第488話 ここだけ違う
視察五日目の朝。
俺たちはグレイヴ領西部へ向かっていた。
領都を出てから、しばらく経った頃。
「そういえば、リオン」
向かいに座っていたエドガーが突然口を開いた。
「何?」
「ヴィクトルから聞いたんだけど」
嫌な予感がした。
「お前、ミラと付き合い始めた次の日に冒険者活動をしようとしたらしいな」
「……あいつ、なんでそんなことまで話してるの?」
王都へ戻ったら一言言っておこう。
「しかも、ヴィクトルに止められたって」
「止められたというか……」
「違うのか?」
「違わないけど」
俺の隣でピコが小さく跳ねた。
「ピー」
「ピコまで反応しなくていいよ」
エドガーが笑う。
「暇だったんなら、ミラと一緒に過ごそうとは思わなかったのか?」
「いや、予定がなかったから冒険者活動しようと思ったんだよ」
「それがおかしいって言ってるんだ」
「……それはヴィクトルにも言われたよ」
「じゃあ分かってるんじゃないか」
「だから予定を変えたでしょ」
「言われるまで気づかなかったところを笑ってるんだよ」
「まだ言う?」
「付き合い始めた翌日だぞ?」
「前の日も一緒にいたし」
「そういう問題じゃない」
「それも言われた」
エドガーが額に手を当てた。
「ヴィクトルがいてよかったな」
「そこまで?」
「ミラは何も言わなかったのか?」
「冒険者活動をやめてほしいとは言われてないよ」
「それと、付き合った翌日に一人で出かける話は別だろ」
「……結局その日はミラと過ごしたからいいじゃん」
「楽しかった?」
「うん」
「冒険者活動に行かなくてよかった?」
「よかったよ」
「じゃあヴィクトルが正しかったんじゃないか」
「……」
言い返せない。
「ピー!」
「ピコ、嬉しそうにしないで」
エドガーが声を上げて笑った。
なんだか納得がいかない。
「そこまで言うなら、エドガーはどうなの?」
「僕?」
「セレナと」
「セレナ?」
「婚約してるんだから、ちゃんと二人で出かけたりしてるの?」
「ああ。してるよ」
「……え?」
即答だった。
「王都にいる時は、二人で出かけることもある」
「二人で?」
「ああ」
「普通に?」
「僕とセレナがそのまま歩いていたら目立つから、少し格好は変えるけど」
「……そんなことしてたの?」
「言ってなかったか?」
「初めて聞いた」
「そうだったか」
「行く場所も決めるの?」
「大体は」
「店とかも?」
「事前に調べることもある」
「……エドガー、ちゃんとしてるんだね」
「何だと思ってたんだ」
「いや、別に」
「絶対何か思ってただろ」
「何も」
反撃したつもりだったのに、全然うまくいかなかった。
「ちなみに」
エドガーが楽しそうに続ける。
「暇だから一人で冒険者活動へ行こうと思ったことはない」
「もうその話いいって」
「ピー!」
「ピコも乗っからなくていいから」
またエドガーが笑う。
「……なんかヴィクトルと話してるみたいになってきた」
「それは褒め言葉として受け取っておくよ」
そんな話をしていた時だった。
馬車が少し大きく揺れた。
何となく窓の外へ目を向ける。
「……あれ?」
「どうした?」
「いや」
もう一度、外を見る。
「なんか違わない?」
エドガーも窓の外へ顔を向けた。
しばらく黙っていたが、
「……確かに」
と言った。
◇
西部へ入って最初に目についたのは、道だった。
立派ではない。
王都の街道なんかとは比べられない。
でも、穴が埋められている。
轍が深くなった場所には石や土が入れられていた。
その先には畑が広がっている。
使われていない農地もある。
それでも、この数日で見てきた地域より明らかに少ない。
荷馬車とも何度かすれ違った。
「物流も残っていますね」
監察官が言った。
「資料の通りです」
記録官が手元の書類を確認する。
「人口減少も、他の地域より緩やかです」
「ハル領に近いからじゃないですか?」
俺が聞いた。
ここはグレイヴ領西部。
ハル領との境に近い。
グレイヴ領からハル領へ働きに来ている人たちも多いし、人だけじゃなく物の行き来も以前より増えているはずだ。
