桜殯(さくらのもがり)
蘭渓の襲撃を受けたさくらは……遠い浜辺に打ち上げられていた!!
朔ら、兎族が悲しみに暮れる中、一切の記憶を失ったさくらは人狼族の青年・黒鋼に保護され新たな暮らしを送っていた。
すべての記憶を失ったさくら。
そして、新たに生まれる恋愛模様。
果たして、朔とさくらは再会できるのか!?
「そうか、朔……さくらが殺されるのを見たか」
「さくらが突き落とされる瞬間、蘭渓は笑っていた。そして、俺はあいつを死なせてしまった」
ひとひら、ひとひら。
桜の花が舞い散る中、朔と刹霞は祭壇の前に佇んでいた。
殯の為に設けた四阿の祭壇には、白い帷子を纏った少女が横たわっている。
さくらだ。
しかし、それは彼女自身ではない。
見つからなかった遺体の代わりに、弖阿が桜花を練って作った花人形だった。
白く清らかな頬に体温はなく、命を宿さぬ者として棺に収まっている。
四阿の廻りに集まった者が‐‐―――‐老若男女問わずに、外聞もなく彼女の死を悼んでいた。
棺に火が灯され、挽歌が満ちてゆく。
燃えあがる浄火を見つめる朔の横に来ていた奈与は、手の色が変色するほど、きつく朔の腕を握りしめた。
「なぜ、助けなかった……朔! オレは、オレは信じないっ、さくらは絶対死んでなどいないと、必ず探し出すんだ!」
「俺は……無力だ」
「お前も手伝うんだよっ!! 貴様がやらねば誰がやるんだっ」
座り込んで、虚ろに言う朔の襟首を掴みあげて激昂する奈与を、刹霞が羽交い締めにする。
「やめろ、朔とて…さぞや無念だったはずだ。今は仲違いしている場合ではないぞ」
「だが……父上」
「さくらは死んではおらぬ、必ず生きて連れ戻すんだ。蘭渓がどこにおるか分からん今は、迂闊に動いてはならん。暗殺部に探らせておるで、じき場所も知れよう」
辛さは、皆同じなのだ。
愛する者を失う、痛み。
刹霞は悲愴に満ちた眼差しを、遠く、窓の外の海に向けた。
「んはっ、寝過ごしちまった! あ、あいつはっ」
がば! と勢いよく起きあがった黒鋼は、空っぽの牀台を見て、寝癖で乱れた頭をかきむしった。
「あんのバカ! 外行ったのか、外っ」
だが、焦って小屋から転がり出た黒鋼は、目前の光景に思いきりずっこけた。
さくらが、近所の子供たちと戯れていたのである。
「お、おまっ…お前」
「あ、黒鋼さん…おはよう」
寝起きのままぽかんと佇む黒鋼に、さくらはくすくすと笑う。
「髪、ぐちゃぐちゃよ? 心配…してくれたのね」
「だっ、誰が心配なんかするか! ただ、見に来ただけだっ」
プイッとそっぽを向く黒鋼に、それでもさくらは笑いかける。
「ありがと、黒鋼さん」
「おう…」
言ってしまってから『しまった』という顔をした彼を、子供たちが口々にからかった。
「この姉ちゃん、黒鋼の嫁さん? ねえねえ」
「ばっ、ばばバカ言うんじゃねえっ」
「あーっ、お嫁さんなんだ! みんなに言っちゃおうっと♪」
「兄ちゃん、やるなっ」
「ちげーよバカ! 勝手なこと言いやがってガキ共がっ」
真っ赤になって怒る黒鋼とはしゃぐ子供たちを見ながら、さくらは気づかれないよう、小さく溜息した。
【お前は、俺の自慢の嫁さんだ!】
ふと浮かんできた言葉に、さくらは一頻りの痛みを覚え、強く眉間を押さえる。
「……痛っ」
「おい、どうしたさくらっ!」
よろけたさくらの肩を抱いて、黒鋼は不安そうに眉根を寄せた。
「大丈夫、大丈夫……声がしただけ」
「ひゅぅ〜♪」
「あっつくてヤケドしちゃう! みんなに話してこようっと」
「るせぇソコ!」(怒)
きゃあきゃあと、はしゃいで逃げていく子供たちの背中に毒づいて、黒鋼はそっとさくらの背を片手で支える。
「外にゃ出るな、なにがあるか分からん。帰るぞ」
「う、うん……」
子供たちが流した噂は、またたく間に廻りに広がった。
曰く、近所の住人は、興味津々といった感じで始終まとわりついてくる。
勝手に、さくらは『黒鋼の嫁』ということにされてしまった。
「なあなあ、あんた黒鋼に攫われてきたのかい?」
「美人だねぇ、嬢ちゃん」
「新婚さんなんだろ? いいねえ」
「う? う?」
まとわりつかれたさくらは、あっという間に押しくらまんじゅう。
「ったく! まわりの喧しいこった、普段なんぞ見向きもしやがらねえくせしてよっ」
黒鋼の逞しい腕が、さくらの背中を抓んで、人の海から引きあげる。
「やーん……」
「だーから、いわんこっちゃねぇ」
じたばたと暴れるさくらを床に降ろすと、黒鋼は思いきりイヤな顔。
「ごめん…なさい、あたしのせいなの」
しゅん、と項垂れたさくらに、黒鋼は斜に構えてから間近まで顔を寄せた。
「あ?」
「子供たちに『黒鋼の奥さんみたい』て言われて、なにも言えなかったから」
【さくら‐‐――】
また‐‐――‐呼ぶ声がして、さくらは強く眉間を押さえる。
「余計なこと、気にすんじゃねえよ」
台所に据えている卓に直に座り、黒鋼はなにげなく中を仰ぎながら言った。
「……うん」
ねえ。
誰か教えて?
