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ボヘミアン・ウォーカーズ  作者: 八雲 辰毘古
Episode1:ショートスリーパー
2/2

ショートスリーパー(2)

 東京渋谷のアーバンコアは、近未来における複層現実レイヤード・リアリティの先駆的なモデルのひとつだった。高低差の大きい地形的特徴による各区画のアクセスの悪さを改善するべく、2013年からこの方、垂直移動を容易にするガラス張りで吹き抜け状のエスカレーターホールが乱立し、地下鉄の駅から高層ビルに直結する動線が敷かれた。結果、再開発を完了したネオ渋谷はIT事業者と若者、ポップアーティストと政治団体が自在に回遊するアクアリウムと化したのだった。

 そこには世界的な配信プラットフォーム企業の日本本社の事業所に始まり、個人開発のベンチャー企業やサブカルチャーの映画館、古着屋からカフェ、雑多な裏路地の飲食店から外国人のたまり場までが一同に介し、それでいて巧みに棲み分けるという奇跡的な構成比を生み出している。ガラス張りの昇降装置は退屈を弄んだ個人の移動と回遊を自在にしたが、同時に街自体を巨大なショーウィンドウにもしてしまった。


 ここではあらゆる景色がブラウザから覗いた商品展示(ディスプレイ)に過ぎない。

 あらゆる人間が売り手であり、買い手であるようなこの縮図は、かつてヴァルター・ベンヤミンが看破したフーリエのユートピアの再来だった。遊ぶように仕事をし、仕事のように真剣に戯れる──レジャーと買い物、セールスと新規開発が交差し、入れ替わる。ファサードに映る自分は、つねにファサードにも見つめられているのだった。


 私は宮益坂ストリートからスカイウェイに向かって進み、スクランブルスクエアを上昇しながら、このことを考えていた。仕事はしていた。街頭カメラのログから沢良宜の日常生活の行動をトラッキングしていたのだ。かつてテレビ局が配置した街角を捉えるカメラ映像は、もはや常時ライブ映像となって世に反映されている。私がたどっているのもそのひとつに過ぎない。沢良宜の顔を一度キャプチャすれば、案外かんたんに日常生活の筋道は再現できる。もちろんカメラは十分ではなかった。だが、その断片を収集し、思考すればだれだってある程度は痕跡がわかるというものだった。このような映像を収集し、メモリアルにする事業もあるとのことだった。

 テクノロジーが現実世界を拡張し、情報として何倍にも膨れ上がったこの時代においても、まだ歩き回ることは世界を知るために重要な手がかりを生み出す。


 私はその日の日中のトラッキングで、沢良宜がアトリエを中心に半径1km程度の生活圏を特定した。公開展示や会食などの例外を覗けば、あまり遠出はせず、制作活動に没頭し、人付き合いが狭いこともよくわかった。ときどきスクランブルスクエアを上昇し、屋上の公園で瞑想に耽る。そして帰宅し、一日平均6~8時間の制作活動を持続している。

 日頃の食事も、チェーン店の立ち食いそば店や牛丼などが多い。フードデリバリーサービスを用いることもあったが、どちらかというと外食のほうが多いみたいだった。おそらくあの神殿の中に食べ物を持ち込みたくないのであろう。あの空間での食事は、()()()()()()のようにその場所に縛り付ける呪いとなるに違いなかった。


 少なくとも、かれはこの世界に住んではいるが、つねに別の世界に所属しているかのようだった。


 私は事務所に戻る前に、ストリートに繰り出し新設の大衆蕎麦屋に入った。ところ狭しと並んだカウンターに座り、券売機で蕎麦を買う。「ていうかさ、信じらんないよな」


 隣の客の会話が耳に入った。


「アサミが言ってたんだよ。〝沢良宜優一のARアートは去年からクズだ〟って。技術的革新が全然ないって言うわけさ。だが技術的革新なんていまさらなんになるんだよ? もう技術的特異点(シンギュラリティ)は終わってんだぜ……」

「ふうん。じゃあこれからはなんだっていうの」

「〈バンクシーの弟子〉たちだろ」

「あの、ARトラップの?」

「ハマったやつが狐につままれるやつな」

「とんだ悪戯野郎だよ」


 最先端を気取る風潮は、いつの世にもはびこる。私は店員から手渡されたかけ蕎麦を啜った。


「そういえばこないだの配信アニメなんだけどさ……」といつのまに話題は変わっていた。ネオ渋谷の住民のおもしろいところは、アートとテクノロジーが、異世界アニメとレオン・カラックスが、マンガと古着屋が、シェイクスピア演劇とアマチュア文学とが同時に、同列に語られることだった。


