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雪のマレビト  作者: 衛地朱丸
2/7

一月四日

二話目です。登場人物も増えて、世界観が徐々に分かって来るかと思います。

 翌朝。私はスマホの目覚ましで起床した。時刻は六時。夜明けまでは若干時間がある。私はコートを着て、雪風荘の外へと繰り出す。

 昨日浴場から部屋に移動する間窓に目を向けると、内明りに照らされた深々と積もる雪が映し出されていた。この地方は、積雪が人の背丈ほどにも達する豪雪地帯だ。昨晩から朝にかけて、絶え間なく降り続けていたんだろうな。

 智子さんには里美のお友達割引という名目で、一泊朝夕食付きで二千円で泊めていただいている。その厚意に報いるためにも、自分にできる範囲で民宿のお手伝いをしなきゃな。

「結構積もってるなぁ」

 外に出ると、大体膝の辺りまで雪が降り積もっていた。これは除雪に骨が折れそうだ。

「せっせ、せっせ」

 ふと軒先を見回すと、私より早く起きていた里美が、懸命に雪掻きを行っていた。

「おはよう、里美」

「おはようございます、先輩」

「手伝うよ。他の除雪器具はどこ?」

「いえ。せっかくのご厚意ですが、私一人にやらせてください」

 里美は申し訳なさそうに協力を拒む。

「雪菜に感化されたのか?」

 確かに雪掻きは一人でできないこともないけど、この積雪量をこなすのは困難を極めるだろう。

「そいうわけではなく、自分のためです」

「自分のため?」

「はい。すべてはダイエットのためです!」

「はい?」

 キリッとした顔で理由を語る里美に、私はあっけらかんとしてしまう。

「いいですか? 雪掻きは身体全体を使う労力の要る仕事で、その分ダイエット効果は抜群なんです」

「はぁ」

「その上仕事と兼ねられて、一石二鳥。私の計算によれば、除雪作業を一人で行えば、今日だけで二キロも痩せられる計算です!」

「いや。いくら重労働でも、そんなには」

 せいぜい数百グラムが関の山だろう。効率がいいのは認めるけど、いくらなんでも夢を見過ぎだ。

「そういうわけで、私の貴重なお仕事を奪わないでくださいね。無理矢理にでも手伝おうと言うのなら、スコップの先端でノドを掻っ切りますので」

 にこやかと微笑み、第一次世界大戦最強の白兵戦武器での殺傷を宣言する里美。これは手伝わない方が身のためだなと、私はそそくさと中へと戻る。

(朝食までどう過ごそう?)

 朝食は朝の七時半から。まだ一時間以上ある。雪掻きをすることを前提に起きたので、正直暇を持て余してしまう。時間まで布団に篭もっていようか?

(雪菜はどうしているかな?)

 ふと雪菜のことが頭を過る。昨日の話を聞く限りでは、今日から仕事みたいだけど。

(様子を見てみるか)

 大丈夫だと思うけど、万が一寝坊し、先方に迷惑をかけさせるわけにはいかない。起床を促すのも旅館の手伝いの範疇だと自分に言い聞かせ、雪菜の部屋へと向かう。

「入っていいか、雪菜ー」

 断りもなしに少女の部屋に入るのはマズイと思い、入室許可を取ろうと呼びかける。

「……。入るぞー」

 一分ほど待ったけど、返事なし。まだ寝ているかもしれないけど、確認のため止む無く無断入室を決行する。

「何してるんだ?」

 部屋の中に入ると、身震いしながら顔まで布団にうずくまっている雪菜の姿があった。

「さ、寒くて起きられん……」

 どうやら寒さのあまり、布団の中から出られないようだ。

「そりゃ、ストーブも付けずに起きようってのが無理ってもんだ」

 部屋の気温は二、三℃しかない。冷蔵庫より寒い環境じゃ、布団から這い出られないのも無理ない。

「まったく」

 私はやれやれと頭をかきながら、ストーブの電源を入れようとする。

「い、いい!」

 案の定自分でスイッチを入れようと剛情を張る。

「出られるのか?」

「……」

 返事はない。ただの布団被り虫のようだ。

 布団からは出たくないが、私にスイッチを押されたくもない。この相反する条件を、雪菜はどうやって解決しようと言うのだろう?

「んんっしょ! んんっしょ!」

「なあっ!?」

 驚いたことに、雪菜は身体をかけ布団で包み込み、匍匐前進するようにストーブへとにじり寄る。まさか難題にこのような解決方法を見出すとは、恐れ入る。

「アイドルのやることじゃないと思うけどなぁ」

 まるで芋虫が這いつくばっているかのような様相。仮に自分が雪菜のファンだったら、百年の恋も冷める醜態だ。

「や、やったぞ……」

 雪菜は根性でスイッチを押し、大業を成し遂げたように、その場に力尽きる。

「努力は認めるけど」

 そんな至近距離じゃ、布団が引火する危険性があるんだけど。

「あっつい!」

 顔に点火したストーブの熱風が直撃し、雪菜はかけ布団を脱ぎ捨てながら飛び上がる。

「さっ、寒いー!」

 しかし、付けたばかりで部屋が暖まっているわけもなく。雪菜はすぐさま敷布団へとかけ戻る。

「ううう……」

 咄嗟のことでかけ布団を拾い上げる余裕もなかったのだろう。雪菜は敷布団の上で、団子虫のように身体を丸める。

「拾ってやろうか?」

 かけ布団がない状況では、寒さを防ぎ切れないだろう。

「い、いいい」

 歯をガチガチに鳴らしながら、首を横に振る雪菜。そしてあろうことか、敷布団をグルグルと身体に巻き付ける。

「その往生際の悪さには感服するよ」

 人に頼らないのなら、恥も外聞も投げ捨てるってか。それだけ徹底するのはある意味大物だと、私は呆れ帰る。

「朝食は七時半からだから。それまでちゃんと降りて来るんだぞ」

 十数分もあれば部屋は暖まるだろう。私は朝食の時間だけ伝えて、雪菜の部屋を後にした。

(それにしても、可愛かったな)

