剥奪少女の終末
私は少女を拾った。
彼女は道端にぽつんと捨て置かれていた。
私は彼女を抱え、家路に付いた。
少女の話をしよう。
美しい少女だった。
目算になるが歳の程は15,6と言ったところか。
しかして人としての歳などいったい何の意味があるのだろうか。
少女は美の造形物であったのだ。
濡れ羽のように艶やかな黒髪は、体を覆うようベールの様であり、その奥に覗くたおやかな曲体は薄く発光してるかと見紛うほどに白く透き通っている。
子供特有のミルクのように滑らかで弾力のある肌の下には、女の柔らかさが隠れていた。
かのミロのヴィーナス像における腕の不在は想像を掻き立てるものであるという説もあるが、この少女においては当てはまらない。
想像による飛翔など不要であった。少女の両腕部、両脚部はその根元より簒奪されていた。
だがしかし、それが完結であるのだ。完成であったのだ。
奪われた痕、古傷と盛り上がった肉こそは少女の神聖さを現実へと繋ぎとめる楔であるに違いなかった。
顔の造美たるや言葉にすることすら困難を極める。
少女から女性への変遷期。奇跡の一瞬を押し固めた矛盾の美。少女の無垢なあどけなさと、女性の濃艶なる肉の色香が混在していた。
あえて伝えられることがあるとするなら、いくつかの特徴があった。
少女には瞼が無く、さらに言うなら眼球すらも存在しなかった。ただ深く昏い孔が二つぽっかりと空いていた。
無と云う存在が強い引力を持って私をひきずり込まんとする。
あとは耳である。少女の耳はぱたんと折られるようにして縫い閉じられていた。
桜色の唇を割って入れば、その口内には歯は一本もなく、赤くてらてらと濡れる歯茎は不規則なおうとつが情念を煽る。
また彼女には舌がなく、暗い桃色な喉の奥までが見通せた。
少女は喋らず、歌わない。
少女は動かず、踊らない。
少女は泣かず、笑わない。
少女は一切を得ず、一切を与えない。
ここに在り、生きている。
隔絶された不干渉の高嶺に少女は住まう。
投じる小石の波紋は決して少女には届かず、また少女が波紋を生むこともない。
少女の美しさは他者を必要としない。
本来美醜とは主観によるものであり、他者からの承認を得ずして成り立つものではないのだ。
だが少女は美しい。他者からの認識を擦り付けられることなど無い、乖離した美的存在。
哲学者の言葉を借りれば美のイデアというものが、きっと少女の事を指すのであろう。
私は納得していた。
何も与えてやれずとも良い。
何も与えてくれずとも良い。
この美なる造形を知っているのは私だけでいい。
他の誰にも知られてなるものか。
私の秘匿、私の光、私だけの美しい少女であればいい。
他には何も望みやしないのだから。
何も望まない、あぁその筈だったのに……。
流れ落ちる黒絹のごとき髪を丹念に櫛で梳かし、柔らかなタオルで少女の輪郭を撫でるように拭き上げる。
咀嚼した食事を少女の小さな唇をこじ開け流し込むと、白い首に浮かぶ喉が脈打ち嚥下する。
そうした後は、ただ少女の胸に耳を当ててジッとしているのだ。
音がする。心臓の音だ。言葉を持たぬ少女のただ一つの存在表明。
肉の奥から、確かに響いてくる音色。
なんと美しい音だろうか。なんと力強い音だろうか。
私を虜として離さない旋律だった。
私は幸福を感じていた。少女の傍でただ少女の為に捧げることに何物にも代えがたい充足感を得ていたのだ。
無償の愛だと確信している。自負している。
何も与えず何も得ぬはずの少女に、私だけが捧げ私だけが与えられる。そう私だけが!
この美しい少女と、断世の少女と、唯一の接点でいれる。何者からも遠いはずの少女に、他の誰よりも近くにいることが許されている! 誰も聞くことのない少女の音を私だけのものにし得る。少女は私の光であり、私が少女の光でもあるのだ!
あぁ食事の時間か。
林檎の皮を包丁でスルスルと剥くと、頬張り咀嚼し口移す。
私は少女が嚥下するまでただ見つめている。
口の端より流れ落ちる林檎の汁が、一筋の流れとなってその体躯を横断する。
顎を伝い、喉をすべり、鎖骨を流れてその先へ。胸の起伏に沿うままに体の中心を進んで臍の窪みへと落ちていった。
衝動がうねりを上げる。鈍く焼けつく焦燥にも、叫びにも似た激情が臓腑の底から末端へと突き抜ける。
林檎の汁が光って見えた。
いや、確かに光っている。
だから私はそれをなぞったのだ。
私はくぐもることのない、少女の音を聞いた。
腹が減った。
酷く疲れているせいかもしれない。
部屋はがらんと薄暗くて気が滅入る。
食べ物を探そうと冷蔵庫を開けるが、駄目だ。電気が止まっているのか冷蔵庫は無音で、中は生臭い。ただ一つぽつんと置かれた林檎は、赤黒く変色し、汁が流れ落ちて一層に私の気分を悪くさせる。
どこか外食することにしよう。
帰りに包丁を買おう。どこに無くしたのか見当たらないのだから。