寄り添う心
蘭渓の襲撃を受けて行方不明中のさくら。
介抱してくれた人狼族の青年・黒鋼に愛された彼女は……
朔ではなく、黒鋼の傍を選んだ!
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「ん……」
夜半、さくらは小屋の戸が閉まる音で目醒めた。
(黒鋼さん……?)
さくらはがば、と勢いよく牀台から起き上がる。
「黒鋼さん!」
牀台から飛び降り、急いで小屋からまろび出たが、そこに彼の姿はなかった。
ひゅうひゅうと、冷たい夜風がすり抜けていくだけ。
恰もそれは、置いて行かれて寂しい、今のさくらの心のよう。
(どこに行ったのかな、散歩かしら? 眠れなかったの?)
青白く、月光がストライプを描く森の中を、ぺたぺたと足音が響いた。
「黒鋼さん……どこにいるの? 黒鋼さ‐‐――‐‐ん!」
か細いさくらの声は、悉く夜闇に吸いこまれて消えてゆく。
一人が怖かった。
言いしれぬ不安を生む夜の闇は、もっと嫌いだった。
いつの間にか、さくらは走り出していた。
「黒鋼さんっ、どこ、どこっ? 怖いのよっ……‐‐――‐きゃ!」
転んで擦りむけた足を引きずって森を彷徨い、さくらは声を限りに叫ぶ。
いや‐‐―‐――‐それはもう悲鳴だった。
「置いていかないで! 怖い、怖いっ」
擦りむけた傷が、寒さに痺れたように痛んだ。
傷も痛むが、それよりももっと、胸が痛い。
さくらはついには座り込み、泣き出してしまった。
《はふ……ハッ、ハッ、ヴ‐‐――〜‐‐ルルル》
‐‐―‐ふと、獣の唸る声を聞いたさくらは、ヒッと短く息を詰める。
体が動かない。
声がもの凄い近くに……!
逃げなきゃ。
逃げなきゃ。
夜の森がいかに危険に満ちているか、彼女は失念していたのである。
いくらか後じさったが、それ以上のことはできなかった。
「やだ、やだ……食べられちゃうっ、来ないでよ!」
足元の小石を拾い上げたさくらは、獣に向けてそれを投げつける。
小さく弧を描いて飛んだ小石は‐‐――‐獣の鼻面に、いい音をたてて命中した。
「いでっ!」
ひときわ唸りが高くなる。
身構えるさくら。
「ぬぁにしやがる、ばかやろう」
「……え」
木々の作る影から現れたのは、一頭の黒狼。
黒狼は躊躇なくさくらの側まで来ると、彼女の向かいに座り、実に人間臭くニヤリと笑ったのだ。
さくらは、その青い双眸に、彼が何者かすぐに理解した。
「バカだな……俺なんか追ってきて、ケガなんかしてんじゃねぇよ」
「だって、だって……怖かったんだもんっ」
さくらは狼の黒鋼にきつく抱きつき、思いきり泣きじゃくった。
だが………。
「きゃあ!」
いきなり『べろりん』と頬を舐められて、さくらは慌てて涎を拭い落とす。
「お前、さっきからピーピー喧しかったよな。泣くなよ」
「だって…一人が不安で。黒鋼さんは急に出てくるし」
「探してたんだろうが」
「唸ったでしょ、食べられちゃうかと思ったの!」
特に気にした風もなくかかか、と後肢で首筋を掻く黒鋼に、さくらは思いきり膨れ面。
「喰わねーよ、てか、喰っていいの?」
がう、とさくらの腕を黒鋼は甘噛みする。
「やぁだ、もう」
さっと顔を赤らめたさくらは、それを誤魔化すように慌ててそっぽを向いた。
触れられた場所が‐‐―‐‐熱い。
熱を持って、まるで疼くよう。
「俺が狼だって分かったろ、それでも…怖くねぇんだな?」
彼はさくらから離れると、人型に姿を歪ませた。
月光につやつやと輝く彼は、どこか神々しくもある。
「うん……」
それに見惚れていたさくらは、傷の痛みも忘れてすっくと立ちあがる。
そして中天の月を見て、ふうわりと微笑んだ。
「月、きれいね」
今度は、彼が赤面する番だ。
満面の笑みを咲かせるさくらを見て、黒鋼はひときわ高い動悸を感じ、目を見開いた。
「帰ろう、黒鋼さん」
「お? おう」
とことこと、少し先を歩いて振り向いたさくらに、黒鋼は暫し見惚れたまま立ち尽くす。
(この娘は、こんなにも美しかっただろうか?)
弱みにつけ込むやり方を好まないの黒鋼の信条だが、こればかりは‐‐―‐この想いだけは、彼自身にもどうすることもできなかった。
「危なっかしい奴だな、見てらんねぇ」
吐き捨てるように行って、後から追い上げた黒金は、勢いよくさくらを抱きあげた。
いつものような、子猫を抱くようなやり方ではなく、今度はできるだけの愛しさを込めて。
「やぁん、降ろして、降ろしてってばっ」
それでも、さくらはじたばたと暴れる。
今の体勢が、余程恥ずかしいのだろう、彼女の顔は赤い。
「るせぇ、大人しくしろ……ケガしてんだろうがよ」
「大丈夫っ、ちょっと擦りむいただけだからっ」
もごもごと暴れるさくらを押さえながら、黒鋼は勝ち誇ったようにフンと鼻を鳴らす。
やはり、獣の性が騒ぐようだ。
「黒鋼さぁん……苦しっ」
締めあげられた、子猫のように訴えるさくらの頬をペロリと舐めて、黒鋼は幸せそうに目を細めた。
「お前がいいってんなら……このままいてもいいぜ。俺も、その方が嬉しいからな」
「うん?」
やっぱり、ぽけ…と見あげるさくらに、黒鋼は苦笑い。
(コイツ、意味、分かってんのかぁ……? 一生に関わることなのによぅ)
「決まり、だな。よしっ、俺ンとこにいろ。な?」
「黒鋼さん……‐‐―‐うっ!!」
【ったく、さくらは俺がいなきゃダメダメだなぁ】
声が、重なる。
映像までが浮かんで‐‐―‐しかし、今度はなんとか痛みを呑み込んで、混乱を避けた。
彼の言うとおりに忘れてしまおうと、さくらはその日を境に二度と、朔を思い出さないようにした。
「いるね、じゃあずっと……黒鋼さんの傍に」
ふわふわと漂うだけの花びらは、やっと一時の安楽を得る。
しかし、その安楽もいつ消えるやも知れぬ泡沫のようなもなのだ。
それを、さくらは知らない。