第485話 一緒なら
翌朝。
学院寮の部屋で簡単な朝食を済ませたところで、扉が叩かれた。
「はい」
「リオン・ハル殿。王宮から使者がお見えです」
「……王宮?」
「ピー?」
ベッドの上にいたピコも顔を上げる。
昨日行ったばかりなんだけど。
嫌な予感がする。
◇
「また王宮?」
ローデン商会の王都支店へ入ると、ヴィクトルが呆れた顔をした。
「うん」
「昨日も行ってたよな?」
「行ってた」
「忙しいな、お前」
「俺もそう思う」
「ピー!」
抱えていたピコをヴィクトルへ渡す。
「今日もお願いしていい?」
「いいけど」
ヴィクトルがピコを抱える。
「ピー!」
「ほら。こいつ、もう慣れてるぞ」
「それはそれで複雑だな」
「飯が出る場所として覚えられてるんじゃないか?」
「ピー!」
「たぶん当たりだね」
ピコの頭を軽く撫でる。
「じゃあ行ってくる」
「おう」
王宮へ向かった。
◇
案内された部屋へ入る。
「失礼します」
中にいたのは陛下とラウグレン公。
そして、もう一人。
「エドガー?」
「リオン」
エドガーがこちらを見る。
「エドガーも呼ばれたの?」
「ああ。僕も今朝突然だ」
顔を見合わせる。
エドガーがいて少しだけ安心した。
「二人とも座れ」
陛下に言われ、俺たちは並んで席についた。
「今日呼んだのは、グレイヴ伯爵についてだ」
やっぱり。
「ただし、グレイヴ本人の話ではない」
「違うんですか?」
「ああ。司法上のことはユリウスに任せている」
陛下がラウグレン公を見る。
ラウグレン公が机の上に何枚かの資料を置いた。
「問題はグレイヴ領そのものだ」
「領地……」
「今回の調査で、グレイヴ伯爵家が王家へ提出していた財政資料の一部に、重大な問題があることが分かった」
「はい」
「そうなると、それ以外の報告についても、そのまま信用するわけにはいかない」
税収。
人口。
農地。
水路。
道路。
王家が支援した事業の進捗。
領地の雇用状況。
これまで王家は、グレイヴ伯爵家から上がってくる報告を基に判断していた。
「すべてが虚偽だと決めつけるつもりはない」
ラウグレン公が言う。
「だが、どこまでが正しく、どこに問題があるのかは確認し直す必要がある」
「なるほど」
「そのため、王家から正式な視察団を出す」
陛下が言った。
確かに、それが一番確実だと思う。
「領都だけを見るつもりはない」
ラウグレン公が続ける。
「主要な農村、水路、街道、王家が支援した事業地、それから人口流出が特に多い地域も確認する」
「かなり広いですね」
「当然、グレイヴ領全域を回るわけではない。地域ごとに状況の異なる場所を選んで見る」
「それでも結構かかりそうですね」
「現地で七日ほどを予定している」
「一週間……」
ハル領より広い伯爵領だ。
主要な場所だけでも、そのくらいは必要なんだろう。
エドガーが資料へ視線を落とした。
「王都からグレイヴ領都までは?」
「通常の馬車で四日かかります」
「となると往復で八日ですね」
「ああ」
エドガーが少し考える。
「ということは、十五日ほどですか」
四日。
七日。
四日。
「……十五日か」
「何だ、その顔は」
陛下が俺を見る。
「いや、冬休みって意外と短いなと思いまして」
隣でエドガーが小さく笑った。
「僕も今、同じことを考えていた」
「エドガーも?」
「僕だって学生だからな」
なんとなく安心する。
第二王子でも、冬休みが減るのは気になるらしい。
「話はまだ終わっていないぞ」
「あ、はい」
陛下が俺たちを見る。
「エドガー」
「はい」
「お前にも同行してもらう」
「承知しました」
返事が早い。
「王族として、自分の目で見てこい。王宮に届く報告書だけでは分からないものもある」
「はい」
エドガーが真っ直ぐ頷く。
以前、俺も王家の地方視察には同行したことがある。
でも、あの時は自分が何を見るべきなのか、そこまで考えていなかった。
今回は違う。
「それから、リオン」
「はい」
「お前も行け」
「…………」
やっぱり。
「自分もですか?」
「そうだ」
「何となくそんな気はしてました」
「なら話が早い」
陛下が少し笑った。
「ただし、勘違いするな。グレイヴ領をお前に立て直せと言っているわけではない」
「それなら安心しました」
「そこまで任せるつもりはない」
当然だ。
伯爵領を十五歳の学生に丸投げされたら、俺も困る。
