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異世界探偵のひとりごと ~ 【WEB短編版】  作者: D'Salvatore
第1巻

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第2章 - 絶望する父親の事件

 ジュリエッチの指示通りに路地の奥まで進んだが、そこで待ち受けていた光景は、俺が想像していた筋書きとは全く違っていた。


 男は子供を優しく抱きかかえていた。壁に背を押しつけ、まるで壁を突き破ろうとしているかのように震えながら。三人の警官が男を中心に半円を描いて取り囲んでいて、その中央にジュリエッチがいた。


 彼女が俺に気づき、こちらを向いた。数秒間、視線が交わる。その短い時間で、俺は彼女の顔に何かを見た――すぐには判別できない何かを。


 あれは安堵か、それとも単なる疲労か?


 その表情を処理する前に、彼女の顔にはプロフェッショナルな仮面が戻り、俺の神経系を混乱させたまま置き去りにした。おそらく、ただの思い過ごしだ――そう考えた瞬間、帝国軍警察のサイレンが夜明け前の闇を引き裂いた。


 あの音は、いつだって深刻な問題の到来を告げている。前世での経験が、それを脳に刻み込んでいた。甲高い悲鳴が建物の間で反響し、あらゆる方向から響いてくるような錯覚を生む。


 紺色の制服が輝き、それぞれのヘルメットには帝国のシンボル――金色の旭日――が誇示されていた。一方で、近隣住民たちが窓や扉に姿を現し始めた。無料のドラマの匂いを嗅ぎつけたコヨーテのように。


 囁きが低い波のように広がり、他人の問題を病的な好奇心で目撃する人々が生み出す、あの集団的なざわめきを形成していった。


 警官たちは効率的な封鎖を構築し、野次馬たちを安全な距離に保っていた。全ての軍人の中で、一人の男が際立っていた――身長、姿勢、そして紫のマントの上に載った金色の肩章によって。


 黒人の男で、ジュリエッチや俺と同じく三十歳ほどに見えた。議論を受け付けないことを明確にする顔立ち。唇に挟まれた震える煙草が、見かけの冷静さの下にある緊張の兆候を露わにしていた。


 完全に制御されているように見える人間でさえ、目に見える弱点を持っているものだ――興味深い。


 男は場面を一瞥した。最初は追い詰められた誘拐犯、次に見世物を餌にしている野次馬たち。そして最後に、俺とジュリエッチに視線を固定した。その強烈さは、俺が犯罪者なのか、それとも無関係な市民なのかを評価しているのかと疑問に思わせた。


「やっと来たわね、エリオット」


 ジュリエッチが近づいてきて、俺を頭から足先まで観察した。


「これで全員揃ったわ。さあ、この誘拐事件が何なのか理解しましょう」


「おや、おや……」


 黒人男性の後ろにいた金髪の男が、活気のある声でコメントした。


「これがあんたの新しい相棒か、ジュールズ? もっと……追跡で消耗してない奴を想像してたぜ」


「レオン」


 ジュリエッチが彼を遮った。叱責の中に愛情が滲んでいた。


「あなたがこの男を捕まえられたのは、エリオットのおかげよ。それに……話をそらさないで。あなた、まだ五百クルゼイロ貸してるわよね」


「分かった、分かったよ、ジュールズ。この事件が終わったらすぐ振り込むから」


 レオンは偽りの無邪気さで両手を上げた。


 ジュリエッチは目を細め、舌打ちをした。だが俺の注意は、帝国首都の警察署長としか思えない長身の男に釘付けになっていた。彼は俺を観察していた――まるで完全な心理ファイルを組み立てているかのように。明らかに、俺の外見と振る舞いの全ての詳細をカタログ化しているようだった。


