兎族の島・梁呂(リャンリュイ)
奈与の追撃もなく穏やかなある日の昼下がり、さくらは畑の罠に引っ掛かっている子兎・紫生を助けてあげた。
実はこの紫生、二つに分かれた兎族の片割れの一族だった!
お間抜けキャラ(でも忍者)な紫生も加わって、ますます盛り上がっていく(?)さくら一行。
さてさてどうなる、怒濤の第2部スタート!
「ひ‐‐―――‐‐ん」
ただっ広い畑に、なんとも悲しげな泣き声が響き渡る。
このままだったら、必ず死ぬのは間違いないだろう。
この炎天下だ。
熱にやられるか、畑の持ち主に毛皮――しかも生皮を剥がれるか。
つぶらな瞳から、ぽろっと涙がこぼれ落ちた。
畑のど真ん中に竹竿が天を仰いでおり、その先には、罠に掛かった哀れな茶色い獣がぶら下がっていたのだ。
明らかな罠に、なぜ気づかなかったのか?
耐え難い空腹に、罠があっても近づくしかなかったのである。
「きゅう…ぅ、きゅ、うぅ」
茶色い兎は、逆さにぶら下がったまま泣き出してしまった。
怖い。
怖い。
怖い。
死にたくない、こんなところで。
助けて誰か!
「あら? 朔ちゃん、ちょっと来てーっ、なんか引っかかってるの〜」
「んん?」
さくらは、仕掛けに引っかかっている獣を地面に降ろし、足首を縛る縄を切ってやった。
「見て! 茶色いウサちゃんっ」
ぐったりしている子ウサギを朔に突きだしてみせると、さくらは上機嫌に愛撫を始める。
「元気ないねぇ、お腹減ってる?」
子兎は、しきりに頷くとぽろぽろと泣き始めた。
さくらはぎょっとする。
「かたじけない」
「あなた、やっぱり話せるのね?」
「はい」
子兎は、さくらの膝から飛び降りると、土下座をするように頭を下げた。
思わず顔を見合わせる朔とさくらである。
「盗みを働いたのに、救ってくださるとは……なんとお優しい方、『姫様』と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか? これ以後は、姫様にお仕え致します!」
「あ、あのね…とにかく落ちついて。あたしはさくらっていうの、こっちは朔、あなたと同じウサギよ」
「その艶やかな黒髪……あなたはかなり高貴な身分の方ですね。どうか、私どもの国におでくださいませ」
土下座したまま、子兎はなぜか朔に敬意を払う。
(なんだろ、ウサギの黒髪って珍しいのかな?)
「固いなぁ、これじゃ奈与といい勝負だ。それと、お前さんの名前…まだ聞いてなかったけど」
けむたそうに言って、朔はいつの間にかに黒いウサギの姿になっていた。
「あ、失礼を…私は名を紫生と申します。胡の東海にある梁呂という島の忍です。私事を済ませに衙に下ったものの路銀も底をついてしまい、今のありさまに」
「なあ、お前らの一族って、兎族か? 『森の民』って知ってるか?」
「私どもの一族がそうですが、若様と姫様も同族で?!」
ばっ、と勢いよくしがみついた紫生に、さくらは少なからず慌てた。
「う、ううん……あたしは人間なのよ」
「いえ、いいえ…姫様も人間であれ、私には唯一の君主には変わりございませぬ。この際、姫様も我らと同族です」
「え、えっとぉ」
苦笑いするさくらに、朔は思いきったように言った。
「ま、いいんじゃねぇか? 仲間は多けりゃ多い方がいい」
「朔ちゃんたら……紫生君は、とりあえずなにかお腹に入れなきゃね。酷いやつれ様よ?」
「そういや、お前さっきから人型してないよな……空腹過ぎて力が出ないのか?」
「お恥ずかしゅうございます」
げんなり、と床に潰れた紫生の前に、さくらは皿を置く。
「たくさんあるから、どんどん食べてね」
皿に乗っている物体を見た朔は、すざ‐‐―‐‐っと後じさり、壁にしがみついた。
皿にのっている物体―――基い人参に、朔は一気に青くなった。
「なななっ、まだあったのかよっ! しかもそれ、土臭い」
「うん、だって…そこの畑で採れたてだから♪」
「なに‐―‐――!? 人参なんか埋めんなっ」
さくら、どうやら朔に内緒で人参畑を作っていたらしい。
かりかりと人参を囓っている紫生を、さくらはにっこりと笑いながら撫でてやる。
「あのね、朔ちゃんたら人参キライなのよ? ウサギなのにねぇ」
「ったく」
ぼふっ、と煙が上がると同時に、朔は人の姿に戻った。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないの……あら、もういいの?」
「おいしゅうございました、姫様。ありがとうござります」
そう言ってから、紫生はその形を大きく歪ませた。
その様は、水が揺らぐかの如く。
「姫様」
紫生は、ゆっくりと顔を上げる。
茶色い短髪に、つぶらな翡翠の瞳。
そこには、みかけ12才ほどの年格好をした少年が跪いていた。
「あら、ら」
あまりの驚きにさくらは、紫生を見てから、ぱちくりと一つ瞠目をした。
「で、どうやって行くんだ? その梁呂ってのは」
どこか偉そうな朔の脇をさくらが小突くが、紫生は気にした風もなく、にこやかに応える。
「胡の海岸に船、小舟ですが用意がありますので、それで梁呂までこいでいくんですよ」
(胡国までって、どうするんだろ……歩き、はかなりキツいんじゃないかなぁ?)