 一瞬だけ見えた、雪菜のパジャマ姿。雪の結晶がプリントされた、真っ白な服装。雪菜のイメージにピッタリだと思いつつ、私は大広間へと向かう。



 大広間の炬燵に並べられた朝食のメニューは、ご飯に味噌汁、それに焼き魚。典型的だけど王道な日本の朝食で、食欲をそそる。

「労働した後のご飯って最高ですね、先輩」

 雪掻きで一汗かいた里美が、元気ハツラツ声で朝食を口にする。

「ダイエットしてる割には、普通に食べてるよな。昨日といい」

 ダイエットは、ご飯は食べないとか脂質分を減らすとかの工夫をしているイメージがある。しかし里美は普通に食していて、とてもではないがダイエットをしているようには見えない。

「先輩。最適なダイエットは、適度な運動と適度な食事ですよ」

「そうなの?」

「はい。そもそも本とかテレビで話題になる、『~~を食べて月~~痩せた』なんてのは、印税なり視聴率なりを稼ぐため、インパクトあることを喧伝しているだけですから。急激なダイエットはリバウンドが恐いですし、偏食は長期的に見て健康を害しますから」

「成程なぁ」

「ですから無理をせず、月に一キロとかのペースで落とすのがベストなんですよ」

「えっ? でも朝」

 一日で二キロ痩せられるとか言ってたけど。

「あれは先輩に手伝って欲しくないから、大げさに言っただけですよ。私はちゃんと現実を把握していますから」

 テヘッと舌を出しながら笑う里美。だから里美が言うと、冗談に聞こえないんだけど……。

「……」

 私が里美と談笑している傍ら、雪菜はジロジロと私たちの方に視線を送りながら、無言で食し続けている。恐らく、朝の一件を引きずっているんだろうな。

「ごちそうさま……」

 そして一言とだけ呟き、大広間をそそくさと後にする。

「何かあったんですか、先輩?」

 私と雪菜の間に流れていた不穏な空気に気付き、里美が心配そうな声で訊いてくる。

「昨日と同じだよ。あいつが人に頼らないで失態を犯しただけ」

 特に隠すことでもないので、私は一部始終を話した。

「ふぅん。やっぱり先輩の好みのタイプなんですね……」

 どこか不満そうな声で呟くと、里美は食器を片付けながら大広間を後にする。

「何か気に障ることでも言いましたかね、私?」

 突然里美が不機嫌そうになったことが理解できず、私は残った智子さんに訊ねる。

「んだなぁ。(すご)しは女心っでのを理解(りがい)した方がいいがもしんねぇな」

「?」

 女心? 私が雪菜を構ったことが、里美の嫉妬心を煽ったとか。

(まさかな……)

 私と雪菜は、出会ってまだ一日も経っていなんだぞ? 関係の長さじゃ里美との方が圧倒的だ。第一、里美が私に恋愛感情を抱いているなんて、おこがましいにもほどがあるだろう。

(何か調子狂うなぁ)

 特に悪いことはしてないのに、雪菜とも里美とも溝ができた気がしてならない。そんな負の感情を抱きながら、私は大広間を後にする。

 そして準備を整え、外出する。マレビト祭までの数日間、雪郷を巡り歩きたいと思っている。そのために長期滞在するのだし、雪郷への理解を深めれば、雪のマレビトと再会できる気がしてならないからだ。



 雪風荘より徒歩約三十分。私は目的地である雪姫神社へと辿り着く。雪姫神社は、雪郷地区で一番大きな神社だ。創建は西暦九五十年頃。祭神は月読尊(つくよみのみこと)

雪のマレビトに関連した神社だけど、雪のマレビトを祀っているというわけではない。それに関係が深いのは本宮ではなく、雪姫山山頂にある奥宮の方だったりする。

 鬱蒼とした鎮守の森に囲まれた鳥居を潜り、雪姫神社の参道へと入って行く。社殿に入る前には手水舎で口や手をすすいで清めるのがマナーなんだけど、冬期間なので水道の蛇口は閉められており、清めることはできなかった。

「行っくよー! プリティ・スノー・イレイザー!!」

「なっ、なんだぁっ!?」

 境内を歩いていると、信じられない光景を目にした。

何と、ショーットカットでボーイッシュな雰囲気の巫女装束少女が、必殺技を叫びながら軽快に雪掻きをしているのだ。清楚な巫女さんとは対照的な行為に、我が目を疑ってしまう。

「よーし! これでラストっと!」

 どうやら境内の雪掻きを終えたようで、巫女服少女は裾で額を拭う。

「き、君は一体何者なんだ?」

 去年来た時、この神社に巫女さんはいなかったはずだ。今年はバイトを雇ったのだろうか?

「あっ、お客さんだー。こんなオンボロ神社にわざわざお参りに来る人もいるんだねー」

「オンボロって……」

 開口一番、巫女服少女は失礼なことを言う。そんな雇用主を卑下する発言は、最悪解雇通知を食らう羽目になると思うんだけど。

「えー。だってホントのことだもん。直すほど儲けてもないし、ボロッちいに決まってるよー」

「儲けてないって、随分と内情に詳しいようだけど」

 ひょっとして去年私が会わなかっただけで、神社の懐事情に精通しているほどのベテランアルバイトなのだろうか?