「あなたが彼ですね? エリオット・ランド?」


 黒人男性が手を差し出した。


「戦争の……英雄にお会いできて光栄です。私はローレンス・ドゥスワスナと申します」


 俺は混乱して瞬きした。それから握手を返す。手の握りから、この男が経験豊富な魔法剣士であることを感じ取った。


「ドゥスワスナ公爵閣下は、どうして俺のことをご存知なんですか?」


 彼がどうやって俺を認識したのか理解できず、尋ねた。


「ジュールズ、彼が戦争英雄だって言ってなかったじゃないか」


 レオンが目を見開いた。


「あなたには彼について何も話してないわよ、レオン。頭の中、クソでも詰まってんの?」


 ジュリエッチは肩をすくめ、俺から視線を外さなかった。


「確かに……あなたのこと、どこかで見たことがある気がしてたのよ、エリオット」


 俺は斜めに笑った。苛立ちを感じながら。ジュリエッチが俺を帝国研究所から認識していないことに気づいた――彼女が覚えていたのは、あの馬鹿げた「戦争英雄」というあだ名だけだった。


 なんて立派な戦争英雄だろう……それは、貴族たちによって作られ、報道機関によって広められた壮大な冗談だった。あの対決がどれほど恐ろしかったかを隠すために。結局のところ、俺はただ、忘れられたらどんなことでもするような状況のせいで、いくつかの勲章を獲得しただけの男に過ぎない。


「いずれにせよ、閣下」


 俺はドゥスワスナに頭を下げながら言った。


「容疑者を尋問して、何が起こっているのかを理解すべきだと思います」


「ジュ……」


 ドゥスワスナの声は確固としていた。その下に隠された親しみのような音色があった。


「ジュリエッチ嬢、暫定尋問を始めてもらえますか」


 ジュリエッチは深く息を吸い込んだ。緊張した肩が、この状況に不快感を覚えていることを示していた。


「さて、誘拐犯さん」


 ジュリエッチがフィルターのない声で尋ねた。


「この子供をどうするつもりだったのか、説明してもらえるかしら?」


「お願いです、説明させてください……」


 誘拐犯が割れた声で、必死に話した。


「私は……この子に危害を加えるつもりはありません」


「じゃあ、話し始めなさい。なぜ逃げてたの? それに、なんであんた、私の相棒が待てって言ったのに襲いかかったのよ?」


「この子は私の娘で……私は、彼がとある貴族の手下の一人だと思ったんです」


「あんたの娘? 何を言ってるんだ?」


 レオンが眉を上げて質問した。


「それなら、なぜ俺たちは誘拐の通報を受けたんだ? それに、なぜあんたは貴族の娘を誘拐したって告発されてる?」


 男は、俺たち一人一人を見た。疲労で赤くなった目には、前世での経験から俺が認識できる何かがあった。


「とても……複雑なんです」


「時間はある、いくらでもな」


 ローレンスは煙草を吸いながら、抑制された声で言った。


「だが俺の忍耐には有効期限がある。だから早く説明しろ、さもなきゃお前を独房にぶち込んで、陛下の裁きを待たせるぞ」


「妻が……私を捨てたんです」


 誘拐犯がますます途切れがちな声で話した。


「彼女は数年前、娘を連れて……別の男と逃げました。彼女は手紙を一通残しただけで、子供にまともな人生を与えたいと言っていました」


「つまり、あんたの妻が同じことをしたから、ここに来て娘を誘拐するのがいいアイデアだと思ったわけ?」


 ジュリエッチが明らかに彼を追い詰めながら言った。


「いずれにせよ、それじゃ説明になってないわ。なぜあんた、怯えた子供を抱えて路地を走り回って、私の従業員を襲ったのか……」


「あなた方には分からないんです……彼は……彼女が逃げた相手の男は」


 誘拐犯が愛情を込めて子供の髪を撫でた。


「貴族だったんです……」


 レオンとローレンスが、全てを物語る視線を交わした。俺は舌打ちした。あの男が何を言いたいのか理解したからだ。俺たち全員が理解した。誰も貴族に逆らおうとはしない。それは自分の死刑執行令状にサインするのと同じだ。


