5話 トラスト=ワークスマン
「面をあげよ」
広いドーム状の天井に、一面に金の装飾が施された豪華絢爛な壁。しかし、それとは不釣り合いに、俺のいる場所の足元は華やかさのかけらもない薄汚れた石畳である。壁際には、拷問や処刑に使われると思しき物騒な道具が並び、黄金の壁を背に異彩を放っていた。
そんな室内に作られたバルコニーのような、高い足場を俺は見上げる。そこに置かれた玉座に着く大柄な男が、荘厳な雰囲気を醸し出して俺のことを見下ろしていた。
この国に住まう者ならば知らない者はいないであろう、第十三代マルテナ国王『ガルムワイヤ=マガーク=ワークスマン』がそこにいた。
「本来であれば正式な裁判を執り行い、おそらくはそこで何らかの罪に問われる筈であったが」
王は俺のことを鋭い目付きでギロリと一睨みする。
「今回の一件は急を要する。速やかに事を運ばなくてはならない。よって、この『審判の間』にて、王である私が直々に判決を下させてもらおう。良いな?」
『はっ!!』
膝をつかされている俺の横で、二人の鎧の男が返事をした。
王は立ち上がって、より一層、厳しい顔つきを見せる。
「考古学者アダム=イヴァリス=ディスカ。そなたに聞きたい。此度の発掘で見つけた場所は『魔女の隠れ家』に相違無いと見受けるが、どう考えておられるか」
「はい。その見解に間違いはないと。恐れながら私めも同様に考えております」
ここで嘘を吐いても仕方がない。どうせバレることだし。下手なことは言わないように気をつけつつ、正直に話して、あとは何とか上手くことが運ぶように祈ろう。
「なるほど。だとしたら何故、出土品を隠匿しようとしたのかね。それが法に触れると重々承知であったろうに」
そう。これが今回の俺の罪状。
俺たち考古学者としての資格を持つ者は、国によって管理されている立場にある。よって、発掘による出土品や研究成果による新たな事実も、全て国に納めなくてはならない。
その貢献に応じて金が支払われるのだ。
貢献度が高い者は、発掘とは別で支払われる給料も高くなるし、色々と優遇してもらえたりする。なお資格を持たずに、国からの許可なく、国の管理する場所で発掘行為などを行うのは違反に相当し、処罰の対象となる。
当然ながら、その道を目指す人は皆が資格を持っているし、国に納めるルールも重々承知している。
それはもちろん、俺だってそうだ。
だがしかし、今回ばかりは国へ預けることが出来ない理由があった。
「理由としましては、出土品として提出してしまえば、今後それを研究する機会は二度と与えられないだろうと、そう判断したからです」
嘘はついていない。
本来なら、国へ納めた後の出土品は、望むなら発掘した当人の元へ返される。しかしあくまでそれは調査・研究のためとしてではあるが。
そもそも、国へ一度納めるのは金銀財宝を持ち逃げしたり出来ないようにするためであるので、詳しい調査などにより大きな国益を欲するのであれば、プロの考古学者に任せて当然ではある。
ところが、今回俺が見つけたのは、ホムンクルス本人と、そのホムンクルスに関する資料。これに関しては、大きく事情が異なってくる。
なぜなら、ホムンクルスは国に大きな危険をもたらすとして、超特級、つまり国家指定の危険分子に指定されているからである。
だからアンをそう易々と国へ引き渡すわけにはいかない。渡したが最後、即刻処分されるか、誰にも干渉出来ないように厳重に保管されてしまうだろう。少なくとも、ホムンクルスであるアンは、二度と陽の目を見ることはなくなってしまうだろう。
「貴様!!何を言っているのか分かっているのか!!」
俺の傍で、重厚な鎧に身を包んだ男が立ち上がった。第一王子、国王の長兄『エルフォード』が、俺の言葉に怒りを露わにする。
「魔女の隠れ家で見つかった物ということは、ほぼ間違いなく禁忌の存在に関する物であるのだぞ!!それを隠し持って研究したいなどと抜かすのであれば、それは国家転覆を図っているも同じである!!もはや議論の余地など残っておらぬ!!王よ!この者に断罪を!!」
「お待ちください、兄上。それは早計でしょう」
エルフォードの傍で待機していたトラストが、兄に反論する。
「そう焦ってしまっては、わざわざこの場を用意した意味がなくなってしまう。裁判を前倒しする形で、しかも極秘裏に王宮で、我々だけで裁を決するように計らった……」
「お前は黙っていろ!大体この罪人と友人である貴様がここにいる道理など、本来であればあって良いはずがないのだ!」
エルフォードはトラストから王へと向き直り、その姿を見上げる。
「国王!恐れながら申し上げます!何故トラストなのですか!?今回の件のような特殊な裁判、王宮で行う裁判に関しては、公正な判断を下す為に家臣から二人の監督者を選ぶ。此度は『魔女』が関わっているとの理由から、なるべく話が広まらないように、我々兄弟から選んだということは分かります。ただ、でしたらトラストでなくともより適正のある者が……!」