「その影響はあるでしょう」
財政担当が頷いた。
「実際、西部は他地域よりハル領との人と物の往来が多い」
「じゃあ、それで状態がいいんですか?」
「一因ではあると思います」
財政担当が資料をめくる。
「ただ、それだけでは説明できない部分があります」
「どこです?」
「例えば道路です」
窓の外を見る。
「交易量が増えれば街道が使われる理由にはなります。
しかし、誰かが補修しなければ道は良くなりません」
「確かに」
「農地についても同じです。ハル領への出稼ぎや交易だけで、耕作地が他地域より維持されている理由すべてを説明することはできないでしょう」
王宮から西部だけに特別な支援が行われた記録もない。
グレイヴ領政から、西部だけへ大きな予算が回った形跡もない。
「まずは現地を確認しましょう」
監察官が言った。
「はい」
西部の中心になる町へ入る。
領都ほど大きくはない。
建物も古い。
でも、店が開いている。
市場にも人がいる。
活気がある、とまでは言えない。
ハル領と比べれば、まだかなり苦しいと思う。
それでも。
「これまで見た場所より、だいぶいいね」
「ああ」
エドガーも頷く。
だからこそ、余計に分からない。
俺は資料へ視線を落とした。
王宮からの支援。
領内支出。
人口。
農地利用。
物流。
商業記録。
それに、ハル領との往来。
視界の端が揺れた。
《対ハル領物流:増加》
《公的支援:標準》
《西部向け追加支出:確認なし》
《人口流出:比較的少》
《地域機能:部分維持》
《綻び:維持要因不足》
「……維持要因不足」
小さく呟く。
「何かありましたか?」
エドガーが聞く。
「ハル領との行き来が増えたことだけじゃ、説明できないみたい」
財政担当も頷く。
「私も同意見です。ほかにも要因があると考えた方がよいでしょう」
何かがある。
◇
町へ入ってから、視察団はいつものように聞き取りを始めた。
ところが。
「暮らしで困っていることはありますか?」
「別に」
「以前と比べて仕事は?」
「さあ」
「税については?」
「知りません」
「この道は最近補修されたようですが?」
「そうですかね」
明らかにおかしい。
領都でも警戒している人はいた。
でも、ここはもっと露骨だった。
質問には答える。
でも、最低限しか話さない。
ある店主に監察官が聞く。
「商品の仕入れは安定していますか?」
「まあ、それなりに」
「領外から?」
「いろいろです」
「主にどちらから?」
「いろいろですよ」
それ以上は答えなかった。
別の店へ行く。
そこでも同じ。
しばらくすると、俺にも分かってきた。
「……俺たち、かなり警戒されてるね」
小声で言う。
「そうみたいだな」
エドガーも小さく答えた。
「ピー」
ピコが俺の足元で跳ねる。
「ピコは大丈夫そうだけど」
少し離れたところでは、二人の子供がピコを見ながらこちらを気にしている。
俺が手を振ると、すぐに母親らしい女性の後ろへ隠れた。
「……やっぱり俺たちかな」
「たぶんな」
◇
昼過ぎ。
町の外れにある小さな農具店へ入った。
店主は六十歳くらいの男性だった。
農政担当が話を聞く。
「以前と比べて、農具の売れ方はどうですか?」
「減りましたよ」
「どのくらいです?」
「昔の半分もないでしょうね」
「それでも、他の地域より農地は残っています」
老人の表情が少し変わった。
「そうですか」
「何か理由をご存じですか?」
「知りませんね」
まただ。
監察官が老人を見る。
「我々には話しにくいことですか?」
老人の手が止まった。
少しの間、誰も話さない。
「……前にも役人は来ましたよ」
老人が言った。
「王都からですか?」
「領都からです」
「何をしに?」
「王都へ報告するから、困っていることがあれば話せって」
監察官の表情が少し変わった。
「何を話しました?」
「いろいろですよ」
老人が農具を棚へ戻す。
「税が重い。仕事がない。道が悪い。水路も直してほしい。若い奴が出ていく」
この数日、何度も聞いた話だ。
「その後、何か変わりましたか?」
