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桃色の風

作者: 真豚





ーもう会えないの。


舌足らずな声が引き留める。


伸ばした小さな手は、振り返らぬ相手には届かず、諦めたように降ろされた。


ー時がくれば、また会えるはずだわ。


顔の見えない相手はそう囁いて、颯爽と桃色の風の中へ消えていった。






*********





窓から差し込む日の光と、電車が線路を走る音で目を覚ます。


リビングから包丁がまな板を叩く音が壁から伝わり、重い体を引きづりながら起き出す。



テーブルには、ごはんに味噌汁、焼きたての魚が乗っている。



「おはよう、着替えてらっしゃいよ」


淡いサーモンピンクのエプロンをした美丈夫から、低い声でしかられる。


せっかく布団の中の温もりを宿したパジャマをおいそれと脱ぐつもりはないので、それには答えずそさくさと席についた。


「反抗期かしら」


女子には反抗期はないと口を尖らせれば、どうかしらんと流し目がよこされた。


男なのにこの色気はなんだろうか。料理といい仕草といい、私が母の胎内に忘れてきたものをこの男はすべて持っているに違いない。


垂れてきた鼻水をすすりながら、日本食のお手本みたいな朝食に手をつける。


鮭は塩が効いていて、うまく焼けているし、味噌汁からはシジミのいい出汁が出ていた。


スリッパから覗く足首が冷たくて、よじりながら箸を進める。


男はといえば、黙々と鍋と向き合い、時折味見しながら調味料を足したりしていた。


なんとなく沈黙が気まずくなったので、テレビをつければ、今朝のニュースが天気予報に切り替わったところがだった。



一日と一週間の天気が伝えられた後、桜の開花予想が発表される。 すでに西の方は咲き始めたらしく、東はあと二日ばかりではないかと、気象予報士がホクホクした顔で告げる。



