表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

旅立ちの時

 道すがら、近所の人たちはみんなマナーニャに手を振ってくれた。まだ、何もしていないのに、と逆に恐縮してしまうぐらいである。

 やっと、竜の巣が見えてくると、遠くからでもラガルトの鱗がきらきら光って見えた。


「マナーニャ!」


 ローサがニコニコと手を振ってくる。


「おはようございます」

「おはよう。体調の方はどう?」

「いつも通りです」

「そう? 良かった」

「…ねえ、ローサさん。マレードは来ています?」

「ううん。けれども、あなたの出発に会わせてお偉いさんと一緒に婆様の代理で来るはずよ」


 ローサの背中のカトリーナにも挨拶をして、ラガルトとカルロスに目を移す。カルロスは朝食として腐肉をあげているようだが、ラガルトは気に入らないように鼻から小さな炎を出す。


「三日間、ラガルト様はここにいたんだけれどね。一番の若衆であるうちの旦那も、竜の前では形無しよね。ずっと、竜の研究をしてきたって言うけれど、ラガルト様のあまり機嫌はよくないみたい」

「…たんにラガルトが我が儘なだけですよ」


 マナーニャはラガルトに近寄り話しかける。


「おはようラガルト。今日は何が気に入らない?」

『婚約者殿』


 ガラス玉のような眼球がマナーニャを見る。そして、困り顔のカルロスを威圧するように見た。


『この男の面構えだ。飯がまずくなる』


 マナーニャはため息を付いた。そして、カルロスから樹兎の腐肉を受け取る。


「ほら。ちゃんと食べて。食べられるときは食べようよ」


 マナーニャは腐肉を投げた。それを鼻面で突っつくと、ラガルトは大人しく食べ始めた。


「全く、敵わないなぁ」


 カルロスは頭を掻いた。


「五歳児の我が儘より理不尽でひどいですからね」

「いや、そうじゃないよ。その竜を易々と御してしまう君が、だよ」

「へ?」


 穏和な笑顔を浮かべたカルロスは荷物を指さした。


「俺の師であってもそんなうまく、話すことはできなかったからね。――まあ、とりあえず、君の食べ物、そしてラガルト様の当分の食べ物。満足な量ではないから、それらを考えて行動して欲しい」

「分かりました」

「後はラガルト様と相談して決めた物だ」


 マナーニャは一つ一つ説明を受けた後、ローサに案内される形で男達がやってきた。

 男達は間近で見る竜の大きさに驚いているようだ。ひとしきり、ラガルトを褒め称えた後、マナーニャに向き直った。


「ケイラの娘、マナーニャ」

「…はい」


 大きな大人達に目前に立たれ、言われ用のない威圧感がある。マレードがいるならばまだましなのに。


「竜と共に地上へ行き、樹の不調を治せ。これはムンドの民、全ての願いである」

「拝命します」




 マナーニャは失礼にもお話の間、ずっとうとうとしていたラガルトを起こし、背に荷を結びつける。どこか気分ののらないマナーニャにラガルトは寝ぼけた声で話しかける。


『意外とここの腐肉もおいしかった』

「そりゃあ、竜専用に考えられているからね」

『ひさしぶりに腹いっぱい食べた。おまえもこのくらいの量を集めてくれるといい』


 簡単に言うがマナーニャ二人分の肉をぺろりと食べたのではないか。


「無理だよ」

『婚約者殿は仕事が遅いからな』

「じゃあ、どうして私にわざわざ腐肉集めをさせたの?」

『おまえの手からの肉が一番いい』


 ローサの手を借りて、マナーニャが足を鐙に固定すると、ラガルトはわずかに振り向いた。


『準備は良いか?』

「うん…、けど、もう少し待って」


 マナーニャの視線は従姉の姿を探す。ラガルトはスンスンと鼻を動かし、男達の誘導に応じて、出発台へと歩む。

 長距離の飛行に備えて、ラガルトは体中の鱗をふるわせ始めた。すると、突然ちょうどよい風が吹いてきた。


「…マナーニャ!」


 ぶんぶんとうるさい風の中、聞きたかった声が聞こえてきた。狭い木の枝をおそるおそる渡りながら、マナーニャに近づく人影。マレードだ。


「マレード!」


 久しぶりに見る従姉は少し痩せている。


(心配させしまったな…)


