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死を選んだ花嫁  作者: 六軒さくみ(咲海)


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元王女の不始末

 私は昔からこの異母兄がとても怖かった。

 苦手ではない。


「怖い」のだ。


 今も泣きたいほどに怖い。

 この人の前にいると、恐ろしさで言葉がいつもで出てこない。


 兄のすべてを見透かすような怜悧な瞳も、妥協を良しとせず結ばれた口元も、抑揚のない声は相手に感情を悟らせることもない。

 為政者としての威厳もある人だ。

 10代のころは兄のため息を聞いただけで、何か不始末をしたのかと震え上がったものだ。


 それは子供を産み母になってた今も変わらない。



「お前には失望したよ」


 両手でハンカチを握りしめて背筋を伸ばす。

 子供のころからそうしてきたように。

 兄は叱責するでもなく、感情を表に出さない声色で淡々と言葉短く、人を追い詰める人だ。

 理性的で理知的で。

 感情的になることはない。


 だから、怖いのだ。


 この人に見捨てられることが。



 私は国王であった父と第2側妃との間に生まれた。

 正妃様は、公爵家から嫁がれた方で、父の従姉妹にあたる方。

 私の母は、男爵家の令嬢で、もともとは王妃様付きの側近だった。


 王妃様は王太子殿下と第2王子を産んだ後、3人目の子を流産したのち体調が悪く、二度と子供が産めないと、医師から告げられた。

 ショックを受けた王妃様はしばらく静養に入ることになり、王都のはずれにある別荘地に行くことになった。


 その間の無沙汰を慰めるため、王妃様は自分が一番信用していた私の母を父の傍女に指名した。

 母は王妃様に心酔していたので、父のことを愛していたわけではないが、尊敬はしていたので、その指示を忠実に守った。


 その頃、父は友好国から側室を娶ることになった。


 父は王妃様だけを愛していたので、友好国からから来たお姫さまも、母同様に、あくまでも、無沙汰を慰めるだけの、ある意味では「高級娼婦」だ。

 けれど、父はとてもよい為政者で温厚な人だったので、母と姫君を同等に平等に扱った。

 それこそ抱く回数も、与える宝飾品も何もかも平等に。


 特別だったのは王妃様だけだ。

 王妃様は、確かに美しさも賢さも、すべてを兼ね揃えた貴族令嬢だった。



 王妃様が静養に出たから4年後。


 体調が回復した王妃様が王城に戻ってきた。

 その時、上の兄は7才、下の兄が4才で、姫君には2人の女の子が生まれ、私の母は私と弟を産んでいた。


 弟は第三王子という立場だった。

 男子であれば王位継承者にもなれる。

 その時、母は傍女から国王の正式な側室になり、扱いが変わった。


 上の兄は、父の明晰さを受け継ぎ早くから為政者としての片鱗をみせつけ、周囲も文句のない王太子だともてはやしたが、それにすら奢る様子を見せない人で、感情の見せない人だった。


 私は第三王女として、蝶よ花よと育てられた。


 上の二人の姉は、母親が友好国の王女であったことから、そうそうに外交的戦略による婚約者が決まったが、私には婚約者がいなかった。

 母の身分が男爵令嬢だったからだ。


 王妃様が戻った後の父は、母にも姫君にも冷たく対応することはなかったが、子ができるようなお召もお渡りもなかった。

 特別疎外されているわけでもなく、夜会や行事には参列させたが、王妃様と側室の間にはきっちりと線が引かれた。


 母は王妃様を敬愛していたので、側室という身分に戸惑い、いつも隅で縮こまるような人だった。

 王妃様はとても良い方で、側室を苛めたりすることもなく、逆に気を使いこちらを恐縮させるような人だった。

 私たち側室の子供も平等に扱ってくれる人格者だったが、兄と弟の線引きはきっちりとする人だった。


 弟には、兄を支え分不相応な望みを抱かない事を肝に命じなさいと教育した。

 悲しいのは、弟は少し迂闊なところがあり、父や母を度々、困らせたことだ。

 最終的に弟は、父の不興をかってしまい、王位継承権をはく奪のうえで、男爵家に婿入りした。


 下の兄は自分の兄が優秀で為政者としても非の付け所がなうえ、兄自身も優秀なので、無用な争いを避ける目的のため、早々に兄の臣下になるを宣言して、軍部に入隊することにした。


