一月八日
雪のマレビトの出現に、マレビト祭の本番。物語もいよいよフィナーレです。最終話は短いですので、連続投稿いたします。
吹雪が止むと、天頂には美しい月が光り輝いていた。
「あっ!」
月の輝きに導かれるように、天空から一人の少女が舞い降りて来るのが見えた。長い黒髪を降ろし、着物に身を包んだ十歳前後の少女。間違いない、彼女は……
「雪の、マレビト……」
去年の冬、薄れ行く意識の中で見た、雪のマレビトに間違いなかった。
「私にも見えるぞ、少女の姿が!」
雪菜が感嘆の声をあげる。私の目だけではなく雪菜の目にも映っているのなら、雪のマレビトは間違いなく実在するんだ!
「これが雪のマレビト。いや、もっといますぜ!」
「えっ!?」
大志君の声に釣られ、雪のマレビトを凝視する。するとその後ろには、数人の若い男の姿があった。彼等は一体?
「よーやぐ来だな。さっ、今宵は祭りだぇ! みんなで飲むべ、飲むべ!!」
男たちの姿を見た瞬間、重喜さんは幸せに満ち足りた声で口を開き始める。
「! 写真で見たことがある!!」
「えっ!?」
「おじじの若い頃の写真で。あの人たち、おじじの友達だよ!!」
震える声で語るはやて。男たちの正体は、重喜さんの親友。ということは、雪のマレビトが常世から重喜さんの友達を連れて来たってことか?
「みんな、楽しそうに笑っている……」
若い男たちは重喜さんの姿を見るや否や、満面の笑みを浮かべる。雪のマレビトもまた、その光景を見守るように、無言で微笑んでいるだけだった。
雪のマレビトに誘われ、催される酒宴。それは切なく、神秘的で幻想的な情景だった。
「うわっ!?」
その刹那、再び猛吹雪に見舞われる。突然の襲来に、私は成す術もなく意識失っていく。
「先輩! 先輩!」
「んっ……」
薄っすらとした意識の中聞こえてくる、里美の声。その囁きに誘われるように、私は覚醒する。
「里美、どうしてここに?」
まさか、軽装備で山頂まで登って来たのだろうか?
「結局重喜さんの消息は摑めなくて。それで先輩たちを迎えに来たら、雪姫山の麓に倒れてて」
「えっ!?」
里美の言葉に驚き、私は周囲を見渡す。するとそこは確かに雪姫山の山頂ではなく、麓だった。
「どういうことだ?」
去年と同じだ。意識を失った後、いつの間にか麓まで移動している。
「里美、他のみんなは?」
「はい。みんないます」
既に目覚めて今はワンボックスカーの中だと、里美は説明する。
「あれっ?」
確認のため、車の中へと入る。確かにそこには、雪菜、はやて、大志君の姿はあった。でも、
「重喜さんは?」
そこに重喜さんの姿はなかった。倒れていたのは、私たち四人だけだったってことか?