「続けて。あんたの論理を理解したいの、なぜこんな馬鹿げたことをしたのか」


 ジュリエッチが言った。


「この子があんたの娘で、あんたを逮捕させた貴族の娘じゃないって、どうやって納得させるつもり?」


「その男、その貴族は……数年前に私の結婚を無効にしたんです……」


 誘拐犯が言葉を吐き出すように話した。


「彼は自分の影響力を全て使いました。金と……他にも色々……それで成功したんです。突然、私の結婚は存在しなくなり、私は貴族の妾と関係を持ったと告発されました」


 誘拐犯は苦痛に満ちた沈黙を作った。その目は涙ではなく、抑圧された怒りで輝いていた。


「その妾というのが……以前は私の妻だった女なんです」


 彼の声は震え、苦々しさに満ちていた。


「結婚が無効になった翌日には、もう彼女は私の家にいませんでした。私に残されたのはこの手紙だけ……何が起こったのかが書かれていました」


 ローレンスは口の端から煙を吐き出し、目を細めてから言った。


「それで、娘はその女性に連れて行かれて、その貴族が自分の娘として登録したのか? だが……なぜだ?」


「はい。閣下は貴族ですから……」


 誘拐犯が重々しく頷いた。


「よくご存知でしょう……貴族が何かを望めば、誰も拒否できません。最初は、もしかしたらその方が良いのかもしれないと思おうとしました……彼には金も権力もある。小さなレベカが彼と一緒の方が良い人生を送れると想像しました、でも……」