「当然だよ。ボク、ここの神主の孫だもん」

「お孫さん!?」

 バイトじゃなくて、近親者だったのか。

「驚いたなー。あの酔狂道人に、女の子のお孫さんがいただなんて」

「おじじのこと知ってるの? 村の人?」

「いや、私は東京から来た」

「東京!」

 東京という言葉を口にした瞬間、巫女服少女の目がパッと開いた。

「ねえねえ! 東京のどの辺りに住んでるの? 原宿やお台場って、どんな感じ?」

 そして、嵐のように東京に関する質問攻めを行う。

「ちょっと! ちょっと! 一片に訊かれても」

「だってだって! こんな田舎に東京の人が来るなんて珍しいんだもん! ボクが聞いた限りじゃ、去年の冬に雪姫山で死にかけた人くらいしか知らないしー」

「うぐっ!」

 思いっきり具体的な事例を出され、胃にグサリと来てしまう。

「んー? 何か思い当たるような顔してるけど。知ってる人?」

「いや、知ってるも何も、当人なんだけど……」

「えー! 君が!? スゴイ! スゴイ!」

 巫女服少女は件の東京人と私が同一人物であることが分かるや否や、瞳をキラキラと輝かせながら近接する。

「ボクは氷神(ひかみ)はやてって言うんだ! よろしっくー! 東京の人!!」

 そして、はやてと名乗る巫女服少女は、私の両手を握り、ブンブンと振り回す。

「よ、よろしく。私は宮本都人だ」

 はやての方から自己紹介をして来たので、私は勢いに圧倒されつつ、名を語る。

「都人さんだね! 東京のこと、いっぱいいっぱい聞かせてよー」

「どうして君は、そんなに東京のことを?」

「えへへ。ボクね、高校卒業したら、東京で生活しようって思ってるんだ!」

 はやては満面の笑みを浮かべ、上京を宣言する。

「えっ? ここを離れて」

「当然だよ! こんな楽しくない所に、ずっといたくないんだもん!」

 はやては雪郷を卑下しつつ、都会への羨望を露にする。

「こんないい所に住んでいるのに?」

 自然に恵まれた環境で生活してるって言うのに、わざわざコンクリートで固められた喧騒塗れの東京に行きたいだなんて、もったいないなと。

「えー? そんなにいいかなー」

 雪郷のことを評価したつもりなのに、はやては酷く不機嫌な顔をする。

「だって遊ぼうと思ったら、隣町まで行かないといけないし。不便で退屈だよー」

「確かにそうかもしれないけど、雪郷でだって遊べる所は」

 スポーツセンターやスキー場など、それなりにあると思うんだけどな。

「都人さんがいいって思えるのは、観光客だからだよ。実際に住んでみれば、雪郷がどんなにつまんないとこだか、嫌でも分かるもん!」

「それは一理あるな」

 確かに自分は、あくまで外から来た人間の視点でしか雪郷を見ていない。実際に住んでいる人とは価値観が異なっても当然だ。

「でもさ、それを言うのなら、君だって同じじゃないの?」

 隣の芝生は青いって言うか、自分の知らない世界に対する憧れでしかないのではと。

「うん、そうだよ。だから、東京に住んでみたいんだよ」

「ああ、成程」

 自分は田舎に憧れ、県内の大学に下宿しながら通っている身だ。都会より田舎暮らしが性に合っているという自覚の元での発言だけど、はやては未体験だ。

 つまり私とはやてとの関係は対等ではなく、同じ土俵に立つためには、はやてが上京する必要があるのか。

「分かったよ。君が上京することになったのなら、色々と紹介してあげるよ」

 そうやって実際の東京がどんなところか分かれば、自ずと評価も変わってくることだろう。

「話が分かるね、都人さん! そういう人、大好きだよ!」

「えっ!?」

 あどけない少女に大好きだと言われ、私は思わずドキッとしてしまう。文脈から察するにあくまで純粋な好意であり、決して恋愛的な意味ではないというのは理解できるんだけど。

