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三話「名前」

「わっ」

 おどろいてぐらりと体勢を崩す。転ぶ――と思ったら、烏天狗……カケルくんに、腰を支えられていた。

「あ、ありがとう」

「十六歳、おめでとう。暘」

 ぐ、っと腰に回った手に力がこもるのを感じた。

 え――。何で、わたしの名前……。

 ぽかん、と口を開ける。カケルくんは、まっすぐわたしの目を見つめたあと、少しだけ口元を歪めた。

 まるで、泣きそうな……そんな、顔だった。

 けれど、瞬きをすると泣きそうな顔はすぐに真顔に戻っていた。口を一文字に引き締め、何を考えているのか分からない。

「ほら、立てるか?」

「あ、うん」

 カケルくんはわたしの体勢を戻すと、腰から手を離した。

 今度は、わたしがまっすぐカケルくんの顔を見つめた。

 整えられた髪の毛は黒に赤が混じっている。切れ長の赤い瞳に、すっと通った高い鼻。薄い唇。鍛えられた体は分厚く、背は首が痛くなるほど高い。百八十はありそうだ。着物のような黒色の衣服を身にまとっている。

 まるで、美術品みたいに綺麗な顔だ。

「……お前が覚えていないのなら、俺はあの約束を口にすることはしない」

 わたしの視線を受け止めたカケルくんが、ぽつりとそう零した。

 ――約束? 一体、何の……。

 記憶を探る。黒い羽根、差し出された手。握った時の少しひやりとした冷たい体温……。

 思い出せるのは、それだけだ。

 多分、わたしは幼いころにカケルくんと会ったことがある。……はず。

 けれど、それがどんな時だったのか、何の話をしたのか、まるでモヤがかかったように思い出せない。

「思い出したら、答えを聞く」

 そう言うと、カケルくんは小さく笑った。

 あ、この顔、見たことある……。

 不思議と、そう思った。思い出せないのに、確かにそう感じた。

「わっ」

 ごうっと強い風が吹き、わたしは目を瞑る。次に目を開けた時、そこには誰も居なかった。


「カケル、くん」

 自室のベッドに寝転がり、ぽつり、と口に出してみる。カケルくん。何だか、なつかしい響きのような気がする。

 やっぱり、わたしは幼いころカケルくんに会っているのだろう。そして、何かしらの約束を交わした。

 それが一体何なのか……まったく、思い出せないわけだけど。

 カケルくんは妖だ。幼いわたしにとって、妖とは怖くて恐ろしいだけの存在のはずだ。

 そんな存在と、約束なんて交わすだろうか?

 記憶を探るけど、やっぱり思い出せない。思い出せるのは、黒い羽根と差し出される手のひら。握った時の少しひやりとした冷たい体温……それだけだ。

 幼いころの記憶は、痛くて悲しいものばかりだと思っていた。

 けれど、それだけでは無かったみたいだ。

「カケルくん……」

 もう一度、舌で転がすように名前を口にしてみる。

 やっぱり、どこかなつかしい響きだ。舌に馴染んでいるような、そんな気がする。

 あなたは一体、誰なの? わたしとどんな約束を交わしたの……ねぇ、カケルくん。

 もしかしたら、その約束があるから、カケルくんはわたしを他の妖から守ってくれるのか。

 考えても考えても、結局答えは出なかった。


 翌日、学校へ向かうと中谷くんが話しかけてきた。

「和田さん、猫又って知ってる?」

 どきりと心臓が跳ねた。

 猫又は妖だ。一体どうして、わたしに妖の話題なんかを振って来たのか。

 答えに詰まるわたしに中谷くんはくしゃりと笑った。

「ああごめん、いきなりだったよね。実はさ、家で飼ってる猫が居るんだ。真っ白い体の猫でさ、飼い主贔屓かもしれないけど、美人な猫でさ。そこ猫の尻尾が、二本に裂けているような気がするんだ」

 そんな中谷くんの言葉で、わたしと中谷くんは昼休み、図書室に来ていた。

 もちろん、猫又について調べるために。

 正直に言うと、わたしも存在は知ってるけれど、猫又というものがどんな妖なのかはよく知らない。

 知識としてあるのは、長年生きた猫の尾が二本に裂け、人を化かしたりする妖……その程度だ。

 図書室で妖怪について書かれた本をいくつか見繕い、テーブル席まで持っていく。

 二人で猫又ついて書かれている部分をノートにまとめる。

 教室に戻り、二人で各々ノートにまとめた部分を発表した。

「猫又とは、十年以上生きた猫が妖力を付けて妖怪になったものが猫又と呼ばれる」

「五十年生きた猫は尻尾が二本に裂けて猫又になる。人を化かしたり、食ったりすることもある」

「人の言葉を話し、人を襲ったり飼い主に恩を返したりする……と、こんなところかな」

「そうだね。それで、中谷くん家の猫っていうのは?」

 二人して猫又について調べ終えたあと、中谷くんは「うん、実はね」と少し声を潜めて話を切り出した。

 中谷くんが言うには、その猫は中谷くんが子供のころから家で飼われている猫らしい。もともと野良猫だったのを、中谷くんの祖母が保護したのがきっかけだとか。真っ白の体に青い目をした綺麗な猫で、とても賢く人の言葉を理解しているような素振りを見せる。

