第487話 壊れていく順番
それから三日間。
俺たちはグレイヴ領の各地を回った。
領都周辺の農村。
王家から支援を受けた地域。
人口流出が特に多い町や集落。
初日に見た領都も決して良い状態ではなかった。
でも、外へ出れば出るほど状況は悪くなっていった。
◇
視察二日目。
領都から馬車で一時間ほど離れた農村へ向かった。
「……かなり空いてるね」
「ああ」
馬車を降りたエドガーが周囲を見回す。
畑は広い。
ただ、そのすべてが耕されているわけではない。
冬だから作物がないというだけではなく、明らかに長く使われていない土地もあった。
崩れた柵。
雑草の残る農地。
泥の溜まった水路。
農政担当が土を確認する。
「土地そのものが使えなくなっているわけではありません」
「じゃあ、また耕せるんですか?」
「手を入れれば可能でしょう。ただし、人も金も必要です」
「人と金……」
どちらも今のグレイヴ領に足りないものだった。
「ピー」
俺の足元をピコが跳ねる。
村長の家へ向かい、過去数年分の収穫記録と納税記録を見せてもらった。
俺が気になっていたのは、なぜ人が出ていったのかではない。
それは以前から聞いている。
ハル領へ働きに来た人たちは、グレイヴ領では税が重く、仕事も少ないと言っていた。
俺が知りたいのは、そこに至るまで何があったのかだ。
「この年」
資料の一ヶ所を指す。
「前年より収穫がかなり減っていますよね?」
「はい」
村長が頷く。
「天候が悪かった年です」
「税は?」
「多少は軽くなりました」
「多少?」
「ええ」
隣にいた財政担当が納税記録を確認する。
「収穫量の下落に比べると、負担の減り方はかなり小さいですね」
「そうなんですか?」
「はい」
俺も改めて資料を見る。
その時、視界の端が揺れた。
《収穫量:減少》
《徴税負担:高》
《農家所得:減少》
《生産投資:縮小》
《綻び:生産力低下》
「……」
生産投資。
もう一度、村長へ聞く。
「収穫が悪かった次の年、農具を買い替えたり、水路を直したりできました?」
村長は苦笑した。
「そんな余裕はありませんでした」
「種や家畜は?」
「必要最低限です」
やっぱり。
取れるものが減っているのに、税の負担はあまり減らない。
そうなると農家は、翌年のために使う金まで削るしかない。
「これ……」
俺は資料を見ながら呟いた。
「税を取れば取るほど、次の年に取れる税が減ってませんか?」
財政担当が顔を上げる。
「どういう意味です?」
「収穫が減っても税を取る。農家は翌年のために使うお金を減らす。
農具も直せない。水路も直せない。そうしたら次の年の収穫も戻りにくいですよね?」
農政担当も資料を見る。
「確かに、その可能性はあります」
財政担当が何年分かの記録を並べた。
「……翌年以降も収穫量は十分に戻っていませんね」
「徴税額は?」
「少しずつ落ちています」
「やっぱり」
売上の落ちている会社から、無理に利益だけ抜き続けたようなものだ。
目先の金は取れる。
でも、それを続ければ会社そのものが弱っていく。
領地でも同じなんだろう。
◇
村の外れに、一軒の古い家があった。
そこには老夫婦だけが暮らしていた。
「昔は息子夫婦と孫も一緒でした」
老人が言う。
「今は?」
「息子は王都です。孫たちも一緒に行きました」
「土地は?」
「半分以上手放しましたよ」
「どうして?」
「税と借金です」
老人は淡々と答えた。
「収穫が悪い年が続いてね。農具も壊れた。馬も手放した。
それでも何とかやってたんですが、息子に言われました」
「何て?」
「ここに残っても先がないって」
俺は何も言えなかった。
老人が納税記録を持ってきてくれた。
耕作面積。
収穫。
納税。
借金。
土地売却。
数字を追う。
また視界が揺れた。
《耕作地:縮小》
《納税負担:継続》
《労働人口:減少》
《生産能力:低下》
《綻び:生活維持困難》
人口流出。
資料では、たった四文字だ。
でも実際には違う。
一つの家族が離れて。
畑が減って。
家に老人だけが残る。
そういうことが、この領地のあちこちで積み重なっている。
「リオン」
村を出たあと、エドガーが声をかけてきた。
「何?」
「前にグレイヴ領からハル領へ来た人たちも、似たような話をしてたのか?」
「うん。税とか仕事の話は聞いてた」
「そうか」
「でも、ここまでとは思ってなかった」
エドガーも農村を振り返る。
「僕もだ」
◇
視察三日目。
今度は領都から離れた小さな町へ入った。
農村より建物は多い。
ただ、初日の領都以上に閉まっている店が目立った。
