2話:正義の味方は社会人に含まれますか?
「兄さん、明日から研修始めるからね!」
姫ちゃんは相変わらずやると決めたらすぐ動く行動派のようですが、4月を前に研修を始める企業は多いので、普通の待遇と言えるでしょう。
貰った地図の通りに歩くと、東京都は世田谷区下高井戸―――我が家の最寄り駅の駅前にある商店の二階でした。
地元密着型の企業なんでしょうか?
朝に姫ちゃんを起こして朝食を作って一緒に食べて、一緒に行こうと思ったのですが現地集合だと言われています。
幼馴染が朝起こしに来てくれて朝食を作るような夢を僕も見てみたいです。
男女平等な世の中とはいえ、逆というのは珍しいのではないでしょうか。
この1年で着慣れたリクルートスーツを着て「(有)ヒメナJALS」と書かれたドアを開けると―――
まだ新しい新品の事務机が3つ、床は綺麗に清掃されてワックスがかけられ、大きな窓には銀色の光沢を持つフィルムが張られて……うん、現実逃避は止めましょう。
まともな所だけ見ていましたがそろそろ辛いです。
左の壁際にはちかちかとLEDが点滅しているコンピューターサーバーのようなものがでんと置かれ、フィンの稼動音があちこちから聞こえ。
右の壁際にはロボットの格納庫みたいな無骨な金属が顔を出し、壁からアームやケーブル類が生えて人と同じくらいのサイズの着ぐるみがアームで懸架され、ケーブル類が背中に繋がっています。
この時点で帰りたい気持ちで一杯になりましたが我慢、もうすぐ社会人になるのですから我慢です。
部屋の中には2人の少女の姿。
籍だけ置いてある学校の制服―――デザインが可愛いと有名で、確か制服だけは姫ちゃんも気に入っていました―――の上に白衣と白いマントの中間的な外套を羽織り、顔の上半分を隠すミラーシェイドのバイザーをつけた姫ちゃん。
もう一人はすらりと背の高い、羨ましい事に160cmちょいの僕より一回り背の高い少女。
姫ちゃんの片手で数えられる友好関係の数少ない友達の一人、共通の幼馴染でもある春日部悠利ちゃん。
確か去年大学受験に失敗して、今は浪人生をしているはずの幼馴染は、どこかで見たような。
具体的に言うとゆにーでくろーな衣服店の店頭にあるマネキンそのままな服装に仮面舞踏会に出てくるような華美なマスケラ(仮面)をして、両足を開いて手を後ろで組んだ所謂「安め」の体勢をしていました。
背筋を伸ばしているのにどことなくだるそうな空気を出しています。
「………」
心の準備が足りなかったようです。思わず開けかけたドアを閉めてしまいました。
「兄さん兄さん、何で閉めるのちゃんと挨拶しようよ!?」
幼馴染と両親以外の対人関係が破滅的な―――コンビニで「箸をおつけしますか?」という質問にすら頷く事しか出来ない姫ちゃんに指摘されると色々と心が傷つきます。
「………すー……はー」
色々と不条理な現実とやるせない気持ちを抑えるの深呼吸して再びドアを開きました。
「ようこそ新入社員ツカサさん。
ここはヒメカJALS、正義の味方をする会社です。
さあ今日からあなたも正義の味方の一員で―――兄さん兄さんなんでまたドアを閉めるの、ちゃんと人の話を最後まで聞いてよ!」
ばっとマント的なものを翻して大見得を切っている姫ちゃんをみたら、すぐに胸が一杯になってしまいました。
これは僕の精神修行が足りないのでしょうか?
