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雪のマレビト  作者: 衛地朱丸
4/7

一月六日

ご無沙汰しております。数ヶ月以上間が空いてしまい、続きを楽しみにしていた方には申し訳ありませんでした。今回は雪菜のプロデューサーが登場したりと、物語が徐々に終盤に向かい動き出します。

 翌日朝、私は重い足取りで大広間へと向かう。昨日里美と喧嘩別れしたようなものなので、顔を合わせ辛い。

「おはようございます、先輩」

 だけど、いざ大広間に顔を出すと、笑顔で朝食の準備をしている里美が挨拶してきた。

「ああ。おはよう」

 てっきり口を聞かれないものだと思っていたので、拍子抜けだった。

「里美、昨日のことだけど……」

 一応謝っておこうと思い、私は重い口を開く。

「ああ、はい。あれから一晩考えてみたんですけど……二人で登るなら大丈夫かなって」

「えっ?」

「先輩一人なら引き止めましたけど、雪菜ちゃんと二人なら、安全かなって」

「ありがとう。実はその件に関してなんだけど……」

 私はホッと胸を撫で下ろしつつ、深原女史と大志君を含めた四人で登ることになったことを告げた。

「そうですか。冬子さんたちが一緒なら、尚更安心です」

「それで今日は雪菜の登山用具を買いに、平賀地区方面に出向こうと思っている」

「それなら、私が車で送って行きますよ」

「そうか。ありがとう」

 里美に送迎してもらえるなら、荷物の運搬がグッと楽になる。

「ふわあ~~。おはよう」

 里美と話が付けられたところで、雪菜が二階から降りて来る。

「おはよう、雪菜」

「ああ。おはよう都人」

「今日の買い物なんだけど、里美の車で行くことになった」

「そうか。そのことに関してなんだが、冬子からもついさっき電話があってな」

 雪菜の話だと、深原女史も登山用の装備を持ち合わせていないため、買い物に同行するということだった。

「じゃあ、途中で拾えばいいな」

「分かりました。冬子さんの家に寄ればいいんですね」

「ああ。頼む」

 そんな流れで朝食後、里美の運転で深原邸へ向かうこととなった。



「あれ?」

 深原邸に向かうと、外では深原女史と大志君だけではなく、何故だかはやてもいた。

「おっはっよー、二人とも!」

「おはよう、はやて。お前も雪姫山に登るのか?」

 私は元気いっぱいに挨拶するはやてに訊ねる。

「うん! 冬子さんが連絡してくれて、一緒に登らないかって。今まで冬には登ったことないし。一応マレビト祭では巫女さんやるんだし、ボクも行った方がいいかなって」

「そうか」

 最初は雪菜と二人だけだったのに、いつの間にか随分な人数になったな。

「そうそう。スポーツ用品店に行く前に、寄って欲しいところがあるんだけど」

 平賀地区へ向けて車が発進すると、深原女史が呼びかけてきた。

「はい。別に構いませんが、どこへ寄ればいいんです?」

「私の行き付けのおもちゃ屋よ。道は教えてあげるから」

「はぁ」

 里美はキョトンとしつつ、深原女史に指示されるがまま車を動かす。登山用具を買うついでに、私用も済ませるということか。それなら、昨日買っておけば良かったと思うんだけど。

「ここよ、ここ!」

 平賀地区の寂れた商店街に入ると、深原女史が指差す。そこは、昭和時代に建てられた年季の入った店舗だった。

「ここは私が高校時代から通い詰めていてるおもちゃ屋よ。昔のおもちゃから最新のマニアックな代物まで、豊富に取り揃えているのよ」

 車を駐車場に止め、おもちゃ屋の中に入る。中は色んなおもちゃが山積みになっていて、独特な雰囲気のあるお店だった。

「あったわ。これよ!」

 深原女史が手に取ったのは、ウォーターガンだった。夏場ならともかく、真冬に何故そんな物を買おうとしているのだろう?

「昨日貴方と話していた時閃いたのよ。雪郷でしかできない遊びを!」

 それは、雪合戦だということだった。

「それも、ただの雪合戦じゃないわ。ウォーターガンや水風船などを取り入れた、サバゲー風味の新感覚雪合戦よ!!」

 雪郷に戻った後、ここで購入した物を用いて、遊ぶのだそうだ。試しに遊んでみて面白そうだったら、新たな雪郷の風物詩にしたいのだそうだ。こういった遊びを町興しに繋げようっていうんだから、深原女史の発想力には舌を巻くばかりだ。

「雪合戦かぁ、懐かし~~! 昔はよく遊んだよね、大兄ぃ!」

「応! しかもただの雪合戦じゃなくサバゲー風味と聞けば、自衛官見習いとしては血がたぎりまスぜ!!」

 はやてと大志君は意気揚揚と店内を物色し始める。こうして見ると、本当に仲の良い兄妹にしか見えないなぁ。

「雪合戦か。どんな感じになるのかな?」

 都会育ちの自分には経験がないことだ。初体験の雪合戦がいきなり風変わりな物になるとはいえ、楽しみじゃないと言ったら嘘になる。

「これはさすがに経費で落ちんだろうな」

 と言いつつ、雪菜も店内を物色する。雪菜も多分遊んだことがなくて、内心ウキウキなんだろうな。

 それから十数分見回した後、みんなそれぞれが用いる装備品を購入し終えた。その後は、本命となるスポーツ用品店への移動となった。

「ふぅむ。結構色々な物が売ってるな」

 スポーツ用品店にはウィンタースポーツ用の衣類や装備品がいくつも並べられていて、雪菜はまじまじと見渡す。

「平賀町市にはいくつかスキー場があるからな。需要はそこそこあるんだよ」

「成程な。さて、必要な物はと……」

 まず必要なのは、登山用の靴に靴下だろう。雪の上をしっかりと踏み込むことができて、防寒性に優れたものではなくてならない。

「後はゴーグルに耳当て、リュックサックに水筒とかかな? 雪姫山は標高三百メートルほどで、夏だと一時間くらいで登れる難度の低い山だから、防寒用の基本装備さえあれば、事足りるかな」