ーもうすぐ春がくる。


毎年同じことの繰り返しなのに、そわそわする心を抑えきれない。


新しい季節がくる喜びと、冬が終わる淋しさがどろどろに溶け合って、一抹の不安に結びつく。



ー春がきたら、きてしまえば。



箸が止まっていたらしく、男にまずいのかと問われて慌てて首を振り、ごはんを口にかきこんだ。


食べ終わって身支度する間も、調子が悪いのかと心配されたので、それは違うと否定し、逃げるように家を出た。


浮かんだ不安を掻き消すように頭を振り、駅へと向かう。


乗り込んだ電車はサラリーマンや学生でごった返し、そこだけ気温が上がっていた。


せっかく巻いたマフラーを取り外し、グラグラ揺れる車内のつり革を眺めていると、あるポスターが目に付いた。



ーお花見、ねぇ。



画面いっぱいの桜の写真に、男のサーモンピンクのエプロンが思い出される。


あのエプロンを買ったのは自分だ。

男にピンクなんてと恥ずかしくなったが、受け取った男が頬を上気させて喜んだので、やはりあの色にしてよかった。



最寄り駅を告げるアナウンスが耳に入り、停車したドア口から人の波に流れながら降りる。




「もし、少し時間ありますか。」


ホームに降りた矢先、手首を掴まれた。



急いでいるから無理だと振り返れば、痩せっぽちの学ランが立っていた。


再度強く手を離してと言えば、おずおずと繊細な手が離れていった。



知っている人ならまだしも、初対面の人に触られて気持ち悪い。

駅のトイレに駆け込み、冷え切った水で感覚がなくなるまですすぐ。



「ももちゃん」


今度は誰だと眉をひそめれば、級友のしのちゃんが心配そうに顔をつきだしていた。


しのちゃんの後ろにも手を洗う列ができ始めていたので、慌てて場所を譲った。


人の気配が分からないほど没頭していたらしく、周りの人から奇異な目を集めてしまってる。


居た堪れなくなって顔を俯かせながらトイレを出ると、しのちゃんが追いかけてきてくれた。

肩を支えられ、何があったかと問われる。


改札を抜けて、通学路を歩く間に、ホームでのことを告げれば、顔をしかめて、気持ち悪っ、と吐き捨てた。


「いいこと、ももちゃん。あなたは隙がありすぎるのよ」


学校に着いた途端にしのちゃんが仁王立ちし、軟弱な男に声を掛けられたのには自分にも非があるとのたまった。

教室は騒がしく、誰もしのちゃんを咎めはしない。


はあ、と勢いに負けて頷けば、そこよ!と指を突き立てられた。


「そのとぼけた顔が、身も心も軟弱な男に”あ、おれでもいけそう”という根拠のない自信を持たせてしまうのよ」


なんですって。しかし顔は生まれつきなので変えられない。整形するしかないのか、と問えば、お馬鹿と頭をはたかれた。


「私は最高級の女であるという雰囲気を醸し出しなさい」


意味が分からない。


しのちゃんは時にハードだ。



「ぼんやりしてるとつけ込まれるってこと。キチンと自分は安い女じゃないって主張して歩かないと、また起こるわよ」


二度あっては堪らないと叫ぶも、予鈴に重なり消えてしまった。

我ながらタイミングが悪い女である。


釈然としない気持ちを抱えながら席につき、入ってきた担任の号令でホームルームが始まる。


窓の外は、雲ひとつない青い空が広がっていた。


雲がない日は暖かい空気が宇宙に逃げてしまうから、次の日は寒くなるらしい。


冬は嫌いだ。


その次に来る春はもっと嫌いだ。



担任の声をBGMに眠りの体勢に入る。


寒い日は寝るに限る。朝蓄えた栄養をすぐに使ってしまっては勿体無い。こうして身体を休め、蓄えた栄養を温存し、ここぞという時に使うのが動物としての行いである。


だから、この寒空の下、暖房のない廊下に立たされるのは、いかがなものか。


「授業を受ける気がないのなら立っていろ」


頭が寂しくなった定年間近の教師に責め立てられ、廊下に追いやられた。


いつの間にか担任は去っており、一限目が始まっていたらしい。


誰か起こしてくれよという呟きはシンと静まった廊下に消えた。


ブレザーにチェックのミニスカートから覗く太ももは冷え切って、粟立っている。

足元を見れば、学校指定の上履きが震えていた。


こんなところにいては死んでしまう。


両腕を抱えながら、保健室へ向かうことにした。


女性の体は冷やしてはいけないのである。

男性もまた然り。

毛皮を捨てたはずの人類は、衣服という名の他動物の毛皮を被るという矛盾した行動を取っている。


きっと、毛皮を捨てたときの人類は冬の寒さを忘れていたにちがいない。果たして進化か退化か。


生まれたての子鹿のような足取りで保健室に入れば、先生が呆れながら引き入れてくれた。


演技だとばれたらしい。


案内されたベットには遥か何千年もの昔に脱ぎ捨てた毛皮の塊ー毛布が敷かれていた。


歓声をあげてベットに飛び込めば、もう少し演技をしていろと叱られた。


はいと気のない返事をした後で、よろしいと頷かれた。


白いカーテンから覗く先生の後ろ姿も白衣で真っ白で、天井もまた同じ色なので、白い世界の住人になったようだ。


どうして保健室とか、病院といったものは、全面白色なんだろう。


汚れも目立つし、何より可愛くない。


いっそ、ピンクにしてしまえばいいのに。


そういったら、ラブホみたいになっちゃうでしょうと淡々と返された。


そんなこといっちゃっていいのか。と煽れば、もうじき辞めるから大丈夫よと予想外の返しをもらった。


「結婚するの。地方の人だから、この街からも出ていくわ」


頬をピンクに染めた先生は、どこか嬉しそうだった。


去りゆく人が増える。


もうじき、さよならを言わなければならない季節がやってくる。



だから嫌いなのだ、冬も春も。


せっかく作り上げた人と人との関係はあまりにも脆く、これらの季節によって剥がされ、切られてしまう。


生温いものが目から溢れる。


鼻の奥もツンとする。



「あらやだ、泣いちゃったの」


言葉とは裏腹に、素早く箱ティッシュを掴んで渡される。



先生は、会えない人に会いたくなったらどうする?