「ボク、今は高校二年だから来年の話になるけど、その時はよろしくね、都人さん!」

「あ、ああ」

 そんなこんなで、私ははやてという巫女服少女と、奇妙な関係を築いてしまった。



「そう言えばさ。はやてはどうして巫女服姿で、境内の雪掻きなんかしてるの?」

 肝心なことを聞き忘れていて、私は改めて訊ねる。去年は神社に姿すら見せなかったのに、今年はどうしてだと。

「んっとね。おじじにマレビト祭で自分の代わりに神事をやって欲しいって頼まれたから、手伝おうことにしたんだ!」

 はやては詳しい事情を話し出す。はやての両親は上京に大反対で、そのことでいがみ合っているらしい。

「ボクは雪郷での生活を強いられているんだ!」

 と、今にも集中線が描き出されそうな表情で、はやては現状を語る。

「そんな時にね、おじじがマレビト祭を手伝ってくれたら、上京の手助けをしてあげるって言ってくれたんだ!」

 だからマレビト祭の協力はおろか、率先して神社の庶務も手伝っているとのことだ。

「はやてー。こっちさ来で、着替えを手伝(てづだ)ってけらい」

 そんな時、社務所の方から老人の声が聞こえてきた。

「はーい。ゴメンね、おじじが呼んでるから、また後でね」

 はやては申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせ、駆け足で社務所の方に向かう。

童子(わらし)だぢの着替え見るわげにもいがねぇべがら、ワシは終わるまで(そど)さ出でっか」

 はやてと入れ替わるように、社務所の中より一升瓶を抱えた髭の長い米寿を過ぎた老人が姿を現した。雪姫神社の神主、氷神重喜(しげき)さんだ。

「ご無沙汰しています、重喜さん」

 去年の卒論調査において大変お世話になった人なので、私は近付いて深いお辞儀ををした。

「おっ! オメェはあん(どぎ)の、都会者(とがいもん)が? まだ懲りずに雪姫山さ登りさ来だんが?」

 重喜さんは一升瓶を口に含みながら訊ねてくる。

「ええ。重喜さんも相変わらずですね」

 重喜さんは昼夜を問わず酒を飲み続けており、雪郷の人からは酔狂道人と呼ばれる、ちょっとした有名人だ。

「なぁに。こいづはワシんドゴのお神酒だから、飲んだって問題ねぇべ」

「いや、いくらお神酒だからって、昼間から飲んでいるのは」

 仮にビール工場勤務の人が昼間から自社で製造しているビールを飲んでいたら、勤務怠慢で解雇されてしまうだろう。

「しかす、おめぇみでぇな(わげ)ぇ人がマレビト様さ会いさ来でくれるのは、ありがでぇ」

「いえいえ。それよりも、今年のマレビト祭の神事を断ったって、お聞きしましたけど?」

「当だりめぇだ。(わげ)ぇ人向げになっだマレビト祭の神事を、こっだな年寄(としょ)りがやってもしゃあねぇべ」

 従来のマレビト祭は、雪郷でひっそりと催されていた祭祀だった。それを今年から大衆向けに大幅アレンジするという話だったので、私もあまり好感を持っていなかった。

 この反応だと、重喜さんは新しいマレビト祭には、自分の居場所がないと思っているみたいだな。

「あどは、はやてが継いでくれれば、何も言うごどねぇんだけどな」

 重喜さんは寂しさを紛らわすように酒を飲み続け、フラフラと姿を消す。

「まったく、何故今からこんな格好をしなければならないのだ」

 そんな時だった。社務所の方から、不満に満ちた聞き覚えのある声が響いてきた。

「雪菜!」

 社務所の中から姿を現す、巫女服姿の雪菜。真っ白な髪と巫女服が見事にマッチし、私の心は奪われる。

「なっ!? と、都人!?」

 雪菜は私の姿を確認すると、顔を真っ赤にして狼狽する。

「や、やはりやめだ!」

 雪菜は私から逃げるように、社務所へ戻ろうとする。

「ダーメ! せっかく着替えたんだから!」

 そんな時、社務所からはやてが姿を現し、雪菜を制止する。

「しかしだ! この後は打ち合わせだけだろう? わざわざ巫女服でいなければならん必然性はないはずだ!」

 雪菜はああだこうだ理由を並べて、巫女服を脱ごうとする。

「えー。可愛いからそのままでいいと思うけどなー」

 はやては雪菜をフォローして、巫女服のままでいさせようとする。確かに、雪菜の巫女服姿は可愛い。可能ならば、日が暮れるまで眺め続けたいほどに。

「本当にそう思っているのか?」

 疑心暗鬼に駆られるように、雪菜が問い質す。

「うんうん! 特に、この髪が最高なんだよね!」

「えっ!?」

「白くて神秘的で、ハイカラ! 憧れるなー」

「そっ、そうか……」

 自分の髪を誉められたことがよっぽど嬉しかったのか、雪菜はポッと頬を染める。

「しかしだ。やはり腑に落ちん!」

 それはそれ、これはこれと、雪菜は不満を漏らす。確かに巫女服で打ち合わせというのも、奇妙な話だ。先方は一体何を考えているんだ?

「理由は分からないんだけど、ボクも巫女服姿で来て欲しいって言われたんだよねー」

「だから巫女服姿で、境内の雪掻きなんかしていたのか?」

 雪かきをするならスポーツウェアとか、もっと機能的な服の方がいいはずだと疑問に思っていたけど、そういう理由だったのか。

「うん! それでね、今から冬子(ふゆこ)さんのお家に行くところなんだー」

 元凶の名を語るはやて。巫女服での打ち合わせを要求するなんて、一体どんな女性なんだろう?

「都人も来るー?」

「そうだな……行ってみるか」

 突然はやてに誘われ、少し考えた後、私は付いて行くことにした。正直、企画者がどんな人か気になって仕方ない。顔を拝めるものなら拝んでおきたいものだ。

「なっ! お前も来るのか!?」

 私が同行するのが嫌なのか、雪菜が声を荒げて嫌な顔をする。

「ははっ。お前がそんな顔をするなら、是が非でも行かなきゃな!」

「なっ、何だとー!?」

 私に憤る雪菜が、妙に可愛くて思えてしまう。そうして私は雪菜たちと共に、打ち合わせ場所へと赴く。



「そう言えばさ。巫女服って寒くないのか?」

 雪姫神社から移動する最中、私は素朴な疑問を投げかける。今日の内陸南部の最高気温は零度。山間部の雪郷では、一、二度ほど低いとみていいだろう。

コートを着ている自分でも肌寒いのに、上に何も羽織っていない巫女服で防寒できるのだろうかと。

「それがねー。案外あったかいんだよね。何枚も重ね着してるし、見えないように工夫してインナーウェア着込んでいるもん」

「へぇ。色々考えているんだなー」

 さすがは神主のお孫さんだけあって、その辺りには精通しているようだ。

「……」

「大丈夫か、雪菜?」

 元気活発なはやてとは対照的に、雪菜は青ざめた顔をしている。両手で身体を抑えているところを見ると、相当寒いようだ。

「おっかしいなー。ボクが寒さを感じない程度には着せたんだけどなー」

「はやて、雪菜はここより南から来たんだぞ? お前の基準で寒さを測るのは不適切だぞ」

「あっ、そっか!」

 自分が東京育ちなのでよく分かるんだけど、こっちの寒さは関東圏とは比較にならない。大学に進学して一年目は、とにかく寒くて仕方なかった。

 今は大分慣れたけど、昨日訪れたばかりの雪菜には、北東北の寒風は堪えるだろう。

「だっ、大丈夫だ! こっ、このままで、も、も、問題……」

「思いっ切りやせ我慢しているようにしか見えないんだけど」

 呂律が回っておらず、明らかに寒がっている。朝だって布団をグルグル巻きにしてまでストーブを点火させたんだから、堪えられないのは自明の理だ。

「仕方ないなぁ」

 私は溜息を吐き、着ていたコートを脱ぎ、雪菜の肩にかけてあげた。

「何する! そんなことしなくとも、今すぐ神社に戻って……」

「先方を待たせるわけにもいかないだろ?」

「くぅっ……」

 一応それなりのプロ意識は持っているようで、雪菜は腑に落ちない顔で唸る。

「それにさ。本番前に体調崩すわけにはいかないだろ? ここは素直に、厚意に甘えておくんだ」

「そ、そうだな。私が来るのを楽しみにしている人たちのためにも、倒れるわけにはいかんな」

 雪菜は渋々とコートを着てくれた。ようやく私に頼ってくれたことが、ほんの少し嬉しかった。肌寒くはなったけど、その分心は火照った気がする。



 雪姫神社を出立して二十分。ようやく打ち合わせ場所へと辿り着いた。

「えーと。家主は深原(ふかはら)……」

 やたらと年季の入った家の表札に目を向ける。深原って苗字、どこかで聞いたような。

「あっ!」

 思い出した。以前耳にしたことがある。衆議院議員の娘で、史上最年少で平賀市の市議会議員に当選した、美人過ぎる議員の話題を。

(彼女が、首謀者か)