「ここもか」
エドガーが呟く。
商業記録を確認すると、数年前から店舗数そのものが減っている。
取引量も減少。
領外から来る商人も減っていた。
その一方で。
「この年、商人への税負担が増えていますね」
財政担当が資料を指した。
俺も見る。
税収が減った翌年。
税負担が増えている。
さらに翌年。
店が減る。
税収がまた減る。
そして、残った商人への負担がまた増えている。
視界が揺れた。
《店舗数:減少》
《取引量:減少》
《徴税負担:上昇》
《商人流出:増加》
《総税収:減少》
《綻び:徴税政策の逆効果》
「……これ、完全に逆じゃない?」
「何がです?」
財政担当が聞く。
「税収が減ったから、残っている人からもっと取ったんですよね?」
「記録を見る限りでは、そう考えられます」
「でも、それで店が減ってる」
資料を指す。
「店が減ったら、また税収が減る。だからまた取る。そうしたらさらに店が減る」
エドガーが眉を寄せる。
「取ろうとして、取れる相手そのものを減らしているのか」
「うん」
財政担当が何年分もの数字を確認する。
「……少なくとも結果としては、その傾向が出ています」
監察官も黙って資料を見る。
「当時、領政側ではどう判断していたのでしょう」
町の役人へ聞く。
「税収確保のため、と記録にはございます」
「その後、店舗数が減ったことへの対策は?」
「……目立ったものは確認できません」
監察官の表情が険しくなる。
税収が減る。
税を重くする。
商人が逃げる。
さらに税収が減る。
農村と同じだ。
壊れ始めたところから、さらに取った。
それでまた壊した。
◇
視察四日目。
王家から過去に支援を受けた複数の地域を回った。
道路。
水路。
倉庫。
農業支援。
まったく何も残っていないわけではない。
実際に使われた事業もある。
ただ、農村へ行けば行くほど、王都から投入された金額に比べて恩恵が少ない。
「そんなに支援が出ていたんですか?」
ある村長は、本気で驚いていた。
「井戸を直してもらったくらいしか知りません」
別の村では、
「道路を直す話はありましたよ。でも、村の手前まででした」
さらに別の集落では、
「支援?」
と首を傾げられた。
その一方で。
「税は毎年取りに来ました」
「収穫が少ない年も?」
「ええ」
同じような答えが何度も返ってくる。
王都から下りてくる金は見えない。
領民から上へ持っていく金は、毎年集められている。
この差が、どうにも気になった。
午後。
領都へ戻った視察団は、これまでより詳しい会計記録を確認することになった。
俺やエドガーがグレイヴ伯爵家の私的な帳簿を直接見るわけじゃない。
監察官と財政担当が、領政側の公的な会計記録を確認する。
俺たちは必要な範囲で説明を受けた。
徴税収入。
王家からの支援。
領内支出。
公共事業。
領主家側への移動。
何年分もの数字を確認した財政担当の手が止まる。
「……多い」
「何がです?」
エドガーが聞く。
「領主家側へ移されている金です」
「領主家の維持費では?」
「それだけでは説明できません」
財政担当が別の記録を並べる。
「徴税収入や王家からの支援が入った後、領内支出に回らず、領主家側へ移されている金がかなりあります」
空気が変わった。
「金額は?」
監察官が聞く。
「正確な総額は、さらに精査する必要があります。ただし、少額とは到底言えません」
俺は資料へ視線を落とした。
視界が揺れる。
《徴税収入:継続》
《王家支援:反復》
《領内還元:低》
《領主家移転:大》
《領内資金:減少》
《綻び:資金流出》
「……」
やっぱり。
グレイヴ領が貧しかったから、王家は支援した。
その一方で、領民からも重い税を取っていた。
なのに、その金が領地へ十分に戻っていない。
「司法院が調べている私庫の記録とも関係しますか?」
エドガーが聞いた。
財政担当は慎重に答えた。
「可能性は高いでしょう」
そして続ける。
「司法院が現在確認している資料と、この領の公的な帳簿を照合すれば、領民から徴収した税金と王家からの支援金、その双方から相当額がグレイヴ伯爵の私的な蓄財へ回った可能性があります」
「……そんなに?」
思わず聞いてしまった。
「詳しい資金経路と総額については司法院が調査することになります」
監察官が言う。
「我々がここで司法判断をするべきではありません」
「はい」
「ただし」
監察官が机の上の資料を見る。
「これをグレイヴ伯爵だけの問題として終わらせることもできません」
エドガーが顔を上げる。
「王家の責任ですか?」
「非常に言いにくいのですが…」