 今では、国王になった兄の片腕として、宰相の地位にいる。


 放蕩の限りを尽くし、夜会の場で婚約破棄をやらかした我が弟とは大きな違いだ。

 そのことで母は周囲から「側室とはいえ所詮は男爵腹」と陰口をたたかれた。

 その時、すでに20才立った私は大変、不愉快な思いをした。

 母は父から王族としての自覚を促すことが出来なかったのかときつく叱責を受けた。

 母が気の毒で、私は誰に恥じる事もなく、王族らしい婚姻をしようと心に誓った。


 私は自分で言うのもなんだが、容姿が平凡な父や母には似ず、薔薇の姫と言われた祖母にてとても美しかった。

 姫君の産んだ上の姉も、容姿は父に似てそれほど取り立てて美しいとは言い難かった。

 なので、私は10才になる前には「自分の美しさ」を自覚するようになった。



 同じような年齢の子供を招いた茶会でも私は格別に美しかった。

 そこに私の奢りは確かにあって、その態度に怒ったのは、母でも父でもなく兄だった。

 兄は私の自室に訪れると、私の傲慢さを叱りつけた。

 茶会でのマナーが悪いと教師を増やし、勉強がはかどらなければ日数を増やす。

 上二人の姉が美しさは私で劣るが、知性も教養も完璧であったため、私はよく比べられたのだ。


 母は私をかばう事はなかった。


 この頃からすでに弟が何かと問題を起こすようになっていたので、王族としての自覚が足りないと、父も兄も私たちには特に厳しかった。


 私は兄が苦手になった。


 兄は為政者としての自覚もあり自制心もあり、感情論を許さない人。

 なによりも王族としての品格と義務を説かれ、公務の重要性を再三言われた。

 私は美しく装うのは好きだったが、公務はそれほど好きではない。

 慰問は外出できる機会なので、好きだったが、王城での行事や外交そして公務などはあまり好きではなかった。

 美しく装える夜会や茶会は好きだったが。


 兄はそんんな私に「最新のドレスを着て笑っているなら平民でも出来る」と言った。

 王族としての自覚を持てと。

 だけど、王族の自覚を私は理解できなかった。

 兄に聞いたら、心底、あきれた目をして「お前にはそれすらもかわらないのか」と言われた。


 私は王族として公務に励んでいるし、嫌いな行事にも参加している。

 夜会でって最新ドレスで参加して、品格を保っている。


 兄はどこが不満なのか、よくわからない。


 社交デビューした頃、私の傲慢さは王族らしい気位の高さになった。


 兄は私の明るい性格を楽天的で悪く言えば享楽的といい、前向きな部分を浅知恵しかない王家の脱落者と陰で言っていた。

 確かに私は勉強が苦手で、自国の言葉しか覚えられず、ダンスは得意だが、マナーは最低限だった。

 なにより、乳母すらも私の傲慢さと気位の高さは、そのうち問題を起こすと思われていた。


 兄は確かに正しかったのだ。

 兄はそれ以降も何度も私を強制しようと苦心したが、あるときを境に見捨てたらしい。


 そんな私も年頃になると、一人の青年に一目ぼれした。

 若き侯爵、今の夫だ。

 私がそれを兄に伝えると、兄は、しばらく思案したのち、結婚してもいいと言った。

 この頃 兄はすでに国王の位にいた。


 私は彼と結婚できることに喜びを感じた。

 けれど、この結婚は、夫と私を没落させるための兄の長い計画の一つだったのだ。




「私はお前に、公務の意味も考えろ。王族としての誇りを忘れるな。義務を果たせと何度も言った。覚えているか」と問われて、私は「はい、兄上」と静かな声でつぶやいた。

「お前兄を呼ぶのを許していない」と、冷たく言われた。


「申し訳ございません、陛下」


 私が結婚をする際、臣下に降嫁する私に、兄は今後は、線引きをするようにと言った。

 兄のことは「国王陛下」と呼ぶようにと。

 すでに婚姻していた姉は「兄上」と呼んでいるのにと思って、不満顔をしたら、「あれらは王族から王族に嫁いだのだ、お前とは立場がかわる」と言われた。


 私は初めてその時に、王族同士の結婚の意味を知った。

 兄といえども、相手は国王だから、私は兄に仕える臣下の身分になったのだ。

 そこはさみしいとは思ったが、侯爵家では女主人になれるのだから、と簡単に考えた。


「お前の息子だが、今回の責任をとって近衛から王都の警護団に転属した」


 あまりの言葉に下げていた顔を上げた。


「お咎めがないと思ったのか。初夜に花嫁を殺したとまで言われてるのだ。そんな男を王太子の側近になど出来るはずもない」


 それでは、息子の出世はなくなってしまう。

 けれど、この兄に口答えは許されない。


「伯爵家のアルシェリーナをならず者の娘と散々なじり、蔑み、苛めたそうだな」


 息が出来ない。


「私の耳にも入ってきた。恥ずかしさのあまり、お前を処刑したやりたくなったわ」


 物騒なに言葉に涙目で兄を見上げた。


「私はお前に、王族の誇りを忘れるなと言った。王族である者は自制心と理性が必要だと説かなかったか。美しいドレスで浪費し、着飾ることは義務ではない。お前の義務は奉仕だとも言った。けれど、お前は何一つ、それを理解していなかった。王家の人間が人前で特定の人間を蔑むことは許されることか。お前の弟はそれで身を滅ぼしたのだ。それに思い至らなかったのか。ましてや女夫人として、邸のメイド一人満足に使えないのか」


