おかしな夢
市内の幼稚園で、ごく普通に働いている高島さくらは、帰宅途中に、自宅の玄関先で不思議な拾いものをしてしまう。
人語を話す、不思議なウサギ・朔は『森の民』という、人間よりも古くからいる種族の生き残りで、琥珀とも同族であることが分かる。
不思議な生活を送る高島家は、今日も騒動の渦中!
(あれ、ここ‐‐―‐―どこだっけ?)
耳元を、ヒュウヒュウと鋭く風が掠めていく。
さくらは、見わたす限りの草原に立っていた。
草原‐‐―‐‐いや、枯れ薄の穂が、僅かな風に揺れるだけの中に、佇んでいるのだ。
(他に、なにも見つからない……ここには、あたし一人だけなんだわ)
ヒ・ト・リ・ボ・ッ・チ
【お前は、独りだ】
さくらは、度々囁くその声を知っていた。
孤独に潰えて押し込められた、もう一人の自分。
(一人になって、もうどれくらいになるかしら? 一人なんか寂しくないのに、どうして不安なの?)
さくらの脳裏に、一瞬、園児達の笑顔がよぎる。
園の終わり頃に迎えに来る、親に向けられる子供たちの眩しいほどの笑顔。
どうせ、あたしは一人。
どうして、あたしは一人なんだろう。
(‐‐―‐一人は、イヤだ)
つぅと一筋、さくらの頬を涙が伝い落ちる。
蹲って、座り込んださくらは、声を殺して泣いた。
もう、いやだ。
一人にしないで……。
誰か、あたしを見つけて!
(泣いているの?)
蹲っていたさくらは、肩に温もりを感じて顔を上げる。
(ずっと、ここに一人かと思って)
中音の柔らかな声に、大きな浅黒い手。 顔を見ようとしたが、なぜかモヤに被われたように、はっきりしなかった。
(ここにいちゃいけない、おいで)
彼の大きな手が、さくらを強く引き寄せる。
(ここって、どこ? あたし、よく分からなくて)
さくらは、枯れ野ばかりが広がる景色を、きょろきょろと見まわしながら言った。
(ここは彼の岸と此の岸の狭間さ、まったく、フラフラ行くから追いかけてみたら、こんな場所にいるんだもんなぁ……さくらはよっぽど寂しかったんだな)
顔が分からないのに、彼が『笑っている』と分かるのはどうしてだろう。
それに、教えてもいない自分の名前まで知っているのだ。
(あなた、あたしを知ってるの?)
さくらは、怯えに身を固くしながら問うた。
(知ってるさぁ、こっちの形はまだ知らないんだもんな、仕方ないよな)
彼は、なぜか楽しそうに言う。
(ね、ねえっ、こっちとか、知らないとか、よく話が見えないんだけど)
(ま、そうだろうな。じきに夜が明けるし、そしたら分かるさ)
(全っ然、なに言ってるか分から……な)
突然、そこでさくらの意識は途切れた。
いや、それはむしろ『目覚めた』という方が正しいようだ。
「寝苦しいと思ったら、やっぱりコイツか」
かけ布団を勢いよく剥ぐと、さくらに、へばりつくようにして寝ている朔がいた。
「さぁくら〜……もう、寂しくない、ぞ……うにゃうにゃ」
寂しくない、と言えば、あれは夢だったんだろうか?
それにしても、妙に現実味のある夢だった。
「そう言えば、夢の中の人もそんなこと言ってたなぁ。それにしても、おかしな夢……あの人、あたしを知ってるみたいだったけど、憶えないしー」
さくらは眉間に皺を寄せて、うむむ、と唸った。
「さくら、一人言怖いぞ? どした?」
胸の上に、ちょこんと座る朔に『おはよう』を言って、さくらは彼をつまんで、床に降ろしてやった。
「朔ちゃんこそ、ヘンなこと言ってたよ? あたしが寂しくないとか」
「おう、さくらが迷子になってたから、おいらが迎えに行ってやったんだ。あのままだったら、どっか行きそうだったしな」
どこか得意げに説明する朔に、さくらは思わず固まってしまった。
自分を知っていると言っていた彼。そして、夢の内容を知っている朔。
「ねえ朔、まさか、あたしの夢に出てきたのって、アンタなの?」
さくらは、毛繕いをしている朔の頭を、もしゃもしゃと撫で回す。
「そうだよ、おいらの他に誰がいるのさ」
さくらは、どう反応していいか分からず、そっと朔を抱き締めた。
「朔って不思議……喋るし、ヘンな夢には出てくるし。あ、でもその時は人間だったよねぇ? 夢って、なんでもアリなのかなぁ。もしかして、あたしの願望とか?」
「残念、さくら……おいらはフツーのウサギだよ」
きゃあきゃあと騒ぐさくらに、朔はゆるくと首を振った。
「嘘おっしゃい、朔ちゃん? 隠さなくてもいいんだよ?」
「さくら?」
朔は、弱々しく呟いてから、さくらの胸元に顔を埋めた。
「おいら、怖いんだ……フツーじゃないって知った人間は、みんなおいらを殺そうとする、犬に追われて、ここまで逃げて来れたのが夢みたいだ」
フルフルと小刻みに震える、小さな彼が堪らなく愛しくなって、さくらは朔を抱える腕に力を込めた。