 最重要なのは、いかに防寒に優れた装備を整えるかということ。そこさえしっかり押さえておけば、スポーツ用品店で取り扱っている物で十分まかなえるだろう。

「ふむ。色々見て回ろう」

 雪菜は私のアドバイスを参考にして、登山用の装備品を色々と買い込んだ。その後はスーパーとホームセンターに行き、山で食べれそうな食料品やその他必要そうな雑貨を買い、雪郷への帰路に就いた。



「そう言えば、雪合戦はどこでやるんだ?」

 帰りの車中、私は深原女史に訊ねた。

「地熱発電所の建設予定地よ。今は整地したばかりで他に人もいないし、遊ぶにはちょうどいい広さよ」

「勝手に入っていいのか?」

「大丈夫よ。許可はちゃんと取っているから。私を誰だと思っているの?」

 勝ち誇ったような声で語る深原女史。頼むから、議員の職権をこんな遊びに濫用して欲しくないんだけど。

「さあ、着いたわよ」

 地熱発電所建設地前に着くと深原女史は車から降り、率先して「立ち入り禁止」と書かれたロープを潜り抜ける。うーむ。本当にいいのだろうか?

「わーい! 何だか悪の秘密基地潜入みたいで、楽しいねー!!」

 そんな私を尻目にはやては颯爽とロープを潜り、両手を飛行機のように広げながらグルグルと回る。まるで庭駆け回る子犬みたいで微笑ましいな。

「それで、ルールはどうなってるのだ?」

 みんなが中へと入った後、雪菜がルールの説明を求める。

「そうね。まず対戦形式は、チーム戦。三人ずつに分かれての対戦よ」

「三人って……わっ、私も含まれているんですか!?」

 あくまで見物人のつもりだったのだろう。いつの間にやらメンバーに加えられていたことに、里美は動揺する。

「私、何も買ってないんですけど、それでも参加しなきゃならないんですか」

 確かに里美は、おもちゃ屋で何も購入していなかった。丸腰で参加しろということなのだろうか?

「問題ないわ。今回行うのは、あくまで〝雪合戦〟。そこら辺の雪をかき集めて雪玉を作れば、十分戦えるわ」

 そういう理屈か。武器ばかりに目がいっていたけど、本質は雪を使った戦いだもんな。

「フィールドは大よそ三百平方メートルほど。測るものはないから、四隅に適当にコーンを置いて対応するわ」

 現場に置かれている資材を勝手に使おうってか。後で怒られないか心配だ。

「制限時間は無し。先に全員撃墜されたチームの負けよ」

「撃墜の判別は、どうするのだ?」

「これを使うのよ」

 雪菜の質問に深原女史が取り出したのは、金魚すくい等に使う薄めの紙だった。

「これを額、胸、両肩の計四箇所にガムテープで貼り付けるの。四箇所全部が破れたら撃墜扱いよ」

 また、止めているガムテープが剥がれても被弾扱いそうだ。粘着力の弱いガムテープで貼り付けるのは、雪玉でも十分剥がせるほどの強度がちょうどいいからだそうだ。

「直接攻撃に用いていいのは、雪と水のみ」

「直接攻撃って?」

「ようは濡らす目的以外の攻撃は禁止ってこと」

 例えば相手に突っかかり、力尽くで剥がすのはルール違反となる。逆に言えば、その他の道具を用いて雪玉を投げたりするのはいいのだそうだ。

 雪は無制限に使用できるけど、水はここに向かう前予めウォーターガンや水筒に入れてきた物しかない。攻撃力は高いけど弾数制限のあるウォーターガンをいかに使うかが、勝負の分かれ目だな。

