遅すぎた後悔
マレードにつられて外に出たときは、既に日は遠く遠くの地平線の向こうであった。
「綺麗ね…」
ふとマレードは足を止める。マナーニャはマレードをチラリと見た。
「…ねえ、どうして婆様達は私を呼んでいるの?」
「分からないわ。あなたの方が覚えはあるんじゃない?」
「ありすぎて分からない」
何度注意されても進入禁止地区には足を踏み入れたし、ラガルトに会うために仕事を休むこともたびたびである。従妹の表情が明らかに変化したのに気が付き、予想通りのことにマレードはため息を付いた。
「まあ、なんていうか。今日は帰れないかもね」
いわんことないということを含ませると、わかりやすく肩をおとした。
マレードは樹にできた大きな洞で足を止めた。側に立っていた下男が頭を下げる。
「マレード様」
「ケイラの娘、マナーニャを連れてきました。婆様達のお目通りを」
マナーニャはマレードに続き、洞をくぐる。
初めて入った祭事所は思ったよりも狭く、そして思ったよりも多くの人がいた。
暗い中はいくつもの種油ランプで照らされていた。奥では毛皮に座りまるで樹の一部のような貫禄を持つ老婆が三人。そして、彼女たちに傅くのは名のある男達ばかり。それがいっせいにマナーニャの方を向いた。
(うん、怖い。予想以上に威圧感ある)
寧ろ今の時点で、すべての悪事を反省しているのに、まだ先があるとなると胃が重い。マナーニャが入り口で立ちつくしていると、一人の老婆が口を開く。
「ケイラの娘、マナーニャ。こちらへおいで」
「…はい」
慣れない正服を引きずり、マナーニャは形式通り老婆達の前で跪いた。マレードは老婆達の巫女として自分の席に座る。
「顔をお上げ」
まるで骨を擦り会わせたような声だ。マナーニャは緊張を押し隠し、面をあげる。
老婆達は濁った眼でマナーニャを射るように見る。その視線の強さは衣を透かして、心の内までのぞき込むようである。
マナーニャが心の中で一通り謝罪を繰り返していると、ようやく老婆のうちの一人が口を開いた。
「…ふむ。竜を使う者か。こうして見れば、強い魔力が瞳の奥に渦巻いている」
「しかし、抑えられているな」
「どうして気づかなかったことか」
老婆達は次第に自らの中で呟くだけになっていった。
考えに没頭している老婆達に男達はしびれを切らしたように声をあげた。
「婆様、今は食料異常のことを話しております。この娘のことは放って、こちらを優先させてください」
眼がない瞳が男を見る。
「我らはそのために娘を呼んだのだ。この娘だけが我々の希望になりうるのだ」
男達の怪訝そうな目にマナーニャは身をすくめる。
「どれ、手を貸してごらん」
前にかさかさの手が差し出される。マナーニャはおそるおそる手を重ねた。焦点の合わない眼がぴたりとマナーニャに照準を定める。
その時だった。触れた掌から何かが這いあがってきた。まるでミミズが血管を這い登っているような感覚だ。はっと、手を引こうとしたが、老婆は予想できなかった力でマナーニャをがっちりと掴んだままであった。
「っ!」
冷気とも虫とも思える違和感が更にはい上がる。
「マナーニャ…?」
従妹の異変に我慢しきれなくなったマレードは立ち上がったが、一人の老婆に制された。
「黙ってみておきなさい」
密閉した部屋の中であるのに、考えられない冷気が漂い種油ランプがふっと消される。その異様さに男達は息を飲む。
マナーニャは真ん中に座った老婆を睨みかえした。
「――さあ、はね返してごらん」
吐息の中で囁かれる。凍えんばかりの違和感は既に肩まで浸食していた。身体を浸食し、最後に残った脳までも割り込もうとする。
――は
その時、である。
マナーニャの中の何かが覚醒した。身体に眠っていたエネルギーがいっせいに弾ける。そのエネルギーは身体を焼き尽くすほどの熱を発し、マナーニャの血管を沸騰寸前に駆け回る。老婆達が放った違和感を防ぐまでもなく、焼き尽くした。
「…っ!」
狭い空間にはマナーニャの荒い呼吸音だけが響いていた。
「これは…」
息を飲む声。
呟かれた一言は闇の中、誰が言ったのものかは分からなかった。
その時、ふわっと視界が開けた。老婆の一人が種油ランプを調整して、また居心地のよい毛皮の上であぐらを組む。
「婆様、これは…」
男の一人が呆然と呟く。
「竜を使う者はこれほどの力がなければならぬ」
皺に埋もれた顔が笑ったように歪んだ。
ただ一人、力を使い果たし抜け殻のように座るマナーニャ。そんな彼女にすべての視線が集められる。
そして、老婆たちは呟くように、しかししっかりと宣言した。
「ケイラの娘、マナーニャよ、そなたの伴侶である竜と共に樹の根へ行け。そして弱った樹を救え」