急転直下の恋―求婚―
胡国・茜嶺で、人狼族の青年・黒鋼と暮らし始めたさくら。
ぶっきらぼうで、粗暴。だが優しい彼にさくらは惹きつけられ、彼もまた彼女に惹かれている。
今日も、奔放な二人の愛は深まるばかり。
そして、遂にプロポーズされたさくら!
記憶は戻るのか!?
異界ラブストーリー、好評連載中!
「起〜きて! もう黒鋼ってば……もうお昼だよ?」
下敷きにされたままのさくらは、黒鋼の胸板をなんとか押し返そうと、奮闘中だった。
「苦しいよぉ、起きて‐‐―‐‐〜」
完全に寝入っているのか、いくら押しても起きる気配はない。
あまつさえ、『父さんだぞぉ』などとにやけていたりする。
(重い……それにしても、どこかに隠し子でもいるのかな?)
だからといって放っておく程、さくらも甘くはない。
いまは、華奢なさくらにとって、逞しい黒鋼の重みは驚異でしかないのだ。
「黒鋼のバカぁ……このまま死んだら絶っ対、恨んでやるうぅ」
やや暫くじたばたともがいてから、さくらは小さく鼻を鳴らして、そのままぐったりと伸びてしまった。
「悪ぃな……死なせるつもりはねぇよ」
やっと、ゆっくりと体を起こした黒鋼に、さくらは膨れ面。
「やっと起きたのね、もう……」
がしがしと頭を掻き毟る黒鋼は、聞いているのかいないのか、素知らぬ顔で大あくびをしている。
「朝ゴハン通りこして、お昼ゴハンになっちゃったじゃない。聞いてる?」
牀台に座りながら髪を梳き、身繕いを終えたさくらは隣りに座っていた黒鋼に甘えた。
「ねぇ……キスして?」
「朝っぱらから誘うなよ……」
「嬉しいクセに」
「……ああ」
また、その情事に牀台が苦しそうに軋んだ。
昼の温んだ日射しに、彼女の素足が眩しくて。
絡めるようなキスの後、黒鋼はついと目をそむける。
最近はそれでなくても、理性が保たないのだ。
目に痛い。
「結局、昨夜はそのまま帰って来ちゃったからね……もう一回行ってこようよ。あたし、仕度してくる」
「お、おう」
ぱたぱたと、さくらが部屋から出て行く。
それを名残惜しげに見送ってから、黒鋼は頭を振って、なんとか邪念を振り落とした。
「って! なに考えてんだよ俺っ」
(もし、このまま暮らしが続いたら……理性保てる自信がねぇよ。どうする)
再び牀台に、大の字で寝転がり一人苦悩する黒鋼は、妄想が暴れそうになるのを懸命に堪えた。
そんなことではいけないと、自分でも分かってはいるのだ。
徐々にだが、最近さくらの記憶が戻りつつある。
そして、あいつ‐‐―‐さくらに夫がいるのを知った。
いる、ということは認めているが、名前が思い出せないことと、彼女本人に自覚というか、実感が沸かないようなのだ。
もし、さくらの夫がここに来たときは、やはり返すべきだろうか。
しかし本人の記憶が戻らない限り、『あんたは誰だ』というシチュエーションが妥当だろう。
どっちにしろ、残酷なことに変わりはない。
それならば、いっそのこと……。
「奪っちまうか」
どちらが後腐れがないかといえば、もちろん後者の方だ。
いや、ないとは言えないが、現状を認めさせるのが一番自然なような気がする。
それに、
「あ‐‐―‐っ、黒鋼まだ着替えてなかった! 置いてっちゃうぞ?」
「なあ、さくら」
「なあに? おっかない顔して」
それに捜すだろ、普通は。
自分の妻がいなくなっても探しにも来ねぇたぁ、どういう事だ!?