 最終的には二人の兄は、私に二度と王城に来ることは許さないと言い渡した。

 今まで持ちえた豪華なドレスや宝飾品も、すべてお金に換えて借財に充てるように言われた。

 なによりも、王女としてのティアラすら王家に担保として差しだされることなった。

 私はこんな結婚をしたかったわけではない。


 何をどう間違えたのだろう。


 あれから、夫と降嫁の際に一緒にについてきてくれた数人の使用人とともに、侯爵家の領地に戻ってきた。

 華やかな夜会はないし、最低限の茶会もない。

 ただ、過ぎていくだけの無為な日々だ。


 夫は3度散歩に出ては、時間をつぶしている。

 私は暇を持て余すようになった。

 息子からは、二人目の子供が出来たと言われたが、会いたいとは思わない。


 王城を後にするとき、最後に母と会う事だけは許された。


 母は数年前から忘れの病を患っている。

 私に会っても、誰だかわからないときが多い。


 もう、母を見舞う事も許されない。

 自分よりずっと細く頼りなくなった母を抱きしめると、母は私を「王妃様」と呼ぶ。

 母の記憶にあるのは、王妃様しかいない。

 ただ、一日、ずっと窓の人を見ては時々、思いついたように私や弟の名前を呼ぶことはあると聞いている。



 第2側妃は、父が病気を得てあっという間に命を引き取ったのち、後を追うように息を引き取った。

 王妃様は、父の死後、兄の戴冠式を終えるとやはり息を引きとった。

 母はとても王妃様を敬愛していたので、それがショックだったのか、それ以来、物忘れの病になった。


 兄は母のことは父の側室として大切に扱ってはくれるものの、弟や私の不始末に「男爵家の令嬢としては合格点だけが、王家の一員としては失格だ」とはっきり言った。

 けれど、母も自分がまさか国王の御情けを受け、二人も子を産むことになるとは思ってなかったのだ。


 高位貴族としての教育は受けておらず、あくまでも王妃様付きのメイドでしかない。

 弟は、母の遠縁の男爵家に婿養子に入ったものの、妻に見向き盛らず不特多数の女性を遊び歩いた。

 未婚の貴族女性に手を付けて、問題になり、社交界からつまはじきにされると、今度は平民を相手に遊び歩いた。


 王子であるというのが、弟の自慢だったから、その地位がなくなりかなり荒れた。


 兄はこれ以上弟が面倒を起こすことを良しとしなかったことから、子供が生まれたた時に、弟から爵位を取り上げ、騎士団に叩き込んだ。

 今では随分と様変わりして、一介の騎士として、真面目に勤務していると聞いた。


 宰相が時々、その勤務態度が真面目であることの報告を受けて、王都の警備団長に推薦すると言ったそうだが、弟は辺境の地が自分には合っていると断ったそうだ。

 今では辺境伯の娘と結婚し子爵位を賜ったが、子供が生まれると早々に子供に爵位を継がせて自分は一介の騎士として生活していると聞いた。


 一度だけ、弟が王都に来た際に会ったが、私の記憶の中の弟より、ずっと逞しくなっていた。

 弟は煌びやかな王城よりも、頑健な砦の方が暮らしやすいと笑った。

 王家は自分には過分な場所だったのだと。


 私には、自分が何を間違えていたのかいまだに理解が出来ていない。


 息子はあの真珠の君と出会ってから、一度として私の話を聞いてはくれなかった。

 確かに、伯爵の娘を「ならず者」と呼んでいたことは事実だ。

 今はそれをとても悔いている。


 兄ははっきりと私に言った。

 私はもともと少し軽薄な部分があったと。

 少しでも民の生活を考えたことがあるのかと聞いた。


 私だってそれくらいは考えたことあると言いかけたとき、侯爵家の財政があぶないと聞かされた時、領地に思いをはせたことはあったのか。と。


 その後、伯爵家の支援を受けた際も、何着ものドレスの代金を伯爵家に回すことになんの思いもなかったのか。

 なのに、その伯爵家の令嬢の悪口を言っていた自分を恥ずることはないのかと。


 王族として、人の悪口を人前で言う事の愚かさを恥じることはなかったのかと。


 兄はため息をついたのち、「お前のその言動で息子が婚約者を蔑ろにしてもいいと思わせていなかったのか」と言った。