「おじじはね。多分雪のマレビトが連れてったんだよ……」
雪姫神社へと戻る車中、はやてがボソッと語る。重喜さんは雪のマレビトによって、常世の国へと導かれたんだと。
「じゃあ、自分等はどうして?」
助かったのだろうと、大志君が疑問を呈する。
「恐らく私たちは、まだ生きなければならない人間だったからだろうな」
だから、死を望む重喜さんだけを連れて行き、他のみんなは山の麓へと返したのではないかと、雪菜は語る。
「にしても、雪のマレビトってのは、こんなに恐ろしい存在だったってのか?」
人々に幸福をもたらすような神様ではなく、死の世界への案内人だったのかと、大志君は怯えるような声で呟く。
「ううん、違うよ」
そんな大志君の意見を否定するように、はやてが首を横に振る。
「だって、おじじ。すごく幸せな顔してたもん。おじじはずっとずっと寂しかったんだよ。親しくしてた人がみんな、自分より先に死んじゃって」
おじじがいっつもお酒ばっかり飲んでたのは、寂しさを紛らわすためだったって。
「きっとおじじは、もっと早く友達のところに行きたかったんだよ。だけど、ボクが後を継ぐ気がないから、まだまだ死ねないって……」
でも、自分が後継者になる意志を見せたことで、ようやく人生に幕を降ろせると安堵したんだと。
「だから、だから! ずっとずっと逢いたかった友達と再会して死ねたのは、すごく幸せだったんだよぉ……」
悲しいけどこれで良かったんだよと、はやては涙声で語る。
「人はいつか必ず死ぬ。臨終の時に一番逢いたい人に出会わせてくれる存在が、確かに悪霊の類とは思えんな」
雪のマレビトは間違いなく雪郷の人々に幸福をもたらせる神であると、雪菜は説く。自分も雪菜の見解に同意だ。
もし怨霊の類ならば、自分たちも常世の国へと連行したはずだ。未来を築き上げる者たちは送り返し、死を望む者は幸福に包まれたまま常世へと導く。雪のマレビトは、何て心優しい神様なんだって思う。
(ようやく叶ったな)
望んだ形ではないにせよ、再び雪のマレビトと邂逅したいという私の悲願は達成された。もう雪のマレビトに逢うため、雪姫山に登ることはないだろう。
もしもまた彼女に逢おうと思った時は、自分が死に逝く時だろうと。
雪姫神社へ戻ると、既に深原女史と木林プロデューサーが集合していた。私たちは二人と合流すると、早速雪姫山山頂での一部始終を話した。
「俄かには信じ難いわね。でも……」
四人が揃いも揃って同じ物を見たのなら信じるしかないと、深原女史は納得する。
「ともかく、警察に捜索願を出しておくわ」
雪のマレビトの話は信じてもらえないだろうから伏せておくとして、本人の消息が不明な以上、捜索はしてもらうしかないと。
「今日のマレビト祭は、どうなるんでスかね?」
重喜さんが行方不明になったことで中止になるのかと、大志君が訊ねる。
「マレビト祭は予定通り行うわ。祭日の日、街の誰かに不幸があったとしても、祭が中止になるなんてことはないでしょ?」
「うん。それに、ボクはなんとしてでもやりたいし!」
ここでやらなかったらおじじの意志を無駄にすることになると、はやては意気込む。
「けど、おじじたちの想いは否定しちゃいけないと思うんだ」
「そうね。私も若者を集めることばかりにかまけて、その点を疎かにしていたわね」
祭のプログラムは変更できない。でも、内容は従来のマレビト祭を意識したものに改めるべきだと、深原女史は語る。
「問題ない。私は私の思うままの踊りを舞う」
自分が抱いた雪のマレビトに対する想いをそのまま形にすると、雪菜は躍起になる。
「ボクも! おじじや雪のマレビトに対する想いが籠められた祝詞を唱えてみるよ!」
早速自分が思うままの祝詞を考えてみると、はやては社務所の方へと走って行く。
「じゃあ、もう解散ね。午後からのマレビト祭で、また会いましょう」
そうして深原女史の号令により、私たちはそれぞれの帰る場所へと戻って行く。
雪風荘に戻ると、私は風呂に浸かる。マレビト祭は、今日の午後五時から開始だ。それまでの間、しっかりと睡眠を取って体力を回復しなきゃな。
「ん?」
浴場の入り口に人影が見える。この深夜の入浴だから、木林プロデューサーかな?
