それぞれの想い
朔とさくらに亀裂が!?
そして、千年前の悲劇が終わる!
「さくら、さくら!」
細かな砂の上を、華奢な素足がまろぶ。
子犬のように懐っこく纏わりつく少年を抱き締めて、さくらはやんわりと微笑んだ。
「どこまで行ってたの?」
腕いっぱいに果物を抱えた奈与は『お土産』と元気よく笑って、さくらに甘え付く。
奈与は子供だ。
体の大きいだけの、子供。
いまの彼は、『あの』奈与とは思えないほど安らいだ、優しい顔をしている。
刹霞によると、それが彼本来の性状だと言っていた。
「こんなにたくさん、頑張ったのね……一緒に食べようか」
「ホントか!」
嬉しそうに笑う横顔を見ながら、さくらは密かに杞憂する。
(短時間で、どこまで育て直せるかな……)
そんな二人を、数粁離れた樹の天辺から見る影があった。
朔と弖阿だ。
「どういう事じゃ? あ奴、奈与なのか? 随分と面変わりして……」
「う〜ん……あいつに違いないけども、どうかしちまったのかな?」
つんつんと、脳天をつついてみせる朔を窘めて、弖阿は小さく咳払いする。
「こぉれ朔! それにしても……さくら、幸せそうに見えぬか?」
不機嫌に憮然とする朔を揺らすことを、弖阿は言ってよこす。
「はん! 幸せそうだって?」
「母子みたいだ、微笑ましいの」
にこにことする弖阿の横で、朔は二人をチラと盗み見た。
一つの果実を、分け合って食べる様子はとても幸せそうで。
(なんだよ……あんな顔、最近俺だって見たことないのに! なんで奈与だけに)
朔は胸が痛んだ。
胸が痛いのか、それとも別の場所なのか……本当のところは分からないが、なにかが蝕まれていくようだった。
帰らないさくらを、見つけたらすぐ連れて帰るつもりだった……けど。
やめた。
体が、勝手に動いた。
「帰ろう」
弖阿は『ふざけが過ぎた』という顔をしてから、そっと朔の後に続いた。
「よ…よいのか? さくらは……」
しどろもどろの弖阿に、朔は沈黙。
朔は、なにも言わない。
いや、なにを言えばいいのか分からなかった。
「さくら、大好きだよ」
「嬉しい……」
(なんだろう……お母さんって、こんな気持ちなのかな?)
甘える奈与を抱き締めたまま座り、さくらは彼の細い髪を、何度も梳いてやる。
幸せそうに目を細める奈与、さくらはその表情にどこか悲しげな笑みを浮かべた。
暮れゆく夕陽が、二人を橙色に染めあげていく。
その中で、海辺で拾った流木がパチパチと爆ぜて、不思議な青緑の焔を上げた。
さくらが作った橡の実の団子を食べながら、奈与はぽつりと云う。
「このまま、ずっといられるといいのに」
やがて訪れる別れを、見越しているのだ。
この時間が、あまり長くないということを。
「傍にいて、さくら…一人にしないで」
(この子は一人、寂しい幼年時代を過ごしたのね……でも、あたしには琥珀がいた)
奈与の端正な目尻から、涙が幾筋もこぼれ落ちては散っていく。
「うん、泣かないのよ、傍にいるわ? ずっと一緒」
「でも、さくらには朔が……」
「なにも言わないで……いい子、もうお休み?」
「怖い、怖いよ……」
膝枕に伏した奈与を宥めながら、さくらは子守歌を歌い始めた。
ゆっくりと、透明な声で包むように。
「大丈夫、目を閉じて」
幼い頃、琥珀が自分にしてくれたのを遠く、思い出しながら。
陽が、暮れていく。
寄り添う影が、重なってゆく。
夕闇は、しっとりと母子を呑み込んでいった。
「おい刹霞! 俺ァもう我慢できねぇぞっ」
「わ、若様ぁ……落ちついてくださいっ」
袖にしがみつく紫生に歯噛みして、朔は刹霞に詰め寄る。
「そうじゃ朔! 奈与さえ更生できれば乱は止まる、我慢しておくれっ」
袖を振りかざして仲裁に入った弖阿に、朔は溜めこんでいた激情を露わにした。
「これでもう3日戻ってこない! どうして、さくらがこんな事しなくちゃいけないんだっ」
ばし、と朔の頬が鳴った。
弖阿がその頬を、打ちすえたからだ。
「泣き言を云うでない! さくら……あの子とて、辛くない訳なかろうが! だから……そう云うのはおよし」
彼女の激に、一同は目的を見失っていた自らを恥じた。
「ねえ…お父さんの所に行こうか?」
さくらは、身繕いしている奈与の背中に云った。
「父上の?」
こくんと頷いて、さくらは続ける。
「まだ、人間が憎い? 人間は、滅びた方がいい?」
「なぜ?」
「あなたが止まれば、間違った方向に進もうとしている兎族…ううん、この世界全部が助かるの」
幼い子供に言い含めるように、さくらはゆっくりと奈与に云った。
「オレは、さくらが好き。だから、人間も…同じ」
「いい子、奈与……いい子ね」
自分より頭2つ大きな奈与を抱き締めながら、さくらは泣く。
「泣かないで? 泣かれたら、困ってしまうよ」
悲しい涙じゃない。
これは嬉しい涙。
オロオロする奈与に謝って、さくらは涙の痕をごしごしと拭った。
「ごめんね、ごめん……本当に嬉しくって」
「笑って? さくら」
柔和に微笑んだ奈与に、さくらは『よし』と柏手を打つ。
「行こう、お父さんの所に」
