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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: アカメノコバチ
第10章 王立学院一年 二学期

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第146話 騎士団長査定

 騎士団長が木剣を取っただけで、訓練場の空気が一段沈んだ。


 さっきまでの実技試験も十分に張りつめていた。だが、今は違う。

 これはもう、学生同士の点数争いじゃない。


 騎士団長という明らかな格上を前にして、どこまで通じるかを見られる査定だ。


 その最初に立つのは、エドガーだった。


 第二王子は静かな足取りで中央へ進み、騎士団長の前で一礼する。

 騎士団長も軽く頷いた。


「始めるぞ」


 短い声。


 それだけで、周囲のざわめきが完全に消えた。



 エドガーは、いつも通り静かに構えた。


 肩に力は入っていない。だが、ゆるんでもいない。呼吸も、視線も、間合いの取り方も、無駄がない。

 対する騎士団長は、さらに自然だった。


 構えているはずなのに、隙がない。


 いや、隙がないというより――どこからでも動ける。


 始まりの合図と同時に、エドガーは動かなかった。


 不用意に踏み込めば、その瞬間に取られる。

 それが分かっているからだろう。


 騎士団長もまた、急かさない。待っているようでいて、実際は待っていない。

いつでも始められる位置に立ったまま、相手がどう出るかを見ている。


 重い。


 そう感じたのは、きっと俺だけじゃない。


 数呼吸分の静止のあと、エドガーが初めて動いた。


 探るような一歩。


 そこに騎士団長の木剣がぴくりと反応する。


 エドガーはすぐに踏み込みを止め、角度を変える。正面から行けば危ないと読んだんだろう。ならば、と横へずらし、次の一手を探る。


 すごい。


 普通の生徒なら、今の時点でもう飲まれている。


 だがエドガーは崩れない。むしろ、騎士団長の圧を受けながら、その中で正しい手を探し続けている。


 そして三合目。


 エドガーの突きが伸びた。


 速い。正確だ。いいところに入っている。


 騎士団長はそれを木剣で受け流した。

木剣の甲高い音が響く。


 次の瞬間、騎士団長の返しが飛ぶ。


 エドガーは受ける。外す。下がらない。

 だが、その選択肢を全部一歩ずつ狭められていく。


 見ていて分かる。


 エドガーは間違っていない。


 それでも、その正しさの先に、騎士団長がいる。


 五合目で、決まった。


 エドガーが左へ逃がした木剣を、騎士団長が半歩だけ深く踏み込みながら絡め取る。そのまま、最短距離で木剣が胸元へ届いた。


「そこまで」


 ローヴェン先生の声が響く。


 訓練場が、息を飲んだまま固まる。


 エドガーはすぐに下がり、一礼した。騎士団長も短く頷く。

「よく見えている」


 騎士団長が言った。


「無駄も少ない。選び方も悪くない」


 エドガーは黙って聞いている。


「だが、整いすぎている。上を相手にするなら、正しい手を選ぶだけでは足りん」


「……肝に銘じます」

 短いやり取りのあと、エドガーが戻ってくる。


 表情は大きく変わらない。だが、目だけはさっきより少し鋭くなっていた。


「すごかったな」

 俺が小さく言うと、エドガーは苦く笑った。


「そう見えたなら嬉しいが、届かなかった」


「いや、普通ならあそこまでやれないだろ」


「同感ね」

 セレナも低く言った。


 そのとき、次の名が呼ばれた。


「ガイル・ベイルン」



 ガイルは返事も短く、中央へ出た。


 エドガーの静かな査定のあとだけに、訓練場の空気がまた違って見える。


 始まる前から、ガイルの身体には前へ出る気配がある。

 騎士団長もそれを感じているのか、さっきよりほんのわずかに重心を落とした。


「始め」


 その一声と同時に、ガイルが踏み込む。


 速い。


 さっきまでの生徒相手の時より、さらに一段鋭い。


 初手から本気だ。


 騎士団長は受けた。真正面から。


 鈍い音が訓練場に響く。


 木剣同士がぶつかっただけのはずなのに、まるで硬い板に鉄を叩きつけたような重い音だった。


 ガイルは止まらない。


 二撃目、三撃目と畳みかける。


 ただ乱暴に振っているわけじゃない。相手の受け方を見て、次の軌道を変えている。

正面から押し潰すように見えて、その実かなり見ている。