 となると、マレビト祭の一新には、政治的意図が少なからず絡んでいると思った方がいいな。

(それにしても……)

 目の前の家は古めかしく、一般的にイメージする政治家の家には、到底見えなかった。もっとも、その政治家のイメージって言うのも、金を稼いでいるから豪邸に住んでいるはずだという、根拠のない先入観から来ているものだけど。

「こんにちはー」

 玄関の前に立ち、はやてがインターホンを鳴らしながら、大声で叫ぶ。

「待っていたわ、二人とも!」

 しばらくすると玄関が空き、二十代後半のスーツ姿の女性が姿を現した。整った髪に、口には薄紅色の口紅を塗っている。傍目から見れば、噂通りの美人だ。

「どうも、初めましてー! ボクは氷神はやてって言いますー。よろしくお願いしまーす!」

 はやては姿を現した深原女史に、元気いっぱいの挨拶をする。

「まあ! まあ! まあ!」

 はやてが自己紹介をすると、深原女史は両手を頬に当てながら、何かのスイッチが入ったように恍惚の笑みを浮かべる。

「なんて可愛いのかしら! 清楚な巫女服とは対照的な、ボーイッシュな性格! ギャップ萌えよ! 萌えー!!」

「はいっ!?」

 いきなり何を言い出すんだこの人は。確かに可愛いとは思うけど、実在の人間に萌えという単語を使う人は、初めて見たぞ。

「ど、どうも……」

 深原女史のベクトルの異なるテンションの高さに、さすがのはやてもたじたじだ。

「そして貴女が、茉莉雪菜ちゃんね~~!」

「あっ、ああ、そうだ!」

 雪菜は深原女史に気圧されながらも、臆せずに頷く。

「んふふふっ! 待ってたわよぉう、雪菜ちゃぁぁぁん!!」

「なあっ!?」

 深原女史は雪菜本人であることを確認するや否や、ダイビングジャンプする勢いで雪菜に抱き付く。

「んっん~~! たまらないわ、この白く透き通った髪と肌に、赤い瞳! 中学生なのに、小学生並みの身長! まるで二次元から飛び出したかのような容姿! これぞ新世紀の究極で至高の二・五次元アイドルよーー!!」

 深原女史は舌なめずりするように、雪菜の頬を自分の頬で擦り、常人には理解不能な評価を下す。

「なっ、何をする、貴様ー! はっ、離せー!!」

 雪菜は甚だ迷惑のようで、必死に深原女史を引き離そうとする。

「離さないわよぅ~~ん! 私ね、マレビト祭のゲストアイドル候補を探していた時、貴女の写真を見て、ティンと来たのよ! まさに雪のマレビトの化身と言える外見! その瞬間から、私は貴女にベタ惚れ。もうこの娘しか雪のマレビト役を務められる少女はいないって確信して、すぐさま事務所に電話したわ!!」

「わっ、分かったから、はっ、はなっ……」

「だからね! 私と貴女が出会うことは、予め定められていた運命なのよ! アカシック・レコードに刻まれた、ディスィティニィィィ!! うふふふ!」

(残念だ。残念過ぎる美人だ……)

 深原女史の度が外れた行動に、私は戦慄を覚える。

「あのっ、そのくらいにしておいた方が」

 さすがに雪菜が可哀想になってきたので、私は制止を呼びかける。

「誰よ貴方? 私が呼んだのは、雪菜ちゃんとはやてちゃんだけなんだけど。雪菜ちゃんのマネージャー?」

 お呼びでない奴が人の恋路を邪魔するなという鋭い眼つきで、深原女史は私の身元を訊ねてくる。

「いや、私は宮本都人って言って、雪菜と同じ民宿に泊まっている者で」

「宮本都人?」

 私の名前を耳にするや否や、深原女史は思考を張り巡らせる。

「ああ、思い出したわ。去年の冬、雪姫山で遭難しかけた人ね」

 深原女史は私の正体が判明すると、大きな溜息を吐く。はやてといい深原女子といい、妙に雪郷の人に知られちゃってるなぁ。

「遠路はるばる雪郷を訪れてくれるのは嬉しいんだけど、身勝手な行動で死んでもらっちゃ困るのよね。変な風評被害が立って観光客が激減するようじゃ、雪郷のためにならないし」

 深原女史はあくまで雪郷の視点で私に苦言を呈する。確かに多くの人に迷惑をかけた私に非があるのは間違いないけど、こう上から目線で言われるのも気分が悪い。

「まあ、いいわ。せっかくだから貴方も上がりなさい」

「えっ?」

「何よ。雄叫びで一ターン行動不能になったかのような顔は?」

 だから、例えが理解不能だって。

「いや、さっきの言動から察するに、招かざる客だと思われているんじゃないかって」

「あら? あくまで死なれたら迷惑ってだけの話よ。自分の命を省みないほど雪郷の伝承に惹かれてくれたのは光栄だし。私の企画には、貴方のような観光客の意見は貴重だもの」

 今後無茶な行動を慎んでくれれば歓迎すると念を押しつつ、深原女史は私を肯定してくれた。

「そういうことならお言葉に甘えて、お邪魔させていただきます」

 趣向には問題ありそうな人だけど根は悪い人ではないと思い、私は雪菜たちに続き深原邸の中へと入って行く。



「まずは、マレビト祭当日のスケジュールの再確認を行うわよ」

 深原邸の客間に案内されると、紅茶を出されつつ、スケジュールの打ち合わせが始まった。政治家の家だから、てっきり家政婦とかが淹れたりするものだと思っていたけど。意外に深原女史一人でこなした。

 住んでいる家といい性格面といい、一般的に抱く政治家とはかけ離れた人だなぁ。

「マレビト祭の本祭は、四日後の一月八日の午後五時から。雪菜ちゃんを乗せた神輿を、雪姫山の麓から雪姫神社まで送る。そこではやてちゃんが祝詞を上げて、社殿前で雪菜ちゃんが舞を披露する。大まかな流れはこんな感じね」