譬えどんな事情があれど、そんな奴にさくらの夫を名乗る資格はない。
と、俺は思う。
「俺んトコにいろ、いや…いてくれ」
「なぁに、それ昨夜も言ってたね。‐‐―‐どうしたの?」
刹那、気の抜けたような顔をした黒鋼に、さくらは(やっぱり)無邪気に小首を傾げて尋ねる。
「お前なぁ……やっぱ分かってねぇか」
「なにがよ」
普通にしていても、鋭い彼の眼差しに挑むように、さくらも黒鋼を見返す。
まっすぐに見つめられた黒鋼は、一気に赤面すると同時に、半ば怒鳴るように言った。
「一度しか言わねぇぞっ」
「うん」
こくり、とさくらの喉が上下する。
なにを言われるんだろうか。
「俺と……結婚してくれ!!」
あまりの迫力に、彼女はやや暫く目をしばたかせていた。
そして、おもむろに沸騰する。
その顔は、互いにまるでトマトのようだ。
「黒、鋼……どうして?」
「俺なら、お前を泣かせたりしねぇ…苦しませたりもしねぇ。だから、俺のモノになれ」
やんわりと抱き締める腕に、さくらは幸せそうに『ほう』と息をついた。
「ほんと?」
「お前の夫だかが来ても、絶っ対に渡さねぇから」
黒鋼は強くさくらを抱き締めると、軽く額に口づけ、照れくさそうに微笑んだ。
「嬉しいなぁ……でも、もう少し…考えさせて?」
「さくら?」
不安そうに表情を曇らせた黒鋼に微笑んで、彼の腕を解く。
戸口を出て行ったのを、見送った矢先だった。
さくらが、頽れた。
その様は、細く柔らかい草が折れるかの如くで。
血の気の失せた白鑞の頬は、痩せて尖ったほお骨が目立つばかり。
そして、口許には鮮血がこびりついていた。
「さくら!? さくらっ、どうしたんだよ!」
いくら呼びかけて頬を叩いても、さくらは目を開けず、昏倒したまま動かない。
まるで‐‐―‐『魂そのもの』が抜けてしまったような感じだ。
「医者っ、くそっ……分からねぇ、医者ってのはどこにいやがる!」
青白い顔色。
滞り気味の脈。
どうしよう。
どうしよう。
騒ぎ‐‐―‐とり乱す、黒鋼の声を聞きつけた隣家の老婆がやってきて、唐突に彼の背中を杖で一突きした。
「こりゃ! 大の男が情けないっ。まずは落ちつくんじゃ……医者なら、山一つ越えたところにおるから、一晩かからずに着けるだろうよ」
「すまん、おばば」
心底すまなそうに言う黒鋼に驚いて、老婆は険しくしていた表情を幾分か和らげた。
「よいさ、気にするでない。はみ出し者のよしみじゃ……それにしてものぅ、なんとも面妖な。この娘、人間なのかい?」
「そうだが、なんだ?」
返事が来るとは思っていなかった老婆は、驚きに目を張り、そっとさくらの頬を撫でた。
「まわりの連中が騒いでいたが、どうやら話は本当のようだ。流れ着いたのを拾ったんだってね。可哀相に、こんなに毒を溜めて」
「毒だと!? なんだ、病気なのかっ? だから、コイツは血を吐いたんだなっ」
身を乗り出した黒鋼の背中を、老婆はなにも言わずに押し出す。
その代わりに目配せをして、黒鋼に『行け』と促し、片手の杖を掲げて見せた。
風が、止む。
死気が生気に転じていくのを、黒鋼は体のどことも言えない場所で感じていた。
騒めきが静まり、夕闇が忍び寄ってくる。
「時間がない、急ぐんだよ…」
さくらを抱えて駈けていった黒鋼の背中を見送って、老婆はぽつりと呟いたのだった。
昼の陽気は死気であり、どんな禍事もなりを潜めている。
しかし今は、死気と生気の境である。病人には、一番の峠だ。
(体…悪くしてたなんて、全然気づかなかった! やべぇよ、冷たすぎだっ)
時折止まってはさくらのために暖を取り、少しでも体温が戻るように念じる。
しかし火影に照らし出される彼女の頬は白く、まるで、内部から凍っているかのように熱を受け付けない。
「必ず助けるっ……助けるから、頑張れっ」
再び走り出した黒鋼が、山裾に棲む医者の元に着いたのは、夜が明けるか明けないかの一歩手前だった。