「兄さん兄さんちゃんと最後まで聞いてよー、ちゃんと言わせてよーお願いだよ兄さんー」
姫ちゃんがドアの反対側からかりかりとドアの表面に爪を立てている音がします。
仕方ないので開きましょう。
「兄さんならヒメを見捨てないって信じてたよ!」
途端に元気になる姫ちゃん。この前向きさは羨ましいです。
「こほん、ここはヒメの会社、お仕事の内容は正義の味方をする事です!」
びしぃ!と天井を指差してキメポーズをする姫ちゃん。
恥かしがり屋な悠利ちゃんが小声で「わー」と歓声をつけて、折り紙を切り抜いた紙吹雪を手で撒いている光景は、見ている僕にやるせない気持ちを抱かせるのに非常に効果的でした。
「姫ちゃん一つ質問いいかな?」
「兄さん、お仕事中はヒメ博士って呼んで!」
そうですね、姫ちゃんは幼馴染ですが雇用主。ケジメは大切です。
……何で社長じゃなくて博士なんでしょう?
「ヒメ博士、正義の味方をやるって言っていたけど、依頼主とかの仕事を請けるのですか?」
「いいえっ、誰かの依頼なんて聞いて動くのは正義の味方じゃないよ!」
依頼を受けないとなると、固定契約でしょうか。
「では会社の運営資金とかお給料はどこから出るんですか?」
「ヒメのお小遣いから出ます!」
まさかの無収入な趣味会社でした。
姫ちゃんはご両親の会社、ここ10年で急成長した大企業「ハギヤ・テクニカルインダストリー」の研究主任もしているので、六本木にあるセレブなビルを三階層位まとめて自宅に出来るレベルの高給取りです。
なのでお金の心配はしていないのですが、これはヒモじゃなくてもそれに限りなく近い何かではないでしょうか。
「……ヒメ博士、この会社で僕は何をするのでしょうか?」
「良くぞ聞いてくれました!
兄さんはヒメが開発した汎用強化外装「シロサー」を着て戦うヒーローをやって貰います!」
ヒメ博士が指差すのは格納庫的な場所に安置された着ぐるみ、ウサギをデフォルメした上でネズミかイタチを混ぜたような、白いふわふわな毛と流線型の長い耳をした何かでした。
確かに変身ヒーローは子供の憧れですが、20歳を越えて変身ヒーロー。
しかもファンシーなウサギみたいな外見というのは色々な意味で厳しいです。
「……悠利ちゃんは何をする人ですか?」
きらきらとした瞳を向けてくる姫ちゃんの視線が痛かったので矛先を変えてみました。
「悠利ちゃ……戦闘員U-1号は「シロサー」の移動とかのサポートをして貰います。
運転免許を持ってるから!」
僕も運転免許は取りたかったのですが、就職活動が終わったらご近所にある教習所へ通おうと思っていたものの、就職活動が上手く行かなかったので取れなかったのです。
「でも悠利ちゃんは浪人生ですよね。時間は大丈夫なんですか?」
「お昼から夜までの間だけ働いて貰うから大丈夫!」
まさかのパートタイマーでしたが一安心です。
学生の本分は勉強ですが、浪人生は勉強が義務のようなものですからね。
「あの…お仕事終わったら司さんに勉強みて貰えるからって姫菜ちゃんが」
知らない間に交渉材料にされてました。
「姫ちゃん?僕がどうなるかわからない時に、大切な時期の悠利ちゃんを誘ったんですか?」
「に、兄さん。突然声が怖くなるのはずるいよ、ここにいる間は博士ってちゃんと―――!」
「……姫ちゃん?」
「ごめんなさい悠利ちゃん、ごめんなさい兄さん!」
素直に謝れる事は大事です。
―――
「さあ兄さん研修だよ!研修って言っても本番と変わらないから真剣にやってね!」
ヒメ博士がパチンと指を鳴らすと蛍光灯が消えて室内が暗くなり、普通のホワイトボードに見えたものが発光して地図になって行きます。
姫ちゃん直筆っぽい手書きの文字で「とつにゅーぽいんと」「たーげっと」「えすけーぷぽいんと」と矢印付きで書かれています。
地図は―――ここから電車で少し離れた幡ヶ谷の駅前。