嗚咽交じり問いは聞き取りづらかっただろうが、先生は辛抱強く聞いてくれた。



「なりふり構わず、会いに行くわ」


会えないのにどうやって。男らしい答えに涙も止まる。


「会えないと思ってるから、いけないのよ。会えると思えば、縁が引き寄せてくれるものよ」


縁なんて不確かすぎる。第一目に見えない。


「あなたの大好きな昔の人は、こうゆうプリミティブなことを信じていたはずだけど?」


ぐっ、と息が詰まる。


「華の女子高生なんだから、とっとと鼻水拭いて青春してきなさい」



はなって、華か。鼻水の鼻はいやだ。


白い部屋で、白い人に見られながら、白いティッシュで鼻をかむ。




そうか、会いにいけばいいのか。



「早退届出しておくわね」



ありがとうと叫んだあと、思い当たって、お幸せにと笑って、保健室から飛び出す。


足はもう子鹿のようには震えなかった。


教室に戻るのさえもどかしくなって、下駄箱へと向かう。


開け放たれた昇降口から、冷たい空気が春めいた草の匂いを引き連れてくる。



あの男に出会ったのも、こんな風が吹く頃だった。


小学生の頃の私は、ひどく言葉を喋るのが苦手だった。


クラスメイトの子達が話すスピードについていけず無言でいた。

その様子に苛立ったのか男の子たちから、待ってやるから何か喋ってみろよ、と煽られた。


同年代の中でも背が小さかった私は、大きな男の子の乱暴な言い方にすっかり怖くなって、泣き出してしまった。


笑う男の子に、助けてくれない女の子たち。


私はその場の空気さえ怖くなって逃げ出した。



学校にはもう私の居場所なんてない。


家に帰ろうにも、いきなり帰ってきたらお母さんはビックリしてしまうだろう。


それに、理由を聞かれたら、情けなくなってしまう。


小学生の広いようで狭い行動範囲から、丘の向こうの公園を割り出していた。


小学校からも家からも離れた公園でなら、思う存分泣ける。


辿りついた公園では、からかってきた男の子たちより大きな少年が大木の前に立っていた。


近所の高校生と同じ学ランを着ていた。


先客がいたらしいが、もう行動範囲からの選択肢は残っていないので、どこへも行けない。


混乱した私は、号泣した。


四面楚歌で逃げてきた場所には見知らぬ人がいたのだ、小学生の幼い私には情報のキャパシティーオーバーだっのだ。


ー…えぇ、何この子供面倒臭いわぁ。


あのときの男の顔を忘れはしない。

可愛い幼女の泣き顔に本気でドン引きしていた。


ーあたしが泣かせてるみたいだから、やめてよ。

あたしはただ仕事しに来ただけなのに。


ーしごと?


ーそうよ。あたしの仕事はね、桜の木たちの花を咲かせることなの。


ーお花をさかせる?”花咲かじいさん”みたい。

おにいさん、花咲かじいさんなの?


ーおにいさんなのに、じいさんじゃおかしいじゃない。せめて、花咲か美少年にしてほしいわ。


ーびしょうぬぇん?


ーあー、本気で面倒臭いわぁ。もういいわよ。さっさと仕事済ましちゃいましょう。


イライラし始めた少年は、下ろしたリュックの中から袋を取り出した。


袋の中には灰色の粉が入っており、少年は粉を掴むと、桜の木へとばら撒いた。


しかし、花は咲かなかった。


ーうそじゃん。


ーまぁよく見なさいよ。


焦った少年に手招かれて、桜の木に近づく。



すると、小さな蕾が膨らんで、弾けた。


薄桃色の可愛らしい花弁がゆっくりと開く。


ぱっという音に顔を上げれば、あちこちからランダムに咲き始める。


ーぜんぶがいっきに開くんじゃないんだね。


ー当たり前じゃない。一気に満開になったら、みんなビックリしちゃうでしょ。


ーなんか、地味。


ーああ!もう、子どもって残酷!ひどい!

何かが抉られてる気がするのはあたしだけ?!


ーごめん。なんか、想像とちがったから。

いつになったら、ぜんぶ咲くの?


ーさぁ?粉は蒔いたから、あとは桜次第だわ。


ふうん、と感嘆する幼女をおいて、少年はすたこらといってしまう。


ー待って。


ーいやよ。あたし次の仕事があるの。


ーもう会えないの?


ー時が来ればまた会えるはずだわ。


ーその学ラン。こーこーせーなんでしょ?

お家、この辺なんじゃないの?