「なっ!?」
扉の先から出て来た人物に、私は絶句する。
「せっ、雪菜!?」
それは、一糸纏わぬ真っ白な肌を曝け出した雪菜だった。
「お前にはまだ、私の肌をちゃんと見せていないと思ってな。都人には私のすべてを知った上で、私を受け入れて欲しいのだ」
雪菜は紅潮した切ない顔で、湯船に浸かる私へと近付いて来る。
「どうだ? 私の身体、変ではないか?」
雪菜は頬を赤らめ、私に裸体の評価を訊ねてくる。
「そうだなー。胸はお世辞にも大きいとは言えないな」
「むっ、胸の話はするな! 同級生と比べて発育が悪い自覚は持っている!」
雪菜はムッとした顔を私に向ける。自分の身体を一度も卑下したことはないという雪菜だったけど、普通の少女が抱いている程度の悩みは持っているってことだな。
「ははっ! でも、そんなのは些細な問題だって」
「えっ?」
「大きかろうが小さかろうが、雪菜の評価が変わることはないよ」
何か物凄くセクハラ紛いのことを言っている気がするけど。
でも私は、雪菜の外見的特徴も内面も、すべてを愛おしく思う。だから例え今より胸が大きかったとしても、私は雪菜を雪菜として見ただろう。
「都人ならそう言ってくれると思っていたよ。側に行ってもいいか?」
「……。ああ」
しばしの沈黙のうち、私は静かに頷いた。恥ずかしさを捨てて私に肌を曝け出すんだ。その想いを無駄にはできない。
「ありがとう、都人」
雪菜はニッコリと微笑み、私の肩に寄り添うように湯船へと浸かる。
「……」
右肩に雪菜の顔がぶつかる。直接肌と肌を合わせる体勢に、私は全身が熱く緊張してしまう。
「不安なんだ」
「えっ!?」
二、三分ほどの沈黙が続いた末、雪菜がか弱い声で呟く。
「みなの前では大前を切ったが、午後のマレビト祭、ちゃんと己の役をこなせるかどうか、急に自信がなくなってきてな」
「……」
「雪のマレビトの本質を知ってしまい、果たして私はどこまで彼女を演じ切れるのかなと思うと、不安で胸がいっぱいになる……」
「……。お前のありのままを表現すればいいんじゃないのかな?」
「えっ?」
「お前は茉莉雪菜であって、雪のマレビトじゃない。確かにマレビト役として呼ばれたには違いないんだけど、何も山であった雪のマレビトを演じる必要はないんだ。お前が雪郷にマレビトとして訪れてどう思ったか、どう感じたか。その感情を表現すればいいんじゃないかな?」
「ありがとう。ようやく私を、私として見てくれたな」
「えっ!?」
そう言うと、雪菜は徐に、私の唇にキスをしてきた。
「せっ、雪菜!?」
「お前に自分を曝け出したお蔭で、迷いが晴れた。マレビト祭を、一緒に成功させよう!」
そうして雪菜は満面の笑みを浮かべて、風呂場を後にする。私の唇には、いつまでもいつまでも、雪菜の柔らかくて甘い唇の感触だけが残った。
午後の一時。私は重たい眼を擦りながら目覚めた。いつもと違う時間帯に就寝に入った上、疲れがまだ抜け切っていない。
だけどそれは、他のみんなも同じだ。私は気だるい身体を無理にでも動かしながら、一階へと降りる。
「おはよう、都人。随分ゆっくりと寝ていたな」
大広間に向かうと、自分より早く起きていた雪菜が声をかけてくる。
「ああ。おはよう、雪菜」
就寝前の浴場での光景が脳裏を過ぎり、私は顔を紅潮させつつ、返事を返す。
「雪菜は、何時くらいに起きていたんだ?」
「お前より一時間ほど早くだな。今日のマレビト祭のことを、色々と考えていた」
どういう風に踊るか、どんな言葉を語るかを、起きてからずっと頭の中でイメージしていたとのことだ。
「熱心だな」
「当然だ。これは私にしかできない務めだからな。私なりの雪のマレビトを、見に来たすべての人の脳裏に焼き付けてやる!」
雪菜は気合十分に、意気込みを語る。昨日私と寄り添ったことで、悩みが吹っ切れたようだな。
「共にマレビト祭を成功に導くぞ、都人!」
「ああ、雪菜」
午後四時五十分。私たちは既に雪姫山の麓への移動を完了しており、雪菜を神輿へと乗せ、開始時刻を待つ。
「……」
雪菜は神輿の上に座ってからずっと、雪姫山の方を眺め続けている。
「雪菜?」
「雪のマレビトの気持ちになって考えていたところだ」
「えっ?」
「雪のマレビトが雪姫山より降臨し、雪姫山へと向かうという設定なのだろう? ならば、どういう気持ちで舞い降り、どういう気持ちで向かうのか、ちゃんと自分の中で答えを見つけ出さなければな。私は雪のマレビトなのだから」
そうして雪菜は開始時間が訪れるまで、雪のマレビトに成り切ろうとする。
「よし!」
開始数分前。雪菜は顔をバシッと頬を叩く。どうやら自分の中でのイメージは、しっかりと固まったようだ。
そして、時間は午後五時を迎える。マレビト祭の開始だ!
