さくら、ピンチ!
助けた子兎…紫生に連れられてやってきた島、兎族の隠れ里の島である梁呂。
手厚い歓迎を受けるさくらだが……。
夜の砂浜で、さくらに危険が迫る!?
島に着いて、耳に真っ先に飛び込んできたのは、甲高い女衆の声だった。
「まあ見て! 黒髪よ黒髪っ、なんて神々しいのかしらっ」
「この子も可愛いわよ?」
「だ〜っ、んだよお前らっ……こら、ひっつくな」
「えっ、えーと、あの?」
見る間に包囲され、押しくらまんじゅう状態に……。
一気に押し寄せる女性陣に、紫生は半ば押し潰されながら、さくらの前に出て彼女を庇った。
「こらっ、姫様に触るな! 道を開けろっ」
しん‐―‐‐と、女性陣のざわめきが一瞬で治まったのに、さくらはぱちんと一つ瞠目をする。
(すごっ……紫生君って、結構偉い人なのかな?)
「おや紫生、おまえ、戻っていたのかい」
女衆の中から、紫生と同じ忍び装束だが、それをもっと上等にしたものを着た女性が現れた。
きりりとした、なかなかの美女……くノ一だ。
いつの間にか、周りにごった返していた者すべて(朔とさくら、紫生を除いてだ)が身を伏せ、伏礼していた。
「ばあちゃん…あ、いや長老」
(はぁ!?)
ばあちゃん?
この周りで、年を取ったように見える者はいない。
一体、誰を指して言っているのか分からず、朔とさくらは、互いの顔を見合わせてしまった。
目の前にいる女性がそうなんだろうか?
ばあちゃんといわれるには、とても似つかわしくなく…若い。
「こちらのお二方が、私を救ってくださったのでここに招いたのですが……いいですよね?」
「それはいいが、その前になんと言った? ん?」
女性は肯定の意を示したようだが、いまは別の意味で鼻白んだようだ。
きろりと横目で睨まれて、紫生はそろそろと後じさり始める。
「『ばあちゃん』って言ったよねぇ」
「ご、ごめんよっ、母ちゃん勘弁っ」
瞬間、彼女の覇気に気圧された紫生が、茶色い子兎になった。
「お若い方、遠路をよく来なさった。この悪たれが世話になったのぅ、あたしはこの島の長老で、弖阿という」
「あたしは、さくらって言います…こっちは朔」
弖阿は、うんうんと頷いてから、二人だけではなく周りにも陽気に笑って見せた。
「今日は宴じゃ! みな、楽しもうぞっ」
わあぁ…と一気に歓声が上がる。
その様に少々引きつりながらも、さくらは朔と顔を見合わせてから、どちらからともなく笑い出した。
けれどそれも束の間、二人はあっという間に弖阿の城館に招かれ、奥座敷で着付けられる羽目となったのだった。
「おー……色が白いから、なんでもよう似合う。次はこれなんかどうだ?」
(うっ…わぁ、映画村みたい)
いま、さくらが着ているのは小袖と緋袴、それに朱の打ち掛け。
いわゆる姫装束だ。
「あ、あの、弖阿さん」
「うん、なんじゃ?」
「あれ…」
さくらが指さした方角には、着替えの際に閉め出したはずの紫生が(茶色い子兎のまま)、格子戸の隙間から小さな頭を覗かせている。
弖阿の頬に青筋が浮き、勢いよく障子が開け放たれた。
「こンのエロガキがあっ! 紫生っ」
小憎たらしくも、紫生は一目散に退散。
「はぁ……たく、すまんのぅ。あのバカ、次にやったら許さんでな。で、さっきの続き、と」
ごそごそと、再び箪笥を漁り始めた弖阿に、さくらは小さく溜息した。
(朔ちゃん、どんな服着るのかなぁ? 格好いいもん、なんでも似合うよね)
一方、弖阿から逃げてきた紫生は、まだ治まらない動悸を咳き込みながら抑え、部屋で待っていた朔の着付けをようやく始めた。
「は―――‐‐‐恐ろしかった」
くてん、と畳の上に潰れる紫生に、朔は袴の紐を縛ってから横に座った。
「なあ、さくらは、さくらはどうだった?」
「お美しゅうございましたとも……それはもう」
ほけ〜……と遠い目をする紫生に、朔はがっくりと肩を落とす。
(ダメだコイツじゃ……自分の目で確かめるしかないかな)
朔は、てきぱきと身繕いを済ませて、廊下に出た。
「ダメですよ若様、いまは我慢です」
トコトコと付いてきた紫生が、慌てて朔の腕を引き戻す。
「なんだ?」
「いまは鬼ババが…」
「だ〜れが鬼ババじゃい! このエロガキが」
「ふぎゅ!」
ごつ、と殴られ、紫生は敢えなく撃沈。
「朔ちゃん」
「さ、さくら」
鉄拳を振りかざす弖阿の後ろには、さくらがいた。
緋袴に、桜色の打ち掛けが、眩しいくらいによく似合って。
元々色素の薄い髪をゆるく結い上げて、それがより、艶やかさを際立たせている。
美しかった。
「朔ちゃん、どう、かな? ヘンじゃない?」
頬を染めて俯きがちになったさくらに、朔は、ぶぶんと頭を振る。
「よかった。朔ちゃんは、なんだか大正時代の書生さんみたい。よく似合ってるわ」
にっこりと笑いかけたさくらに、朔もつられて笑う。
どうやらその雰囲気に感づいた弖阿が、からかい気味に言う。
「ん〜? なんじゃお主ら、もしや夫婦か?」
瞬間、ぼふんと爆発した二人に、弖阿は『まだまだ青いのぅ』とニヤつくのだった。