監察官は迷わなかった。
「問題は、金を出したことではありません。
出した金が何に使われ、その結果として領民の生活がどう変わったのかを、我々が十分に確認しなかったことです」
水路が直った。
道路を整備した。
倉庫を作った。
農業を支援した。
「我々は報告を受け、支援が行われていると判断した」
監察官の声が重くなる。
「しかし、実際にここまで来てみれば、領民まで十分に届いていなかった」
財政担当も頷く。
「徴税と支援金の流れについて、もっと早い段階で深く確認するべきでした」
農政担当も口を開く。
「水路が完成したという報告だけではなく、その後、本当に農地が回復したのかまで確認していれば、もっと早く異変に気づけたかもしれません」
エドガーが黙っている。
やがて、小さく言った。
「金を出したから、我々は助けていたんだ」
誰も口を挟まない。
「僕も、そう思ってた」
エドガーが資料を見る。
「でも、届いてなかったら意味がないな」
「……はい」
監察官が答えた。
「監督する側として、我々にも省みるべき点があります」
俺も同じだと思う。
支援金を出した。
それだけで助けたことにはならない。
届いたか。
使われたか。
暮らしが良くなったか。
そこまで見ないと意味がない。
◇
その日の夜。
宿の会議室で、四日間の中間報告をまとめることになった。
監察官。
財政担当。
農政担当。
記録官。
エドガー。
俺。
机の上には、この四日間で確認した資料が並んでいる。
収穫記録。
徴税記録。
商業記録。
人口推移。
公共事業。
王家からの支援。
さらに、この三日間に各地で聞いた領民たちの証言も記録官によってまとめられていた。
「現時点までの状況を整理します」
監察官が言った。
まず農政担当が口を開く。
「農地そのものが使えなくなった地域ばかりではありません。
しかし、過度な負担と投資不足によって生産力を落とした地域が複数確認されています」
財政担当が続く。
「商業についても同様です。税収が落ちた際、課税負担を強めた結果、商人や職人の流出を加速させた可能性が高い」
「公共事業は?」
エドガーが聞く。
「実施されたものはあります。ただし、地域全体の回復につながっていません」
初日に見たものと同じだ。
水路だけ。
道路だけ。
倉庫だけ。
それぞれが終わっている。
「さらに」
財政担当の表情が厳しくなる。
「領内へ還元されるべき資金が十分に使われなかった可能性があります」
監察官が資料をまとめる。
「整理すると、一つの問題ではありません」
重い徴税。
農業投資の不足。
公共設備の維持不足。
商業の縮小。
職人の流出。
仕事の減少。
人口流出。
王家支援の不足した還元。
領主家への資金流出。
そして、長年積み重なった領政への不信。
「どれか一つを直せば済む状態ではありませんね」
エドガーが言う。
「はい」
農政担当が頷く。
「しかも、それぞれが別々に起きているわけではありません」
「どういうことです?」
「農業が弱れば収入が減る。収入が減れば税負担が重くなる。人が出る。人が減れば、農地や水路を維持できなくなる」
財政担当も続ける。
「商業も同様です。商人が減れば税収が落ちる。
税収確保のため負担を強めれば、さらに商人が出ていく」
「悪循環……」
俺は机の上に広げられたものを見る。
収穫。
税。
商業。
人口。
公共事業。
支援金。
そして、この三日間に聞いた領民たちの言葉。
一つずつではなく、全部をまとめて見る。
資料に目を向けると視界が大きく揺れた。
《徴税負担:過大》
《産業基盤:縮小》
《公共投資:不足》
《人口流出:継続》
《行政信頼:低下》
《領内経済:悪循環》
《綻び:統治構造》
「……統治構造」
小さく呟いた。
「何です?」
エドガーが聞く。
「いや……」
もう一度、資料を見る。
たぶん、一つずつ壊れたんじゃない。
一つを壊した。
それが次を壊した。
それを直さないまま、さらに別のことをやった。
そして、また壊れた。
「最初は」
俺が口を開く。
「悪いところを一つずつ直せば、戻せるんじゃないかと思ってました」
「今は違う?」
エドガーが聞く。
「うん」
農業。
商業。
税。
人口。
全部つながっている。
「一つ壊したら、その次が壊れた。それを放っておいたから、また次が壊れたんだと思う」
監察官が黙って聞いている。
「税を重くする。農家や商人が苦しくなる。人が出ていく。税収が落ちる。だからまた取る。
支援が来ても、ちゃんと領地に使われない」
言葉にすると、余計にひどい。
「これを何年も繰り返した」
俺は資料を見る。