 兄は私に「二度と王城に来ることは来ることは認めない」といった。

 そのうえで、宰相である兄からは侯爵家の領地で過ごす事を勧められた。

 このまま王都に居ても、好奇の目でさらされるからと。

 そして、私が降嫁の際に祝いとして受け取っている別荘のコテージはそのまま所有していいと、それはせめてもの恩情だと言っていた。


 私はいまだにどこで間違えたのかよく理解できない。


 美しさを褒められ、王家の薔薇と言われ、社交界でも花形だった夫と、人も羨む結婚をして、跡取りとなる一人息子に恵まれた。


 侯爵家の女主人として社交場でもそつなくこなした。

 けれど、今はその社交界にすら出ることはかなわず、王都に住むことすら許されない立場になった。


 使用人の費用は王家が出してくれている。

 長年、王族に仕えてくれた人間たちへの兄の労いの証だ。


 領地は華やかな夜会はないし、最低限の茶会もない。

 ただ、過ぎていくだけの無為な日々だ。

 息子から、妾を夫人にしたいので、結婚式をすると手紙をよこした。


 兄である宰相も許したという。

 ただし、夫人は高位貴族でもなく、養子先もないため、あくまでも「妾」としての身分らしい。

 侯爵夫人とは名乗れず、高位貴族の夜会にも茶会にも夫婦で参加は許されないとのことだ。


 結婚式だけは行いたいので、参列を要望する手紙だった。

 ドレスを製作する資金がないので、私が降嫁の際に王家から賜ったドレスを譲ってほしいとのことだった。

 最初は渋ったが、夫から「着ていく場所もない。譲ってしまえばいい」と説得された。


 人の悪口はもう言うまいと思っていたが、息子が自分で選んだという娘は、少なくとも息子が思っているような素直で愛らしい子ではない。


 これは女の感だ。


 この娘は自己顕示欲が強く、他者を追い落とすのが好きな方だ。

 社交場でこの手の女性はよく知っている。

 王族として付き合うのを気を付けなければならないとされていたからだ。


 私はそれを息子には言わずにいた。

 夫には話したが、夫は息子ももういい大人だから、自分の人生の責任は自分で取るべきだという。

 私たちは自分たちの人生の責任を、今、取っているのだからと。



 息子の嫁は結婚式にティアラがない事で不満を言っているらしい。

 私のドレスだけでは飽き足らず、私が下賜されたティアラも欲しいと我が儘を言っていると聞いた。

 息子からも懇願されて、仕方なく、私は兄の宰相に手紙を書いた。

 兄は「結婚式の間だけ貸す事を許してくれた。ただし、王家の管財人が直接、結婚式に持参し、式の終了とともにも引き上げていく条件で。


 結婚式の終了後に、ティアラを返したくないと喚いた話も聞いた。

 今更、もうでうでもいいと思った。

 孫を見かけたが、少しだけ息子に似ていたが、興味を持てなかった。


 息子が嫁に選んだ女のお願いというおねだりは時にエスカレートしたため、私と夫は息子たちから距離をとるため、領地からも引っ越して、私の所有している保養地へ移った。


 ここは何もないが、風光明媚で気候にも恵まれている。

 使用人たちも高齢で、引退し、今では一人を残すのみだ。


 秋口に風邪をひいた夫は、長引き、今朝、息を引き取った。

 それは本当にひっそりと。

 最後の会話は「一緒にいてくれてありがとう」だった。

 わが身の不遇を何度も泣いたけれど、夫のこの一言は私胸を暖かくさせた。


 あれから、私の心も死んでしまって。


 母もすでに息を引き取っていて、私には何の未練もない。

 なにより夫がいない人生に耐えられるとは思わない。


 たった一人残っていた使用人も、明日で引退する。

 その後はどうするのかと聞かれたので、夫のもとに行くと伝えたら、かすかに微笑んで

「では、最後はともにいます」と言って泣いてくれた。


 こんな主でごめんなさい。

 今ほど、自分の人生を悔いたことはない。



 翌日は、良く晴れた日。


 夫の遺髪を抱いて、静かに静かに沈んだ。



※せめてもの救いは、夫婦円満

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