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校長が帰ってから茫然自失としていた千秋と宗助だったが、正面玄関前を爆走するサモトラケのニケ像を見て我に返った。
「このお札をあの像に貼ればいいんだよね」
「恐らく」
千秋は手に持っているお札を見た。3分クッキングよろしく3分ペインティングの即席で作られたもののようであるが、今はこれに頼るしかない。宗助も苦い顔をしているが、これに縋る他はないと考えているようだ。
「問題は、どうやってアイツに近づくか、だな」
サモトラケのニケ像は何故か走っている。それも物凄い勢いで。無機物だから疲れを知らないのか、立ち止まるということもしない。校長の言う”封印”という行為が判然としないが、彼の言葉から察するに、お札を使う必要があるようだ。単純な考えだが、”封印”と言われて思いつくのは対象物にお札を貼る行為だ。それを実行しようとすると、常に走り続けるサモトラケのニケ像に札を貼る必要があった。
「どっかで待ち構えて、すれ違いざまに貼り付けるとか?」
「今のところ無作為に走っているから、待ち伏せ地点を決めるのは難しそうだけど。それが一番手っ取り早いか」
作戦はあっさりと決まった。ずっと走っている像の跡をつけるよりは、どこかで待ち伏せをしようという結論に至った。校内は広いが、幸いサモトラケのニケ像は校舎内には入ってこないし、大きさの問題で通れないルートも幾つかある。それらを除いて、一番よく通る道を押さえる作戦だ。
善は急げとばかりにサモトラケのニケ像を探していると、体育館裏を走っているところに偶然行き合ってしまった。バッチリと目が合う。サモトラケのニケに目--というか顔はないが、なんとなく視線の合う感覚がした。背筋に悪寒が走る。
(嫌な予感がする)
たっぷり5秒見つめ合ってから、サモトラケのニケ像は走り出した。二人に向かって。
「やっぱりいいいいぃぃ!!!!」
「来るなーーーーー!!!」
二人は来た道を倍の速度で引き返す。後ろからはゴゴゴゴゴゴという不穏な音。兎に角全力で走っていると、先程の疲労が残っていたのか、千秋は早くも足がバンビの如く震えだした。日頃の運動不足が悔やまれる。
(きっと私はゾンビ映画で最初に犠牲になるキャラだわ…)
「小牧さんゾンビみたいな顔してないで走って!」
「ちょっとそれどういう顔!?」
危機的状況に置かれながらも、軽口を叩き合う二人。気を逸らしたいのか、単純に空気が読めないのか。そうこうするうちに、千秋の足が思うように前に進まず、縺れてしまう。
「うわっ」
正面玄関を目指して走っていると、僅かな段差に足を取られてしまった。先を行く宗助は千秋の声に驚いて振り返る。手を差し伸べてくれたが奇しくも届かず、千秋は無様にも顔面から地面にダイブした。大して高くない鼻が痛い。
宗助は傍にしゃがみ、千秋を気遣いながら立つのを助けてくれているが、サモトラケのニケ像が追いつく方が早かった。
「死んだら星座になりたいな…」
「おーい小牧さん!諦めたらそこで試合終了ですよ!?」
サモトラケのニケ像は、そんな二人の目の前で急ブレーキをかける。あと1,2歩という距離で停止した像の勢いを風圧で感じる。かすかに二人の髪が揺れた。
『…こえ…す……聞こえ…ますか………今、…あなた達の……心に、直接…はな……かけています…』
「ネタが古い」
「しかも心に話しかけてないし」
耳に届いた声に突っ込む宗助と千秋。
サモトラケのニケ像は、どこから話しているのかは分からないが、人間のように声を発した。クリアな音ではなく、むしろエフェクトをかけたようなぼやけた音声だ。声は男女の区別はつかないが、どちらかといえば女性の落ち着いた声という印象を受ける。
「というか像が喋ることを普通に受け入れている自分が怖い…」
突如聞こえてきた第三者の声を、当たり前のようにサモトラケのニケ像の声だと判断した自分に震えた。千秋は頭を抱えて、自分の適応力の高さを呪った。
『私は…復活した…』
千秋が頭を抱えていることなどお構いなしに、サモトラケのニケ像は語り出す。
『嬉しい……』
「良かったね…」
心底嬉しそうな声に相槌を打ちながら、正面玄関前の段差に座り直す。宗助も隣に腰を下ろした。
『私は……風に、なりたい…』
「急に暴走族みたいなこと言いだしたぞ」
『…オリンピックに…出たい…!』
「思ったより夢が大きい…!」
長い封印から解き放たれたサモトラケのニケ像は、どうも体力が余っているらしい。走ることに前のめりだ。五輪出場を夢見ている。
どうやって封印するよ、と視線で宗助に問いかけると、彼も困ったように眉毛を垂れる。お互いどうしようか、と逡巡していると、徐に宗助が立ち上がった。
「サモトラケのニケさん、すみませんがあなたを封印しなければいけないので、このお札を貼ってもいいですか?」
「ダイレクトーーーー!!!」
「だってさ、いつまでもこうしてられないじゃん?」
どんなアイディアがあるのかと成り行きを見守っていた千秋だが、宗助の言葉にドリフよろしく転ける。七不思議相手にも丁寧な態度を取るのは、彼の良さなのかもしれない。
『その挑戦……受けて、立つ!』
宗助の申し出を挑戦と受け取ったのか、声に力が入るサモトラケのニケ像。心なしか背中の翼がはためいている。話せば分かるもんだなとお札をサモトラケのニケ像に貼ろうとすると、手を叩かれた。
「いった!」
『…私は、100m選手……』
「無視かよ」
『3日後………校庭にて…待つ』
「え?」
『……尋常に…勝負』
サモトラケのニケ像はそれだけ言い残すと、羽を羽ばたかせながら校舎の方向へ走って行った。羽ばたかせても空は飛べないらしい。
サモトラケのニケ像が走っていくのを見送る二人。
「今のって…どういう意味?」
「100m走で決着をつける…ってことかな……多分」
「ええー、やっぱそうなんだ」
二人はそろってため息を吐いた。辺りはすっかり日が暮れていた。