表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/37

失くしたキオク 残った想い

蘭渓の襲撃を受けたさくら。

朔の目の前で、彼女は『死んだ』


遠い浜辺に打ち上げられた彼女を救ったのは……!?

すべての記憶を失った彼女に、再び〈試練〉が迫る。

異界ラブストーリー、新展開!

ひたひたと、寄せては押し戻ってゆく波。

大波、小波をくり返しながら、時を紡ぐのだ。

波が寄せて、浜に漂流物を置いていく。

波が今度は、一際大きな物体を押し上げて去っていった。


海獣の死骸が、浜に揚がることがある。

海辺を餌場にする、妖魔の類には願ってもないことだ。

いま一頭の黒狼が唸りながら、流れ着いた贈り物の廻りをぐるりと旋回している。

そっと、鼻面を押し当てたりしながら決めかねているうちに、同族の狼たちが遠巻きに集まり始め、『よこせ』と言わんばかりに牙を剥いて、口々に威嚇を始めた。


「よこせ、ここは俺達の縄張り(テリトリー)、そいつを置いていけ!」


すると、黒狼は胸を張って前足を一歩踏み出し、一声大きく吼える。

「俺から横取るたぁいい度胸だ……てめぇら、よっぽど死にてぇみたいだな!」

彼の咆哮は響く。

手当たり次第に、邪魔者を蹴散らしていく。

「ダメだ、奴は『鬼神』だぞ、やっぱりやめた方がいい」

「けど、どうする」

「どうするどうする……」

狼達は獲物の事などとうに忘れて、尖った顔を揃えて首を横に振る。

「ぐだぐだとやかましい奴らだ! とっとと失せやがれっ」

煮え切らない同族らに嫌気した彼は、思いきり歯噛みして大声で吼えた。

尻尾を巻いて退散していく狼たちは口々に、『やっぱり相手が悪い』と悲鳴を上げ、情けないほどあっけなく逃げ帰っていったのだった。

「二度と来るんじゃねぇぞっ」

黒狼は尾をピンと立て、未練がましく潜んでいた残党に吼える。


あわあわと、忙しく逃げって行った狼に背中を向けて、彼は歩きながら人型に姿を変える。

狼と人間、両方の姿をとることができる…人狼なのだ。

黒く硬い髪なので、つんつんと毛先が跳ねている。驚くほど長身の男だ。

青い瞳が、波打ち際に横たわるさくらを捉えた。

「追っ払ったものの…こいつ、やっぱり助けにゃならねえのか。下等な奴ら以外は人型だし、んなモンは有り触れてる。まずは、何属か知るべきだよな」

長ったらしい独り言を終えると、彼は、むんずとさくらを背中に担いで砂浜を後にした。


さくらは、ぼんやりと温もりに身を任せていた。

(誰、とても温かい手。誰なの?)

そっと撫でつける手に、懐かしさを感じるのは、なぜだろうか。

考えればその度に、喉の奥がキュッと締まって、苦しくなる。

さくらはうっすらと、涙で潤んだ目を開いた。

「う……」

涙をゆっくりと拭って、のろのろと体を起こす。

潮騒の音が微かに響く室内は、必要最低限の家具しかなく、殺風景だ。


一体、自分はどうしたのか。

‐‐―‐‐分からない。


ここは、どこ?