「準備時間は二十分用意するから、その間に各々のチームで作戦を練ってちょうだい」

「肝心のチーム分けはどうするんだ?」

「そうね。チームは……」

「はい、はーい! ボク、大兄ぃと一緒に戦うー」

 深原女史がチーム分けを行う前に、はやてが右手を上げて勝手に宣言する。

「応よ! 二人で敵を蹴散らそうぜ!!」

 大志君もノリノリではやてと腕を組む。困ったぞ。この中で運動神経が突出しているのが、はやてと大志君。この二人に組まれたら、勝ち目はない。

「それだと、戦力が偏らないか?」

 せめてはやてと大志君は別々のチームに分けるべきなのではないかと、私は提案する。

「ヤダ、ヤダー! ボク、大兄ぃと一緒に戦うんだい!」

 だけど、はやてが大志君の腕に抱き付きながら、頑なに拒む。

「そうねぇ。そもそもの発端ははやてちゃんに楽しんでもらうことなんだから。ここで意志を尊重しなかったら、本末転倒ね」

 だからはやてと大志君はこのままのチームでいこうとのことだった。

「もっとも二人に組まれたら、ワンサイドゲームになるのは目に見えているわよね……」

 何かしらのハンデは必要だと、深原女史は考え込む。

「そうだわ!」

 深原女史は名案を閃いたようで、声を上げる。

「はやてちゃんたちのチームと、その他四人っていう組み合わせはどうかしら?」

 はやてと大志君は私たち二人分の戦力にはなるはずだから、それだとちょうどいいバランスになるはずだと。

「うーん。それはそれで、多勢に無勢じゃないか?」

 二人の能力が高いのは認めるけど、戦争は質より量だっていう話もあるし。

「ボクは大兄ぃと一緒なら、後はどうでもいいよー」

「ヘッ! 多人数相手に戦うとか、いかにも悪の組織対正義のスーパーヒーローって感じで、燃えまスぜ!」

 けど、はやてと大志君は率先して賛成する。

「二人がいいって言うのなら決まりね。じゃあ、作戦タイムに入るわよ」

 二人が承諾したので、そのまま作戦を練ることになった。

「さて、戦い方だけど、数を活かした戦法でいくわよ」

 開口一番、深原女史が四人で一人ずつを各個撃破する作戦を提案する。相手が承諾したとはいえ数を利用した作戦で行こうって言うんだから、結構エゲツないなぁ、この人。

「で、どっちから倒すかっていう話だけど、まずは衛島君に集中砲火ね」

 二人を比較すれば、大志君の方が強い。先に強い方を倒す算段だそうだ。

「それに、はやてちゃんにはなるべく長く楽しんで欲しいからね」

 その意味でも、はやてを先の倒す戦法はありえないそうだ。

「あとは攻め方だけど、突撃部隊と後方支援部隊に分けようと思うの」

 突撃部隊はウォーターガンで相手に近接戦闘を持ちかけ、後方支援部隊は突撃部隊の後ろから雪玉を投げて、相手を敬遠するのだそうだ。

「後ろからの支援は性に合わん。私は突撃部隊に回させてもらうぞ」

 雪菜は自ら突撃部隊に志願する。確かに後ろからコソコソ攻める性格はしてなさそうだもんなぁ。

「私は後方支援に回ります。元々何も買っていませんし」

 逆に里美は、後方支援部隊に志願する。こちらはこちらで、自分から攻めるタイプじゃないもんな。

「じゃあ、私は後方支援に回るから、宮本君は突撃部隊に回ってちょうだい」

「えっ!? 私が!」

 こちらの意見を聞かず突撃部隊に回されたことに、私は戸惑う。

「あら? こういう時女性を護るのが、日本男子の務めでしょ?」

「まあ、男が前に出るべきだってのには同意だけど」

 いきなり指名されたのに驚いただけで、前衛を担当すること自体は別に構わないか。

「先輩の背中は私が護りますから、安心して戦ってくださいね」

「ああ。頼むぞ、里美」

「はい!」

 満面の笑みを浮かべる里美。よっぽど私の支援ができることが嬉しいようだな。

「時間ね。それじゃあ、一分後に開始合図をするわよ!」

 深原女史から開始時刻を告げられ、私の気は引き締まる。

「緊張しているか、都人?」

 開戦時刻が刻一刻と近付いている中、左隣に並ぶ雪菜が、囁いてくる。

「多少はね。でも……」

「でも?」

「ワクワク感の方が強い!」

 大人になって初めて体感する雪遊びが、楽しくないと言ったら嘘になる。

「ああ、私もだ。正直こんな大人数で遊ぶのは、初めてだからな!」

 年相応の笑顔ではしゃぐ雪菜。昨日の話では、学校にはあまり行ってなかったってことだもんな。恐らく雪菜には、共に遊べる友人がいなかったのだろう。

 だからこそ、この状況を自分以上に楽しんでいるんだろうな。

「戦闘開始!」

 そして一分が経ち、深原女史の掛け声と共に戦いが始まる。

「まずは作戦通り、大志君を集中砲火だ!」

「ああ、分かっている!」

 私と雪菜は手筈通り、大志君に向かい突撃する。

「うおおおー!」

「速い!?」

 だけど、私たちの三倍はあろうかという速度で、大志君はこちらに向かって来る。

「こちとら十八年間豪雪と寝起きを共にして来たんだ。都会育ちには負けネェでスぜ!!」

 互いに雪上戦は初な私と雪菜に対し、大志君は百戦錬磨の強者。私たち二人でも戦力差は埋まらないかもしれない。

「クッ! 迎撃だ、雪菜! 右肩を狙うんだ!!」

 私は雪菜に声をかけつつ、大志君の左肩に狙いを定める。

「肩はくれてやるぜ!」

 私たちの集中砲火により、大志君の肩の紙は剥がれ落ちる。だけど、大志君は臆することなく突撃を続ける。

「それ以上接近させないわよ!」

 深原女史は大志君を牽制するように雪玉を投げ付ける。しかし、前屈みになりながらの突進により額と胸元の紙は完全防御に近く、ダメージを与えられそうにない。

「これでも食らいやがれ!」

「なっ!?」

 大志君は私たちに近付くと大きくスライディングし、粉雪を撒き散らす。ルール上あらゆる雪を使った攻撃が許される。さすがは雪国育ち。自分には決して発想しえない戦法だ。

「雪菜、大丈夫か!」

「ああ。全体的に濡れたが、まだ剥がれ落ちてはいない」

 不意の攻撃により、防御し切れなかった。私も四カ所全部の紙が濡れ、あと数発食らえば破れ落ちる危険性がある。

「まずは邪魔な二人から排除するぜ!」

 大志君は私と雪菜が怯んでいる隙に、後方の里美と深原女史に近接する。

「クッ! そう簡単にやらせ……きゃああ!」

 大志君の精密射撃により、深原女史は四カ所すべての紙を破られてしまう。

「冬子さん!」

 深原女史の撃墜を確認した里美は、そのまま後退する。

「逃がしやしねぇぜ!」

 大志君はそのまま里美の後を追う。里美も雪郷育ち。私と雪菜よりは素早い動きで逃げ回る。

「オラオラッ!」

 だけど、体力面では大志君に分があり、徐々に距離を狭められる。

「おわっ!?」

 射程圏内に捉えられたと思った刹那、突然大志君が視界より姿を消す。一体何があったんだ?

「くぅっ! 落とし穴とは、なかなかやりやがるぜぇ!」

 どうやら、いつの間にやら掘られていた落とし穴にまんまとハマってしまったようだ。大志君は落下により、すべての紙が剥がれ落ちてしまった。

「ホームセンターで新しい雪掻きを購入したので、それを用いて簡単な落とし穴を掘っていたんですよ」

 里美が照れた表情で説明する。作戦会議中姿が見えないと思っていたら、そんなことをしていたのか。

「これで勝ったも同然だな!」

 残りははやて一人。一番の強敵である大志君が倒れれば勝利は目前だと、雪菜ははしゃぐ。

「きゃあ!?」

 だが、勝利を確信した束の間、突然里美は水浸しになり、一瞬で紙が破れる。

「こっちだよ、こっちー!」

「えっ! うわっ!?」

 声の方を向いたら、バシャッと顔に水がかかる。それにより、額と胸元の紙が破れる。

「えへへ! 作戦成功だね、大兄っ!!」

 声の先には、笑顔ではしゃぐ楓の姿が。その両手には、水風船が複数掲げられていた。

「しまった! そういうことか!!」

 大志君の突撃は陽動に過ぎない。本命は、こちらに注意を逸らした上での水風船爆弾攻撃か!