「今夜は宴じゃ、さくら…存分に楽しもうぞ」
「ありがとう」
「鬼ババが、ウサギ被ってる」
と、(余計なことに)そこに紫生の茶々が入る。
「まだ言うか、このエロガキ! その口が悪いのかえ!?」
「きゃ――――――‐‐‐‐っ♪」
紫生を追って行ってしまった弖阿を見送って、さくらと朔は深〜い溜息をつく。
「仲いいのか悪いのか、分かんない二人ね」
「同感」
夜も半ばになり、皆が酔いつぶれた頃にさくらは、一人抜け出していった。
酒で熱くなった頬を、涼やかな夜風が撫でていき、それがなんとも心地よい。
潮の香りが混ざる夜風が、襟足の解れ髪を僅かに揺らした。
「いい風……月がきれい」
さくらは月光の降り注ぐ砂浜で、打ち掛けの裾を翻して廻々(くるくる)と踊る。
深い海の碧が月光を通して躍り、舞い踊る彼女を、より艶やかに見せた。
「はぁ……ホントにきれい、どこまで続いてるのかしらね、この海は」
「さて、な……月も海も、お前の前では霞んでしまうぞ。なぁ…さくら」
一人呟いたはずが、返ってきた返事。さくらは鋭く息を詰めた。
「奈与っ…」
逃げようにも、きつく背中を抱き締められ、身動きが取れない。
「逢いたかったぞ…さくら。お前がここに来るのを、待っていた」
一気に、黒い雲が月を隠した。俄に風が起こっては、ざわめきを増させていく。
「離してっ、離しなさいよっ、あんたなんか!」
もがくさくらの耳元で、奈与は喉の奥で嗤った。くくく、という嘲笑じみた笑いが、さくらの波だった神経をさらに逆なでにする。
「オレが…なんだと? いくら強がっても、朔は来ない。幻術をかけておいたからな」
鼻息が首筋を擽って、なんとも居心地が悪い。
さくらは一瞬だけ〈守られるだけ〉の不甲斐なさを呪ってから、密かに身構えた。
女だから、力がない……か弱い。
守られる存在であり、一人ではなにもできない、役立たず。
それが世間一般の〈女のイメージ〉である。しかしさくらは、それが心底気に食わなかった。
図々しくも唇を求めてきた奈与を受け入れるフリをして、がりっと鋭く唇に噛みついてやる。
「う゛っ!」
奈与の唇から一筋、つぅと血が伝う。
「女だと思って、ナメんじゃないわよ」
さくらは奈与の胸板を突きとばして脱出すると、凍った瞳で睨んだ。
「一筋縄ではいかんか。さすが、俺の惚れた女だ」
血を拭ってからニヤリとした奈与は、さくらの前髪を掴んで引き寄せると、力強く唇を奪った。
瞬間、かくん…とさくらが膝をつく。
その身がのけぞって、砂浜の上にくずおれた。
「気の強い女も嫌いではないが……いま暫し、黙っていてもらおうか」
さくらは突然の異変に、とり乱していた。
自らの意志に反して、体は砂の上に仰向けに転がっているのだから、無理はない。
これではあの変態奈与に『はいどうぞ』と言っているように見えるだろうに。
(バカっ! ヘンな手つきで触んないでよっ、変態バカウサギ!)
封じられた内心では、目一杯口汚く罵るが、体はまるで、魂の抜けた人形のように動かない。
(体が動いたら、コイツ……っ、絶対毟ってやる! ハゲてしまえっ)
「人間なんか、キライなのにな……けど、お前だけは特別だ」
奈与は、さくらを抱きかかえながら頬にキスをした。
「受け入れては……くれないか?」
(なに、こいつ!)
目が、合った。
彼の目は、いまかつて見たことがないくらいに、悲しげな色を滲ませていた。
「解」
奈与が一言呟くと、ふわり…とさくらを戒めていたものが消え失せる。
「奈…与?」
奈与を毟ってやる、と息巻いていたさくら。しかしなぜか、気持ちが縮んでいた。
それが釈然とせず、言ってしまってから、さくらはフルフルと首を振った。
「奴らにかけた術は解いた、じきに朔も来るだろう……」
「分かんない男ね、アンタって。どうして、あたしを助けたりするの?」
「これだけは覚えておいてくれ、オレは…さくらが好きだよ」
さくらは、カッと赤くなる。
こんな、率直に好きだなんて! どうかしてるとしか思えない。
だが、さくらはある疑問にぶつかった。
(あれ、この子……よく見たら、左右目の色が違う?)
それに、すごく透き通った感じがする。
この冷たい……凍える感じ。
さくらは、その目を知っていた。かつての自分と同じ……
『孤独』を知っている目。
「…どうして?」
「それは、分からん……また来るから」
走り去っていった奈与を、さくらは複雑な顔で見送っていた。
(あの目……奈与って、ただ表現がヘタなだけで、別に悪い子、というわけでもないみたい。あの子、寂しいんだわ)
どうも、維月です。
『Rabbitぱにっく』新章のお届けです。
あー…奈与が変態くさいっ! ちなみにダンナさま(朔)は優雅にお眠中。こらこらこら…(慌)
弖阿と紫生の掛け合いが描いていて面白かった。
ちなみに仲いいです、この二人。(親子だから当たり前か)
こんな話ですが、読んでくださる読者様。ありがとうございます。それでは、また次回お会いしましょう。