 苦い沈黙が訪れ、俺は自分の拳が握りしめられていることに気づいた。


「でも、事態がそんなに順調じゃないと気づいたんだな?」


 俺が尋ねた。


 誘拐犯は目をそらした。


「この街は……俺が想像していた通りじゃなかった……物事はここで思っていたのとはかなり違っていました」


 俺は低く、ユーモアのない笑いを漏らした。


「違う……確かにこの街は、俺のアルカーディアとは全く似ていない」


 俺の声はほとんど感情なく響いたが、内側では何か暗いものが沸騰していた。


「これまで以上に強力な貴族階級、惨めな賃金で生き延びる平民、そして教会は……」


 俺の言葉は一瞬途切れた。目が建物に映し出される説教の映像を彷徨った。純潔と服従についての教義を打ち込んでいる。街は変わったが、野心の匂いはさらに強くなっていた。


「教会は……これまで以上に強くなったようだ」


 俺は付け加えた。喉が一音節ごとに締め付けられていく。


 俺の隣で、ジュリエッチはすぐには答えなかった。街を見つめたまま、影の中に何かのしるしを探しているかのようだった。彼女の沈黙は、どんな言葉よりも多くを語っていた。


「残念ながら、じいさんが死んでから、教会は宮廷に力を取り戻してきたわ……」


 ジュリエッチが乾いた、ほとんど苦々しい声で呟いた。帝国宮殿の前に建てられたカッシウスⅡ世皇帝の巨大な像を凝視していた。


 顔を向けると、ジュリエッチは重みのある視線を俺に投げかけた。まるでそこに何か言葉にならないものがあるかのように。


「あのクソ貴族は、神聖正統性独占を使って妻を強制的に結婚させたんです……」


 誘拐犯が声を震わせながら言った。


「でも戦争から戻ってきてから、あの野郎が妻と娘を古い雑巾のように捨てたことを知ったんです」


 俺は眉をひそめた。混乱していた。


「でも……それは廃止されたんじゃなかったのか?」


 俺自身の声が不確かに響いた。信じたくないかのように。


 ジュリエッチは喜びのない低い笑いを漏らした。


「書類上は廃止されたわ、でも強制結婚法が復活した時、誰が糸を引いたと思う?」


 彼女はほとんど囁くように言った。まるで街自体に聞かれたくないかのように。


 誘拐犯は俺に目を向けた。そこにはもう怒りはなく、ただ生々しく深い苦痛だけがあった。俺の胃が裏返る感覚がした。


「じゃあ、なぜ……こんな馬鹿げたことをする前に、彼女と話そうとしなかったんだ?」


 俺は尋ねた。


「なぜ自分の娘を誘拐したんだ?」


「妻は……娘が赤線地区の……快楽の館で生計を立てて働いていると知ってから、俺に会おうとしないんです」


 誘拐犯は泣き始める前に言った。


「彼女は起こったこと全てに恥じていて、貴族に逆らえなかったと言うんです……そして俺の小さなレベカ、『俺の娘』は……それ以来、毎日一人ぼっちなんです」


「つまり、その絶望のせいで……こんなことをしたのか」


 俺は喉に結び目ができるのを感じながら言った。


 誘拐犯はただ頷いた。


「俺は妻を責めていません……実際、元妻……今はそう呼ばなきゃいけないんでしょうけど。でも娘がこんな状況に置かれ続けるのは受け入れられません」


 俺は深くため息をついた。同時に、レオンが笑顔を失うのを見た。一瞬、彼は俺が胸に抱えているのと同じ重さを背負っているように見えた。彼の隣で、ローレンスは拳を握りしめ、指の間で煙草が震えていた。ジュリエッチでさえ、プロフェッショナルな仮面に亀裂を漏らしていた。


「先生を襲ってしまって……申し訳ありませんでした」


 誘拐犯が詰まった声で言った。


「先生を見て分かったんです、だから逃げました」


 彼は俺に目を向けた。そこには恐怖だけでなく、尊敬もあった。


「俺も軍人だったんです……」


 誘拐犯の告白が床に落とされた重りのように出てきた。


「だから、有名なペドラヴァーレの英雄が待てと命令してきた時……俺を殺すために追ってきたんだと思って、娘をあのクソ野郎のところに連れ戻すつもりなんだと……」


「論理は理解できる、しかし……」


 ジュリエッチがより柔らかい声で言った。


「子供を誘拐するのは、非常に極端な行動よ」


「分かってます、でも……どうすればいいか分からなくて。妻は娘を渡すのを拒否して……」


 彼の言葉が必死の流れで出てきた。腕の中の子供を見る前に。


「娘はとても痩せていて、怯えていて……俺の娘が俺が誰だか分からなかったんです。その瞬間、他のことを考える余裕なんてありませんでした。戦争で俺を生かし続けた唯一のものは、娘が無事だと知っていたことだったのに、現実が違うと知った時……他に選択肢がなかったんです」


「なぜ司法に訴えなかったんだ?」


 俺は尋ねた。貴族たちとの経験が既に答えを示唆していたが。


「なぜ法的な親権を取り戻そうとしなかったんだ?」


 彼はユーモアのない笑いを漏らした。


「司法?」


 彼は俺を見た。まるで俺が世間知らずだとでも言うように。


「俺の家族を破壊したのは、貴族たちの『司法』だったんです。俺の結婚を無効にすることを、金持ちの男に許可したのもそれです。その同じ司法が、娘を取り戻すのを助けてくれると思いますか?」


 ローレンスは煙草をより強く吸い込んだ。熾火が激しく輝いた。


「これは明日、新聞で大騒ぎになるな」


「まるで俺がそんなクソどうでもいいみたいに……」


 ジュリエッチが壁に跳ね返った石を蹴りながら唸った。


「この家族の人生をさらに台無しにしないように、ローレンス、どうにかしてよ」


 ローレンスを見て、ジュリエッチは頷いた。二人の間で何かが通じ合うのを感じた。システムについての共有された欲求不満を運ぶ、無言のコミュニケーション。


「分かった、ジュリエッチ。シャトーブリアン伯爵と話をつけよう。明日、これがニュースで混乱を起こさないように努力すると約束する……」


 ローレンスが一歩前に出て、煙草を地面に投げ、足で消した。


「いずれにせよ、名前は何だ?」


「アントニオです、閣下」


「分かった、アントニオ」


 ローレンスは確固とした口調で言った。


「一つ明確にさせてくれ。我が帝国の司法が貴族と教会に支配されているとはいえ、誘拐はこの種の状況に対する答えじゃない。だから、お前を連行しなければならない。別の方法でこの状況を解決しようとするつもりだ、いいか?」


「分かってます、閣下。抵抗はしません」


 アントニオは壁に崩れ落ちた。まだ娘を抱きながら。


「馬鹿げていたことは分かっています、でも……彼女は俺の娘なんです。何かしなければならなかった」


 レオンが近づいた。以前の軽やかさが顔から全て消えていた。


「なあ、俺も理解できるよ……」


 レオンの声が低く出た。


「俺にも娘がいる。彼女を安全に保つためなら何だってするさ。でも今は……正しい方法でこれを解決しないといけない。だから、もしよければ……娘さんを俺に預けてくれないか?」