突入ポイントは駅前のロータリー、ターゲットには国会中継でもお馴染みの珍発言を繰り返す事で有名な、政党ごと野党に転落した元首相の顔写真が、エスケープポイントには駅から離れた場所にある駐車場に印がついていました。
もう嫌な予感しかしませんが、聞かないわけにはいきません。
「ヒメ博士。正義の味方と言ってましたけど、悪の組織とかと戦うんじゃないですか?」
「本当はその予定なんだけど、悪の組織は春にならないと準備できないってパパが言ってたから、もうちょっと待ってね。
研修だしこのくらいでいいと思うよ!」
おじさん……娘を溺愛している姫ちゃんのお父さんは、正義の味方をやりたい娘の為に悪の秘密結社的なものを作るようです。
大企業だから作りやすいとは思いますが……ううん。言葉にし辛いけどもやっとしますね。
「大丈夫だよ兄さん。パパに頼むだけだと不安だから、悪の秘密組織の総帥は加賀見のおじさんにお願いしておいたから!」
「父さん、何しているんですか父さんー!?」
僕の父は姫ちゃんのお父さんの会社、ハギヤ・テクニカルインダストリーの専務をしていますが、新設される部署の責任者になったようです。
「加賀見のおじさんはお給料上がるなら平気だって笑ってたよ?」
ああそうでした、父は一般常識が変な方向にずれたドライな人でした。
「司さん、頑張って」
肩を叩いてくれる悠利ちゃんの優しさが心に染みます。
「……色々諦められました。ありがとう悠利ちゃん。
ヒメ博士、この写真の方がターゲットなには分かりますが、どうするのですか」
「そこれこれだよ兄さん!」
ヒメ博士が渡してくれたのは私の背丈程もある、四角く切り取られた木材の棒。
ただの木材に見えますが、木材にしては軽いですね。
「それはシロサーの基本武装、ジャスティスカーボナルブレイド!
最新の非殺傷用護身用装備を転用して作ったの。
どんなに力いっぱい人を叩いても、すんごい痛いだけで血も出ないし怪我しない装備だよ!
あ、でも尖った部分を人にむけたり目とかデリケートな部分を狙うのはアウトだからね」
目を輝かせて説明するヒメ博士。
格好よさそうな名前だし、凄い技術の塊みたいですが、見た目ただの角材ですよね。
「その、この角ざ……ジャスティスカーボナルブレイドでターゲットに何をするんですか?」
「このおじさんはお金の為に色々悪い事をしたみたい。
だからジャスティスカーボナルブレイドで正義の鉄槌をするの!」
「……その、当然警察とかの許可とかは」
「政府機関と癒着してるのは正義の味方のやる事じゃないよ!」
「…………この方が悪い事をしたという情報はどこで?」
「ネットで見たの!」
「……………」
流石姫ちゃんです。色々な意味でぶれていません。
この子になんて言えばいいのでしょうか。
「司さん、司さん」
くいくいとスーツの裾を悠利ちゃんが引っ張りました。
「どうしましたか、悠利ちゃん?」
「司さんの気持ちは痛い位分かります」
悠利ちゃんは内向的な所はありますが、常識的ないい子でしたね。
「でも、姫ちゃんを放置するのは怖いし、司さんがここで断ると姫ちゃんが意地になってシロサーを着て無茶しかねません」
「…その光景が簡単に想像できるだけに笑えないです」
「だから…ね、頑張って司さん」
「分かりました…………やります」
「やった、兄さんはやってくれるって信じていたよ!」
手を上げて大喜びする姫ちゃんと、スーツ姿のまま力なくうな垂れる私の姿は実に対照的でした。
―――
「ヒメ博士、この「シロサー」はどうしてウサギ型なんですか?
正義の味方というと、もっとぴっちりとしたタイツスーツを着てるイメージがあるのですが」
「うん、やっぱり今の技術や素材、加工機械とかだと特撮やコミックみたいなヒーロースーツみたいのは作れないんだよ。
だから、どうしても大型化かつ全身をすっぽりと覆う形になるんだけど、金属むき出しでロボットっぽかったら正義の味方らしくないでしょ?