「うおっしゃあああ! 行っくぜー!!」
大志君が昨日以上に気合の入った鬨の声をあげる。その声を合図に、私たちは力いっぱい神輿を担ぎ始める。そして絶え間なく大声で叫びながら、雪姫神社を目指す。
出店が並ぶ街道には、地元の人や観光客が多数見物に訪れていた。辺りは既に宵闇が照らし、人々の顔はよく見えない。だけど、聞こえてくる声援から、みんながこの日を心待ちにしていたのが、これでもかと分かった。
街の中を約二時間歩き回り、神輿は無事雪姫神社へと着いた。
「えへへ。今日はボクたちのために山から降りて来て、ありがとー!」
境内に入ると、巫女服姿のはやてが軽快な走りで社殿から出て来る。昨日みたく妙にかしこまっておらず、いつもどおりの雰囲気だ。
「突然だけどみんな、逢いたい人はいる? どっか遠くの街に行っちゃった友達、死んじゃったおじいじゃんおばあちゃん。逢いたいけど逢えない。せめて一日だけでも逢えたらって、思ったことない?」
深原女史の考えた台詞ではなく、自分の言葉ではやては語り続ける。
「雪のマレビトはね、そんな人々と逢わせてくれる神様なんだ! もちろん、今日呼ばれた雪のマレビトには、そんな力はないよ。だけど、雪菜ちゃんを通して逢いたい人への想いを抱いてくれたら、とっても嬉しいなって!」
それは祝詞と言うよりは、単なる感想を述べている感じだった。だけどはやての言葉は、厳かな祝詞よりも人々の心に訴えかけるものだった。
「うむ。わざわざの出迎えご苦労だった。さあ、私の舞をとくと見るがいい!」
はやての言葉を受けた雪菜は、社殿の前で観客に披露するよう踊り出す。その舞は、時には粉雪のような包容力に包まれ、時には細雪のように繊細な踊り。ゆったりとした舞踊かと思えば、吹雪のように激しいアップテンポなダンス。
変幻自在な雪菜の舞は、まさしく様々な姿を魅せる雪の化身そのものだった。
「はやて、そんなところで突っ立てないで、お前も来い!」
「えっ? ボクも?」
今までの祝詞や舞は、練習を積み重ねてきたもののアレンジや、今日考え付いたもの。だけど、はやての舞はまったくの想定外のもの。当人は戸惑って当然だ。
「そうだ。今夜はお祭だ。私だけではなく、お前も楽しむんだ!」
「うん! ボク、プリティガールズのエンディング見ながらいっつも踊ってたから、結構得意だよー!!」
はやては陽気に雪菜の手を取り、舞へと加わる。二人の巫女服姿の少女による踊りは、華やかで心に響くものだった。そうして盛況の内に、マレビト祭は終わりを告げたのだ。
マレビト祭が終わると、私はみんなと一緒に雪風荘へと戻る。大広間でマレビト祭の打ち上げを行うためだ。
重喜さんが消息不明の中、打ち上げを行うのは不謹慎だから自粛した方がいいと、深原女史は意見した。
それに対しはやてが、おじじは自分が死んじゃった時、騒ぐのを禁止する人じゃない。寧ろ、盛大な宴会を催しながら故人を偲ぶのを望むはずだと言い、打ち上げをするという流れになった。
「それでは、マレビト祭の成功を祝って、乾ぱーい!」
雪風荘の大広間には十数人にも及ぶ人が集まり、大志君が音頭を取ることで、飲み会は始まった。乾杯と言っても本人は未成年だから、ジュースだけど。
「急遽シナリオを変更してどうなるかと心配だったけど、何とかなったわね」
自分の考えた台詞が変更になったのは残念だが、マレビト祭そのものは大成功の内に幕を閉じて良かったと、深原女史は安堵の息を漏らす。
「雪菜ちゃんもはやてちゃんも、檄萌えだったわよぅ~~! 来年もよろしく頼むわよ、ウフフフフ!!」