 ジュリエッチは、俺が既に読み取ることを学び始めていた表情でローレンスを向いた。彼女には明らかに計画があった。


「ローレンス、和解の聴聞会を主導してもらえない?」


 ジュリエッチが尋ねた。


「あなたも貴族なんだから、それに必要な全ての特権を持ってるでしょ」


 警察署長はゆっくりと頷き、ポケットから別の煙草を取り出した。


「あんたもそうだがな……」


 ローレンスは一時停止してから言った。


「まあいい、やってやる」


 ローレンスはライターを開けて、別の煙草に火をつけた。


「カッシウスⅡ世皇帝の基金の対象になるか確認してほしいんだろ?」


「何の話をしてるんですか?」


 アントニオが尋ねた。希望と不信の間で目が揺れ動いていた。


「じいさんの……脆弱な状況にある子供たちのための支援プログラムのことよ」


 ジュリエッチが説明した。


「これであなた方が立ち直るのを助けられると思うわ」


「本当に……そんなことをしてくれるんですか? 俺がしたことの後でも?」


「お前はまだ逮捕される。あのバカに、お前を人生から排除できたと思わせるためにな」


 ローレンスは確固として言いながら、他の警官たちに合図した。


「でも心配するな……たぶん、刑期を三ヶ月くらいに減らせる。そうすれば人生をやり直せる。その間、娘が お前の絶望の代償を払う必要はない……レオン、彼女を預かってくれるか?」


 頷きながら、レオンが近づいた。アントニオは俺たち一人一人を純粋な感謝で見てから、子供を引き渡した。


「ありがとうございます、閣下」


 アントニオが答えた。


「これは……興味深い夜だったな」


 レオンが言った。笑顔が少しずつ戻ってきて、腕の中で眠っているより落ち着いた子供の頭を撫でた。


「でも、もう一人子供を家に連れて帰ることになるとは思わなかったぜ」


 ローレンスは一瞬俺を観察し、それから承認のようなもので頷いた。


「さて、エリオット」


 ジュリエッチが俺の腕に軽く触れながら言った。


「そろそろ家に帰る時間ね。あなたの仕事の報酬の一部として提供している部屋、使う?」


 俺は瞬きして、笑顔を漏らした。


「どうせ泊まる場所もないし、受け入れるよ」


 俺は一時停止し、彼女の方向にわずかに身を傾けた。


「ただ、部屋が家主ほど冷たくないことを期待してるぜ」


 沈黙が一瞬重くのしかかった。しかしジュリエッチは躊躇しなかった。彼女の唇がゆっくりとした笑みに曲がり、目が皮肉で輝いた。


「ああ、心配しないで、エリオット」


 彼女の声が低く、ほとんどビロードのように出てきた。


「あたしは男たちを汗だくで息切れさせるのが得意なのよ」


 クソッ……この女は信じられない、俺は思った。


 あのフレーズは俺を思春期の少年のように笑顔にさせた。同時に、ドゥスワスナが眉を上げ、レオンが抑えた口笛を漏らし、空気中の緊張が触れられるほどになった。ジュリエッチは悪戯っぽい笑みで俺を見つめていた。


 数秒後、彼女はただ頭で馬車を指し示し、歩き始めた。俺は先に乗り込み、まだ彼女が言ったことに当惑しながら、彼女に手を差し伸べた。


 ジュリエッチは躊躇せずに受け入れた。指は温かく、いくつかの場所でわずかにザラついていた。十分長い間工具を扱ってきた人の、皮膚に残された記憶の明らかな跡。しかし、俺が彼女を優しく中に引き込んだ時、彼女は不意につまずいた。