 麓から神社までは四キロほど。二時間かけてゆっくりと歩くのだそうだ。

「祝詞か。ボク、難しい言葉を読むのは苦手なんだよねー」

 祝詞は独特な文語体で、一般女子高生のはやてには難易度高そうだもんな。

「その点は心配無用よ。祭って言っても厳かな神事じゃなく、年二回ビッグサイトで催されるような意味での祭だから」

 相変わらずブレない例えで、深原女史は祭の趣旨を話す。ようはイベントか。それなら、神主である重喜さんが辞退するのも無理はない気がする。

「そして、祝詞の方は私がもう考えておいたから、はやてちゃんは当日までこれを暗記してちょうだい」

 そう言い、深原女史は祝詞が書かれた用紙をはやてへと渡す。

「えーと、なになに。『(いにしえ)の時より雪郷に伝わりし、雪上の女神、雪のマレビトよ。その化身をかの地へと召喚し、雪郷に永遠の繁栄と栄光を与えたまえ』」

 はやてが祝詞を声に出して詠む。何だか頭の悪い中二的な文章で、私は眩暈を覚える。

「わぁっ! 何だかよく分かんないけど、カッコイイー! これならボク、やれそうだよー!!」

 しかし、当の本人には割かし好評のようだ。

「雪菜ちゃんは、舞の練習がメインになるわね。振り付けの方は、こんな感じね」

 今度は舞の振り付けが書かれた用紙を、雪菜に渡す。

「ん? これは舞というよりはダンスだな」

 深原女史より渡された用紙に目を通した雪菜が、雑感を漏らす。

「どれどれ?」

 一体どんなのが書かれているのか気になり、私は横から垣間見る。

「何じゃこりゃ?」

 用紙に書かれていたのは、やたらシュールなカンフーのポーズや不思議な踊りと形容できる、奇妙な振り付けイラストが描かれていた。とてもではないが、神事的とは無縁と言わざるを得ない演舞だった。

「それなりの激しい踊りになると思うけど、大丈夫かしら?」

「これでもアイドルになるためのダンスレッスンは、人並み以上にやってきたつもりだ。この程度の舞、こなしてみせる!」

 深原女史に闘争心を煽られたのか、雪菜は勢いよく立ち上がり、やる気をアピールした。

「うふふ。二人とも気に入ってくれたようで嬉しいわ。祭の練習は明日からの予定だったけど、二人がいいって言うのなら、早速今日の午後から始めましょ。場所は雪姫神社で。どうかしら?」

 二人のやる気に感化されたのか。深原女史はスケジュールを前倒しして、練習を始めようとする。

「ボクは構わないよー」

「私も問題ない。練習するならば、巫女服に着替えたのも無駄にならんしな」

 二人とも一切文句を言わず、深原女子の提案を承諾した。

「ありがとう。お礼といってはなんだけど、お昼は私が奢ってあげるわ。何でも好きな物を頼んでちょうだい」

 深原女史は数種類のメニュー表を持って来て、二人に見せてくれた。

「わーい! 何食べよっかな~~!」

 はやては嬉しそうにメニュー表を見比べ、品定めをする。

「熱いのは駄目だな。汁物じゃない何かを探さなくては」

 猫舌な雪菜は、ラーメン屋のメニューには目もくれず、丼物やピザ屋のメニューに目を通している。

「うふふ。巫女服姿の少女二人が、私の家でくつろいでいる。何て素敵なんでしょう……」

 深原女史はうっとりとした表情で、二人を眺める。どうやらお礼というのは建前で、少しでも二人と同じ時を過ごしたいから、というのが本音のようだ。

「ほら、貴方も選びなさい」

 深原女史は、突然私に余ったメニュー表を渡そうとする。

「いや、私は」

 マレビト祭とは無関係な人間で奢られる理由はないと、私は首を横に振る。

「遠慮する必要はないわ。もしも関係者じゃないからって遠慮しているなら、貴方も参加すればいいんだし」

「どういうことだ?」

「言ったでしょ? マレビト祭では神輿を出すって。その担ぎ役でもいいし、舞台の裏方でもいい。人手は多くて困ることはないんだから」

「いや、私は参加するつもりはないよ」

 祭そのものに興味を持ってないので、私はキッパリと断った。

「そう。参加するしないは貴方の自由だけど。せめて理由を聞きたいわね」

 自分の考案した企画に賛同しないのが不満なようで、深原女史は眉をひそめながら訊ねてくる。

「端的に言うと、従来の伝統的なマレビト祭が好きだったんだよ。だから、貴女が考えたマレビト祭には好感を持てない」

 去年雪郷を訪れた際、私が見たマレビト祭。それは、月夜に照らし出された雪姫神社の社殿で、重喜さんが祝詞を唱え、雪のマレビトを称えるというものだった。厳かで神秘的な祭で、私の心は惹かれた。

 対する、深原女史が考案した新しいマレビト祭。今風で華やかなのは認めるけど、伝統的な様式を一切排した祭には、拒否感を抱いてしまう。

「貴方の言うことにも一理あるわ。だけどね、伝統で飯が食えるのかしら?」

「なっ?」

「従来のマレビト祭は、雪郷の人たちがひっそりとやっていたもの。出店とかはそこそこ出ていたけど、収益は雀の涙。不景気のご時世、そんなお金にならない祭は、百害あって一利なしなのよ」

「つまりは、利益を上げることを目的で、マレビト祭を一新したってことか!」

「ええ、そうよ」

「!」

 私はテーブルをダンッと叩き、腕を震わせる。許せない。金目的で伝統を汚すのは。

「祭で稼ぐという発想が不服なようね。貴方が資本主義を否定するというのなら、別に構わないわ。でもね、一重に祭をやると言っても、当然お金がかかるの。従来のマレビト祭でも寄付金は募っていたけど、雪郷の少子高齢化と過疎化に歯止めがかからない現状では、次第に運営が火の車になってきていたのよ」