「大丈夫……あのね、朔ちゃん、隠さないで見せて欲しいな? 朔ちゃんの本当の姿」
「やだ、絶対気味悪がる! それに、おいら一番醜いから」
呟いた朔の声が、次第に尻つぼみに小さくなる。
ぴょん、と勢いよくさくらから離れると、朔は思いきり足を鳴らした。
「今更なに言ってんの、喋れるんだから、それくらいで驚く訳ないじゃない。それにね、琥珀もそうだったの……話せて、姿も変えれた。だから、ね? あたしは怖がらないよ」
緊張して、V字になっていた朔の耳がぺしょりと下がり、朔は一つ溜息をついてから話し始めた。
「分かった、話すよ……おいら達は、人間より古くからいる種族で、山肌に畑を耕し、獣を飼い、地味だが平和に暮らしていたんだ。『森の民』であるおいら達一族を、昔の人間は神として敬い、丁重に扱っていたが‐‐―‐‐時が進んで、人間はおいら達を狩るようになった。それからおいら達は人知れず散り、『森の民』は流浪の民になった」
「そんな、散るって……朔ちゃん、『森の民』って、みんなウサギの姿なの? 琥珀も、なにか関係あるのかなぁ」
きょとんと首を傾げるさくらを、朔の青い瞳が真っ直ぐに見た。
「『森の民』は半獣だからな、色んなヤツがいたよ。熊とか、鹿とか……琥珀も多分同族だろうけど、外つ国の者だな」
「外つ国って?」
「外国ってことだ、渡り者だったんだな、きっと」
「朔ちゃん、物知りねぇ」
そう言いながら、さくらは朔を抱っこしようとするが、朔はそれを慌てて拒んだ。
またきょとん、とするさくらである。
「あ、いや……おいらの姿、見たいんだろ? 少し離れててくれるか?」
「う、うん。いいけど」
さくらは、ただ茫然と見ていた。
朔が耳慣れない言葉を呟くと同時に、まるで、水が形を変えるようにその形が歪んでいき、その後に現れた青年が膝をつくまで。
その青年は、ぶるぶると首を振ると、慣れた仕種で立ち上がった。
色黒な肌に、不思議に澄む、強い意志を秘めた青い瞳は変わらず、通った鼻筋の、整った顔立ち。
目が覚めるほどの、美青年だ。
「そう、これよ! 夢に出たのっ」
さくらは、自分より頭二つ分は背の高い青年・朔を指さして笑った。
「これ、ってなぁ……こうしてみたら、さくら、こんなに小さかったんだ?」
人型になり、さくらより大きくなった朔は、ばふばふとさくらの髪を撫でる。
「むっ、小さいなんて失礼な、アンタがでっかすぎなのっ」
人並み、と言っても、さくらの身長は163センチ。おそらくは190はあるだろう朔からすれば、小さいと言われても仕方なかったりする。
「お、怒ったのか!? ごめん、ごめんさくら」
ぷーっと、膨れた餅のようになってしまったさくらに、オロオロと戸惑う朔。
そして、なにを思ったのかおもむろに……。
がばっと、さくらを抱き締めたのだ。
「むぐ……さ、朔〜っ! 放しなさーいっ、放してよぅっ」
当然、さくらは真っ赤に上気しながら、朔から脱出しようともがく。
「いやだ……さくら、温かくて、いい匂いだ。おいら、さくら好きだよ」
「さっ、朔!?」
さくらの心臓は、パンクを通り越して、今にも口から飛び出しそうだ。
さくらの頬が、一気に赤みを増した。
どうしたんだろう、本当に、どうしたんだろう?
おかしい。
相手は、あの子ウサギ・朔だって分かっているのに。
耳の奥で、鼓動がうるさい。胸が痛いのは、なぜ?
「さ、朔ぅ……あたし、恥ずかしいよぉ」
さくらはどうしても、まともに朔を見ることができず、彼の胸に顔を埋めたまま、小さく言った。
「恥ずかしい、なんでだ? だってさくら、いつもおいらを抱っこするだろ? 同じじゃないのか?」
「ち、違うわよ! あのね朔、今は人間で、男の人でしょ?」
「よく分からんけど、さくら……こっちのおいら、キライなのか?」
朔は、華奢なさくらをひょいと抱きあげると、肩に留まらせる。
そっと、伺い見た朔の端正な顔は、今にも泣き出しそうだった。
「あ、あの、あのね? あたしだって、朔ちゃんは好きよ……でも、急にだったから、ね? びっくりしちゃったの」
「こっちの姿、好き? だったら、ずっとこっちの姿で過ごすことにするっ」
いや、ツッコミ所が違うとつっこむさくらだが、そんなヒマもなく抱き締められ、息ができない。
「離したくないよ、よく分かんないけど、おいら……さくらといたいんだ」
さくら、ついに爆発+ついで沸騰。
いきなりのハプニングと、告白にさくらは、くにゃんと放心してしまった。
おかしな夢が、正夢になるなんて〜!?
さくらの叫びは、声になる前に意識の底深くに沈んでいった。
どうも、こんばんは(^^)維月です。
朔、もう一つの姿、解禁です。
今回は、さくらとのじゃれ合いを書くのが面白かった。(笑)
こんな話ですが、読んでくださった読者様には感謝です。次回もよろしくお願いしますね。