言おうとしたが、渇いた喉は掠れた呻きしか紡がなかった。

ただ、言葉のとおりに口が動いただけ。

「気がついたみてぇだな…起きても平気なのか?」

後ろから声をかけられて、さくらはぎくりと肩を跳ねさせる。

そっと振り向くと、牀台ベッドの枕元に寄せられた椅子に、黒髪の青年が座ってこちらを見ていた。

気づいていたなら、もっと早くに話しかけてくれればよかったのに‐‐――漠然とそう思ったが、口に出す気にはなれなかった。


虚ろなのだ。


なにもかもが、曖昧。

かろうじて、自分の名前だけが思い出せただけ。

さくらは、すべてを失っていた。

名前はさておき、今までの記憶‐―‐‐―‐すべてを失くしてしまっていた。

こくんと頷いたさくらを、青年は興味深そうに、まじまじと見つめる。

「ふーん、お前…名は? ウサギの嬢ちゃん」

「……さくら。それに、あたしウサギじゃないわ。人間よ?」

「人間って種族はここにゃぁいねえな、それに言葉…兎族のだろ」

さくらは眉間を寄せて、怪訝な顔で青年を見やる。

「兎族って、なに? みんな…人間じゃないの?」

「へえぇ、お前…マジで人間? それにしちゃウサギ臭いが」

青年は顔を間近まで寄せると、すんすんと匂いを嗅ぐ仕種をした。

「やだやだ、なにすんのよっ……それに、あなたは誰?」

なんとか枕で頭をガードして、さくらは小さく竦みあがる。

「本っ当にどの妖魔の匂いもしねぇなあ。人間なんか、現存しねぇって聞いてるけど。俺は黒鋼くろがね、ただの一匹狼さ」

さくらを、珍しげに見つめる青い瞳。


どこかで、見覚えのあるその色。


思い出しかけた光景は、さくらの脳裏に一瞬だけ明滅して消えた。

悲しいほどの懐かしさ‐‐――‐自分を呼んでくれる、優しい声は誰だろうか。

けれど、それを思う度に伴う痛みがある。

‐――‐‐『忘れろ』と言っているのだろうか?

さくらの擦れて汚れた頬を、雫が幾筋も伝い落ちては散ってゆく。

それを見守っていた黒鋼はばつの悪い顔をしてから、そっと戸惑いがちに、壊れ物を扱う手つきで彼女の頭を撫でた。

「どうしてここまで来たかは、今は聞かねぇ。安心しろよ……だから、泣くな」

「……うん」


 「お前、なにも覚えてないのか?」

「うん……分からない、思い出せなくて」

海岸に打ちあげられた流木に腰掛けて、黒鋼はさくらの顔を覗き込む。

穏やかな潮騒が、風に乗せて微かな波音を運んでくる。

ここは、細かな白砂しらさごが広がる海岸の端だ。

「ま、思い出せねぇなら仕方ないだろ。人生のやり直しと思って、生きればいい」

「優しいのね、黒鋼さんは」


にこり。


初めて笑ったさくらにぎょっと驚いた顔をして、黒鋼はすぐに、軽く毒づいてそっぽを向いた。

「べっ、別に優しかねえっ、ただ……放っとけなかっただけだ」

「だから優しいの」

さくらは、どこか悲愴な笑顔を滄海へ投げて、小さく呟いた。

「そうかよ」

しばらく、両者間に無音の空白が生まれる。

‐‐―と、静かに凪ぐ滄海を眺めていた黒鋼が、ふいに立ちあがった。

「おい」

ぽけ…と見あげるさくらに、彼はニッと笑みを深くする。

その表情には、どこか子供のような無邪気さが表れていた。

「ついてこい、俺が拾ったんだ……ちゃんと面倒見てやるよ。だから元気出せ」

「きゃっ」

ひょい、と子猫のように掬い上げられて、さくらはパチパチと何度も瞠目する。

「ほんと?」

「そうだ。うっわ、軽いなお前! ちゃんと喰わねぇと、これからでかくなれねぇぞ? 帰ったら、まずはメシだな」

問答無用で、のしのしとさくらを自宅へ連行する黒鋼。

その後ろ姿が、少し誘拐じみている。


 「とか言って、結局作るのはあたしなのね。何が使えるかしら?」

戻ったはいいが、黒鋼の家の台所で、さくらはキョロキョロと材料を探していた。

何もない割にムダに広い台所で、小柄なさくらは異様に目立って見える。

「お前、ホント小っさいのな」

「やっ、や、や」

背後に現れた黒鋼が巨大すぎて、さくらは後ずさって少し距離を取った。

「ちび」

面白そうに茶々を入れる黒鋼に、さくらはぷりぷりと怒りまくる。

「むぅ、小っさいなんて失礼な。黒鋼さんこそ、毎日なに食べて生きてるの? 殆どなにもないじゃない」

「あ‐‐―、とりあえず肉さえありゃあいいさ」

「ダメよそれじゃあ…絶対どこか悪くするわよ?」

とりあえず手元にあるのは、牛酪バターに小麦の粉と少しばかりの野菜、それに干し肉だった。

「ガキのくせに、一丁前に言うな。なにか作れるのか?」

無愛想に言う黒鋼にカチンときたさくらは、精一杯に怒鳴った。

「あたし子供じゃないもの! 小さくて悪かったわねっ、黒鋼さんが大きすぎなのよっ」

「あーあーあー、怒るなって……腹に響く。悪かったよ」

「もう……大人しくしてて頂戴」

ぐったりと項垂れて見せて、さくらは再び台所に向かう。


「お鍋に水を張って、火…これって、竈よね? やっ、火が点かな…熱っ、熱っ!」

小麦と牛酪を炒めてから、水となじませて野菜・干し肉と一緒に煮る。

煮立ってきたら、塩加減を見て完成。

「結構ホネだわね……」

呟いたと同時に、匂いに誘われて入ってきた黒鋼が、不思議そうな顔でフンフンと鼻を鳴らした。

「いー匂いだな、もうできたのか?」

「うん、なんとかね。美味しいか分かんないけど」

「お前も喰うんだぞ、味見したのかよ」

困った顔をして、鼻に皺を寄せる黒鋼。

「したわよ、口に合うか分からない、って言ったの」

「はいはい、分かったって……早く喰おうぜ?」

黒鋼は早くも席について、さくらがシチューをよそってくれるのを待っている。

「あたしもお腹空いちゃった、食べましょ」

言うや否や、ガツガツと食い付きのいい黒鋼に、さくらはあんぐり。

(すごい……なんだか、獣みたいだなぁ)