ー残念だけど、違うわ。

この学ランは全国共通のものだし。

それに、明日はもう北の方へ旅立つの。


さよなら、と少年は呆気なく立ち去った。


あまりの清々しさに、世間の冷たさを知ったわたしはトボトボと家に帰った。


お母さんには心配されたが、わたしは花咲かじいさんのことで頭がいっぱいだったので、適当に返事をして部屋にこもった。


翌朝には、きちんと起きて小学校に行き、帰り道にからかってきた男の子たちを総無視して、公園に向かった。

花咲かじいさんに会いたい気持ちが強すぎて、男の子たちのことはどうでもよくなっていたのだ。


はやる気持ちを抑えて公園まで歩くと、誰もそこにはいなかった。


あの少年は幻だったのかと、桜に近づけば、確かにそこには、ちらほらと開花していた。


幻ではない。けれども、少年はいない。


彼の言った通り、もう北へと旅立だってしまったのかもしれなかった。


心に空いた穴に、春めいた風がふきぬけてゆく。


来年の春にはまた会えるだろうか。


小さな期待を胸に、春が訪れるたびにこの公園に足を運ぶことにした。


会える年もあれば、会えない年もあったので、高校に入ったときに、私の両親が海外赴任でいないことを理由に家に繫ぎ止めた。


男の南から北への旅費は莫大で、東にいる間は、うちにいれば安くなるので、家事をする代わりにうちに泊まればいいとわたしが持ちかけたら、男が了承してくれたのだ。


ーーでも。もう、彼は去ってしまう。


天気予報では、あと二日の開花だと告げていた。

男は開花予想の二日前にはその地域の桜に粉をかけ終わらせてしまうのだ。


ーー会いたい。


彼が去ってしまえば、また一年会えなくなってしまう。



高校を飛び出して、ポケットに入れてあった定期券に安堵しながら改札をくぐる。


調度ホームに電車が停車しており、乗り込んだ。


行きの電車で通り過ぎた景色が、逆戻りしていく。自分のマンションがある方角に、うっすらと、ピンクに染まりはじめた丘が見える。


東での彼の仕事が終わることを意味する丘。


もしかしたら、彼はもう北へと旅立ってしまったかもしれない。


ーー間に合って。わたしを彼に合わせて。


ずっと、待ってばかりいた。

それが、定めなんだと思い込んでいた。



扉が開くと同時に、駈け出す。


乱暴に改札機に定期券をかざして、駅を出る。


真っ直ぐに続く平らな道を息を切らしながら走る。



小学生の頃から抱えた思いは、年を経るたびどんどん大きくなっていくばかりで、いっこうに止まる気配がない。


どこがいいのか自分でも分からない。


でも、毎日会いたくて、たまらないのだ。




マンションのエントランスに着くとインターホン機の前に人影があった。



「忘れ物でもしたの?」



大きなバックパッカーみたいなリュックを下げた男は飄々といってのける。


ーーええ。忘れたの。

あなたに、渡すものを。



「エプロンならもう貰ったわよ」



男は困った顔をする。


わたしは息を整えてから、男に近づいた。



ーーわたしは、


「杉原さん!その人は危ないから近づいてはいけない!!」


エントランスの入り口のドアが乱暴に開かれ、奥から学ランが飛び込んでくる。



今朝わたしの腕を掴んできたやつだった。


顔が歪むのがわかる。


なぜわたしの名前を知っているのか。初対面のはずだったはずだ。


眉間を寄せるわたしに学ランは頷いてみせ、息を荒くしながら、男を指さす。


「見たんだ!その人が怪しげな男から灰色の粉を受けとっているところを!」


灰色の粉とは桜にまく粉のことである。


あろうことか、灰色の粉をどこぞの白い粉と勘違いしているらしい。


「知り合いなの?」


男はうんざりしたようにインターホン機に寄りかかる。


慌てて、今朝のことを説明すれば、ふうんと頷いて、わたしの手を握った。


「あのさぁ、あなた学生でしょう?学校はどうしたわけ?」

いつもとは違い、言葉の端から棘が出ている。


「話をそらすつもりか!」

「いいえ。この話に直接関わることですもの。」

「なんだと!」


はあ、と一息ついて男は首を振る。

やってらんない、と感じてるのだろう。


「わたしが灰色の粉を知り合いから受け取ったのは、昨日のお昼、玄関の前でのこと。うちのマンションはこの字型の作りで、内側に玄関があるから、わざわざ敷地内に入らないと様子が見れないわ。平日の学生が学校に行っている時刻に、住民でもなければ、住民の知り合いですらない学生が、いったい何の用事があってマンションの敷地内に入るのかしら?」