不安が顔に出ていたのか、朔がそっとさくらの肩を抱いた。
「大丈夫だ、だから……な?」
「うん、そだね」
すべて言わなくても伝わる。二人を繋ぐものはこんなにも強いのだ。
紫生はその様子を和やかに見守りながら、島にいる家族を想ったのだった。
「それで、やっぱり〈筋〉を使うのね」
移動手段を知って少しげんなりしたさくらに、しおうは『しばしのご辛抱を』と、さくらと自分の手を強く握り合わせる。
それを見ていた朔は、(さくらに言わせれば子供っぽく)始終拗ねて、床を転がりまくっていた。
いわゆる『ヤキモチ』であるが、本人はそう自覚していない。
「ほら、朔ちゃんてば…行くよ?」
紫生が〈筋〉を開きながら、二人を肩越しに振りかえる。
「いま行くっ」(怒)
づかづかと歩調荒くついてくる朔に、さくらは大仰に溜息した。
「なに怒ってるんだか。こっちおいでっ」
「ん゛っ!?」
引き寄せられると同時に、朔は爆ぜんばかりに大きく目を張った。
唇に柔らかな衝撃。
キスである。
「もう、ヤキモチ焼きさんなんだから。いい子にして?」
「……!?」
真っ赤に沸騰している朔を引きずって、さくらは紫生の後に続いて〈筋〉に入っていった。
「紫生君、梁呂の兎族の村って……どんな所?」
さくらは朔に手を牽かれながら、前を歩く紫生に問うた。
(あれ、〈筋〉の中にいるのに苦しくない? 耐性でもついたのかしら?)
「言うなれば島全体が『隠れ里』ですね。ご心配なさらずに、我らはもう一つの兎族と違って、人を嫌っている者はいませんから」
「そうなんだ……その、もう一つのっていうのは? なあに?」
小首を傾げたさくらに、紫生はなぜか赤くなる。
「いまから千年前に、兎族は二つに分かれたんです……なんで、分かれたまでかは私にも分かりかねるんですが、長老なら話してくれるかも知れませんね」
「初めて聞いたぞ、そんな話。向こうの連中は、それを根に持ってるって訳かよ」
歩くうちに薄暗さが消え、足が細かな砂の感じを捉える。
潮風が、三人の髪を撫でつけていった。
「着きましたね、船を持ってきます……暫しここでお待ちを」
「う、うん…分かったわ」
一々、さくらの手を握りながら話す紫生に、朔はいらいら。
「なんて顔してるの…朔ちゃんたら、こーれ」
き―‐‐っと、歯を剥く朔を、さくらは撫でてやった。
「どうかなさいましたか? 姫…ささ、船の用意ができましたよ」
「あ、ありがとう」
「若様も、お早く」
穏やかな凪の海原に、船を漕ぐ音がゆっくりと響く。
「水きれいねぇ」
日射しに、水面が揺れて輝くのがなんとも美しくて、さくらは、水に手をひたして、軽く漕いでみた。
小魚が数匹、さくらの指の間をすり抜けながら、遊んでいく。
どこまでも果てない滄海の彼方を見つめて、朔はぽつりと言った。
「始まりの地……か」
「え?」
「さくら、これから戦が始まる」
強い意志を秘めた、青い瞳にまっすぐ見つめられて、さくらは短く息をのむ。
「戦……?」
「奈与はお前を狙ってくるだろう、さくらを守るため、俺は闘う」
‐‐―と、船が大きく揺れると同時に、紫生が『うわっ』と悲鳴を上げて、片足で踏鞴をふんだ。
朔は、さくらを抱き寄せて庇いながら、船に起きた異変に気がついた。
ひたひた、と足元を濡らす海水。
船底が割れて、浸水しているのだ!
「おい! この船、壊れてたのかよっ」
「た、確かに底穴は塞いだのにぃ〜っ」
その間にも、船は沈んでいこうとしている。
「とにかく! 出るぞっ」
抱え上げられ、さくらはその身を凍りつかせた。
「まっ、まさか……飛び込むのとか、ナシよね? そんなのいやよっ」
朔が足を踏み出した。
いま、ここは海の上。しかも沖のど真ん中である、当たり前なことに地面があろう筈もない。
あるとすれば、それは海の底ではないだろうか?
「やめてっ、飛び込まないで‐‐―‐‐!」
くつくつと、笑いが聞こえる。
抱かれたまま顔を上げてみると、朔が、悪戯の成功した子供のように、嬉しそうに笑っていた。
一気にさくらの口が、への字に曲がる。
「信じられない! バカ朔ちゃんっ」
「平気だよ、ほら…歩いてみろ」
特に悪びれた風もなく笑う朔を、さくらは恨みがましい目で見送る。
ほて、と降ろされたさくらは、足裏に固い感触を捉えて一瞬立ち竦んだ。
「大丈夫ですよ、姫様…私の術で、海を固めましたからね」
「固めた? え、ええ〜!?」
口で驚いてはいても、さくらはすっかり、海の上の散歩を楽しんでいるようだ。
「ありゃ聞いてないな。さくら、待てよぉ」
紫生はほのぼのと二人を見送っていたが、そして、いつの間にか置き去りになっていた。
……事にそれから暫くして気がついた。
「あっ、ひどい! これって置き去りだよ……若様、姫様ぁ‐‐――――っ」(慌)
こんばんわ、ご無沙汰しておりました維月です。
めきめきと(?)寒さを増す今日この頃ですが、体をこわして、2ヶ月ほど寝込んでしまいました。
みなさまも、恙なきようお過ごしくださいませ。
さて、本題。
ついに兎族の謎が明らかに!
千年前の悲劇とは……奈与、なっちに関係した話です。
我が子の中では、とりわけ凶暴な人ですが、まあそこがなんとも。(みなさまは、どうでしょうか?)
次回、乞うご期待です。
それでは、この辺で失礼致します。