「だから、祭そのものに付加価値を与えると?」

「ええ、そう。例えば、多くのお祭りが従来の祭日を変え、祝日開催となっているわ。それは、平日に開催しても人が集まらないからよ。

 世の中には伝統を守っている祭は、いっぱいある。でも、それらは伝統そのものに価値があって、祭日を変えなくても利益を上げられるもの。従来のやり方で稼げなくて人も集められないなら、趣向を変えて対応するのは、自然な行為よ」

「言っていることは理解できるけど……」

 釈然としない。百歩譲って祭そのものに新たな息吹を与えるのはいい。でも、深原女史の言葉には、従来のマレビト祭に対する敬意が、一切感じられない。

だからこそ、例え正論であっても、発せられる言葉には反感しか抱かないんだ。

「貴方は反対の立場だけど、はやてちゃんはどうかしら?」

 深原女史は、実際に雪郷に住んでいるはやての意見を聞こうと、話題を振る。

「ボク? ボクはね、今までのマレビト祭は地味で退屈だと思ってたんだ。おじじの祝詞は何言ってるか分かんなくて、眠たくなるだけだったし。だから、冬子さんの考えてくれたマレビト祭には、大賛成!」

「何だって!?」

 メニュー表を持った手を大の字に広げ、賛同の姿勢を示すはやて。雪姫神社関係者の口から好意的な言葉が出たことに、私は狼狽する。

「どう? 次代の雪姫神社を担うはやてちゃんが賛成してくれる。これなら、文句が付けられないでしょ?」

 はやてを錦の御旗に掲げ、持論を強化する深原女史。はやてが賛成に回ってしまうなら、私にとっては不利と言わざるを得ない。

「雪菜、お前はどう思うんだ?」

 救援を要請するように、私は雪菜に訊ねる。

「私か? 私はただ、アイドルとしての仕事をこなすだけだ。それで、みんなが私に注目してくれるのなら、それに越したことはない」

 雪菜の言葉には肯定か否定とかという思想は挟まず、あくまでプロとしての職務に徹するという姿勢が垣間見えている。

「失礼します」

 ここには自分と同じ考えの人物はいない。長居するだけ無駄だと思い、私は席を立つ。

「賛同を得られなくて残念ね。でも、貴方のような考えを持つ人が、雪郷を訪れてくれるのは嬉しいわ。また機会があれば来てちょうだい。その時には、今より柔軟な考えになっていることを期待するわ」

 敗残兵を慰めるかのような深原女史の台詞を聞き、私は深原邸を後にする。



 私は昼食も取らず、ブラブラと雪姫山を目指す。私があの日出会った雪のマレビトは、マレビト祭の現状をどう捉えているのかと思って。

 いや、そうじゃない。私自身が誰かに肯定されたいだけなのかもしれない。それこそ、雪のマレビトの考えは絶対だという、錦の御旗が欲しくて。

 雪郷の街並みを離れ十数分。雪姫山の麓まで来た時、私は周囲の違和感に気付いた。

「何だ、これは……」

 目の前には信じられない光景が広がっていた。

かつて鬱蒼とした森林が広がっていた地帯は、一平方キロメートルにも及ぶであろう安全柵で囲まれていた。

 冬期間で休工しているようだけど、かなりの広範囲が更地になっている。

一体ここには、何が建とうとしているんだ? 私の知っている雪姫山は、どうなってしまうんだ……?