気だるげな格好とは裏腹に、男の目はギラギラと光っている。

ちょっと、怖くなって手を離そうにも、びくともしない。

女性らしい言葉遣いで忘れていた男の性を再認識させれ、気恥ずかしくなるわたしを知ってか知らずか、男の口の勢いは止まらない。


「ねえ。それと、さっき杉原さんって呼んだわよね?おかしいわ。この子が言うには、あなたとは今朝初めて会ったって、聞いたのだけれど。」


学ランの顔には走ったのとは違う汗が浮かんで、なにも言い返せないのか、唇がわなわなと震えている。


男は最後に畳み掛けるようにして、ポケットからスマホを取り出し、3桁の番号を押す。


「あなたがドアを開けてからこの瞬間までの出来事は全部監視カメラに記憶されてるし、マンションの敷地内に設置されてる監視カメラも同じこと。」


どうする?と男が問う前に、学ランの男は逃げ出した。


「馬鹿ね」


男がつぶやくと、遠くで学ランのものであろう悲鳴が聞こえた後、パトカーのサイレンの音が聞こえた。

スマホの3桁の番号はまだ発信されていなかったはずだ。


そのことを口に出せば、男はインターホンを指した。

「ここに非常ボタンがあるのよ」


住民なのにしらないのとも笑われてしまったが、知らないものは知らないのだからしょうがない。


「それで、渡したいものってなにかしら?」


静まり返ったエントランスに男の声がこだまする。


天井には監視カメラがついているから、家で渡したいとごねれば、爽やかな笑顔で却下されてしまう。


どうにもこうにも、さっきの件から、わたしがしようとすることを男は知ってるかのように思われて、居心地が悪い。



「あたし、急いでるの。もう北へと行かなくてはならないのだけれど」


そんなことは知っている。

だって、何年もその台詞を聞いてきたのだから。


ーーこの思いは年を経るたび、ふえていく。



次の春がくるのを、わたしは、もう、待てない。



「好き。花咲さんが好き」


目を瞑って、長年の思いを口にする。

顔が熱い。

喉がヒリヒリする。


絞り出した小さな声は、果たして届いたのか。


恐る恐る目を開ければ、満面の笑みを浮かべた男がいた。


「あたしもよ。あたしも、ももが好き」


逢うたび年々艶を増すその声は、わたしの耳を真っ赤に染め上げる。


両手を広げた男の懐に思いっきり抱きつく。


「北に行ってしまうの?」


男のバックパッカーのようなリュックを叩く。


「ええ。仕事だもの」


ーー思いが通じ合ったのに、もう、会えないの?

浮かんだ涙に、花咲さんが慌てる。


「でも、北の仕事が終わったら、また帰ってくるわ」

「そんなの待てないよ」


我慢した涙が一つ溢れると、花咲さんの肩がびくりと震えて、わたしの顔に手を当てる。


「あ、あたしだって、寂しいけれど、これは代々続くうちの仕事なの。北の桜を咲かせなければならないのよ」

「灰色の粉を渡してきた人に任せればいいじゃん」

「彼は直系じゃないから、粉を撒いても桜を咲かせられないのよ」

「花咲さんの馬鹿!もう知らない!北にでも、北極にでも行っちゃえ!」


悲しそうな顔をする花咲の手を振り払って、叫ぶも、涙は止まらない。


「もも、北極には桜はないわ」


苦笑しながら花咲さんが両手を伸ばして、わたしを抱きしめる。


「かならず、帰ってくるわ」


「本当に?」


えぇ、と頷いて、額に花咲の唇が触れる。



約束よ。


囁いた花咲さんが離れて、エントランスを出てゆく。



開いたドアから、風にのった桜の花びらが舞い込んでくる。



手を振る男の向こうには、桃色の風が流れていた。





「時期がくれば、かならず会えるわ」















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― 新着の感想 ―
[一言] 綺麗な文章だと思いました。新しい作品、期待しています。
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