 私は蕎麦屋を出た。


 しばらく歩いて、代々木方面に向かった。イエローストリートのおとなしい場所に、私の事務所はあった。


「戻ったぞ、テッド」

「うんおつかれ」


 室内はテッドの趣味で、宇宙船ディスカバリー号の内部のような白い壁と白い床だった。


「そちらの調査はどうなんだ」

「うん。まあ。もう三十分ほしいかな」

「こっちは終わりだ。コーヒーは要るか」

「そうだね。あるとうれしいな」


 私はキッチンに立ち、豆から挽いたコーヒーを淹れた。グアテマラの豆にした。

 熱いコーヒーを差し出す。「ありがとう」と言うテッドの言葉を聞き流し、壁際に立って飲んだ。澄み切った苦みと甘いくらいの爽やかさが喉を癒やし、頭をまどろみから覚ます。


 三十分が経った。


「それで、」とテッドが椅子を軋ませながら振り返る。もうコーヒーは飲み干していた。「沢良宜の依頼とその近辺についての調べについてはどうだい?」


 私は昼間に歩き回った成果を語った。


「うん。その内容はぼくの調査結果と一致するね」と相棒は笑った。「沢良宜に明確なライバルはいない。かれ自身確かにすぐれた身体感覚をAR空間に投影し、それがそのまま都市デザインや魅力的な空間を設計するセンスにあふれていたんだけど、その影響力は年々落ちているね。まあ作品の純粋な魅力だけで食っていけるアーティストなんてそうはいないから、オークションで高く打ったり、俗物のたまり場で自分を高く売ったりするわけだけども」

「アートシーンの談義は、おれはできないぞ」

「それはもったいない。アンディ・ウォーホルなんて古典的名作じゃないか。缶詰を描いてアートになるなんてだれが思ったよ?」

「おれにはアートはわからない」

「ならわかるように説明してやるよ。いいか、アートってのは表現による意味づけのシステムなんだ。例えば洞窟に雨宿りした原始人がいるとするだろ……そいつが焚き火をして濡れた身体を温めている。することなんてなにもない。膝を抱えて、ぐるりと周囲を見ると、炎のチラチラする明かりで影がまるで生きているように見えるんだ。だったらそこに生きているなにかがいてもいい。どこのどいつが最初に思いついたかは知らないが、とにかくだれかが炎で映える落書き(ペインティング)を創めた……そいつが人類史上初のアーティストだ。世界初のアニメーション映画作家であり、人間にとって意味のある世界の創造なんだ……」


 私は黙っていた。空のコーヒーカップにもう一杯グアテマラを注いだ。テッドはありがとうも言わずにカップを手に取り、啜った。


「人間ってのは意味に飢えた生き物なんだ。絶えず世界に驚く感性を持っていないと、生きた心地がしない。でも、さいきんはなんでも便利になっただろ? 便利になるっていうのはその意味を考えずに利益だけを得られるようにするってことさ。どっかの経済学オタクが、人間ってのは金銭的な利益とメシさえ食っていれば大丈夫だと太鼓判を押しやがった。とんだまちがいさ。結果、人間はやたらめったら意味を求めてくだらん陰謀論だの、スピリチュアルだの、要するに味気ない生活に箔を付けたくなったんだな。ワクワクしたいのさ。それで、アーティストはもう一回まじめに考えた。このくだらない、無意味にやっていることになにか面白くて意味のあることはないかってね」

「それが〈文化産業複合体〉の先駆けだっていうわけだな。歴史の授業をしている余裕はないぞ」

「でもいまのアートをまじめに考えるんだったら、歴史は必要さ。もう、人間は大自然の景色を見るだけであっと驚くような感受性の先にいるんだからね」


 その時、私のVisioHandからコンタクトの要求があった。ARを伴うビデオ会話だった。私はテッドにその旨を言い、プロジェクターを借りた。等身大の投影像と対面したほうがやりやすかった。


 現れたのは、オールバックに髪をめかしこんだ切れ者ふうの男だった。目鼻立ちは欧米風に彫りが深く、鷲のような目つきで、獲物を探すように私の姿を見つめていた。


「やあ」と男は言った。「私は文部省のものだ。沢良宜くんのエージェントもしている」

「こりゃ、どうも」とテッドが割り込む。


 男は眉をひそめたが、まるで醜いものを見つけた自分自身を恥じる貴族のような振る舞いに見えた。


「さっそくだが、本題だ。等々力仁、およびテッド・ウェン。きみたちが沢良宜から受けた依頼についてだが、取り消させてもらえないかね」


 この街の連中は目を開けたまま夢を見るのが本当に上手だった。

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