 自分にとって信仰の対象となっていた雪姫山。その変貌に虚無感を抱き、私は雪風荘へと戻る。

「お帰りなさい、先輩。疲れた顔してどうしたんですか?」

 私の帰りを出迎えてくれた里美は、私の表情を読み取り、心配そうに声をかけてきた。

「いや、ちょっと」

 空腹と徒労が重なり、空元気の私はそっけない生返事しかできなかった。

「昼食はもう取りました? まだのようでしたなら、私が作りますよ」

「ああ、頼むよ」

 これから外食する気力もないので、私は素直に里美の手料理を頂くことにした。

「お待たせしました」

 大広間で待つこと十数分。里美が小さな鍋を持って姿を現した。

「アツアツの鍋焼きうどんです。外は寒かったでしょう? これを食べて、身体を温めてくださいね」

「ありがとう。いただくよ」

 私は里美に感謝の言葉を送りつつ、テーブルに置かれた鍋焼きうどんの蓋を開ける。大きく刻まれたネギに、ワカメ、野菜天ぷらといった具材に彩れられていた。

 空腹で冷え切った身体を十分に温めてくれて、それなりに満足のいく食事だった。

「先輩。何があったのか話していただけませんか?」

 腹が膨れ多少気分が和らいだ私に、里美が訊いてきた。

「ああ、実は。深原女史に議論で打ち負かされて、心を癒そうと雪姫山に行ったら、麓に何かを建てようとしていてさ。それがちょっとショックだっただけ」

 私は包み隠さず、里美に一部始終を話した。

「そういうことでしたか」

「里美は、あそこに何が建つのか知っている?」

 雪郷のことなら、里美に訊けば確実だろう。

「はい。地熱発電所です」

「発電所? いつの間にそんな計画が?」

「ずっと前から計画自体はあったんです。なかなか予算が通らなくて、去年の六月にようやく着工が決まって、工事が始まったばかりなんです」

 つい数年前に雪郷のことを知ったばかりの私にとっては寝耳に水だっただけで、水面下で何年も前から進められていたのか。

「そうか。里美はどう思う? 雪姫山の環境が変わることを」

「そうですね。正直、子供の頃から親しみを込めていた景観が変わってしまうのは、残念です」

「そうか」

 里美は、誰よりも雪郷のことを敬愛している。そんな里美が自分と同意見だと言うのは、心強い。

「でも……」

「でも?」

「発電所ができてお父さんが勤められるようになるなら、私は嬉しいです」

「えっ?」

 てっきり建設反対だと思っていた。でも、明らかに支持する発言に、私は戸惑ってしまう。

「お父さん、私が生まれた頃からずっと出稼ぎで働いて。家にはお盆とお正月くらいしか帰って来なかったんです」

 雪風荘は里美の曽祖父の代からの老舗民宿で、昔はそれなりに繁盛していたらしい。

しかし、バブル崩壊以後の不景気で客足は徐々に減少。民宿の収入だけでは家計を賄えなくなって、里美の父は出稼ぎで生活費の足しを行うようになったとのことだ。

「お母さん、ずっと一人で雪風荘の切り盛りをしていて。いつも笑顔を絶やさないけど、やっぱりお父さんと離れ離れになっているのは寂しいと思うんです」

「だから、地元で働ける場所ができればいいと?」

「はい。確実に勤められるとは限らないけど、もしも雇われて、家族三人でずっと暮らせるようになったらいいなって」

「……」

 景観が変わることには、少なからず抵抗を抱いている。でも、新たな雇用が生まれて家族水入らずで過ごせるようになるなら、それは余りある恩恵なんだろうな。

「もしも先輩と異なる考えのようでしたなら、ごめんなさい」

「いや、いいよ。私の考えがあまりに一面的だっただけだ」

 山の景色が変わるのは嫌だ。そんな子供じみた考え。その裏にある様々な事情までは、視野に入れていなかった。深原女史の言う柔軟な考えというのが、少し分かった気がする。

(明日また行ってみるか)

 深原女史なら、里美以上に事情に詳しいはずだ。一体どういう目的で建設しようとしているのか、洗いざらい聞き出すとしよう。



「ただいまぁ」

 十七時を過ぎた辺り、雪菜がフラフラとした足取りで大広間に姿を現した。

「相当堪えたみたいだな」

 ダンスレッスンはいっちょ前にこなしてきたと豪語していたけど、初日はさすがに厳しかったようだ。

「こっ、この程度! まだまだ私はらいじょうぶ……」

 まだ戦えることをアピールするボクサーのように、シャキッと立とうとする雪菜。しかし、背中をピンと張った瞬間力尽き、そのまま床に伏せてしまった。

「すぅーすぅー」

 そして、可愛い顔で寝息を吐く。

「しょうがないなぁ」

 私は苦笑しつつ、ゆっくりと雪菜を背に乗せる。

「先輩! 一体何を!?」

「ここで眠っていたら風邪引くだろ? 部屋まで背負っていくんだよ」

 後でまたああだこうだ文句を言われるのは、百も承知。雪菜の健康が一大事だ。

「確かにそうですけど、何も先輩が背負うことはないじゃないですか。それくらい、私だって……」

「小柄とはいえ、中学生を背負うのは厳しいだろ? ここは男の私に任せてくれ」

「分かりました……。私は先に行って、お布団敷いておきます」

 里美は腑に落ちない顔をしながら、二階へと昇って行く。そんなに旅館の仕事を取られるのが嫌だったのかな? 雪菜じゃないし、それは考え過ぎだと思うけど。

「さてと……」

 里美が布団を敷き終わるまで待っているわけにもいかないので、私は雪菜を背負いながらゆっくりと歩き出す。

「見返してやる……みんな、見返してやる……」

「えっ!?」

 ギシギシと鳴る階段を昇っている最中、突然雪菜が呟き出す。一瞬起きたのかと思い、私は確認のため軽く背中を揺する。

「すぅーすぅー」

 しかし、雪菜は寝息を吐くだけだった。どうやらさっきのは、寝言のようだ。

(けど、見返すって)

 一体何を見返すというのだろう? 今日の練習で何か嫌なことがあったのだろうか。それとも、もっと深い理由があるのだろうか? 雪菜がアイドルを続けているのには、単純な夢や希望といったものとは性質の異なる、何か深い理由がある気がしてならない。

「いつか話してくれよな、雪菜」

 本人には聞こえていないのを承知で、私は呟く。何か悩みを抱えているようならば相談に乗り、少しでも負担を軽くして上げられたらいいなと。



「今日は芋の子汁だべ」

 本日の夕食。智子さんが運んで来たのは、じゃがいもを中心として、鶏肉やコンニャク等が入った、この地方では芋の子汁と呼ばれる汁物だった。

 他にはご飯にサンマといった、食欲を刺激する和食が並べられていた。

「だぁ~~れだぁ~~!」

 品が大広間のテーブルに並べられて間もなく、まるで恨みを晴らさんとする怨霊のような声を出し、雪菜が降りて来た。

「またお前かぁ!」

 昨日に引き続き今日も余計なことをしたと、雪菜は里美に突っかかる。

「いいえ! 私は今日、布団を敷いただけです。後は全部先輩が行いました」

 どこか不機嫌そうな声で、里美がそっぽを向きながら語る。

「なっ!?」

 私がやったというの聞き、雪菜は私を指差しながら狼狽する。

「おっ、お前が、私をどうしたんだ!?」

「どうしたって、背負って上まで運んだんだよ」

「なっ、なっ、なぁっ!?」

 雪菜はガクガクと震えながら、後ずさる。

「セッ、セッ、セクハラだー!」

「風邪引いて、仕事を休む羽目になるよりはマシだろ?」

 動揺を隠し切れない雪菜を冷静にあしらい、私は夕食を取り始める。

「うるさい! マレビト祭が終わったら、訴えてやるからな!!」

 とりあえず今すぐ訴える様子はなく、雪菜はプンスカ怒りながら、席に座る。その後雪菜は一言も喋らず、夕食を取り終えると、ドスドスと足音を立てながら自室へと戻る。

「別によこしまな気持ちで背負ったわけじゃないんだけどなぁ」

 悪いことをしたわけではないのに、そこまで不機嫌になられるのは困るな。

「あの年頃の女の子なら、男の人に触られたら、怒って当然ですよ」

 私に非があると言わんばかりに、里美が苦言を呈する。

「えっ? そうなの」

「だから、私が運ぶって言ったんです。先輩はもう少し、女心を理解した方がいいですよ!」

 そう言い残し、里美は食器を炊事場に運びながら、大広間を後にする。

女心かぁ。確かに手助けしなきゃという気持ちが先行して、雪菜の心なんて考えていなかったな。明日雪菜と話をする時は、もう少し気遣わなきゃな。

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