Distinction‐―‐故郷へ
朔とさくらの出逢いには、意味があった。
意味……それはさくらの『過去』にあった悲しい事故と関わりがあって!?
人と妖、異種族間の愛をつづった、ラブファンタジー
「ねえ朔……あなたが好きよ。だからね、〈けじめ〉つけようと思う」
勝手なあたしを、許して……。
一晩中、求め合った気怠い体を起こして、さくらは小さく呟いた。
傍らで無心に眠る、子供のような朔の頬に優しく口づけてから、手早く身支度を済ませて、部屋を出て行った。
居間の壁に掛けてあるカレンダーの日付は、10月。
10月のページの4日に、赤ペンで丸が付いている。
琥珀の命日である。
さくらは、故郷にある琥珀の墓参りに、行こうとしていた。
「今日も、雨だね……琥珀、あの日と、同じ」
食事もそこそこに、さくらは朔の朝食の食パンとサラダに、布巾を掛けてマンションを後にした。
一方、さくらの寝室では、眠っていた筈の朔が、いそいそと身支度を始めていた。
朔には、さくらがその日必ず出かけるのが、分かっていたのだ。
階段を下り、転げる勢いで居間に入ると、テーブルの上に、さくらが用意した朝食が置いてあるのを見つけた。
しかし、用意された食事をしているヒマはない。
勿体なかったが、さくらを追う方が、大切だからである。
(今回はきちんと)合い鍵でドアを閉め、急ぎ足で後を追った。
朔の、履き古したスニーカーが、泥混じりの水たまりを蹴散らす。
「さくらっ!」
息を切らせて走っていた朔だが、さくらは、マンションからそう離れていないところを、傘も差さずに歩いていた。
朔はそんな彼女を、逃がすまい、ときつくきつく抱き締める。
「……朔ちゃん」
俯いたまま、さくらは呟く。心なしか、少し震えているようだ。
「一人で、行くつもりだったのか?」
ひた、と見つめる朔の瞳には、確かな怒りがあった。
暫く、両者の間に無音の沈黙が続く。聞こえるのは、細かに降る雨の音だけだ。
俯いたまま、さくらはなにも言わない。いや、言えないのだ。
「ごめ……なさい」
やがて、小さく聞こえた涙声に、朔は大仰に溜息してから、さくらの髪を優しく撫でた。
「なぁさくら、言っただろ? おいら達、これからもずっと一緒だって」
穏やかに囁いた朔に、こくんと頷くさくら。
「嬉しかったんだ、その言葉……だからけじめ、つけようと思う」
今度は、真っすぐに朔の目を見て言うことができた。
その目に、もう涙は一欠片もない。
「そうか。なら、尚更だな……おいらも行くよ、行って、琥珀に頼む」
「え?」
「さくらをくれ、ってな」
にっと笑った朔に、さくらも思いきり笑う。
その笑顔は、どこか清々しく、潔いものだった。
いつの間にか小糠雨は止んでおり、時折、雲間から僅かに白光が差す。
「それで、どこまで行くつもりだったんだ?」
ふいに、思い出したように朔が問うた。
「前に話した『星の綺麗な場所』かな、祖谷っていうの」
刹那、朔は凍った。
祖谷‐‐―‐‐懐かしい名前だが、そこは『森の民』一族の本拠地である。
「もう、今時間の空港行きのバスも行っちゃったし、どうしよう」
時間表を片手に『しょうがないね』と笑うさくらに、朔は思いきって言ってみることにした。
「それなら心配すんな、ちっと手荒だが、他より早く着ける方法を知ってる。それに、行き先な、おいらもよく知る場所だから」
「え……?」
どういう事か分からない、と眉をひそめるさくらに、朔は苦笑した。
「祖谷は、おいらの故郷でもあるんだ。これなら、話が早いよな?」
一瞬のうちに、さくらの顔が、ぱぁぁと輝く。
「朔ちゃんっ」
さくらは、ぐいっと朔の首を引き寄せると、反動をつけてキスをした。
「覚悟、ついたよ、朔のお陰で……アンタとなら、なにがあっても怖くない」
「俺も、さくらさえいれば怖い物なんてない、行こう? 俺たち、例えなにがあっても一緒だっ」
朔は、暫く目を剥いたままだったが、すぐに嫣然と笑いながら言った。
「でも、どうやって行くのかしら? 飛行機よりも速いの?」
くにっ、と首を傾げるさくらに、朔はどこか得意げに言った。
「おう、早いぞ……〈筋〉(みち)を通るからな」
「〈筋〉……ね」
一瞬、さくらの背を冷たいものが滑り落ちる。
以前にも、似たようなことを琥珀が言っていたのを、思いだしたのだ。
【〈筋〉を使えば、どんな場所にもすぐ着く】と。
「行くぞ、さくら。乗ってくれ」
朔は、少し屈むと背を叩く。
「ねえ……重くない? 大丈夫?」
促されるまま負ぶさったさくらは、不安げに朔を見るが、朔はなにが嬉しいのか、にこにことしていた。
「朔ってば」
「ん? 〈筋〉に入ったら少し苦しくなるけど、我慢な」
んしょ、と背負い直しながら朔は笑う。
「苦しくてもいいの、朔がいるもん、だから平気」
「どうして、お前の言葉って……こんなに響くんだろうな? すげぇ力出るんだ」
「そうなの? 朔ちゃんが嬉しいと、あたしも嬉しいよ」
照れくさそうに言った、朔の肩口に顔を埋めてさくらは微笑んだ。
‐‐―‐と急に、すとんと体が落ちる感じがして、さくらは慌てて朔の背中に身を寄せた。
例えるなら、海の底にいる感覚‐‐――‐‐息が、苦しい。
入ったんだ、〈筋〉に。
景色は、テレビなどで見たことのありそうな、照葉樹の森が広がっている。
霧を煙らせた、苔生した森の匂いが全体を支配していた。
彼の背に揺られている内に、さっきまで見えていたものが、今では黒い、小さなシミほどにしか見えなくなっていた。
朔の足が、それ程までに速いと言うことだ。
朔が足を止めた反動で、さくらは大きく咳き込む。
息ができる、〈筋〉を抜けたのだろう。
さくらはまるで、酸素不足の金魚のように、口をパクつかせた。
「辛かったよな、さくら……大丈夫か?」
さくらを降ろしてやり、朔はそっと、彼女を草の上に横たえる。
「待ってろ、水探してくるからな?」
「待って、朔ちゃん……周りに、なにか見える?」
行こうとした朔のトレーナーの裾を、さくらはぐいっと引っ張った。
「そうだな、すぐ近くに……かずら橋が見える。今は善徳辺りか、起きても大丈夫なのか?」
朔は、ゆっくりと半身を起こしたさくらを、やんわりと抱き締めながら問うた。
「琥珀のお墓、この近くなの。行こう、朔ちゃん」
さくらは、朔ときつく手を繋ぐと、山肌にある畑の畔を、森へ向かって歩き始めた。
朔も、さくらの手をきつく握り返すと、これから先に待つものを見据えるように、真っすぐ前を見つめたのだった。
こんにちは、維月です。
『Rabbitパニック』新章のお届けに参りました。
Distinction……けじめの章ですね、朔と琥珀の間で揺れていたさくらは、決断をします。
こんな話ですが、よろしければ、これからもお願いしますね。(>_<)それでは、失礼致します。