深原女史は両手に花という感じに雪菜とはやてを並べ、恍惚の笑みを浮かべながら自分の頬を、二人の頬にスリスリと交互に擦り付ける。まだビール一杯くらいしか飲んでないのに、酔いが回るのが早いなぁ。
「えへへ。何だかおじじみたい~~」
小さい頃おじじが良くしてくれたって、はやてはご機嫌だ。
「わっ、分かったから、頬を擦り付けるな! 酒臭い息を吹っかけるな!」
雪菜の方は対照的に、終始嫌そうな顔をする。
「先ぱぁい! わだす、諦めてませんがら! 絶対に、先輩を落どしでみせますがらぁっ!」
打ち上げ参加者にビールを注ぎつつ、自分も飲み始める里美。酔いが回ると豹変して、へべれけなサラリーマンのように絡んでくる。こっちはこっちで悪酔いしてるなぁ。
「そう言えばはやて、東京に行くっていう話はどうなったんだ?」
この数日で心境の変化があったはず。今はどう思っているのだろう。
「うん。高校卒業したら、東京行って勉強したいと思うんだ!」
「えっ!?」
てっきり雪郷に残るって思い直してたと思ったけど。
「あっ! 東京行くって言っても、ずっとあっちにいるわけじゃないよ。ボク、ちゃんと神職の勉強をして、おじじの後を継ぎたいんだ!」
自分もおじじのように故郷を護る者として、雪郷に残る決意を表明するはやて。一重に東京に出るといっても、友人を追うのと後を継ぐための知識を深めるためとでは、意味合いが全然違うもんな。
「ぬぁんですってぇ!? それじゃあ、再来年以降のマレビト祭は……」
開催できないんじゃないかと、深原女史は危惧する。
「えへへ、だいじょーぶ! マレビト祭の時は、ちゃんと帰って来るから!」
だから何も心配する必要はないよと、はやてはニッコリと微笑む。
「安心したわぁ。それでこそ、私のはやてちゃんよぉ!」
もうマレビト祭の巫女さんははやて以外あり得ないと、深原女史は上機嫌だ。
「せんぱぁい、人のごど、言えねべや? まだ就職先決まってねぇべ! どごさもいげねぇで、引き籠りのニートにだげはならねぇでけろよ」
里美はいつも以上の毒舌で、私に絡み続ける。
「それは厳しいなぁ。でも、やりたいことは決まったよ」
「何だべ? もったいぶってねぇで、聞がせでけろや」
里美はでろでろに酔った顔で、興味本位に訊いてくる。
「ああ。私は雪のマレビトの伝承を、全国に発信したいと思うんだ」
以前深原女史とも話したけど、雪のマレビトの知名度はまだまだ低い。だから雪のマレビトの伝承やマレビト祭を、もっともっと多くの人に知ってもらう活動を行わなきゃなと思った。
「まだ目的がハッキリとしただけで、どう伝えるかはこれからだけどね」
作家になって雪のマレビトに関する小説を書くっていうのも一つの手だし。専門職としなくても、ウェブ上で発信するという手もある。
「いいわよ、いいわよぉ、宮本くぅぅん! 貴方がやる気なら、私がコネで広報関係の仕事を斡旋してあげるわぁ」
「はは。一応考えておきます」
深原女史の提案は魅力的だけど酒の席だし、話半分くらいに聞いておこう。
そんな感じに打ち上げは盛況のうちに終わり、午後十時過ぎに解散となった。
(明日はもう、帰る日か……)
宴会終了後。私は風呂に入った後布団に潜り込み、雪郷で過ごした日々に思いを馳せる。
(充実した一週間だったなぁ)
この数日で色んな人と出会って、交流を深めた。最初はまた雪のマレビトと再会したい、ただそれだけの思いで雪郷を訪れた。だけど、雪菜と偶然出逢うことで、世界が広がった。
この一週間は自分の人生の中で最も思い出に残る日々だったなと、お世辞にもなく思う。