老人が俺たちを見る。
「見れば分かるでしょう」
「……」
「大して変わらなかった」
「その話は、いつ頃です?」
「何年も前ですよ」
「一度だけですか?」
「何度か別の役人も来ました」
「同じように?」
「話を聞いて、紙に書いて帰っていった」
監察官が記録官を見る。
記録官はすでに書き留めている。
「その内容が王都へどのように報告されたか、確認する必要がありますね」
「はい」
老人の視線がエドガーへ向く。
服装や周囲の護衛を見れば、普通の役人ではないことくらい分かる。
「王子様なんでしょう?」
「はい」
エドガーが答えた。
「だったら」
老人は淡々と言った。
「王子様に話せば、今度は何か変わるんですか?」
空気が重くなった。
俺なら、すぐには答えられない。
エドガーも少し黙った。
「……分かりません」
老人の眉が僅かに動く。
「分からない?」
「今ここで、必ず変わると言うことはできます」
エドガーが老人を見る。
「でも、まだ僕たちはこの領地のことを十分に知りません」
老人は何も言わない。
「だから、軽々しく約束はできません」
「……」
「今までの人たちと同じだと思われても仕方がないと思っています」
エドガーが続ける。
「それでも、何が起きていたのかは確認したい」
しばらく沈黙が続いた。
老人は小さく息を吐いた。
「……今日は、それだけでいいですよ」
「分かりました」
エドガーは無理に聞かなかった。
店を出る。
「よかったの?」
俺が聞く。
「何が?」
「もっと聞かなくて」
「無理に話させても意味ないだろ」
「そうだけど」
「信用されてないんだから仕方ない」
エドガーが前を見る。
「領都の役人に何度も話して、それでも変わらなかったんだろ?」
「うん」
「だったら、僕が王子だから信用しろっていう方がおかしい」
昨日までとは少し違うエドガーだった。
俺はさっきの老人の話を考える。
領民は話していた。
領都の役人も聞いていた。
では、その内容はどこまで王都へ届いていたんだろう。
それとも、届いていたのに何も変わらなかったのか。
確認することが、また一つ増えた。
◇
午後。
町の周辺を歩いていて、また一つ気になるものを見つけた。
「この道」
俺が足元を見る。
「最近直してるよね?」
土が新しい。
石も入れ直されている。
監察官が西部の役人を見る。
「補修記録は?」
「確認いたします」
役人が書類をめくる。
「……ありません」
「町の予算でも?」
「はい。この区間の補修記録はございません」
「じゃあ誰が直したんだろう」
近くで荷物を降ろしていた男に聞いてみる。
「すみません」
「何だ?」
「この道って、最近直しました?」
「ああ」
「誰が?」
男が黙った。
「町の人たちですか?」
「……知らねえな」
「でも今、直したって」
「直ってるのは見れば分かるだろ」
「そうじゃなくて」
「俺は忙しいんだ」
男は荷物を担いで行ってしまった。
「知ってそうだったね」
「ああ」
エドガーも男の後ろ姿を見る。
その後も似たようなものが見つかった。
小さな共同倉庫。
記録では領の施設ではない。
でも使われている。
町の外れでは、荷馬車が定期的に食料を運んできている。
商人に聞いても、誰が取りまとめているのかを話したがらない。
さらに、仕事が少ないはずなのに、数人の若者が道路沿いで荷物を運んでいた。
「仕事は誰から?」
聞いても、
「いろいろですよ」
で終わる。
「……変だね」
俺が言う。
「何が?」
「一つだけなら分かるんだよ」
住民が自分たちで道を直す。
商人が荷物を運ぶ。
倉庫を共同で使う。
それぞれなら普通にあり得る。
「でも、何ヶ所もある」
道。
物流。
倉庫。
仕事。
「誰かがつないでるんじゃない?」
監察官が俺を見る。
「組織的に、ということですか?」
「分からないです。でも、全部が偶然っていうのも変じゃないですか?」
財政担当が資料を確認する。
「少なくとも、領の公費から支出された形跡はありません」
もう一度、周囲を見る。
視界が揺れた。
《行政支援:不足》