「今回、お前に求めるのは意見だ」
「意見?」
「ハル領を見てきたお前の目で、グレイヴ領を見てほしい」
ラウグレン公が言う。
「農地、雇用、商業、水路、領民の生活。王家の役人とは違うところに気づく可能性がある」
「…………」
「昨日、お前は人口流出が最初の原因ではなく、領地が悪くなった結果として始まったと言ったな」
「はい」
「なら、その原因が今のグレイヴ領にどれだけ残っているのか。それを現地で見てほしい」
なるほど。
「でも、自分はグレイヴ領を資料でしか知りません」
「だからだ」
陛下が即答した。
「え?」
「その資料が信用できなくなった」
「……ああ」
確かに。
「答えを出してから行けとは言っていない」
陛下が続ける。
「実際に見ろ。分からないなら、分からないと言えばいい」
「はい」
それならできる。
いや、何が見えるかは分からない。
でも最初から答えを決めて現地へ行くより、その方がいい。
「僕も助かります」
隣からエドガーが言った。
「え?」
「僕は王家側の資料を見る機会はある。でも、領地を立て直す現場に関しては、リオンの方がずっと経験がある」
「俺だって全部分かるわけじゃないよ」
「それでも僕よりは分かるだろ」
「まあ……」
「僕一人で行けと言われるより、リオンが一緒の方がいい」
「…………」
ちょっと嬉しい。
「俺もエドガーがいるなら助かるよ」
「どうして?」
「前にも王家の視察には同行したことがあるけど、今回は最初から役割を持って参加するから」
「ああ」
「誰にどこまで聞いていいのかとか、勝手に動いていいのかとか、そういうのはエドガーの方が分かるでしょ」
「そこは任せろ」
「頼りにしてる」
「こっちも」
同じ場所へ行く。
でも、見るものはたぶん違う。
俺だけでは見落とすものをエドガーが見る。
エドガーが気づかないものを、俺が見つけられるかもしれない。
「仲がいいのは結構だが、視察団の責任者は別にいるからな」
陛下が言った。
「あ、はい」
「当然です」
俺とエドガーがほぼ同時に答える。
ラウグレン公が少し笑った。
「王家の監察官を責任者にする。財政担当、農政担当、記録官、それに護衛も同行する」
「出発は?」
エドガーが聞く。
「二日後だ」
「二日後……」
早い。
「何か予定があるのか?」
陛下に聞かれる。
「冬休み後半にはハル領へ戻る予定があります」
「予定通りなら十五日ほどで王都へ戻れる」
ラウグレン公が言う。
「なら大丈夫だと思います」
ミラが来るのは冬休み後半。
予定通りなら間に合う。
「視察が終わったら、一度王都へ戻るんですよね?」
「ああ」
陛下が頷く。
「直接報告してもらう」
「分かりました」
そこまでが今回の仕事になる。
「分かりました。同行します」
「僕も問題ありません」
「では決まりだ」
陛下が資料を俺たちの前へ押し出す。
「今日と明日で準備しておけ」
「はい」
◇
王宮の部屋を出る。
「十五日か」
思わず呟いた。
「長いな」
隣を歩くエドガーも同じことを言う。
「エドガーもそう思う?」
「思うよ」
「よかった」
「何が?」
「王子だから気にしないのかと思ってた」
「何でも王族扱いするな」
「王子でしょ」
「冬休みが減ることまで喜ぶ王子はいない」
「それもそうか」
少し笑う。
その時、ふと思い出した。
「……ピコ、どうしよう」
「ピコ?」
「十五日もヴィクトルに預けるのは、さすがに悪いかなって」
「連れていけばいいだろ」
「え?」
「ピコも」
「グレイヴ領に?」
「ああ」
「王家の正式な視察団だよ?」
「だから何だ?」
「いや……スライム連れて行っていいのかなって」
「学院にも普段から連れてきてるし、視察の邪魔をするような奴でもないだろ」
「それはそうだけど」
「責任者には伝えておけばいい。僕からも話しておく」
「いいの?」
「いつも一緒なんだろ?」
「うん」
「なら、二週間近く離す必要もないだろ」
エドガーが普通のことみたいに言う。
「ありがとう」
「別に」
「助かるよ」
「僕も長い馬車移動でピコがいた方が退屈しなくて済みそうだ」
少しだけ気が楽になった。
◇
「グレイヴ領?」
ローデン商会へ戻ると、ヴィクトルが大きな声を出した。
「うん」
「いつ?」
「二日後」
「急だな」
「俺もそう思う」
ヴィクトルの腕の中で、ピコがこちらを見ている。