「すまねえ、助けてくれ! ここに、急に血ぃ吐いて倒れた奴がいるんだっ、開けてくれ!」
激しく、せっぱ詰まった呼びかけに、木製の扉が今にも砕けそうなほどに歪む。
それが余程応えたのか、間を持たずに勢いよく扉が開き、手提げ灯を片手に掲げた金髪の男が現れた。
金髪といっても、それ程明るい色ではない。
普通の色が太陽と譬えるなら、彼の色は月光のよう。
「はいはい、そんなに叩かないでー……近所迷惑になっちゃうだろ? その子が患者だね、とにかく中へ」
「あっ、ああ!」
茜嶺と隣村の境の山裾に住む医者は、晟と名乗る男だった。
「この子、人間だね……吐血するまで我慢してたんだ。こりゃあ酷い」
晟は、診察台に仰向けにしたさくらの上に、手を翳しながら云った。
「コイツ、助かるのか!?」
「連れてきたのが俺の処でよかった。他じゃ、どうにもできないだろうから」
身を乗り出した、黒鋼の肩を押し返して座らせると、晟は微笑んでみせる。
「どうなんだって聞いてるっ」
「怒鳴らないで、いま確かめてるんだ」
濃厚な、怨嗟の気配。
それに。
彼女には、『護り』が働いている。
死した、魂の気配。
彼も、ひどく彼女を心配している。
ひどい汚穢だ。
晟を光輪が包むと同時に、彼の片手に光が灯った。
その手で触れていくと、灯った光は青白く揺れながら、やがてさくらの心臓あたりに染み込んだ。
「なあ! どうなんだっ」
「かなり深刻な状態だよ……この子、呪われてる。おそらくは厭魅、禁呪だ」
「の、呪いだって! 笑かすんじゃねぇよ、てめえ…医者だろ? んな事信じてんのかよっ」
引きつった笑いを浮かべる黒鋼に、晟はへにゃんと笑った。
「幸いね、俺は呪術師でもあるんだよ。言ったろ、『他じゃ、どうにもならない』って。俺なら、できる」
「じゃあ、さくらは助かるんだな!? それさえ破っちまえば」
「あと‐‐―‐血を吐いた原因だけど、全部が呪いのせいって訳じゃないよ。この子…さくらさんて言ったね、さくらさんの体は『変成』を起こしてる。この世界で生きていけるように、変わり始めてるんだ。その変化に体内が軋む。それともう一つ」
「なんだよ」
黒鋼は、短く息を詰める。
「彼女……妊娠してる。身籠もってるよ」
さらりと言う晟。
「なっ、なにぃ!? だだだ誰の奴だよ!!」
思いきりわめく黒鋼に、晟は不思議そうに首を傾げた。
「えー、君のじゃないの? 彼女なんでしょ?」
晟は緑色の瞳を細めて笑う。
詮索する女性のような雰囲気を感じ、黒鋼は思いきり顔を顰める。
「そ、そうだが……身に覚えがねぇ!」
(げっ、そういや……あの夜! 覚え……あるかも)
思わず赤面して怒鳴る黒鋼に、晟はどこか楽しげに笑った。
「そういえばね、君の名前…聞いてなかったと思うんだけど? 教えてー」
「黒鋼だよ、知らねぇのか?」
訝る黒鋼に、晟はまたも『くにゃん』とおどけてみせる。
「知らないって、なにが? 俺あんまり外出しないから、よく知らないんだ」
人狼族の中でも、隔絶された力を持つ個体。
異種混血。
今は、神話の世界にしかその名を聞かない妖魔の血を、黒鋼はひいているのだ。
それ故につけられた異名は『鬼神』黒鋼。
「まぁいい、とにかく助かるんだな…コイツ。それで、どうすればいい…その、呪いとやらは」
肩を竦めて言う黒鋼に、晟はどこか面白そうな風に笑って腕組みする。
「まあ、本業は医者だけど…呪術の方が得意分野。任せてよ」
「足元に気をつけてきて…こっちだよ」
床の隠し扉を開くと、地下室独特の冷気が吹き上がり、秘密めいた雰囲気を感じさせる。
先導してランプを掲げた晟が、中段で立ち止まって微笑んだ。
どうも、維月です。
仕事の都合で更新が遅れてしまった……。はぁ。
さて、本編。
新キャラ登場! 彼の性格、作り直した方がいいかなぁ(汗汗)