《地域機能:部分維持》
《非行政活動:存在》
《綻び:主体不明》
「……やっぱり」
「何か見えましたか?」
エドガーが聞く。
「領の役所とは別に、何かが動いてるみたい」
「誰かまでは?」
「分からない」
監察官が頷く。
「その点はこちらで確認しましょう。何か気づいたことがあれば、引き続き共有してください」
「はい」
誰がやっているのか。
なぜ住民はそれを話したがらないのか。
そして、なぜ行政の記録に残っていないのか。
西部には、この数日見てきた地域とは違う問題がありそうだった。
◇
夕方。
宿へ戻る前に、もう一ヶ所だけ確認することになった。
町の南側。
古い倉庫が並ぶ地区だった。
監察官と記録官たちは、少し先で倉庫の管理状況を確認している。
俺とエドガーは、二人の護衛と一緒にその後を歩いていた。
「結局、今日は分からなかったな」
エドガーが言う。
「うん」
「でも、誰かがいると思う?」
「たぶん」
「領の役人じゃなく?」
「少なくとも資料には出てない」
「王都でもない」
「うん」
ハル領との交易だけでも説明できない。
それなのに、西部は他の地域より少しだけ持ちこたえている。
何者なんだろう。
その時だった。
「離せ!」
声が聞こえた。
俺とエドガーが同時に足を止める。
護衛の二人もすぐに反応した。
「今の聞こえた?」
「ああ」
倉庫と倉庫の間。
細い路地の奥だった。
「助けてくれ!」
男の声。
護衛の一人が俺たちの前へ出る。
「殿下、リオン様。こちらで確認します」
「分かりました」
俺たちは護衛の後ろから路地を見る。
数人の男が、一人の中年男を囲んでいた。
服装を見る限り、貧しい男には見えない。
一人が男の胸元をつかんでいる。
「放ってはおけないな」
エドガーが一言言うと護衛が反応した。
「何をしている!」
護衛が声を上げた。
男たちが一斉にこちらを見る。
「その男から離れろ」
しかし、誰も動かなかった。
囲まれていた中年男が護衛を見た。
「助けてくれ! こいつらに殺される!」
そう叫んだ直後。
中年男が、胸元をつかんでいた男の腕を振りほどこうとした。
「逃がすな」
静かな声が聞こえた。
男たちの奥から、一人の若い女が出てくる。
二十代前半くらいだろうか。
こちらを見ても、まったく慌てていない。
怒っているようにも見えない。
ただ、妙に静かな目をしていた。
女の声を聞いた男の一人が、中年男の腕をつかみ直す。
「離せ!」
護衛が一歩前へ出た。
「事情は知らないが、これ以上の暴力は認められない」
女が護衛を見る。
それからエドガー。
最後に俺へ視線を移した。
「王都の視察団か」
「知ってるんですか?」
俺が聞く。
「今日一日、町中を歩き回っていただろ」
言い方は冷たい。
でも、女の目は俺から離れなかった。
「なるほど」
「何が?」
「お前がリオン・ハルか」
「……」
どうして俺の名前まで知ってる?
「その人に何をしてるんですか?」
俺が聞いた。
「お前には関係ない」
「関係あるかどうかは、事情を聞かないと分かりません」
女が僅かに目を細めた。
「だったら聞くな」
漂う緊張感。
今度は護衛が言った。
「まず、その男を放せ。話はそれからだ」
女は少しも動かなかった。
「それはできない」
空気が張り詰める。
中年男がもう一度身をよじった。
「こいつらは犯罪者だ! 早く捕まえてくれ!」
女の視線が男へ向く。
一瞬だけだった。
それなのに、中年男が黙った。
何だ?
今の。
恐怖とも少し違う。
女が俺へ視線を戻した。
「リオン・ハル」
「何です?」
「今日は帰れ」
「事情を聞いてからです」
「そうか」
女の口元が、ごく僅かに動いた。
笑ったようにも見えた。
「坊やにはお仕置きが必要なようだね」
その一言だけだった。
なのに。
背中に嫌な感覚が走った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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