第1話 史佳の過ち
史佳は呆然とした。
その理由は出席した高校の同窓会に津島政志が来ていない事を知ったからだった。
津島政志は今井史佳が高校時代に交際していた元恋人、二人は21歳まで5年間付き合っていた。
大学はそれぞれ違う大学に進んだが、些細なすれ違いと誤解から別れてしまったのだった。
「…そうなんだ」
友人の言葉に史佳の声が沈む。
今年37歳になる史佳は結婚に失敗し、今は独り身。
誰もが綺麗だと言ってくれた容貌も鳴りを潜め、最近では男性からの誘いもすっかりなくなっていた。
「本当よ。
さっき幹事の三島さんから聞いたんだけど、実家宛に送った同窓会の案内状は宛先不明で返って来たそうよ」
「宛先不明?」
政志の家族はもう以前の家に住んでいない事実に史佳は胸騒ぎを覚えた。
「ひょっとして津島君に合いたかったの?」
「まあ…一応は付き合っていたし。
昔話が出来たらと思ったの」
史佳は必死で顔に笑みを浮かべる。
友人の言葉は図星だった。
今日の目的は政志に会う事、それだけだった。
別にその先を期待していた訳ではない。
今は政志にも家庭があるだろう、それを壊すつもりは無かった。
ただ話をしてみたかったのだ。
その後、次々と他の友人達と会話を交わす。
それとなく政志に関する事を聞き出そうとするが、誰も知らないという返事が返って来るばかりだった。
「そうだ、山井なら知ってるんじゃないか?」
「山井…山井謙一君?」
山井謙一は政志の中学時代から親友だった。
政志と同じ大学に進み、史佳とも交流があった。
…政志と別れるまでは。
「ほら、あそこに居るわよ」
「ええ…」
友人の一人が会場を指さす。
昔とあまり変わらない山井謙一の姿がそこにあった。
「山井君…」
「えーと…ひょっとして今井さん?」
「はい」
謙一に声を掛ける。
気まずさから声が小さくなるが、それでも政志の事を聞く為ならと勇気を振り絞った。
「久しぶりだな…」
「…そうですね」
謙一の瞳に懐かしさはない。
寧ろ嫌悪感すら漂っていた。
「何か用か?」
「その…津島君は今日来てないみたいで」
なんとか言葉を続ける。
政志との別れを知る謙一にとって、史佳は忌むべき存在だった。
「捨てた人間がなんで今更…」
「ち…違う!」
思わず出た大きな声に会場の数人から視線が集まる。
目立ってしまった恥ずかしさに史佳は顔を伏せた。
「ただ津島君に一言だけ言いたくて」
「何を今更」
フッと謙一は鼻息を吐く。
その態度は史佳の心を一層深いところまで沈めた。
「また誤解とか言うつもりか?」
「……」
言葉が出て来ない。
覚悟はしていたが、取り付く島を全く許さない謙一の態度に史佳は何も言えなくなった。
「ちょっと来い、ここでは目立つ」
謙一はそう言って会場の外へ歩き出した。
「ここらでいいか」
会場から少し離れた薄暗い廊下で謙一は立ち止まった。
「今井、もう政志の事はそっとしといてくれ」
冷淡に謙一は告げる。
その態度は史佳の心に怒りを呼び起こした。
「なぜ?
私は別に政志を困らせるつもりはないのよ」
「あのな…」
「ただ会って昔の事を話すだけも許されないの?
確かに私は政志と別れたわよ、それは事実だし言い訳しない。
でも少しくらい…」
「止めろ!!」
遮るように謙一が叫んだ。
彼の目から流れる涙に史佳は言葉を失った。
「…手遅れなんだ」
「手遅れ?」
呻くような謙一の言葉に史佳の胸は再び嫌な予感に包まれた。
「アイツは死んだんだ」
「…は?」
手にしていたハンドバッグが滑り落ち、頭が真っ白になった。
「5年前だ…癌で…気づいた時は手遅れだった」
「嘘よね?