 だが、それでも騎士団長は押し込まれない。


 受けるたびに、足が一寸もぶれない。


 ただ――二度目に重い打ち込みを受けた時、騎士団長がごくわずかに握り直した。


 ほんの一瞬だ。


 見逃してもおかしくないほど小さい。


 けれど、俺の目には引っかかった。


 ガイルはそこからさらに踏み込んだ。勝負に行ったんだろう。

 この勢いなら通せる。そう判断したのかもしれない。


 その瞬間だった。


 騎士団長の受けが、初めて変わる。


 真正面で止めるんじゃない。わずかに角度をつけて力を流し、そのままガイルの木剣を外へ引き出す。


 踏み込みきっていたガイルの身体が、ほんの一瞬だけ流れた。


 そこへ、騎士団長の返しが入る。


「そこまで」


 終わり。


 ガイルは舌打ちこそしなかったが、悔しさを隠さない顔で一歩下がった。


「踏み込みがいい」

 騎士団長が言う。

「前へ出る強さもある。受けた側に考える暇を与えん」


 ガイルは黙ったまま聞く。


「だが、押し切るには読みが足りん。上を相手にするなら、力で通す前に、相手の選択肢を減らせ」


「……はい」


 短く返して、ガイルが戻ってくる。

 俺はその横顔を見た。悔しさは濃い。だが、折れてはいない。


「すごかったな」


「通ると思った」


 ガイルが低く言う。


「私もそう思ったわ」

 セレナが素直に言った。


 そのとき、ガイル戦の間ずっと気になっていたものを、俺はもう一度見た。


 騎士団長の木剣。


 表面には、さっきまではなかった傷が増えている。エドガーの鋭い突きでついた浅い削れ。そこにガイルの重い打ち込みが重なった跡。


 普通なら気にしない。


 けれど――


「リオン・ハル」


 名前を呼ばれ、思考が切れた。



 中央へ出る。


 視線が集まる。


 さっきまで以上に、訓練場中の目が俺を見ていた。


 騎士団長は、俺を正面から見た。


「ガルムベアを倒したそうだな」

 低い声。


「だが、俺はあれより甘くないぞ」


 周囲がわずかにざわつく。


 俺は木剣を構えながら答えた。

「そうでしょうね」


 それ以上は言わない。


 言葉を重ねるより、この人には動きで返すほうがいい。


 騎士団長の口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのかどうかも分からない程度だ。


「始め」


 俺たちは同時に動いた。


 いや、正確には、まだ互いに探っていた。


 エドガーともガイルとも違う。


 俺はすぐには行かない。

 騎士団長も、まずは見る。


 その静かな数呼吸の間に、綻びの目を使った。


 世界がわずかに変わる。


 騎士団長自身の情報が浮かぶ。


 《重心移動:即応》

 《誘い:有》

 《隙:偽装》

 《初動読取難度:高》


 ……強い。


 見えても意味がない綻びがある。


 隙に見えるものが、隙じゃない。踏み込ませるための餌だ。


 だが、それだけじゃなかった。


 視線を木剣へ移した瞬間、別の表示が浮かぶ。


 《木剣:損耗・中》

 《亀裂:中央やや下》

 《破断誘発:同一点への連続衝突》

 《防御傾向:左斜め受け》

 《誘導成立率:高》


 理解した。

 正面から勝つのは無理だ。


 この人に真正面の技量比べを挑んでも、いずれ潰される。


 なら、勝ち筋は別にある。


 この人自身じゃない。


 この場に生まれている綻びを使う。


 騎士団長が動いた。


 速い。


 けれど、ガルムベアの突進とは違う。重くて速いだけじゃない。

人間の技だ。読み合いを伴った速さだ。


 俺は一歩引いて、それを外す。


 返しの一撃を入れる。


 首筋。


 通れば決まる軌道だ。


 騎士団長は受けた。


 左斜め。


 予想通りだ。


 木と木がぶつかる。


 俺はすぐに離れる。深追いしない。


「……ほう」

 騎士団長が小さく息を吐いた。


 もう一度来る。


 今度は手首。


 防がなければ握りを殺せる位置。


 騎士団長はこれも受けた。


 左斜め。


 同じ場所に、また負荷が入る。


 俺は下がる。


 ここで踏み込めば、今度はこっちが狩られる。

 それくらいのことは分かる。


 訓練場の外から見れば、攻防はそこまで派手じゃないかもしれない。


 けれど、中にいると分かる。


 一手ごとに神経を削られる。


 騎士団長は明らかに強い。


 その人が、俺の打ち込みを一つも通させまいとしている。


 しかも、その受け方に癖がある。