自分を呼ぶ声が、頭から離れないの。
忘れられないの、苦しい。
どうすればいいの?
「ん〜?」
「えっ、なに?」
気がつくと触れそうなほど近くに、黒鋼が顔を寄せてきていた。
さくらは、面食らって幾らか後じさる。
「また考えてたろ、シワ寄ってんぞ、眉間」
「だ、だって……聞こえるんだもの、仕方ないわよっ」
図星を指され照れ隠しに背を向けた彼女を、黒鋼は面白そうな顔で見つめ、唐突に抱き締めた。
「やーっ! ややや、やだ、やだってばっ」
「なんつーか、お前……見てて飽きないな。カワイイ」
ニヤ、と黒鋼は狼スマイル。
逞しい腕に抱き締められて、さくらは動きもままならず、か細い悲鳴をあげる。
「なんか、マジで気に入っちまったな……お前のこと」
「ええ!?」
不遜なほど嬉しそうに言う黒鋼に、さくらは赤面してしまう。
彼がいま狼姿だったなら、絶対に尻尾を振っていそうだ。
「俺ァな、今までずっと、他の奴らから畏怖されてた。どんな奴でも、一緒にいるうちに、逃げてっちまう。なんでか知らねぇが、逃げなかったのはお前が初めてだ」
『見てごらんよ、あれは〈鬼神〉だよ……近づくんじゃないよ』
『あの目、あの青い目……ああおぞましい。太古の怪物の血を引いてるんだって!』
『近寄るんじゃない、あ奴は化け物だから!』
どうしても、どうしても受け入れてはもらえず。
自らにはなんの責もないのに、嫉み、憎む村人達。
果てない孤独。
果てない悲しみ。
「それは‐‐――‐‐」
それは、さくらにも分からないことだった。
逃げようと思えば、そうすることができたのに。
逃げなかったのだ。
「それは……黒鋼さんが綺麗だから」
彼の眼差しに憎しみはなく、あるのは、どこまでも深い孤独と寂しさ。
透き通った、氷のように固い『生きる』意志。
「綺麗……なにがだ?」
彼の薄い唇が、笑みの形に開かれる。
笑っているのに、目だけが笑っていなかった。
「あなたの目よ。目は心を映してるから‐‐――‐‐あなたは綺麗なの」
頬に両手を添えて微笑むさくらに、黒鋼は思いきり赤面し、慌てて身を翻した。
「なんでもねぇ……今のは、忘れてくれ」
ドカドカと勢いよく、小屋を出て行ってしまった黒鋼を、きょとんと見送るさくら。
「どう、応えればいいのかな?」
ぽつりと呟く。
しかし誰が応えてくれようはずもなく、声は虚しく静寂に食べられてしまう。
あとは、潮騒が謡う音しか聞こえてこなかった。
「好きって、言われちゃった」
黒鋼の、上気して嬉しそうな顔を思い出して、さくらは思いきり赤くなってしまった。
「気に入った……か」
(どうしたんだろ、頭……もう痛くない? 痛みが…消えた)
好きと言われて、返事はしていないものの、どこか受け入れている自分がいる。
好きになってみようかな、と一人呟いてから、さくらは出て行った黒鋼を捜しに行ったのだった。
どうも、維月です。
さくらが記憶喪失の間、朔はずっとむくれてますね。
朔…哀れだなぁ。
さくらは、黒鋼という青年に拾われます。
そこで、また新たな……?