「んっ?」
考えごとをしていると、不意に襖が開く。
「都人、入っていいか?」
「雪菜っ!?」
部屋に入って来たのは、パジャマ姿の雪菜だった。
「その、なんだ。今日でお別れだからな。最後の晩くらい、都人と一緒にいたいと思ってだな……」
豆電球に照らされた雪菜が、恥ずかしそうな顔で俯きながら語る。
「ああ。入っていいぞ」
私は掛布団の右端を開き、雪菜を誘う。
「ありがとう、都人」
雪菜はニッコリと微笑み、私の側に横になる。
「お前とこうしていると、安心する」
雪菜は私に寄り添いながら、安堵の声を漏らす。
「初めてだったんだ」
「えっ?」
雪菜は私の隣で横になりながら、静かに語り出す。
「他人から可愛いと言われたのは」
初仕事で普段より気が張っていた中私に見つめられ、つい苛立ちに身を任せて突っかかってしまったと。
でも、私の反応は予想だにしていなかったもので、それ故私に対してどんな態度で接したらいいのか、ずっと困惑していたそうだ。
「可愛いと言ったのは本心かどうか確かめる暇もなく、お前は私に何度も接触する。こちらの心の整理ができていないというのに」
故に随分と失礼な程度を取ってしまったと、雪菜は謝る。
「だが、触れ合う度にお前が裏表のないまっすぐな人間だと分かり、ようやく決心が付いた。都人、お前はこの世でもっとも私が心を許せる人間だ……」
そう言い、雪菜は私にぎゅっと抱き付く。
「ああ。私もだ、雪菜……」
雪のマレビトの化身ではなく一人の少女として、この世の誰よりも愛しく想う。
「だが、もう離れ離れになるんだな……」
寂しい声で、雪菜が呟く。
「そうだな。こうして二人でいられるのも、今日が最後だな」
「どういうことだ? マレビト祭には毎年来るのだろう? ならば、年に一回は会えるのではないか?」
「確かに、私はこれからも訪れるつもりだよ。でも雪菜、お前はアイドルとして高みを目指し続けるんだろう?」
「当然だ。世界の理不尽を私の力で覆すまで、後退するつもりはない」
「そう言うと思った。それだと、尚更会えなくなるな」
「何故だ! 何故私がアイドルを続けると、会えなくなるんだ!?」
腑に落ちないと、雪菜が問い質す。
「住む世界が違うからさ。アイドルとして頂点を目指せば目指すほど、私からは遠い存在になっていく。第一、アイドルが男を匂わせちゃ駄目だろ?」
雪郷に来てからずっと雪菜とい続けたから、つい同じ立場だと錯覚していた。
でも、アイドルとしての道を歩み始めている雪菜と、目的だけしか決めてなくてどう実現するかを全然考えていない私とでは、まったく釣り合わない。
もう雪菜と一緒にいることができないと思ったからこそ、後悔のないよう最後の時を過ごそうと思ったのだし。
「ふざけるな! 私が上を目指すことでお前と会えなくなる理不尽など、認めてたまるか!!」
「そうは言っても、雪菜」
「お前と私の関係は変わらない! 立場の違う者同士が付き合うのが駄目だというのなら、その理不尽から覆してやる!!」
雪菜は憤ると、徐に私の唇にキスをする。
「んっ……」
雪菜の柔らかい唇が、じかに伝わる。別れのキスは、とても甘酸っぱかった。
「確かに今はまだ、一緒にいられないかもしれない。だがいつか、都人と一緒にいても誰にも咎められない世界を作ってみせる!!」
だからその時が来るまで、身体に都人の温もりを忘れないよう刻み込んでおきたいと、雪菜は私に強く抱き付く。
「ああ、雪菜。私も忘れないよ、お前のこと」
私も雪菜のことを優しく抱き締める。いつか来る時に想いを馳せながら……。