「もういっちょ行くよー! えーい!!」

 調子に乗ったはやては、続け様に水風船を投げ付ける。

「当たってたまるかっ!」

 次から次へと投下される水風船を、雪菜はステップでかわし続ける。元々アイドルとしてダンスレッスンを積んでいたこともあり、なかなかの足捌きだ。

「うわっ!?」

 だけど、慣れない雪上では思うようにいかず、尻餅を付いてしまう。

「もらったよー!」

 そこへ、はやての追撃が容赦なく襲いかかる。

「危ない!」

 私は咄嗟に前に出て、雪菜を庇う。

「都人!?」

「すまない、雪菜。私はここまでだ。あとは頼んだぞ!」

 水風船の直撃を食らい、両肩の紙も破れ散ってしまう。だけど、自らの犠牲で雪菜を護れたのなら本望だ。

「ああ。お前の分も戦ってやるぞ!」

 雪菜は凛々しい顔を私に向け、ウォーターガンを持ちながらはやてへと突進する。

「うおおっ! 落ちろー!!」

 雪菜の渾身の一撃が、はやてへと降りかかる。

「えへへっ! 当ったんないよー!」

 だけど、はやては素早い動きで難なくかわす。

「お返しだよっ! えーいっ!」

 はやては反撃とばかりに、水風船を投弾する。

「何度も同じ手を食うか!」

 既に動きは見切ったと言わんばかりに、雪菜も回避運動を行う。

「落ちろ、落ちろ、落ちろー!!」

「行っけぇぇぇ~~! プリティ・ハイドロボンバー!!」

 その後も二人の応酬は続く。雪菜は右肩と胸元の、はやては右肩と額の紙が破れるが、両者とも未だ健在だ。

「くっ! 弾切れか!」

 数分間に及ぶ戦いの末、とうとう雪菜のウォーターガンの水は底を尽いてしまう。

「ありゃりゃ。全部無くなっちゃったよー」

 ほぼ時を同じくして、はやても水風船を打ち尽くしてしまう。

「まだだ! まだ終わらない!!」

 雪菜はウォーターガンを地面に投げ捨てると、せっせと雪玉を作り、はやてへと投げ付ける。

「わっ!? やったな、お返しだ~~!!」

 はやては反撃とばかりに、自分も雪玉を作って投げ返す。

「このっ! このっ! このっ!」

「えいっ! えいっ! えいっ!」

 その後も二人の応酬は続く。けど不思議なことにどちらも紙を狙わず、腕や足に投げ付ける。それはまるで、この時間を終わらせたくないというそれぞれの想いが交差しているようだった。

「ははは! やるな、コイツ!」

「雪菜ちゃんもなかなか! だけど、簡単には終わらせないよー!!」

 どちらも年相応。いや、小学生と言っても差し支えない無邪気な笑顔で、雪玉を投げ続ける。それは、永遠に続くかもしれないと錯覚するほどの、微笑ましい光景だった。

「クッ! もう体力が……」

「あー、もう限界だよー!」

 そして死力を尽くした二人は、ほぼ同時に雪上へと倒れ込む。

「ハハハハハ! 楽しかったぞ!! こんなに充実した時を過ごせたのは、生まれて初めてだ! 友と戯れるというのは、こんなにも愉快なものなのか!!」

 腹の底から声を出して笑う雪菜。純真無垢な笑顔。人生初体験の遊びに、十数年間しまい込んでいた笑顔を、一気に開放したようだ。

「ボクもホント、楽しかったよー! こんなに全身使って遊んだの、小学生以来だよー」

 はやてもまた昔のことを思い出しながら、満面の笑みを浮かべる。

「あーあ。ずっとこんな楽しい時が続けばいいのになー」

「はやて!?」

 はやての笑顔に曇りが見え始めたのに気付き、雪菜はガバッと起き上がる。

「ずっとずっと、子供のままでいられたらいいのに。そしたら、ずっとずっと、みんなで遊び続けられるのに……」

 はやての顔から笑顔が消え始め、次第に悲痛な表情に歪んでいく。

「でも、みんないなくなっちゃう。ボク一人だけ置いて、雪郷から離れて行っちゃう……。ふぇ、ふぇぇぇ! ボク、一人はイヤだよぅ! 独りぼっちは寂しいよぅ!!」

 はやては赤ん坊のようにワンワンと泣き出し、両腕で涙を拭く。

(そういうことだったのか……)

 てっきり田舎の暮らしが嫌だから、都会に憧れていたものとばかり思っていた。でも、実際は違った。

 はやては寂しかったんだ。一人だけ雪郷に取り残されるのが。雪郷には孤独を紛らわせるような娯楽はない。だから物や遊びで溢れる東京に出て、寂しさを紛らわそうとしていたんだ。