 胸が痛む。けれども、もう、仕方がない。下ではラガルトの筋肉はうねり、マナーニャが頷けば直ぐにでも飛び立つだろう。


「これを、これを持って行って…!」


 人をかき分け、進入を禁止する柵を越え、従妹の下にたどり着いたマレードは袋を握らせた。


「お母さんと私からのもの」


 マレードは袋を渡した手でマナーニャを離さない。


「私の、私の大切な可愛い妹…」


 はっとしたときには手は離れ、ラガルトは樹を飛び立っていた。人のことを考えないせっかちな竜である。


「ラガルト様! 私の従妹に何かあったら承知しないんだから!」


 ラガルトは数回宙で翼を動かし、微調整をした。


「マレード! 元気で!」

「あんたも、ちゃんと帰ってきなさいよ!」


 竜のしなやかな尾がピンと伸びたかと思うと、空を切る刃物のように地上へ降下し始める。


 慌てて、皆が下を見れば竜と少女の姿は既に豆粒より小さくなっていた。


「…恐ろしや」


 それを見て大の大人が身震いする。奈落の地上は死後の世界とも言われる。一度、落ちたら二度と戻ってこられない。


 巫女の娘は細い肩を震わし、地上を見つめる。大きな目は見開かれ、やりきれないように薄い唇は噛みしめられている。


「…マレード、大丈夫だよ。竜は古くから守れない約束はしない。そんな竜がした約束なら、マナーニャは必ずここに帰ってくるよ」


 ローサは優しく肩を抱いたが、娘の緊張は解けない。


「…違う。例えあの子が帰ってきても、竜に喰い殺されてしまう」

「え?」


 ローサは眉をひそめた。マレードは硬い口調で続ける。


「あの気むずかしい竜が提案を受け入れたのは、マナーニャが『竜を使う者』で強い魔力を持っているからなんです。竜はあの子が任務を遂行した暁には、その魔力を取り入れるために、あの子を、食べるって」

「食べる…?」

「ええ、こう言うことはよくあるのですか?」


 ローサは思案しながら背中ですやすや寝ているカトリーナをあやす。考えていることを十分に吟味した上で慎重に切り出した。


「…そのような提案はかなり突飛な事ね。竜は世界の王であるし、人間のことなんか、気にしないものよ。――それとも」


 ローサは唇を湿らせて言った。


「昔、カルロスから聞いたが事ある。竜の『食べる』には二つの意味があるって」

「え?」

「一つは、物を食べるという、食べる。そしてもう一つが、…交わるという意味ね」


 不審そうな顔をしたマレードにローサは付け加える。


「人間でも言うわよね。まあ、カルロスによると竜のは激しいらしいから、『食べる』という表現にぴったりだって」


 マレードはようやく、ローサが何を言っているのか理解できた。巫女という職業柄、免疫がないせいか、自分でも頭に血が上ってくるのが分かる。


「…はぁ? マナーニャが? 竜と…?」


 マレードのあまりのうろたえぶりにそれなりの人生経験をつんできたローサもどぎまぎしてくる。


「わ、分からないわよ? どっちの『食べる』なのか。大体、体格からしてどうなのかなーと思うけれど」

「どちらにしても、許せないわよ!」


 マレードは一人と一匹が消えた遙か彼方地上を睨む。


「あの、わがまま竜のことだから、あの子の意思を無視してあんなことやこんなことをするに違いないわ。あの子もあの子だから流されるようになってしまう」


 聖職者という地位にいるため、マレードはそういう知識はあまりない。だからこそ、頭の中でどのように脚色されたイメージが広がっているのかわからない。


「って言うか、あの竜、マナーニャに関してかなり独占欲強かったわよね。なんなの? 変態なの?」

「…マレード、それは人に言えないからね」


 話に聞くと、従妹のお風呂に付き添ったり外出の時間を管理したりしているようだ。


「竜がその気なら…わかったわ」


 マレードは不機嫌な顔で宣言した。


「マナーニャは渡しません。特に後者の『食べる』はもってのほか!」


 マナーニャほどではないが、彼女だって巫女に選ばれるほど魔力は強い。彼女の言霊はたおやかな乙女の輪郭を強くした。


「――マナーニャを守るためあらゆる手段をとらせていただきます」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