「ピー!」
「ただいま」
ピコを受け取る。
「どのくらい行くんだ?」
「王都から四日。現地で七日。帰り四日」
「十五日?」
「うん」
「お前の冬休み、なくなってない?」
「まだ半分以上あるよ」
「そういう問題か?」
「俺もよく分からない」
ヴィクトルが笑う。
「で、ピコは?」
「連れていく」
「お」
「エドガーが、連れていけばいいって」
「エドガーも行くのか?」
「うん」
「第二王子と一緒に領地視察か」
「俺たちだけじゃないよ。王家の監察官とか役人もいる」
「まあ、そりゃそうか」
ヴィクトルが少し考える。
「でもエドガーが一緒ならいいな」
「俺もそう思う」
「珍しく即答だな」
「王家側のことはエドガーの方が分かるし」
「向こうは?」
「俺がいた方が現場を見る時に助かるって」
ヴィクトルがニヤッとする。
「相思相愛だな」
「その言い方やめて」
「ピー!」
「ピコまで乗るな」
ヴィクトルが笑う。
俺もつられて笑った。
「グレイヴ領なら、商人の話も聞くんだろ?」
「たぶん」
「必要なら、うちの取引先をいくつか教えるけど」
「ありがとう。でも今回は王家の正式な視察だから、まず監察官に確認するよ」
「分かった」
以前なら、自分で勝手に聞きに行っていたかもしれない。
でも今回は違う。
俺は調査をする人間じゃない。
王家の視察団に同行して、現地を見る。
それでいい。
◇
学院寮へ戻る。
「ピー!」
「旅行じゃないからね」
「ピー!」
ピコは分かっていないらしい。
机の上に王宮でもらった資料を広げる。
地図。
視察予定地。
過去に王家が支援した事業。
人口流出が多い地域。
農地。
水路。
「広いな……」
ハル領より大きい。
一週間で全部を見ることはできない。
領都。
王家の支援事業が多い地域。
人口流出が特に大きい村。
農業中心の地域。
商業が比較的残っている地域。
いくつか違う場所を選んで見ていくことになる。
地図の端へ目を移す。
王都からグレイヴ領都まで四日。
グレイヴ領都からハル領までは三日ほど。
普通なら、視察が終わったあとそのままハル領へ向かった方が近い。
でも今回は王家の正式な視察だ。
一度王都へ戻って、陛下へ報告するところまでが仕事になる。
「まあ、仕方ないか」
「ピー?」
「王都に戻るまでが仕事だって」
「ピー!」
「分かってないよね」
俺は地図へ視線を戻した。
これまで俺が知っていたグレイヴ領は、全部誰かが書いたものの中にあった。
グレイヴ伯爵から王家へ出された報告。
王宮の資料。
商会の記録。
そこに書かれていたことが、全部間違っていたとは思わない。
でも、もう資料だけを見て判断することはできない。
今度は自分の目で見る。
しかも一人じゃない。
エドガーもいる。
あいつなら、俺とは違うところを見るはずだ。
それはたぶん、俺にとっても助かる。
◇
二日後。
王都の門の前には、何台もの馬車が並んでいた。
王家の監察官。
財政担当。
農政担当。
記録官。
護衛。
そして。
「おはよう、リオン」
「おはよう」
エドガーがいた。
「ピー!」
俺の腕の中でピコが鳴く。
エドガーが笑う。
「本当に連れてきたな」
「エドガーが連れていけって言ったんじゃん」
「そうだったな」
「ピー!」
視察団を率いる監察官が、俺の腕の中のピコを見る。
「リオン殿。そのスライムも同行するのですね」
「はい。ご迷惑にならないようにします」
「僕からも昨日伝えています」
エドガーが言う。
「承知しております」
監察官が頷く。
「日程に影響しない範囲でお願いします」
「分かりました」
「ピー!」
「ピコも分かったみたいです」
「本当か?」
エドガーが笑う。
「たぶん分かってない」
「だろうな」
俺も笑った。
「では出発します!」
監察官の声が響く。
俺たちは馬車へ乗った。
ゆっくりと馬車が動き始める。
王都の門を抜け、城壁が少しずつ遠ざかっていく。
これまで資料の中でしか知らなかったグレイヴ領。
王都から四日。
今度はエドガーと一緒に、その領地を自分たちの目で見ることになった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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