15th Name 【Ring Exchange】
ある男性は、病気にかかっていました。
1日に1文字しかしゃべれないという病気です。
彼の職業は消防士なのですが、何かを見つけては「あ」としか言えませんし、現場を見ても「火」としか言えません。
疑問を感じて「え」と言ったところで、聞き返すことも出来ません。
そんな彼にも、夢がありました。
それは――ある女性に告白すること。
結婚式の資金も貯めていますし、何より彼女を愛する気持ちは誰にも負けていません。
だけど問題がひとつ――そう、この病です。
筆談もジェスチャーも出来ない病。
たった1文字で、どう気持ちを伝えればいいのでしょう。
それでも方法が無くは無いのです。
1日に1文字しかしゃべれない。
その言葉を次の日まで持ち越せば、その日に2文字までしゃべることが出来るのです。
3日で3文字。4日で4文字。
だから彼は5日間言葉を閉じ込め続けました。
ただ一言、「あいしてる」と言いたくて。
だけど途中で気づきます。
――そうだ「結婚しよう」と言わなくちゃ気づいてもらえない。
だから彼はさらに待ちました。7日間――「けっこんしよう」の7文字も言えるようになるまで……。
我慢すること12日。
ついに「愛してる。結婚しよう」と言える日がやってきました。
待ちに待ったこの日、ついに彼女に告白するんだ。
決意を胸に、彼は彼女の元へと進みます……。
□■□■□
ある女性は、病気にかかっていました。
しりとりでしかしゃべれないという病気です。
「こんばんは」と言われたら「はい」としか答えられませんし、「ここはどこですか?」と問われたら「かなり遠くです」くらいの言葉しか使えません。
「すいません」と言われた日には、答えることも出来なくなるのです。「ん」がついたらおしまいです。
そんな彼女にも願いがありました。
大好きな彼と人生を過ごしたい。
だけど彼女には大きな障害がありました。
言うまでもない、この病です。
彼女はしりとりでしかしゃべることができません。逆を返せば、自分からものを言うことが出来ないのです。
何を言うにも、相手の返事待ち。しかも、最後の文字に合わせなければならないのです。
仮に「タバコどこにあったっけ?」と聞かれて「結婚して」なんて答えられませんし、「ケチャップとソースどっちがいい」と言われて「一緒に暮らそう」とも言えません。あまりにも不自然すぎます。
じゃあ、どう答えるのが自然なのだろう。
どうしたらいいのだろう。
ただでさえ、このところ彼が無言になってしまっているのに。
このまま愛想をつかされてしまったら、わたしはどうしたらいいのだろう……。この気持ちを伝えられたらいいのに……。
手元にある結婚式のパンフレットが少しにじんで見えました。
そんな時、久しぶりに彼がやってきたのです。
どうしたのだろうという戸惑いと、きてくれたという喜びが無い混ぜになった複雑な気持ちで、彼女は彼を迎えました……。
□■□■□
彼は彼女の居間に腰を落ち着けていました。
落ち着いている風を装っていますが、その実かなり緊張しています。
彼の目は、お茶を淹れてくれている彼女に釘付けです。
言わなきゃ。言わなくちゃ……。
彼は意を決して、真剣な口調で叫びました。
「結婚しぇ!」
何と言うことでしょう。緊張して、「愛してる」を飛ばして「結婚して」と言ってしまったのです。しかも微妙に噛んでいます。
「…………」
彼女はくるりと振り返り、そして言いました。
「え、何?」
しかも彼女は聞き逃してしまっていたのです。
これに彼はあせりました。
彼女は、おろおろしている彼に何か言ってあげたかったのですが、しりとりでしかしゃべれない彼女は、これ以上何もしゃべることが出来ません。
どうしよう。彼に残されたのはたった5文字。だけど「愛してる」だけじゃ気持ちを伝えきれません。
言わなきゃ。それでも言わなくちゃ。もう12日も待てない。待ちたくない!
そしてこうも思います。
彼女は本当に僕のことが好きなのかな? ひょっとして呆れてるのかな? もしも告白できたとしても「何言ってるの?」って言われたらどうしよう。ひょっとしたらさっきの返事だって、聞き逃したんじゃなくてそういう意味で言ったのかも――
困惑とあせりと迷いがごちゃ混ぜになっていく。そんな彼の視界にテーブルが飛び込んできました。
正確には、そのテーブルに乗っているもの。そこにあったのはたった一枚のパンフレット。
きれいなプリントで、純白のウェディングドレスをまとって幸せそうに微笑んでいる新婦さんが……。
…………。
一瞬、彼の頭が真っ白になりました。
もしかしたらとか、どうしようとか……そんな迷いが一瞬で消し飛んていました。
迷う理由なんか、最初っからどこにも無かったのですから。
彼はパンフレットをつかみとり、それを彼女の目の前に見せて思いの丈をぶつけました。
「これを着て!」
きっちり5文字の言葉に乗せて。
彼女は、何も答えませんでした。
ぽろぽろとこぼれる涙が止まらなくって、しゃべることができなくなっていたのですから……。
――それから一週間後。7日分の言葉にのせて、彼は改めてこう言いました。
「けっこんしよう」
それから彼女は答えます。
「うん」
はい。「ん」がつきました。
これでこの物語はおしまい。
めでたし。めでたし。
執筆日 2011年 01月19日
書きおろしの一本です。
シュール系小説と、甘甘系を組み合わせた短編になりました。