「うん、オレが行けば…さくらも、みんなが助かるなら」
3日ぶりに戻ったさくらが、すっかり面変わりして柔和になった奈与を連れているのを見て、城中・城下の者も一様に驚きを隠せなかった。
「さ、さくら……それに!?」
朔、奈与とニアミス……そして、朔が一方的に火花を散らしている。
「た、ただいま…朔ちゃん。大丈夫?」
「さくら!! さくら、さくら……ったく、心配させやがって。命が幾つあっても足りねぇよ」
「……!!」
強く抱擁をする二人に、奈与は瞬時に硬直してしまった。
その表情が、見る間に曇っていく。
例えるなら、叱られて耳と尻尾を垂らした子犬のようだ、とい言うのがよく当てはまるかも知れない。
「朔ちゃん、ちょっとごめん」
さくらは、所在なさげに目線を泳がせている奈与に駆け寄ると、やんわりと抱き締めてやった。
それに朔は勿論のこと、弖阿、刹霞までもが茫然と目を張った。
「怖くないのよ、安心して? あたしが傍にいるからね」
「さくら……うん」
スリスリと甘える奈与に、朔はやっぱりお冠。
「くぉの! エロガキめぇええ〜」
あまりの嫉妬に、拳をふるわせる朔。
「待て朔、早合点するでない……見てみぃ、あの奈与が。あれでは稚い子兎のようではないか」
弖阿は心底驚いたのか、手近にいた子兎姿の紫生を、思いきりブチブチと毟っている。
「わ〜〜ん、イジメだぁ」
「なんつーか、うん…お前も散々だな。人のことは言えねぇけど」
朔が腐る紫生を宥めているうちに、さくらと奈与は、和気藹々としていた。
だが……それを見た朔は一瞬にして表情を凍らせた。
ブチッ ブチブチッ
朔も紫生を毟る。(八つ当たり)
「若様までぇ! ヒドすぎですぅ〜〜っ」
朔は半ベソをかいている紫生を連れ、怒り心頭で館の四足門を出ようとしていた。
「わ‐‐――‐っ、まだ死にたくないよぉーっ」
「行くぞ紫生、大人しくしろ!」
「あ、ちょっと待ってよ! 朔ちゃん……怒んないで、話を聞いて欲しいの」
「話!? コイツと、よろしくやってたってヤツかっ、もう知ってるよ!」
止めるさくらの手をはたき飛ばし、怒鳴る朔。
さくらは一瞬だけ深く傷ついた顔をして、そっと、ゆっくりと肩に触れた手を離した。
「違うの、あたしがこの子を連れて戻ったのは……皆に大事な話があるからよ。聞いて、皆…勿論朔ちゃんも、ね?」
語尾が、掠れて震えた。
兎族の悲劇が、終わるのだ。
この子‐‐――‐‐当事者・奈与の一言で。
「さ、奈与…皆に伝えるのよ」
さくらが強張った顔をなんとか解して促すと、奈与はしっかりと頷き、場に集まっている者すべてを見わたして、よく通る声で言った。
「やっと分かった……彼女に会って分かった。人間でも、すべてが悪い訳じゃないのが。だからオレはやめようと思う。彼女を守りたいから、もうなにも恨まない……父上、いまからでも遅くはないだろうか? 間違った方向へ進みかけている『もう一つの兎族』を止めたいんです」
刹霞はやや暫く沈黙した後、すっくと階の上段から立ちあがった。
その顔には、決意が滲み出ている。
「よく言うた奈与、それでこそ我が息子だ。共に行ってくれるか」
「はい」
応える声は澱みなく。
研ぎ澄まされた眼差しには、一点の曇りもない。
「さくら殿には誠に迷惑をかけた、すまない。憎まれ役を押しつけて、夫婦の絆さえ危うくさせるところだった」
「いいえ、あたしにしかできない役だったんです……仕方ないですよ」
悲しげな笑みを浮かべるさくらに、朔は渋面を作ってそっぽを向いた。
「いますぐ、行ってしまうの?」
さくらは刹霞と奈与の傍に小走りにまろぶと、奈与の手を握る。
「うん……大丈夫だよ、母さん。すぐ帰ってくるからね」
眉尻を下げて柔和に微笑んだ息子を、さくらは強く抱き締めた。
「必ず戻ってきてね、無事を祈ってるわ?」
「うん」
「さ、行って……刹霞さんも、ご武運を」
「さくら殿にはなんと礼をすればよいか……こんなにも、兎族の方向性を変えてくれた。いいや、もう礼だけでは足りぬな」
刹霞は懐を探ると、螺鈿細工の小柄をさくらに差し出してきた。
「え? 刹霞さん……」
「護刀だ、俺の念を灼きつけておいた。滅多なことでは折れぬし、そなたの守りとして働こう」
刹霞はにこりとすると、青天を仰ぐかのようにして手を伸ばす。
「‐‐―‐‐―――」
また、耳慣れない言葉だった。
おそらく刹霞は、兎族の言葉で術式をしているのだろう。
ひどく、耳鳴りが鼓膜を揺さぶる。
灼け串で、頭の中をかき回されるような感覚がした。
天地が歪み、太陽は黒く染まる。
そうやって空間に穴を開けるのか。
青天にぽっかりと空いた筋を見て、さくらは息をのむ。
それは、どこかブラック・ホールを思わせた。
青い稲妻に変じた二人は、まるで吸いこまれるかのように、筋に消えていったのだった。
どうも、維月です。
『Rabbitパニック』新章のお届けに上がりました。
今回は、困ったさんな奈与のせいで、さくらと朔がやばい状況にあります。
まさか、そのまま離婚だったりして……(>_<)