「すまネェな、はやて」

 大志君は申し訳なさそうな顔で、はやてを抱き起こす。

「ふぇぇ! 大兄ぃ! 行っちゃヤダよぉ! ボクも連れてってよぅ!!」

「お前には寂しい思いをさせることになって、申し訳ネェと思ってる。だがよはやて、お前まで雪郷を離れたら、誰が雪郷を護るんだよ!」

「ふぇ? 大兄ぃ?」

「俺にとって雪郷は還るべき場所、魂の故郷だ! 俺は雪郷を出て、みんなを護るスーパーヒーローになる! だからお前は、雪郷を護る巫女でいてくれ!!」

「でも、でもぉ!」

 大志君の言いたいことは、はやてにも理解できるのだろう。それでも一人になるのは嫌だと、コートの裾を強く摑みながら泣きじゃくる。

「心配すんな! 毎年マレビト祭の時は、必ず雪郷に戻って来るぜ!」

 大志君ははやてをあやすように、頭をポンポンと撫でながら語る。

「本当? 本当に?」

「応よ! だから雪郷のことは頼んだぜ、はやて!!」

「うん! うん! 約束だよ、大兄ぃ! 絶対、絶対戻って来てね! ボク、大兄ぃが戻って来るの、毎年楽しみに待ってるから!!」

「応! 約束するぜ!!」

 大志君ははやてをギュッと抱き締めることで、約束を交わした。

「うん! だぁい好き! 大兄ぃ!!」

 はやては笑顔で大志君に抱き付く。兄のように慕っていた大志君が雪郷からいなくなることに耐えられなく、自らも離れようと思っていたはやて。

だけど、必ず戻って来る約束を交わしたことで、はやては待つことで寂しさにも耐えられるんだろうな。

「これにて一件落着かしらね」

 二人が抱き付く姿を見て、深原女史が微笑む。雪合戦を通してはやての本心を明かし、結果的に雪郷に残る選択肢を導き出せたのだから、大成功だろうな。

「はやてちゃん。衛島君も他の貴女のご友人も毎年戻って来たいと思うような、素敵なマレビト祭を作りましょ!」

 深原女史は大志君から離れたはやてに、握手を求める。

「うん! ボクこれから毎年、マレビト祭の巫女さんを頑張るよ!!」

 当初は東京に行くための条件として引き受けていた、マレビト祭の巫女。それをはやては、心の奥底からやり遂げたいと思うように、心境を変化させた。

「それにね、はやてちゃん。貴女の友達の何人かは雪郷に戻って、ずっとい続けるようになるかもしれないわよ」

「えっ?」

「数年後、今いるこの場所に地熱発電所さえできれば、故郷に住みながら働きたいっていう友人は、絶対に戻って来るわ!」

「わー、スゴイ、スゴイ! えへへ。本当にそんな日が来たらいいなー」

 地熱発電所が建設されたからといって、はやての友達がすべて雪郷に帰って来るわけではない。それは希望的観測に過ぎない。けどはやては、来るかもしれない未来に、羨望の想いを託すのだった。



 午後の一時半から、マレビト祭の練習は始まった。雪菜は踊りの練習、はやてはそれに合わせた祝詞の練習となった。

「えへへ。今日の練習、いっぱいいっぱい頑張ろうね、雪菜ちゃん!」

「ああ、はやて!」

 雪合戦を通して友情を深めた雪菜とはやては、意気投合しながら練習に入ろうとする。

「あの、雪菜ちゃん。一つ頼みごとがあるんだけど」

「何だ、はやて?」

「一応ボクの方が年上なんだしー、呼び捨ては止めて欲しいかなって」

「むっ、そうか。それは失礼した」

 口調は雪菜の方が年上っぽいんだけど、実際は逆だもんな。

「では、どう呼べないいのだ?」

「そうだねー。〝はやねぇね〟って呼んで欲しいかなー」

 はやては無垢な笑みで、希望する呼称を雪菜に提示する。

「なっ!? ねぇねだと!?」

 あまりに意外な呼び方だったのか、雪菜は顔を真っ赤にして狼狽する。

「えへへ。言ってみてー、〝はやねぇね〟って」

「うっ、うむ。分かった、言うぞ! はっ、はやっ……」

 雪菜はコホンと咳払いをし、はやてを愛称で呼ぼうとする。

「はっ、はやっねぇ……言えるか、そんな恥ずかしい呼び方ー!」

 しかし、雪菜は途中で言うのを止めてしまう。

「えー! 恥ずかしくないもん、可愛いよー」

 はやてはよっぽどお気に入りなようで、雪菜が呼んでくれないことに納得がいかないようだ。

「だっ、駄目だ! そんな呼び方は私の性に合わん!!」

 雪菜は雪菜の方で、頑なに拒否する。

「残念ー。でも確かに、今まで通りの方が雪菜ちゃんらしいかなー」

 はやては苦笑しつつ、従来通りの呼び方で納得したようだ。

「都人サン! そろそろ練習始めまスぜ」

「ああ。今行く」

 大志君に呼びかけられ、早足で向かう。今日は神輿を担いで、実際のコースを歩いてみる練習だ。スタート地点の雪姫山の麓まで軽トラックで神輿を運び、そこからみんなで担ぐという流れだ。

 距離にしておよそ四キロ。神輿を担いでの移動なので、一時間半以上かかると思えばいいだろう。それだけの時間神輿を担がなければならないのだから、それなりに体力を使う。

 今日は雪菜が踊りの練習を行っているので、無人の神輿を担ぐ。人一人分軽いのが幸いか。

「んじゃあ! 今日も元気よく行くぜ!!」

 スタート地点に着くと、軽トラックからみんなで神輿を降ろす。そこから大志君のかけ声により、移動を開始する。練習二日目なので、要領が分かっている分昨日よりは負担が少なく感じた。それでも四キロの道を歩くのは、何だかんだでしんどかったけど。

「都人、そろそろ帰るぞ」

 神輿を片付け境内に戻ると、ちょうど練習を終えた雪菜が近付いて来る。

「ああ」

 私は雪菜と並びながら歩き、雪風荘に戻ろうとする。

「都人、手を出せ」

 雪姫神社を出て約五分後。雪菜が手袋に包まれた左手を差し出す。

「えっ!?」

「今日も練習だ」

「あっ、ああ」

 私はドキドキしながら、右手を差し出す。昨日は民宿内での行為だった。でも今日は、外でだ。周囲の視線を意識してしまうと、例え手袋越しとはいえ自然と緊張してしまう。

「降って来たな」

 雪菜と手を繋ぎながら歩いていると、チラチラと雪が降って来た。この様子だと明日は大雪だなぁ。



「んっ?」

 雪風荘に戻り、中へと入る。すると、大広間には金曜の夜から宿泊しようというお客さんの姿が確認できた。明日からの三連休に加え、明後日はマレビト祭。雪風荘だけではなく、周辺の温泉や旅館はどこもかしこも大賑わいなんだろうな。

