
「トラスト王子の命ですから、そう簡単に帰れませんよ」
本当に底抜けのお人好しだよ、アイツは。俺なんかの為に、立場が危うくならないといいんだけど。
「それとこれを。あなたに渡すようにと預かっておりました」
包みを開けると、そこには鞘に収まった立派な装飾の短剣と、今さっき押収されてもう戻ってこないと思っていた魔女の本の最後の一冊が入っていた。
「短剣に関しては、金に困ったら売って生活の足しにでもしてくれとのことです。よその国では通貨の換金が出来ないところもございましょう。本については、『魔女に関する情報が何も見受けられなかったから、押収のしようがない』とおっしゃっておりました」
本当によく気が回る。金はそれなりにカバンに入っているけど、確かにそれが使えなきゃ話にならない。この刀を売るつもりはないけどな。
本に関しては、なるほどそういうことかと合点がいく。俺の発掘した場所が、魔女の隠れ家だと言い切る確証が無いからこそ、国への出土品未提出を理由に不敬罪で捕らえた訳だ。
しかし、だとしたらどうして魔女の隠れ家だと分かったんだろう。俺以外には魔女関連の情報を手に入れることは出来ないのに、魔女の隠れ家だと確信しているような口ぶりだったが……。
とりあえず、機転を利かせたトラストのおかげで、アンについての本が返ってきただけでも有難い。
「アダム様。お言葉ですが、他に寄る場所があるなら、急がれた方がよろしいかと思われますが……」
少し考え込んでしまったようで、心配そうな顔の使用人に声を掛けられる。
「あ、ごめん。えーと……」
この人、名前なんて言ったっけ?そもそも名乗ってもらったこと無かったかもしれない。
「私、名をシルヴァと申します。どうぞ、お見知り置きください」
察してくれたのか、シルヴァ氏の方から名乗ってくれた。ただ、改めて見知り置いても、あと数時間もしたらもう会うこともなくなっちゃうんだけど……。
もしかしたら、この人なりのジョークなのかもしれない。俺はニヤッと笑みだけ返した。その反応が正しかったかは分からないが。
もう準備はよろしいかと聞かれたので、問題ないと答えると、馬車に乗るように促された。
「シルヴァさん。寄って欲しいところがあるんだ。知ってるかな、王都の外れの『フォッサミール』ってお店なんだけど」
「ええ。存じ上げておりますとも。急いで参りましょうぞ」
俺が荷物を詰めたカバンとともに客車に乗り込んだことを確認してから、鞭の音と共に、馬車は三度走り始めた。
国の中心地から外へ向けて走る馬車は、フォッサミールの看板が見えてきたところでスピードを緩めた。窓からちらりと覗き見ると、既に閉店の時間は過ぎているはずだが店内には明かりが灯っている。
「アダム!」
声の方を見るまでもなく、誰の声かは分かった。店の前に止まった馬車から降りた瞬間には、リーンが店から飛び出してきて、一目散にこちらへ駆け寄ってきていた。
「ああ、無事で良かった……。大丈夫?怪我とかない?拷問されたりしなかった?」
「落ち着けよ、リーン。全部トラストが上手くやってくれたよ」
「フン!あんなやつ知らない!だったら最初からアダム捕まえる必要なんてなかったじゃない!」
「アイツにも事情があるんだよ、多分。トラストがいなきゃ、俺は打ち首だったかもしれないんだし」
「……まあ、アダムがそう言うなら許してあげないこともないけど……」
昔から、リーンはトラストにちょっと厳しい。どういう理由かは分からないけど。
「それより、ちょっと急ぐんだ。アンは無事か?」
「無事?そりゃあ私の部屋にいるだけだもん。別に何もないとおもうけど……」
「そうか、だったらいいんだ。それじゃ連れてきてもらってもいいか?約束通りアンは俺が引き取るから。迷惑かけたな」
「……分かった」
リーンはムスッとした顔で店に戻り、またすぐにアンの手を引いて店から出てきた。
俺はアンに駆け寄り、しゃがんで彼女の顔色や様子を確かめる。
「アン!特に変わった事は無かったか?」
俺の問い掛けに、アンは黙って頷いた。その横で、リーンはつまらなそうに手をブラブラさせて口を尖らせていた。リーンの不機嫌の理由は分からないわけではない。
ただ夜明けが迫っていて、事情を詳しく話している場合ではなかった。
「よし。じゃあもう行かなきゃ。シルヴァさん!」
俺は立ち上がると、少し離れた場所で待機していたシルヴァさんの方を振り返り呼び掛けた。アンの手を引いて、馬車へと向かう。リーンの顔は絶対見ないようにした。
見てしまえば、決心が鈍るだろうから。
リーンに今夜のことを尋ねられたら、俺はきっと話してしまう。リーンにせがまれたら、俺はきっとこの街に残りたくなってしまう。
だけど、それはもはや叶わぬことだから。
リーンまでこの国にいられなくさせてしまうことだけは、絶対に避けなくてはいけない。滅茶苦茶になるのは、自分の人生だけで沢山だ。
「南のハミルって村までお願いできますか?」
「ええ、場所も分かります。お運びしますよ。ただ……本当にもう出発してよろしいのですか?」
シルヴァの目線が一瞬、俺の肩越しにリーンへ向けられた分かった。
「……説明すると、ややこしくなりそうだから」
「……承知しました」
シルヴァさんが鞭を振り上げるのが見えた。
が、彼女はそれよりもっと早かった。
「ちょっと!待ちなさい!」
蝶番が吹き飛ぶかの勢いで馬車のドアが開かれ、リーンが客車に乗り込んできた。シルヴァさんは驚いた様子でこちらを見て固まり、アンは座席の上で膝を抱えていた。
「リーン。悪いけど時間が無いんだ」
「分かってるわよ。えっと、シルヴァさん、だっけ?出発してもらって構わないよ。四人乗りだから問題ないでしょ?」
リーンは扉を閉めると、得意気な表情で俺の向かいの座席に腰を下ろした。
いや、確かに四人乗れるけどもさ。
そしてなぜかリーンの言葉に倣い、シルヴァさんは鞭を振り下ろして、馬たちを走らせ始めた。
「これで時間は気にならないわね。さあ、教えてくれる?」
にっこり笑顔のリーン。満足気にこちらをにこにこと見つめている。リーンがこうなってしまったら、意地でも離れてくれないことは俺はよくよく知っていた。
そして恐ろしいことに、リーンは大きな大きなリュックサックを、これでもかと物をいっぱいいっぱいに詰めて自身の隣の席に同乗させていた。何から察していたのか、どうやら俺の旅路に連れ添う気で準備をしていたらしい。
付いてきてしまった以上、一旦は降りてもらうことを諦めるより他にない。ちゃんと事のあらましを説明して、それでお別れをしよう。目的地に着いたら、リーンを家に帰してもらえるよう、シルヴァさんに送ってもらえないか頼んでみるか。
「分かった、降参だ。どこから話したらいい?」
「全部!!」
今日だけで既に四度目となる馬車旅は、今宵で一番過酷になりそうだ。
日が昇るまでには、俺はこの国から出て行かなくてはならない。それを言ったら、リーンは悲しむか、それとも怒るかな。
馬車の目的地は、マルテナ王国の南の外れに位置する小さな村『ハミル』。俺たちが産まれた場所へ、俺とリーンは向かっていた。