 いや、癖というより選択だ。

 もっとも安全で、もっとも速い受け方を無意識に選んでいる。


 だからこそ、そこに綻びができる。


 三度目は胴へ。


 今度は少し深めに踏み込む。


 騎士団長の目が細くなった。


 受ける。


 左斜め。


 鈍い感触が手に返る。


 《亀裂拡大》


 見えた。


 いける。


 だが、次で決めに行けば、向こうも気づく。


 あと一手か、二手。


 騎士団長の木剣がわずかに揺れたのを見て、騎士団長自身も何かを感じ取ったらしかった。


「……何を見ている?」

 低く、ほんの小さな声。


 聞こえたのはたぶん俺だけだ。


「さあ」


 答えながら、俺は踏み込んだ。


 今度は喉元へ、一直線。


 騎士団長は受けるしかない。


 受けた。


 また左斜め。


 衝突の瞬間、木剣の内側から嫌なきしみが伝わった。


 もう少し。


 でも、ここから先は俺もかなりきつい。


 息が上がっている。腕も重い。さっきまでの応用課題と実技試験の疲労が、ここへ来てじわじわ効いてきた。


 騎士団長はまだ余裕があるように見える。

 実際、総合力では向こうが上だ。


 だから次で終える。


 終えないと、こちらが潰れる。


 俺は一度だけ、ほんのわずかに隙を見せた。


 右肩が開く。


 踏み込みが半歩遅れる。


 格上なら見逃さない、甘い綻び。


 騎士団長が来た。


 速い。


 読みも踏み込みも、一段深い。


 けれど、それを待っていた。


 俺は体をずらしながら、返しの一撃を首筋へ振り抜く。


 通せば決まる。

 だから、この人は防ぐ。


 その読みは当たった。


 騎士団長の木剣が、左斜めに入る。


 ぶつかる。


 甲高い音。


 次の瞬間、ぱきり、と乾いた破断音が訓練場に響いた。


 騎士団長の木剣が、中央やや下から折れる。


 そこで終わらせない。


 折れた刹那に、俺は踏み込みを止めず、そのまま残った軌道を生かして切っ先を滑らせた。


 木剣の先端が、騎士団長の首筋へぴたりと止まる。



 静寂。



 本当に、一瞬、誰も息をしなかったんじゃないかと思うくらい、訓練場が静まり返った。

 俺も止まったまま動けない。


 切っ先の先にある首筋。


 折れた木剣。


 目の前の騎士団長。



 全部が現実感を失ったみたいに見える。


 騎士団長が、折れた木剣を見た。


 それから首筋に止まった俺の剣先を見る。


 最後に、俺の顔を見た。


「……そこまでだ」


 低い声が落ちる。


 それだけで、張りつめていた空気が弾けた。


「折れた……?」

「え?」

「今、入ったよな……?」

「騎士団長の木剣が……?」


 どよめきが一気に広がる。


 けれど、俺にはその声が遠かった。


 騎士団長が、折れた木剣を軽く持ち上げた。


「木剣の損耗まで勝ち筋に変えるか」


 その言葉が、やけにはっきり聞こえる。


「面白い」


 俺はようやく剣を引いた。


 その瞬間、全身から力が抜けそうになった。

 危うく膝が折れかける。なんとか踏みとどまるが、息が荒い。

喉が焼けるみたいに熱い。手も少し震えていた。


 勝った。


 ……勝ったのか?


 本当に?


 目の前には折れた木剣がある。騎士団長本人が「そこまでだ」と言った。理屈では分かる。


 でも、実感が追いつかない。


 俺は荒く息を吐いた。


 はぁ、はぁ、と情けないくらい呼吸が乱れる。


 視界の端では、エドガーが目を細め、ガイルが驚きと悔しさの混ざった顔でこちらを見ていた。

 セレナは口元をわずかに引き結び、ナディアは両手を胸の前で握っている。

ヴィクトルは呆れたように笑っていた。


 けれど、全部遠い。


 今はただ、目の前の結果だけが信じられなかった。


「……勝負あり」


 騎士団長の声が、もう一度響く。


 その一言で、ようやく分かった。


 俺は今、本当にこの人に一本取ったのだと。


 それでもなお、すぐには動けなかった。


 荒い息のまま、俺はただ、信じられないものを見るみたいな顔で、折れた木剣と自分の切っ先を見つめるしかなかった。

 


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
つまらない人気作品が多い中で、本作は稀に見る傑作ですね。また、綻びを視るというのは、始めてみる切り口で大変面白いです。今後も楽しみにしています。
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