「あっ!」


 ジュリエッチが叫んだ。


 衝撃を感じる前に、目を見開く時間しかなかった。俺がバランスを失って後ろに倒れた時、世界が逆さまになった。


 衝撃が馬車の床に当たった時、背中を通って反響し、ジュリエッチが全体重で俺の上に倒れ込んできた。衝撃が一瞬、俺から空気を奪った。


 全てが数秒間静止した。彼女の香水が俺の鼻孔に侵入してきた。甘いフローラルのベースを持つフルーティーなノート。不快ではなかった。


 髪の解けた束が俺の肌を撫で、俺は数センチの距離でジュリエッチのターコイズブルーの目を見つめた。


 気づかずに息を止めた。制御を失った状況に直面した男性の脳の愚かな反射。


 彼女は瞬きした。唇が俺のものに近く半開きで、俺と同じように状況を吸収していた。ただ、はるかに落ち着いて。それから、ゆっくりと、ジュリエッチは視線を上げて俺のものと出会わせた。


「いつも女性をこうやって助けるの?」


 ジュリエッチが言った。声は悪戯っぽく、皮肉に満ちて出てきた。


 俺は答えようと口を開けたが、大きな咳払いがやや気まずい状況を断ち切った。


「二人に時間を与えるべきか、それとも……」


 ドゥスワスナが馬車のドアに怠そうにもたれかかっていた。


「もしかして部屋に直行した方がいいんじゃないか? 俺には関係ないが、ただ路上でこの手のことをするのは犯罪だと提案してるだけだ。それはほとんど風紀紊乱罪だからな……だから、今は何も見てないふりをしておこう」


 ジュリエッチはため息をつき、額を俺の肩に落とした。


「お願い、ローレンス」


 彼女が俺のシャツの生地に向かって囁いた。


「平和に恥で死ねるように、ちょっと時間をちょうだい」


 予期せぬことだったが、俺はこの状況がもう少し続いてほしかった。偶然とはいえ、彼女がそこに、俺の腕の中にいた。そして残念ながら、次の瞬間には彼女は既に立ち上がり、俺を助けるために手を差し伸べていた。


 俺は受け入れた。床に横たわり続ける方がさらに恥ずかしいだろうから。


 立ち上がった後、ジュリエッチはイライラするほどの冷静さで席に腰を下ろした。俺が平静を取り戻そうとしている間、彼女の唇で遊ぶ小さな笑みに気づいた。


「ちょっと恥ずかしかったわね、認めるわ……」


 ジュリエッチがコメントし、横目で俺に視線を投げた。


「ごめんなさい、エリオット」


 挑発的で確固とした声は、顔の皮膚に広がるわずかな紅潮と矛盾していた。俺は微笑み返し、沈黙を一瞬延ばして緊張を長引かせた。


「もし別の機会に、でも偶然じゃなく繰り返したいなら……」


 俺は挑発し、半分の笑みを漏らした。


「俺は……問題ないぜ」


 ジュリエッチは瞬きし、驚いて目を見開いた。口が半開きになったが、言葉は出てこなかった。一瞬、氷の女性は振る舞い方を忘れたように見えた。


 ジュリエッチが平静を失うのを見るのは、たとえ数秒間だけでも、俺に説明のつかない喜びを与えた。おそらく、純粋な愚かさだったが、いつか俺にもチャンスがあるかもしれないと信じさせてくれた。


 彼女は控えめに咳払いをし、姿勢を取り戻そうとした。


「あなた、とても大胆ね、エリオット」


「そしてあんた、ジュリエッチ、赤くなってるぜ」


 彼女は眉を上げ、誤魔化そうとした。


「勘違いよ……たぶん光の反射でしょ」


「もちろん、間違いなく光だな」


 俺は斜めの笑みで答えた。


 ドゥスワスナは低く笑い、指の間に挟まれた煙草が手の自然な延長のようだった。


「本当に驚いたな」


 警察署長が、怠惰な渦巻きで煙を吐き出しながら言った。


「実際、考えられないことが起こり得るようだ」


「考えられないこと?」


 俺は純粋に、そして混乱して尋ねた。


 一体何が起こっているんだ? 彼は本当に、俺にチャンスがあるかもしれないと示唆しているのか?