「やあ、お帰り」

 そんな時、突然声をかけられる。声の方を向くと、そこには眼鏡をかけてスーツに身を包んだ、紳士風の男がいた。

「プロデューサー!」

 その男の姿を視認するや否や、雪菜は笑顔で駆け寄る。

「プロデューサー、もう来ていたのか」

「ああ。三時過ぎには」

「何だ、そんなに早く着いていたのなら、練習を見に来れば良かったのに」

「ははっ、すまない。明日からはちゃんと行くよ」

 プロデューサーと親しげに談笑する雪菜。普段のどこかキリッとした顔とは違う、終始にこやかな笑顔。それは、相手の男を全面的に信頼している証左だった。

(何だろうな……)

 自分には見せたことのない笑顔。過ごした時間が全然違うのは理解している。だけど、別の男の前で普段見せない顔を見せるのは、何だか妬けてしまう。

「やあ。君が宮本都人君かい?」

 雪菜からよく話を聞いているよと、プロデューサーは静かな足取りでこちらに近付いて来る。

「はあ、そうですけど」

「お初にお目にかかる。僕は帝都プロダクション所属のプロデューサー、木林新(きばやししん)だ。よろしくお願いするよ、宮本君」

 木林プロデューサーは紳士的な態度で自己紹介をして、名刺を差し出す。

「よ、よろしくお願いします」

 私は戸惑いながら名刺を受け取る。名刺の受け取りなんて就職活動の時数回やった程度なので、慣れなくて妙に緊張してしまう。

「今日は金曜だから、カレーだべ!」

 それから間もなくして、大きな鍋を持った智子さんが大広間に姿を現した。金曜日は海上自衛隊ではカレーを食するのが定番なのに合わせ、カレーだということだった。

 大広間にいるのは、自分たちのグループ以外は六人ほど。それぞれが異なる炬燵に席を取っている。

「では、共に夕食をいただくとしよう、宮本君」

「あっ、はい」

 私は木林プロデューサーに誘われ、空いていた炬燵に雪菜と共に座る。

「先輩、そちらの方は?」

 腰かけると、タイミングよく里美が食器類を運んで来て訊ねる。

「ああ。雪菜のプロデューサーさんだよ」

「そうでしたか。どうも初めまして。私は雪風荘の娘で、不来永里美と申します」

 里美は木林プロデューサーにペコリと挨拶すると、慣れた手つきで皿を並べ終え、大広間より一旦姿を消す。今日はお客さんが多いから、手伝いが大変そうだな。

 自分も暇なら手伝っても良かったんだけど、マレビト祭への参加を決めたから、そんな時間は取れそうにもない。

「カレーはお代わり自由だべ。みんな、腹一杯食べでけらい」

 夕食の準備がすべて整え終えると、智子さんは号令をかけて大広間を後にする。今日は忙しいので、夕食は後で取るのだそうだ。

「ではいただきましょう、先輩」

 里美は一緒に食べてもいいと智子さんに言われ、私の右隣に座る。向かいには、木林プロデューサーと雪菜が座っている。

「ああ。頂きます」

 私は手を合わせて、カレーを食べ始める。

「んっ……美味しい!」

 程よいピリ辛さに擦り込んだりんごの味が程よくマッチして、なかなかの美味だった。

「ううっ。かっ、辛い……」

 雪菜の舌には少し辛かったようで、二口ほど食べたところで水を口にする。

「何だ、このくらいで辛いなんて、お子様な舌だなー」

 私は面白半分に雪菜をからかってみる。

「何だと! 私は子供じゃない!!」

 すると雪菜はむきになり、カレーをガツガツと食し始める。

「ど、どうだ、完食したぞ!」

 数分後。ドヤ顔で雪菜が完食を誇らしげに宣言する。だけど、口をヒリヒリさせたやせ我慢が見え見えの涙目で、相当無理をして食したようだ。

「あはは!」

 すると、突然木林プロデューサーが大声で笑い出した。

「そっ、そんなにおかしいか、プロデューサー」

「ははっ。すまない。まさか雪菜、君がそんな態度を取るとは思わなかった。つい数ヶ月前の君からは想像もつかないよ」

「そっ、そうか」

 褒められているんだか貶されているんだか分からない言葉に、雪菜は困惑の表情を浮かべる。数ヶ月前の雪菜がどんなだったのかは想像するしかないけど、きっと人と会話もせず無愛想に黙々と食べるような人間だったんだろうな。

「ふわぁ~~」

 夕食を取り終えてしばらくすると、雪菜が大きな欠伸をする。満腹感に加え、雪合戦とマレビト祭練習の疲労が重なったんだろうな。

「明日は忙しいし、早めに寝た方がいいんじゃないか?」

 明日はマレビト祭の通しての練習に、夜からは雪姫山の登山。今日はじっくり身体を休めておかないと、本祭を乗り切れないだろう。

「ああ。そうしておく……」

 雪菜は眠たい目を擦りながら、二階へと昇って行く。

「さて、私も」

 人のことは言えないな。今日はお風呂に入ったらすぐに寝て、明日に備えよう。

「宮本君。すまないが少し付き合ってもらえないかな?」

 立ち上がろうとしたら、木林プロデューサーに引き止められる。

「何です?」

「いやなに、君と少し話をしたくてね。お酒は奢るよ」

 そう言い、木林プロデューサーはビニール袋に入ったビールやカクテルを取り出した。

「はぁ。二日酔いしない程度なら」

 疲れた後の飲酒は気持ちのいいものだし、明日に響かないなら別に付き合ってもいいかな。

「では、二人の出会いを祝して、乾杯!」

 私はカクテルを受け取り、木林プロデューサーと乾杯する。

「さて、宮本君。まずは君に言っておきたいことがある」

 一口飲み終えると、木林プロデューサーは静かに語り出す。

「何です?」

 ひょっとして、雪菜を勝手に連れ回したことを怒っているのだろうか?