「口を慎め、エルフォードよ」
烈火のごとく言葉をまくし立てるエルフォードを、ガルムワイヤが一喝で黙らせる。
「そなたが激昂する理由は分かるが、それこそ公正な判決を下そうとする者の態度ではなかろう。トラストの言う通り、焦って判断を誤ることは避けねばならぬ。しかし急いで事を運ばねばならぬのも事実」
王は目を閉じて、何か熟考している様子だった。十数秒の沈黙の後、王は目を開き、口を動かした。
「アダムよ。お主が隠匿したものは、先程確認した通り禁忌の存在に関わる。何故それを調べる必要があった?」
まあ、そうなるよな。
先のような回答をすれば、そう聞かれるだろうとは思っていた。どうあがいても、ここの追求は免れない。覚悟はしていたが、それでも心臓が早鐘を打つ。場合によっては打ち首だと思うと、今更ながら吐き気がしてくる。
俺はなるべく言葉が震えないように、少しの間心臓が落ち着くのを待ってから、ゆっくりと用意しておいた台詞を吐き出した。
「ホムンクルスが危険な物であるのか、そうでないのか」
俺は王の目を真っ直ぐに見据える。
「在るだけで悪とされる存在とされていますが、果たしてそれを紛う事なき事実と捉えて良いのかどうか。残念なことに、法で明確に禁忌とされているにも関わらず、史実としても学術としても、その情報は非常に乏しい。正しい判断を下す為には、今回発見したホムンクルスについての資料を調べる他ないと、そう思った次第でございます」
「それでは何の説明になってないではないか!危険だからこそ、情報が開示されておらんのだ!そして、それを調べてどうするつもりだったのかを王は貴様に問うておられるのだ!」
すぐに反応を見せたのは、王ではなくエルフォードだった。
「落ち着くがよいエルフォードよ」
王が再びエルフォードを窘める。その目は俺を捉えて離さないまま。
「アダム。ワシにはな。その言い分を聞くに、そなたがまるで何か別のものを見つけたかのように思えてならん。そなたが自身の研究室に密かに持ち込んだ、幾ばくかの資料とは別に。もっと禁忌に近いものを手に入れているのではないかと、そう聞こえたぞ」
俺は背筋が寒くなった。
とある可能性の元に、俺は王に対して暗に交渉を投げかけていた。もし当てが外れた場合、問答無用で打ち首コースになってしまうので、迂闊にボロを出さないように、慎重に進めるつもりだった。
だが、これが王たる所以か。俺の小細工などは全てお見通しとばかりに、一瞬で結論まで話を持ってきてしまった。
『お前はホムンクルスを隠し持っているのだろう?』と、先に問いかけられてしまった。
でも、王から今のように、包み隠された言い方で聞かれたということは、交渉成立と見て間違い無いだろう。
「いいえ。私はそのような危険な存在、禁忌の存在を隠し持ってはいないこと。ましてや、それを使って悪事に手を染めようなどと、そんなやましい心を持っていないことを、ここに断言します」
俺は密かに確信していた。
王は『俺と同じ秘密』を持っている。
「戯言を!王が疑ったというだけで、十分に再調査の対象となるわ!すぐに兵を向かわせて……」
「そうか……。あい分かった……!」
エルフォードが全てを言い終えぬうちに、王がその言葉を遮った。
「アダム=イヴァリス=ディスカに判決を言い渡す!!」
声が部屋に響き渡る。この部屋にいるもの全ての目線が王へと集まった。
「貴様を国外追放に処す。期日は明日の明朝までだ。それまでに出ていかなければ、今度こそ打ち首は免れんからな。トラスト!」
「はっ!何なりと!」
トラストが王に対して頭を垂れて跪く。
「後のことは任せるぞ。押収した出土品の処理もお前に一任しよう。それとスズに、私が部屋へ呼んでいると伝えてくれ。扉の外で待機しているだろうからな。それでは……さらばだ、アダムよ。行けっ!!」
王はマントを翻し、玉座の後ろの扉へと消えていった。
それを見届けて、王の足音が聞こえなくなってから、トラストが俺に迅速に駆け寄って、俺の身体を立ち上がらせる。
その際にエルフォードのことを様子を盗み見ると、肩を震わせ怒りを抑えられない様子で、床の一点を見つめていた。
「付いて来い」
首に付けられた首輪から伸びる鎖を引っ張られ、俺はトラストと共に、王が入っていった扉とは逆側、低い位置位置する大きな扉の前に立たされた。トラストが四度ノッカーを扉に打ち付けて鳴らすと、その大きな扉が開かれた。
入って来る時は目隠しをされていたから分からなかったが、恐らくここを通って、俺はこの審判の間とやらに連れてこられたのだろう。
壁際のギロチンが目に入り、命あるまま、もう一度ここをくぐることができて喜ばしい限りだと、俺は深く安堵する。
「スズ。王がお呼びだ」
トラストが扉を開けた侍女のうちの一人に声を掛けた。