 ドゥスワスナは、まるで俺が世界で最も明白な質問をしたかのように首を傾げた。


「まあ、戦争英雄殿には自分で発見させよう」


 彼がそれを言った方法は、皮肉の棘を含んでいるように思えたが、同時に共謀に近い何かも含んでいた。


 ジュリエッチは短いため息を漏らし、肩がわずかに緩んだ。まるで認めたくなかった緊張を逃がしているかのように。


「いずれにせよ、ローレンス」


 ジュリエッチが言った。


「助けが必要なら、どうやって連絡するか知ってるでしょ」


 紅潮がまだ彼女が隠したいものを裏切っていた。肘を馬車の窓に置き、顎を手に乗せ、路上の目に見えない点を見ていた。


「必要な時だけ連絡してちょうだい。キメラがまた現れるとか、そういう時だけ。仕事で手一杯なの」


 それは言い訳だったが、優雅な逃避のように聞こえた、と俺は気づいた。


「仕事で手一杯ねえ?」


 俺は考え込むような口調で繰り返した。


「面白いな。あんたの専門は決してコントロールを失わないことだと思ってたけど、どうやらあんたでさえ優先順位の管理に困難があるみたいだな」


 彼女はあまりに早く目をそらした。それが俺を内心で笑顔にさせた。


 ローレンスはただ頷き、明らかに横から笑みを浮かべてから、ジュリエッチを挑発した。


「面白いな……」


 ローレンスがゆっくりと言った。


「ジュリエッチ嬢が男の前で恥ずかしがることなんてないと思ってたんだがな……でも氷の女が溶けるのを見るなんて、これは本当に稀な光景だ」


 ジュリエッチは窓の方向に顔を向けた。紅潮が強まっていた。明らかに聞いていないふりをしていたが、彼女の沈黙はどんな抗議よりも多くを語っていた。


 俺は笑顔を隠せなかった。もしかしたら、ほんのもしかしたら、あの乗り越えられない壁に隙間があるのかもしれない、と俺は考えた。


 でも急ぐわけにはいかない。結局、俺たちは一緒に働き始めてから二十四時間も経っていないのだ。そしてジュリエッチのような女性の場合、誤った一歩一歩が高くつく。


「ローレンス」


 彼女がまだ外を見ながら呼んだ。


「あなた、煙草吸いすぎよ」


 声はより柔らかく、ほとんど聞き取れなかった。


「そして嬢ちゃんは、自分を隠しすぎだ」


 ローレンスが煙草にもう一度火をつけながら答えた。


「さて、エリオット」


 ジュリエッチがため息の合間に言った。


「このドタバタの後、あなたにはいい風呂が必要ね」


 トーンがあまりにも示唆的で、ただ汚れについてだけではなかった。


「もしかしたら俺には……溺れないことを保証するための同伴が必要かもな」


 俺が言った。


「一緒に来るか?」


 ジュリエッチは目を見開いたが、すぐに顔を向けて抑えた笑いを隠した。


「あなた、本当にどうしようもないわね」


 彼女は言ったが、声は危険に聞こえる何かで満ちていた。


「まあいいわ……とにかく、ここからさっさと出ましょ」


 ジュリエッチは視線を路上に固定したまま、顎を手に乗せ続けた。


「ローレンス、すぐにまた呼び出さないでいてくれることを期待してるわ」


 彼女は低いが確固としたトーンで言った。


「ここ数週間は、認めたい以上に消耗してるの」


 ローレンスはゆっくりと煙を吸い、窓から煙を吐き出した。


「すぐに新しいケースであんたを煩わせなくて済むことを願ってるよ」


 ジュリエッチはため息をつき、肩が柔らかく落ちた。


「二人とも、それが起こらないことを知ってるわ」


 彼女の声には疲労の影があった。


「ただ、こういうケースみたいに、死者や大きな頭痛の種がないものであることを期待してるだけよ」


 ローレンスは首を傾げ、目を細めて彼女を評価した。


「それはもう贅沢な望みだ、ジュリエッチ」


 ローレンスが一時停止して答えた。


「いずれにせよ、また助けてくれてありがとう」


 ジュリエッチは眉を上げたが、答えなかった。ただ、エンジンの轟音の中に消えていった抑えたため息を漏らした。


 その瞬間、自動馬車が速度を上げ、アルカーディアの光が窓から点滅し始めた。地上の星のように。

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