「これは……失政が招いた結果だと思います」
誰も否定しなかった。
人口流出は最初の原因じゃない。
先に、この領地で暮らし続けることが難しくなった。
その結果として、人が出ていった。
そして今では、その人口流出が領地をさらに弱らせている。
◇
会議を終え、エドガーと宿の廊下を歩く。
「リオン」
「何?」
「ハル領も昔は貧しかったんだよな?」
「うん」
「グレイヴ領とは、何が違ったんだ?」
少し考える。
ハル領も貧しかった。
若い人が少ない村もあった。
領民から信用されていない場所もあった。
バスクたちによる不正もあった。
決して、最初からうまくいっていたわけじゃない。
「父さんは、領地を豊かにする方法を知らなかった」
「それは、前にも聞いた気がする」
「うん。でも、不正が分かった時に、それを守ろうとはしなかった」
「バスクのことか?」
「うん」
父さんは、バスクから権限を取り上げた。
北村で見つかったおかしな借金も止めた。
問題が分かった時、領主家がそれを残そうとはしなかった。
「ハル領だってかなり壊れてたよ」
「領民からの信用も?」
「うん。最初から信用されてたわけじゃない」
少なくとも、俺が領内を回り始めた頃はそうだった。
「でも、父さん自身が領民から取れるだけ取ろうとしてたわけじゃないし、領地のお金を自分の貯金にしてたわけでもない」
エドガーが黙って聞いている。
「不正が分かったら、父さんは直す側に回った」
「なるほど」
「だから俺も、その後のことを始められたんだと思う」
父さんが動いた。
領民にも少しずつ協力してもらえた。
商人も集まってきた。
最初から信用があったわけじゃない。
でも、信用を取り戻していくことはできた。
エドガーが少し考える。
「グレイヴ領は、その領主自身が壊す側だった?」
「……たぶん、そこが一番違う」
重い税を取る。
領地へ回すべき金を自分のところへ移す。
王家へは回復しているように報告する。
それを何年も続けた。
「じゃあ、金だけの問題じゃないんだな」
「うん」
人だけじゃない。
信用も失っている。
少し歩いてから、俺は言った。
「ハル領は貧しかった。でも、グレイヴ領は貧しくされたんだと思う」
エドガーが足を止めた。
「貧しくされた……」
「うん。天候とか、不運だけが原因じゃない」
判断。
政策。
徴税。
金の使い方。
何年も積み重なった結果だ。
「じゃあ」
エドガーが聞く。
「リオンなら、どう立て直す?」
「……分からない」
「分からない?」
「うん」
「珍しいな」
「無茶言わないでよ」
俺は苦笑した。
「ハル領でやったことをそのままやればいいと思ってた。でも、たぶん無理だよ」
グレイヴ領は広い。
地域によって状況が違う。
人もかなり減った。
産業も弱っている。
行政への信用も落ちている。
「まだ四日しか見てないしね」
エドガーが少し笑った。
「それを聞いて安心した」
「なんで?」
「僕も全然分からないから」
「よかった」
「何が?」
「俺だけじゃなくて」
「またそれか」
「ピー!」
いつの間にか俺たちの後ろを跳ねていたピコも鳴いた。
「ピコまで言わなくていいよ」
エドガーが笑った。
◇
翌日の予定を確認するため、監察官の部屋へ向かった。
机にはグレイヴ領の地図が広げられている。
「明日から西部へ向かいます」
「西部?」
地図を見る。
ハル領と境を接している地域だ。
「ここだけ数字が少し違いますね」
エドガーが資料を見る。
「はい」
監察官が答える。
「他の地域より人口減少が若干少ない。物流も比較的残っています」
「農村も?」
「報告上では、これまで見た地域より維持されています」
「少しは状態がいいのかな」
俺が言うと、監察官がこちらを見た。
「資料上は、です」
「……そうでした」
この四日間で、嫌というほど分かった。
俺は地図の西側を見る。
重い徴税。
度重なる失政。
領民まで十分に届かなかった王家からの支援。
その一方で、増えていた可能性のある伯爵家の蓄え。
人が逃げたから、グレイヴ領が貧しくなったわけじゃない。
先に、ここで暮らし続けることが難しくなった。
だから人が出ていった。
そして今、その人口流出がさらに領地を弱らせている。
改めて思う。
これは、失政が招いた悲劇だ。
残り三日。
明日から俺たちは、グレイヴ領西部へ向かう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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