「ありがとう。雪菜と仲良くしてくれて」

 だけど、木林プロデューサーは私の予想とは逆に、感謝の思いをこめてテーブルに頭をぶつける勢いで深い礼をした。

「あっ、いや! そんな改められましても」

 反応に困ると。

「いや、君のような友を見つけられたのなら、僕の判断は間違っていなかったと思ってね」

「どういうことです?」

 木林プロデューサーは静かに語る。以前の電話で雪菜には予算の都合で雪風荘を選んだと言ったが、あれはまったくの建前だと。

「そうでしたか。まあ、その方が辻褄合いますけどね」

 宿代を節約しなければならないほど財政が逼迫しているなら、登山用具を経費で落とせないはずだからだ。

「民宿ならアットホームな雰囲気があって、直に人の温もりを感じられると思ってね」

「えっ?」

「君はどこまで雪菜のことを知っている?」

「それは……身体的特徴の理由や、過去学校で虐められて不登校だったことくらいは」

 私は雪菜から直接聞いた出自を、洗いざらい語った。

「そうか。自らの堪え難い過去を語るのだから、それほどまでに君を信頼しているという証拠だな」

「いえ」

 木林プロデューサーが笑顔で評価してくれるので、自分も何だか照れ臭くなってしまう。

「ならば、僕が彼女と出会ったばかりの頃の話をしよう」

 木林プロデューサーは目を瞑り、昔を懐かしむようゆっくりとした口調で語り始める。

「あれは一昨年の秋だった。僕はアイドルの原石を探すため、秋葉原の街を探り歩いていたんだ」

 秋葉原は毎日メイドのコスプレをした女性がチラシを配っているような街だ。そんな非日常が日常の街で、メイドやコスプレイヤー以上に目を惹く少女がいるなら、その子はアイドルとしての資質があると。

「そしたら出逢ったんだよね、彼女と」

 駅前を歩いている時、ふと人々の視線が一箇所に集まっているのに気付いたらしい。

「最初はいつものようにメイドさんがチラシを配っているか、はたまたコスプレイヤーさんが闊歩しているのかと思った」

 だけど、それは違った。人々が注目していたのは、白い髪に肌、そして赤い瞳を帯びた雪菜だったとのことだ。

「一瞬、他事務所所属のアイドルかと思ったね」

 こんなに注目されるなら、既にどこかの事務所に所属しているのではないかと。

「でも、そんなアイドルは知らなかった。これはアイドルの原石を見つけたと思ってね。思い立ったまま声をかけたんだ」

 そしたら雪菜は木林プロデューサーを鋭い視線で睨み付け、敵意を剥き出しにしたという。

「その時思ったんだよ。こんな目をする少女は、一体どんな人生を歩んできたんだろうって」

 俄然興味が沸いた木林プロデューサーは、自分の素性を明かして、アイドルにならないかと誘ったそうだ。

「雪菜はしばらく考えた後、ゆっくりと応えたんだ。『アイドルになれば、見返すことができるか?』って」

「……」

 雪菜が何を見返したいと思っているのかは、この前聞いた。理由を知っているだけに、私は沈黙することしかできなかった。

「僕が何を見返したんだいって訊き返したら、『今まで私を虐げたすべての人間を見返せるのなら、アイドルにでも何でもなってやる!』って」

「……」

「その言葉を聞いた時、僕は思ったよ。間違いなくこの子はトップアイドルになれるって!」

「えっ!?」

 普通なら、他の人間に対する強烈な負の思念を抱いている人なんて、絶対にスカウトしないって思うんだけど。

「どうして、木林プロデューサーは?」

 それでも尚、雪菜をアイドルにしようと思ったのだろうか。

「理由は二つある。一つは、良くも悪くも『見返したい』という、強烈なハングリー精神を持っていることだ。今時の子として、これは非常に珍しい」

 日本は豊かになった反面、昔のように強烈な上昇志向を持った人間は少なくなったと、木林プロデューサーは語る。

「ある政治家は、『二番じゃ駄目なんですか?』と言った。正直なところ、トップを目指さなければ、どこかで妥協したことになる。そんな人間では、周囲が虎視眈々と一番を目指している世界に放り込まれたら、どこかで必ず挫折してしまうだろうからね」

 傲慢で結構。絶対に上り詰めてやるという貪欲なまでの逆境精神が、人を成功に導くのだと。

「彼女の場合、別に一番を目指したいと語ったわけではない。だけど、人を見返すというのは、価値観を一変させるということだ。しかも、今までの自分を否定し続けてきたすべての人間の。それは、ある意味一番になることより困難を極めることだろう」

 確かに例えトップになったところで、その人を嫌っている人が考え方を変えるという保証はない。総理大臣になったからといって、政治家としての酷評を覆せなかったりするもんな。

「彼女はその大変革を成し遂げるためなら、何でもやるといった。アイドルとして大成するという手段で目的を果たせるのなら、彼女は血の滲むような努力にも耐えられるだろうって」

 だから木林プロデューサーは答えたという。トップアイドルになり成功を収められれば、君を虐げてきた人々の価値観もきっと変えられるだろうって。

「そう答えたら、雪菜は即座に僕の誘いを受けてくれたよ」

 こうして、アイドル候補生茉莉雪菜は誕生したとのことだった。

「それじゃ、もう一つは?」

 まだ一つの理由しか聞いていない。他に木林プロデューサーが、雪菜がアイドルに相応しいと思った理由はなんだろうと。

「もう一つはね。雪菜が人の心を、それもドロドロとして禍々しい負の最深部を熟知しいるということだよ」

「えっ?」

「芸能界は魑魅魍魎が渦巻いている伏魔殿だ。金のため、名誉のため。ありとあらゆる人のおぞまし部分がこれでもかってね。膨大な資本力と権力を武器に、中小プロダクションに圧力をかける大手事務所。自分がのし上がるためには他人を平然と叩き落し、ステージでは涼しい顔で笑っていられるようなアイドルもいる。雪菜は、そんな業界で競い合わなければならないんだ」

「……」

「仮に人の善意のみしか知らず、悪意には無自覚なアイドル候補生がいたとしよう。そんな子が理不尽を目の当たりにしたら、今までの価値観が崩れ、芸能界に絶望して引退することもあり得る。また、失望の末自分も悪の道に堕ちるかもしれない」

