茜嶺の役(えき)
一方、蘭渓を倒した弖阿たち梁呂の側兎族は、茜嶺の陣営で仮眠を取っていた。
予期せぬ戦闘に、弖阿達は戸惑うが……?!
「千年前の悲劇……それでこの世界の人族のすべてが滅んだ、だと?」
「さくらさんが始まりって、千年前とどんな関わりが?」
やっと言葉を吐きだした二人は、顔を見合わせて動揺を露わにする。
まったく、事態が飲み込めていないようだ。
突然に事実を告げられたのだ。
すぐに受け入れられるはずもないのは当たり前だ。
「人と兎族はね、それまでは上手くやってたの…貿易とかも盛んで。平和だったと聞くわ。あたしの前世、もう一人の『さくら』と兎族の長が出逢い、恋に堕ちるまでは」
「ちょっと質問〜」
ひょこ、と小さく手をあげる晟。
「さくらは、どこから来たの?」
(い、いつの間にか呼び捨て……まあいいや)
「日本というの。もうあんまり口にしてなかったから、懐かしい響きね」
「ニホン……? 聞かねぇ国名だな、どこだよそりゃあ」
「知りたがりだねぇ、君も」
身を乗り出して興味津々な黒鋼を、またも晟が茶化す。
どうやら、からかい癖が板に付いてしまったらしい。
それとも、もしかしたらそれが彼の地なのかも知れないが。
「もしかして、伝承に聞く『倭国』かい? 遥か東海の果てに浮かぶ島国で、不老長寿の」
「『倭』……そう、昔は確かにそう呼ばれたらしいわ。でも、全然不老でも長寿でもない国よ?」
「……その日本から、兎族のヒトと一緒にここに来たのか。梁呂はウサギの島だもんね。ということは‐‐―‐ダンナさんは兎族なんだ?」
「そう、だけど…話がずれてるから戻すわね。今も昔も、あたしのせいで兎族は変動を起こしてる。あたしが始まりって…さっき言ったのはその事よ」
さくらは小さく咳払いをして、面白がっていた晟を窘める。
「帰りたい? 彼の処に……口封じに殺されかけたんだろ? そんな一族に戻ったら、今度こそ殺されるかも知れないよ。運命なんて気にしないで、余所で暮らした方がいいと思うけどなぁ」
「お前の言い分にも一理あるが、まあ説得したってムダだ…どうあっても行くんだろ、兎に会いに。俺は気にくわねぇけどな」
「きゃっ! や、やーん」
唸るように言った黒鋼は、さくらを抱き寄せて、ぐしゃぐしゃと思いきり髪をかき混ぜた。
「ほーんと、黒鋼はさくらが好きなんだねぇ……でもぉ、それって不倫っていうんじゃない?」
にこやかに晟、爆弾投下。
黒鋼は石化し、一瞬大気が凍った。
それを叩き割ったのは、もちろん晟だ。
「ねえさくら、ダンナさんって…どんなヒトなんだい? 俺、人型してなかったら食べちゃいそう」
「えっ!」
にこにことしながらも、一番黒いオーラを出しているのは彼だ。
黒鋼は、未だ凍結中。
(そっか…この人たちにとって、朔は食べ物でしかないんだわ!)
さくらは、失念していた自分を一瞬呪った。
「さくらは可愛いのに、相手が変なのだったら悲惨だろう? だったら、俺あたりに乗りかえたりして……」
「晟、晟……後ろに」
(きゃー……なんなの、この色気は〜っ……それに、この妖気は…)
さくらは、甘える晟の後ろに聳える黒鋼に、寒気を催した。
その一瞬後、甘えていた晟が頭を押さえて、地面に沈み込む。
「いっ……いってぇ〜」
「このボケ狐! 間違っても横取りなんか考えんじゃねぇ!」
とかなんとか。
威張り散らす黒鋼だが、彼も、ヒトのことは言えない立場である。
「……黒鋼……」
(ふぅ、なんとか助かった)
「痛いなあ、もう…お陰で変化が解けちゃった〜……冗談だよ、冗談」
晟が涙目で振り返った先には、まさに『怒髪天を突く』状態の黒鋼が、震える拳を構えていた。
金色の房尾が、不機嫌そうに床をうつ。
「晟って、狐だったのね……犬じゃなかったんだ。泣かないで? よしよし」
ひ‐‐―‐んと、鼻を鳴らして蹲る金色の狐を、さくらは傍に座って撫でた。
「ああ‐‐―‐っくそ! さっさとウサギんとこ行くぞっ、一発殴らなきゃ気が済まねぇ」