私を政志から遠ざける為に…」
「そんな事するか。
不謹慎過ぎるだろ」
「…本当なの?」
廊下を背に史佳は崩れ落ちた。
「…お墓は?」
「知らんよ」
「そんな…」
「政志の家族はアイツが亡くなって直ぐに引っ越した。
どこに行ったか俺は知らない」
淡々と、謙一は足元にうずくまる史佳に呟いた。
「そんな…私、政志に…」
「誤解だったなら、直ぐ諦めないで何度でも、どうして政志に言わなかった…」
「あ…あ…」
髪を掴み、激しく泣きじゃくる史佳の様子を見て謙一は小さく呟いた。
政志と史佳が別れたのは今から16年前。
交際は順調だった。
違う大学に進んだ2人だったが出来るだけ時間を作り、会う事を欠かさなかった。
そんな2人の関係が壊れたのは、史佳が参加した大学の学園祭で打ち上げの飲み会だった。
翌日に政志と会う約束をしていた史佳は早めに切り上げるつもりだったが、活動していた演劇サークルの評判が良く、仲間はすっかり浮かれていた。
史佳も進められるまま酒を飲み、気づいた時は下宿していた仲間の部屋で眠っていた。
部屋に居たのは数人の男女、皆雑魚寝をしていた。
目覚めた史佳は慌てて時計を見た。
約束の時間は午前10時、しかし時計は昼の2時を回っていた。
メールを送るが返信がかない。
電話をするが、着信拒否のアナウンスが流れる。
ここまで拒絶されるとは思わなかった史佳は急いで待ち合わせ場所に向かった。
「政志!」
着いたのは午後4時、既に政志の姿は無かった。
1時間そこで待ったが政志は現れない。
次に政志の下宿するアパートへ向かおうとした時、史佳の携帯が鳴った。
見知らぬ番号。
史佳は震える手で携帯を押した。
「もしもし…」
『史佳か?』
受話器から聞こえる政志の声に混乱したまま史佳は叫んだ。
「政志?なんで今日は…」
『謙一の携帯から掛けている。
昨日は何していた?』
「え?」
『答えろ』
冷たい言葉に史佳の混乱は益々深まった。
「昨日は学園祭の打ち上げで」
『また酒…飲んだのか?』
「うん…少しだけ」
電話の向こうから聞こえる政志の溜息。
史佳は以前から政志から酒を控えるように言われていた。
なぜなら史佳は酒が入るとグダグダになってしまう。
周りの人間にしなだれ、抱きつく等の行動があった。
「でも変な事してないよ」
『これがか?』
一通の画像が史佳の携帯に着信する。
慌てて画像を確認した史佳の顔から血の気が引いた。
「な…なんで?」
それは史佳がサークル仲間の男に抱きつき、頬にキスをしている写真だった。
『こんな写真が史佳の携帯から数枚送られて来た』
「お…覚えてない」
[記憶にない。]
それは免罪符にならない事くらい分かっていた。
「私が送ったんじゃ…」
『誰が送ったとか問題じゃない、事実としてだ』
「…政志ごめんなさい」
『別れよう』
駅のベンチに座り、必死で謝罪を繰り返す史佳に政志は言った。
「嫌よ!
もうお酒は飲まない!
サークルも辞めるから!」
『手遅れだ』
「なんで!」
『疲れたんだ、もう…』
「ま、政志…」
こうして2人は破局を迎えた。
その後も数回連絡を取ろうとしたが、政志から1度も返って来る事は無かった。
別れた理由も政志は、ただ自然消滅とだけ周りに言ったのだった。
「バカよね…」
同窓会が終わり、会場だったホテル駐車場に停めていた愛車のハンドルを握りながら史佳は呟く。
あれ以来お酒を一切飲まなくなった史佳。
就職した会社の飲み会や、短かった結婚生活の間も。
飲んでしまえば、悪夢の記憶が蘇るかもしれない恐怖に手が伸びなかった。
「政志…」
結婚生活は僅か3年で終わった。
当時26歳で、相手は勤めていた会社の同僚。
政志を忘れ、ちゃんと向き合っていたはずだったが、結局は浮気をされ、史佳は捨てられた。
相場の慰謝料だけ受け取り、相手を必要以上に責めなかったのは、史佳の心の底には政志の姿があったからだった。
離婚後、勤めていた会社を辞め、知り合いと小さな会社を立ち上げた。
上手く時流に乗り、会社は順調に売り上げを伸ばした。
両親は再婚を勧めたが、史佳は応じなかった。
また同じ結果になると分かっていたし、相手にも失礼だと考えた。
「帰ろう…」
エンジンを掛け、車は駐車場を滑り出す。
夜の高速を走りながら、頭には政志が亡くなった事ばかり考えてしまう。
どんな人生だったのか?
最期は寂しく無かったのだろうか?
あのまま付き合っていたなら、政志の病気に気づいてあげられたのではないか…
「あ…!」
涙でボヤケた視界に急カーブが見える。
慌てて急ハンドルを切るが間に合わない。
縁石に乗り上げた車が宙を舞う。
「う…」
激しい衝撃が全身を襲う。
朦朧とする意識、痛みはない。
「ははは…」
思わず笑い声がこぼれる。
空虚な人生の幕引きに相応しい最期ではないか。
利用者に迷惑を掛けてしまったが、誰も事故に巻き込まなかった。
それが救いだった。
「政志…もし生まれ変われたなら…」
意識が遠退く。
やがて瞼を閉じた…
「ん?」
気づけばベッドに眠っていた。
身体に異常はない。
あれだけ大きな事故だったのに、傷一つ見当たらないのだ。
「これは?」
ベッドから跳ね起き、傍らに置かれていたスマホを掴み、日にちを確認する。
「まさか…」
2010年8月13日。
史佳は16年前、別れる2ヶ月前に巻き戻っていた。