それに可愛いし」
最後の一言がメインの理由だと思ったのは私だけではないはずです。
「見た目は着ぐるみだけど、中身は別物だから着てみて!」
ヒメ博士が壁から突き出たアームについているコンソールを叩くと、ウサギの着ぐるみにしか見えないシロサーが内部から展開して入れるよう……グロ!?構造上仕方ないとはいえ、なまじ見た目が可愛いだけに、それが金属音を立てながら内部から開く様子は子供だったらトラウマになってもおかしくない光景でした。
スーツの上着を脱いで、スラックスにYシャツ姿でシロサーの中に入っていきますが、なるほど快適です。
足を入れればすぐに締め付けの調整されて(フィッティング)、手をシロサーの手の内側に入れるとパシャリと音を立てて包み込んでくる所とか、ウサギの着ぐるみではるけどどことなくロボット風で、私の男の子の部分がワクワクとしてきます。
「兄さん、シロサーの頭入れるよー」
小さなモーター音と共に顔全体をすっぽりと覆うシロサーの頭部分。
視界が真っ暗になるけど、覗き穴とかはないのでしょうか。
「システム立ち上げるよ、眩しいかもだから注意してねー」
『Operating System starting....』
おお、シロサーの頭の内側が全面モニターになっていました。
これは便利ですね。
『強化外装・シロサー 管理システム”クロナ”起動しました。
ようこそマスター・ツカサ。
当機は全力を持ってあなたの正義遂行をサポートします』
文字と同時に音声まで出ています。
流れるような滑舌の女性音声な辺り、無駄にクオリティが高いです。
「よろしくお願いしますねクロナ」
正義遂行サポートという辺りに引っかかりを覚えなくもないですが、挨拶は大事ですね。
『ありがとうございます、マスター・ツカサ。
あなたの様なマスターの補助が出来て光栄の至りです。
もしよろしければ、苦痛に顔をゆがめる時などにご尊顔の撮影の許可を頂けないでしょうか』
すらすらと返事をするクロナ。
もしかして、かなり高度な人工知能(AI)を搭載しているのでしょうか。
そしてクロナの台詞に一瞬背筋が冷たくなりました。
「撮影に関しては検討しておきます」
『是非よろしくお願いします、首を長くしてお返事を待っていますので』
玉虫色の返答というのは日本語ならではのものですね。
そしてクロナの食い下がりっぷりもなかなかのものです。
「兄さん外見える、声聞こえるー?」
実行されるプログラムウィンドウを映していたモニターが外の風景に切り替わりました。
ただ外の光景をカメラ越しにモニターに映しているだけではなく、外気温や湿度から高度と言ったものかから、周囲30メートル位の動体・赤外線・振動感知レーダーまで様々な情報が記載された洗練されたインターフェイスになっています。
『聞こえますよヒメ博士。って何か声が変ですよ!?』
返事をしましたが、クロサー越しに聞こえる声は甲高いアニメ声になっていました。
「正義は正体を隠すものだし、シロサーみたいな可愛いマスコットが地声だと変だからボイスチェンジャーをつけてあるよ。
音文解析も誤魔化すから、兄さんの身元はばっちりばれないよ!」
それはありがたいですが、身元を調査されるような事を避けたいものです。
「はい兄さん、ジャスティスカーボナルブレイド!」
ヒメ博士が差し出した角ざ……ジャスティスカーボナルブレイドを受け取る。
着ぐるみおウサギ手は指先が分かれていないものの、手の内側、肉球に当たる部分が中の人の手が素材越しに動かせるので、物を掴んで持てる親切設計です。
「戦闘員U-1、移動手段を確保してきて。
正義の味方出発だよ!」
ヒメ博士がコイン駐車場用のカードと電子マネーカードを悠利ちゃんに渡している。
駅前とか立地が良すぎて、駐車場が用意できなかったのですね。
こうして研修中とはいえ私の初仕事が始まりました。
このまま遊園地やデパートの屋上で、子供達相手に愛嬌を振りまくお仕事にならないものでしょうか。
「さあ兄さん、正義の味方としての第一歩がヒメ達を呼んでいるよ!」
無理ですよねー!