それに増々むくれた黒鋼は、遂に鼓膜が破れるほどの大声で吼えまくった。
「ちょ、ちょっと…殴っちゃダメだよ黒鋼っ」
「うるせえっ! さっさと行くぞっ」
「黒鋼も行きたがってるし、俺も、会ってみたいな」
「……え」
(どうしよう、どうしよう……会ったら、朔が、殺されるかも知れない。でも、会いに行きたいの)
「……分かった、行きましょ。あたしも、伝えなくちゃいけないから」
同意を待つ二人に、さくらは躊躇いながらに頷いた。
(朔は、絶対自分を責めてる……早く行って、抱き締めてあげたい)
『生きてるよ』って、伝えたい。
朔、朔ちゃん…待っててね。
待っててね‐‐―――‐‐。
「っあ!?」
茜嶺の山中、兎族の陣営の天幕。
仮眠を取っていた朔は、微かにさくらの声を聞いた気がして、天幕を転がり出た。
「どうした朔、騒々しい」
天幕の傍の炉端に佇んでいた奈与が、不機嫌に顔を歪ませて朔を振り返った。
火影が、彼の端麗な顔に、明らかな動揺を浮き彫りにさせた。
「さくらの声がしたんだ……絶対に夢なんかじゃねぇ。近くにいるのかも知れない」
「ぬぁんだと? さくらが心配だったら、よくものうのうと寝てられるな! このへなちょこっ!」
月は中天を流れ、凍えた御手で、触れたもの凡てを眠りへと誘う。
夜は一時だけ死の気配を孕み、月は残酷な微笑を浮かべていた。
「これ……やめぬか。喧しいのはどっちも同じじゃ……ムダな労力を使うでない。今は気を抑えて休め」
口論する二人に、弖阿の鋭い叱責がとぶ。
「す、済まない…たかが夢で騒いだ。ムダに騒いで悪かったよ」
「よかろう、朔…お前の心痛もよく分かるが、いまは動くときではない」
「ああ……」
「ホントだっ。さくらにお前みたいな『へなちょこ』は似合わない、もしや愛想尽きて、他の男と暮らしてるかもなっ」
「おっ、お前……ヒトの気にしてることを何度も!(怒)」
「あーあーあー、やめんか二人とも」
涙目で睨む朔の脇腹を、奈与は小突いて鼻白む。
‐‐―‐―‐ドンッ‐‐!
弖阿がいい加減にしろ、そう言いかけた刹那、激震が地面を揺るがせた。
正しくは、外郭に張り巡らされた結界が、加圧に軋んでいるのだ。
空間の軋み‐‐‐―‐‐。
譬えるならば、張りつめた糸同士が擦れる音だろうか。
「犲共だ……っ、囲まれている!」
結界ごしに響いてくる唸りに、兎たちは身を凍らせて身構え、襲撃に備えて武器を帯びる。
犲は黒犬型の妖魔で、狼よりは劣るが、俊敏さを武器にする凶暴な種族だ。
「結界が揺れてる、体当たりしやがって! 餌じゃねえっつーの!」
泡吹く牙が結界に迫り、何度も体当たりを繰り返している。
「射手、構え…結界が破れたら同時に矢を放て」
キレる朔を宥めながら、弖阿は部下達が騎乗するのを見送った。
そして、自らも愛馬の背に跨るのだった。
「久々じゃのう、共に一暴れしてやろうじゃないか…のぅ、猗風よ」
弖阿は不敵に笑って、『愛馬』の首筋を撫でてやる。
「グルル…フゥ、フゥッ」
翼持つ犬型妖魔・天馬だ。
猗風と呼ばれた天馬は、荒々しく黒土の地面を抉った。
主従共に血の気が多く、かつては梁呂最強の忍として恐れられていたのだ。
「来るぞ、朔…変化を解けっ」
「お、お前こそっ」
いつの間にか協調している二人を、弖阿はどこか嬉しそうに見ていたが、すぐに元に戻って、鋭い号令を発した。
「破れるぞっ、撃ち方……‐‐―――‐‐構えっ」
結界が欠片を散らして爆ぜる、泡吹く牙が火影を返して黄色く映え、襲撃の咆哮をあげた。
「放てぇ‐‐―‐‐―‐‐っ!!」
ひときわ声高に、鬨があがった。
どうも、維月です。
読んでくださる読者の皆様、更新が遅れてしまい申し訳ありませんです。期間が空きすぎてしまったので、ちょっと話が繋がってない箇所もあるやも知れません。
では、本題。それにしても、朔がなんだかヘタレです。
黒鋼が出しゃばってるせいでしょうかね……(汗)