 それは何も、芸能界に限ったことではないだろう。世の中には理不尽や悪意はどこにでも存在している。確かに無菌室で育てられたような人間には、世知辛い時代かもな。

「けど、彼女はそうじゃない。今までの人生で、散々人のマイナス面ばかりに触れてきた。だからこそ、雪菜は自分に降りかかる圧力を耐え抜けるだけのバイタリティを秘めているんだ。それに、」

「それに?」

「雪菜は理不尽を決して許さない人間だ。だから自分がトップに上がるためには、卑怯な手段は絶対に用いない。正攻法の真っ向勝負で、駆け上がろうとする。逆説的に雪菜は、最も清浄な心を持ったアイドルなんだよ」

「!」

 人の負の部分を知っているからこそ、人を貶めるようなことはしない。だから、公正な人間であると。

 普通の人なら問題ありと判定しても不思議じゃない雪菜を、そんな風に高評価できるなんて。この人はなんて、人間のできている人なんだと思った。自分が同じ立場で、雪菜をスカウトしている自信はない。

「貴重な話をありがとうございます。あなたのようなプロデューサーと出会えて、雪菜は幸せだったと思います」

 だから私は、素直な称賛の言葉を送った。こんな人が背中を支えてくれているのなら、雪菜は絶対に大成するだろうと。

「いやっ、ははっ。僕はただ、雪菜の幸福と成功を願っているだけだよ」

 木林プロデューサーは、照れ臭そうな顔で笑う。

「でもね、それだけじゃまだ不完全なんだ」

「えっ?」

「清濁合わせて人間だ。完全に清い人もいなければ、完全に汚れた人間もいない。良い人物と悪い人物の差というのは、濁り度合いの差でしかない」

「……」

「雪菜は人の負の部分はこれでもかと知っていた。だけど、正の部分は悲しいほどまでに知らなかったんだ」

「!?」

「雪菜は挫折しない強い心は持っていた。でも、人を疑心暗鬼の目でしか見られない人間が、芸能界で成功するとは思えない。人々に偽りの笑顔すら向けられない人間はね」

 つまりは、雪菜は営業スマイルすらもできない子だったってことか。確かにそれじゃ、アイドルとしては致命的だもんな。

「彼女、自分でできる範囲のことは、自分でやろうとするだろ?」

「えっ? ああ、はい」

「それはね、雪菜が人の善意に慣れていないからんだ。人に手を差し伸べられると、この人は何か良からぬことを考えていると警戒してしまう。だから、極力人の手を借りないよう行動しようとする」

 現に事務所に所属したばかりの頃は、スケジュール管理さえも自分でやろうとして大変だったと、木林プロデューサーは苦笑する。

「ということは、雪菜があなたにスケジュール管理を一任しているのは、それだけ信頼しているということですね」

「そうなるね。もっとも、雪菜が僕を頼ってくれるようになるまで、一年近くかかったけどね」

 必死に雪菜の信頼を得ようと四苦八苦する木林プロデューサーの姿を想像すると、この人も苦労したんだなと同情してしまう。

「だからこそ、たった数日で雪菜と親しくなれた君を、凄いと思ってね」

「過大評価ですよ。それは雪菜自身があなたとの交流を経て、他人を信頼できる人間に変わったからでしょう?」

 別段優れた人間ではないと、私は謙遜する。

「僕のお陰と言うより、雪菜自身の心境の変化が大きいけどね。良くも悪くも、原発事故による理不尽な差別によって、彼女の世界は激変した。今までは自分を虐げた人々を見返すという、自分中心の目標で活動を続けていた。でも、世界には自分以上の差別を受けている人がいるという事実を知って、世界の理不尽を覆すという、自分から他の人という全体へと目標がシフトしつつある。これは契機だと、僕は思ったね」

「契機?」

「雪菜は、人々に対して閉ざされた心を開こうとしている。それなら、多くの人々の温かみに触れさせることで、心の解放を促したいとね」

 だから、木林プロデューサーはマレビト祭の数日前から雪郷に滞在するよう、スケジュールを組んだとのことだった。

「もっとも、僕にできることは、機会を与えることだけだ。シナリオに沿って人と交流を深めても、それは本当に心を通わせたことにはならない。自然と雪菜から人々に触れ合えなければね」

 だから変わらないままだったとしても、それは仕方がない。逆に、変化が訪れるようなキッカケを得られるようならば、最大限に支援しようと。

「昨日雪菜が電話をかけてきた時、雪郷で体験したことを楽しげに話してくれて。これは良い人々と出逢い、交流を深められたんだなって。宮本君、今日まで雪菜の側にいてくれてどうもありがとう。そしてマレビトまでの残りの日々も、どうか雪菜のことをよろしく頼む!」

 そうして木林プロデューサーは、再び深々とお辞儀をする。その姿を見て、この人は保護者なんだなと思った。誰よりも雪菜という人を理解し、見守っている。

 雪菜が木林プロデューサーに見せた、屈託のない顔。あれは恋人に向けられたものではなく、父親に向けられたものだと理解できた。

同時に、自分は何て見当違いな嫉妬心を抱いたんだろうと、恥ずかしくなる。

「言われなくても! 雪菜と同じマレビトとして、共にマレビト祭を成功に導いてみます!!」

 だから私は、告白する勢いで宣言した。同じ目標に向かい歩み続けると、力強い声で。

「ありがとう。しかし君と雪菜は、本当に奇妙な関係だ。共に雪郷の人間ではなく、外から来た人間。にも関わらず、異郷の地で信頼を深め合えるのだから。そんな君なら、もしかして……」

「えっ?」

「ははっ、いや。酔った勢いで、喋り過ぎてしまったようだね。僕の話は以上だ。長話に付き合わせて悪かった」

「いっ、いえ。こちらも貴重な話を聞けて、どうもありがとうございました」

「それじゃ、僕はそろそろお暇するよ、宮本君。改めて、明日からよろしく頼むよ」

 そう言い残すと、木林プロデューサーは空き缶を片付けつつ大広間を後にした。一体木林プロデューサーは、最後に何を話そうとしていたんだろう?

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