 中谷くんの祖母が病気で亡くなったのをきっかけに、尻尾が二本に裂けているように見える……とのことだった。

「ただね、ミィ……うちの猫の尻尾が二本に裂けて見えるのは、家族の中で僕だけみたいなんだ。最初は見間違えかと思ったけど、あまりにも頻度が多いから、僕にしか見えない尻尾なんじゃないかって思って……ごめん、やっぱりおかしいよね」

 中谷くんは、話しながら自信が無くなってきたのか、言葉尻が小さくなっていく。

 ただ、わたしは話を聞いていてやっぱりそのミィって猫が、長い年月を生きて猫又になったんじゃないかと思った。

 けれど、不思議なのはその二本に裂けた尻尾が中谷くんにしか見えない、ということだ。

 入部して同じクラスということが判明した中谷くんとよく話すようになったのは、割と早い段階だった。

 そして、普段の中谷くんを見る限り、妖が見えるというわけでも無さそうなのだ。

 教室の隅に立っている人影に反応しているところを見たことは無いし、この間は廊下に立っていた妖の体を通り抜けていた。だから、中谷くんは妖が見える……というわけでは無いのだろう。

 だとしたら、なぜ中谷くんにだけミィの尻尾が二本に裂けて見えるのか。

 もしミィが本当に猫又だとしたら、本にあったように人を食ったりする可能性だってある。高校で初めて出来た話し相手を失うのは嫌だった。

「ねぇ、良かったら中谷くん家の猫、見に行ってもいいかな?」

 気が付けば、そんな提案を自分からしていた。


 放課後、中谷くんに案内されて中谷くんの家へ向かった。

 中谷くんの家は学校から自転車で十分ほどの場所にあるらしい。今回はわたしが徒歩なので、中谷くんは乗って来た自転車を押して歩いている。

「ミィは本当に賢い子でさ、トイレの失敗もしたこと無いんだ。帰ってきたら遊ぼうねって声かけると、帰るころにおもちゃを咥えて玄関で待ってたりするし、人の言葉も理解してるみたいで……」

 中谷くんは小説の話はぽつりぽつりとしか話さないのに、猫の話になると別人のように饒舌だ。

 飼い猫のミィがどれだけ賢いか、可愛いか、ものすごく熱弁している。

 わたしは相槌を打ちながら、猫か……と考える。

 たまに道端で見かける野良猫なんかは可愛いと思うけど、飼いたいと思ったことは無い。

 妖に追いかけられたりちょっかいをかけられたりで毎日忙しいので、猫や犬といった動物を飼いたいという気持ちになったことが無いのだ。

 可愛いとは思うけれど、可愛いだけでは無く、動物を飼うということは命を預かるということだ。

 そんなの、わたしの手には負えない。自分だけで精一杯なのだ。

 母が動物好きかどうかなんて考えたことは無いけど、母は仕事が忙しいから、飼うとしたら世話はわたしがメインですることになるだろう。

 友達が居なかったので、誰かが飼っている動物を見に行く、ということも初めてだった。

 少しだけドキドキする。何せ、相手はただの動物では無く、妖かもしれないのだ。

 警戒するに越したことは無いだろう。

「着いたよ」

 中谷くんの家は、大きな一軒家だった。庭があり、その一角に花壇があった。色とりどりの花が植えられている。

「ただいまー」

 玄関を開けると、そこには一匹の真っ白な猫がちょこんと座って待っていた。

「おかえり、ひとし!」

 小さな男の子の声だった。弟だろうか。へぇ、中谷君の下の名前ってひとしって言うんだ。どういう字なんだろう。あれ? でも、兄の名前を呼び捨てにするものか……?

「ただいま、ミィ。母さんは居ないの?」

「居ないよ。買い物に行ってくるってさ」

 ……待って。さっきからわたしに聞こえているこの声って、まさか――。

「いらっしゃい、お客人。どうやら、ボクの声が聞こえているみたいだね」

 青い目が、キラリと妖しく光った。

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