「承知いたしました。すぐに向かいます。それと、あの……アダム様……」
「ん?あ、俺?」
「はい、そうです。あっと……」
勝手に罪人に話しかけたことを、咎められるかもしれないと思ったのか、スズはトラストの顔色を伺うが、彼は特に止める様子もなかった。
「……ありがとうございますトラスト様」
スズはトラストに小さく礼をする。そして俺に話し始めた。
「アダム様……。貴方様がこういった形で国を追われてしまうのは、私にとっても残念でなりません。たいそう困難な道のりになることは、私などが言うまでもなく、アダム様自身がご承知かとは思います。それでも、何の足しにならなくても、私にも心配くらいはさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
その言葉には正直驚いたが、それはまた素直に嬉しかった。
「ああ。是非」
「ありがとうございます。貴方様と貴方のお連れ様の無事を、ここから祈っております。どうかお元気で」
スズは深々と一礼して、その場を去っていった。
「スズからしても、君は古い付き合いだったからね。それなりに寂しさもあるんだろう。全く罪作りな男だね」
トラストがからかうように言ってくる。
やっと、元通りの関係で話し合える状況になったようだ。
トラストは、幼い頃に俺たち一般市民の中での生活を強いられていた。兄弟の末っ子で、王には何かしらの意図があったらしいが、詳しい話はトラストからも聞いていない。
しかしまあ、そのおかげで俺たちは出会った。
十歳の時に、街の学校に通い始めたことで偶然出会えた俺たち。そこから長い時を共に遊んで過ごしたわけだが、特に思い出す必要もないだろう。どうせくだらない思い出ばかりだ。忘れたくても忘れられないんだから。
そして、その庶民暮らしの際に、トラストのお世話を命じられた使用人の一人が、スズさんである。
トラスト、リーン共々、俺もよく迷惑を掛けたし、怒られた数も思い出せないほどだ。
俺たち幼馴染三人にとっては、よく可愛がってくれる姉のような存在だった。
「放っておけ。スズさんのは、そんなんじゃないって分かってるくせに」
『いい歳してヤキモチなんか妬いてんなよ』と言いたくなったが、ここはグッと堪える。
別にわざわざ言って、怒らせる必要もないしな。
「それより早く外に連れて行け。こっちは明け方までに国を出ないといけないんだ。時間が押しているんだよ」
「はいはい、分かったよ。随分と偉そうに。さっきまで冷や汗かいて、死にそうな顔してた罪人とは、とても思えないね」
トラストがケラケラ笑う。
俺もそれに釣られて笑いをこぼしてしまう。
十年来の友人が、変わらぬ姿で隣にいる。
しかし、こうやって語らうことも、国から追い出されれば、もう一生、叶わぬ夢となってしまう。
お互いにそれは分かってはいる。それでもやっぱり、この時間は楽しいものだと、アダムは笑う。トラストも笑う。二人とも目尻に光るものを浮かべながら。
俺はトラストに早く連れて行けと言っておきながら、足取りは自然とゆっくりに。出来るだけこの時間が長引けばいいのに。
それでも、終わりはやってきて。アダムとトラストは王宮の外門までやってきた。とっぷりと暗闇に包まれた空には、見事な満月が浮かんでいた。
「俺はここまでだ。あくまでお前は罪人だからな。王子が一緒に付いていくわけにもいかないから」
俺は分かっているさと、軽く笑い返した。
「それじゃあな。元気でやれよ」
「ああ、お互いな」
最後のやり取りはそれだけ。俺たちには、それで十分だった。
馬車の扉が閉まる。トラストが御者を務める兵士に何かを渡しているのが窓越しに見えた。
一振り。風邪を切る音。そしてムチが鋭い音を夜空に響かせると、馬は鳴き声と共に駆け出し、俺が乗る客車の車両が駆動し始める。
俺たちは、もう散々、十分過ぎるほど語り合ってきたよな、トラスト。何も語らずとも、お互いの言いたいことなんて、分かり切ってるさ。
これから先の人生。お前と二度と語らうことがないとしても。
何も言わずとも分かり合えてる俺達だから。
だけど、最後だけ。
改めて言う必要も無いんだけど。
でも、なんとなく気まぐれで、口にだけは出しておくよ。馬車の中だから、ドア越しで声も届かないだろうけど。
でも、お前には伝わるよな。
『ありがとう』
絞り出すように自身の口から漏れた弱々しいその言葉は、闇夜に吸い込まれて消えていった。馬車はあっという間に遠ざかり、通りを曲がって消えていった。
どれだけそこに立ち尽くしていただろうか。気付けば涙が頬を伝い、自身の甲冑を濡らしていた。
窓越しに、最後に見えた親友が何を呟いたのか。言わずとも分かっているさ。
なあ、アダム。
手の甲で涙を拭い、トラストは門を閉めて鍵を掛けた。そして門に背を向けて、王宮へと戻る道を歩み始める。
トラスト=ワークスマンは、最後の最後まで、紛れもなく考古学者アダムの親友だった。