「旨いな、これ……なんていうんだ?」

「口にあってよかった。これはシチューっていうの」

シチューにがっつく黒鋼と、知っているのに、名前の分からないひとの面影が。

‐‐―‐面影が、重なる。

似ているはずがないのに……なのに。

なのに‐‐―――――――‐‐。

匙を置いたさくらの頬を、つぅ、と涙が伝い落ちた。

「どっ、どうした! 泣くなよ、おい」

「分かんない、分かんないの……急に、苦しくて」

椅子から立つと、黒鋼は涙するさくらの傍に屈み、目線を合わせた。

「大丈夫か? どうした」

「顔が、浮かぶの……」

震える声で言ったさくらの頭を撫でてやり、黒鋼は密かに溜息する。

「忘れろとは言わない。なるべく、考えないようにな」


忘れろなんて、ムリ。


考えない日もない。


誰か分からないのに、こんなに愛おしいのは…恋しいのはなぜ?

頭が割れそうで、誰か助けて!

「いいのかな? ホントに」

さくらは、潤む瞳で黒鋼の碧眼を、真っ直ぐに見つめた。

「辛い思いをするぐらいなら、忘れてしまえ。少しずつな」


この想いを捨ててしまったら、本当に楽になれるだろうか。


本当に‐‐――‐それでいい?

今のさくらには、何一つ、為す術がなかった。

彼女はただ、じっと黙ったまま黒鋼の腕に、抱かれることしかできなかった。

黒鋼は無愛想な男だが、見ず知らずの自分を救ってくれたのだから、別段似悪い人間ではないようだ。

さくらは緊張に身を固くしながらも、伝わってくる温もりと心音に、うっとりと眼を細めた。

(不思議……今日出逢ったばかりなのに。どうしてかしら、信頼しているみたい)

いっそ、この人に縋ってしまいたい。

心が、震える。

「ごっ、ごめんなさい……夕飯、冷めちゃったわね」

ゆっくりと離れたさくらの背を押して、黒鋼は席に着く。

「なにも考えるなよ……いまを、生きろ」

食事を再開した黒鋼は、目元を和らげてさくらに笑いかけた。


 夕食の後片付けが終わり、さくらはさくらは牀台に力なく倒れる。

「とても……とても疲れた」

さくらは牀台に横たわって、小さく掠れた声で呟いた。

瞼が重くて、このまま眠ってしまえば、二度と目覚めることができない気がする。

あたしは、どうしてここにいるんだろう?

帰りたい‐‐――‐‐。

俄に弱々しい郷愁がわいたが、帰る場所さえ分からないのに、どこに帰ろうというのだろう。

(瞼が重い……もうあたし、死んでしまうのかしら。それとも、もうとっくに? 体が鉛みたいに鈍くなって、闇の底に沈んでいくみたいよ)

「怖い、の…なんだか。とても、とても」

「なーに『今にも死にそう』な声出してんだよ、もうお眠か?」

黒鋼の大きな手が、さくらの頭を撫でて、揉みくちゃにする。

「あたし‐‐――‐‐夜が……闇が怖い。目を閉じたら、もう戻って来れなくなる気がして」

目を丸くして、黒鋼は幾許いくばくか驚いたようだ。

「怖い……のよ」

「ここにいてやるから、寝ろ。手放したりしねぇから、安心しな」

さくらの縋るような目に、黒鋼はその碧眼を細める。

「ほんと、ね?」

「ああ」

眠るさくらの傍に座った黒鋼は、そっと彼女の頬を撫でて外へ出て行った。

その瞳は、どこか切なげだった。


 眠るさくらの真上、天井の梁。

そこに蠢く影があった。


蜘蛛だ。


銀糸の巣の真ん中に、無数の目を、赤く爛々と光らせる大蜘蛛がいた。

【まだ……生きていたのか‐‐――‐‐おのれ】

色濃い怨嗟を含んだ声で一頻り呟いてから、大蜘蛛は突如、焔をあげて跡形もなく燃え尽きた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