二十一話「不安も全部」
「よぉ」
「カケルくん」
丘の上に行くと、めずらしくカケルくんが地面の上で待っていた。
いつもは木の枝の上に居るのに。
パウンドケーキはしっかりとカバンの中に入れてきた。
後は渡すだけ……。
「最近涼しくなったね」
「軟弱なお前も過ごしやすそうで何よりだ」
「失礼だなぁ」
他愛も無い会話を交わす。
お互い、中々本題を切り出さない。
このままではカバンの中で眠る手作りパウンドケーキが可哀想だ。
「あのさ――」
パウンドケーキ持ってきたんだけど、と切り出そうとした瞬間、視界の端を何かがよぎった。
「アハ、アハ。にんゲん! にんげンだ!」
伸びてきた長い髪の毛がわたしの腕に絡みつく。その拍子に、持っていたパウンドケーキの入った袋が地面に落ちた。
「あ!」
ぼとり、と地面に落ちたパウンドケーキは、襲ってきた妖の足の下へ。
「にんゲん、にンげんダぁ」
「コイツから離れろ!」
カケルくんの手が絡みついた髪の毛を引きちぎる。
「じゃマするナ! ワたシのえモのダ!」
「いいや違うね。コイツは俺の――花嫁だ!」
背中から一本羽根を抜き取る。その羽根を剣のように構える。
瞬きの間に髪の長い妖は長く伸びた髪の毛をざっくりと切られていた。
「ひぃぃ」
そのまま、悲鳴を上げて逃げ去って行った。
「暘、無事か」
「あ、うん。でも……」
答えながら、視線を地面に落とす。
地面には、無残に踏みつぶされたパウンドケーキの残骸があった。
ふわふわだった形は見る影も無く、ぺしゃんこになっていた。
カケルくんは潰れたパウンドケーキを見つめ、やがて手に取った。
「作り直すよ。次はもっと美味しく――」
「あむ」
ため息をつき、カケルくんから潰れたパウンドケーキを受け取ろうとした時、カケルくんは何のためらいも見せず袋から出したパウンドケーキを口に入れた。
「え!?」
おどろいてカケルくんに向けた手をそのままに固まるわたしをよそに、カケルくんはもぐもぐと咀嚼している。
「うん、美味い」
そう言って、ぺろりと舌で口回りを舐めた。
「いや……何で食べたの? 地面に落ちて踏まれたんだよ?」
「暘が俺のために作ってくれた菓子だ。食わない理由が無い」
「何それ……袋に入ってたとは言え、地面に落ちたのに……ばっちぃよ?」
「俺は妖だ。人間とは違って、体が強い」
つまり、多少汚れていても問題無い、と言いたいようだった。
わたしは袋の中でボロボロになったパウンドケーキの欠片を、一つひとつ拾い集めて口に運ぶカケルくんの姿を見ることしかできなかった。
その姿に、何だか無性に泣きたくなった。
わたしが作ったからというだけの理由で、地面に落ちて踏まれたお菓子を口にしてくれる。
それは少し重たい愛だけど、やさしい愛でもあった。
「……やっぱりまた今度作り直すよ。次はもっと美味しいの作るからさ」
「本当か。楽しみにしている」
ニッと笑うカケルくんに、釣られたように笑った。
「恋バナしようよ、暘ちゃん」
「恋バナ? 何でまた急に」
ずずー、とストローでジュースを啜る。
涼しくなったけれど、まだまだ冷たい飲み物が美味しい。
夏帆ちゃんはメモ帳を片手に、ペンを指先で器用に回した。
「モノノ怪学園シリーズに恋愛要素を入れたいの!」
そう言って、くるくると回していたペン先をわたしに向ける。
「やっぱり、学園ものに恋愛って必要じゃない? 盛り上がるし」
ちらっと見えるメモ帳には「恋愛要素」や「両片思い」などの文字が並んでいた。
「夏帆ちゃんは今好きな人いるの?」
「それがねぇ、いないの。私、恋愛ってあんまり興味なくって」
アイスティーを口に含み、夏帆ちゃんは唇を尖らせた。
「じゃあダメじゃん」
「だから暘ちゃんに聞いたんじゃん! ズバリ、暘ちゃん今好きな人いるでしょ?」
うぐ。なぜバレた。
思わず目が泳ぎそうになり、とりあえずジュースを啜る。
「私、こう見えて人の観察は得意なんだよ。だから、見てたら分かるの。ああ、この子今恋してるなーってのが」
「恋愛に興味無いのに?」
「それは自分のことだからだよ。私は恋愛に興味無いけど、小説を書く上で恋愛してる人の観察は大事だもの」
観察、ねぇ……。
しかし、わたしは夏帆ちゃんにカケルくんについて話したことは無い。
幼いころに結婚の約束をした妖、なんて恥ずかしくて言えやしない。
「さぁさぁ白状したまえ! 暘ちゃんは今、恋してるんでしょ?」
「……自分でも、よく分かんないんだよね。これが恋なのか」
「おお! いいよいいよぉ。ちなみに相手はどういう関係? 学校の先輩? それとも部活で知り合った人?」
「いや。……妖怪、なんだけど」
言おうか言うまいか少しだけ悩み、夏帆ちゃんならいいか、と口にした。
夏帆ちゃんはメモ帳にペン先を向けたまま固まった。
「……それって、異種族恋愛ってやつ?」
「そうなるね」
やっぱり、言わない方がよかったかな、と後悔しかけたが、夏帆ちゃんはきゅっと目を瞑った。
「くぅー! 異種族恋愛、アツいねぇ! モノノ怪学園シリーズも一応人とモノノ怪の交流を書いてるからね、そういうの大好き!」
興奮した様子でメモ帳につらつらと文字を書いていく夏帆ちゃんを見て、別の意味で言わなきゃよかったかも……と少しだけ後悔した。
「相手は烏天狗かぁ。しかも幼なじみ!? 最高じゃん!」
すっかり興奮した様子の夏帆ちゃんに濁流のような勢いで質問を受け、勢いに押されるがままに質問に答えるわたし。
「結婚の約束まで……ロマンチック!」
夏帆ちゃんは勢いのままアイスティーを飲み干していた。
「で、でもまだ心が決まってないっていうか、相手は妖怪だし……」
「手作りお菓子も食べてくれたんでしょ? 地面に落ちて踏まれたって言うのに、暘ちゃんの手作りだからって理由で!」
「まぁ……うん」
「愛だねぇ……。でもさ、たしかに暘ちゃんが迷う気持ちも分かるよ。いや、私は恋愛とかしたこと無いけど。妖怪と人間じゃ寿命も違うもんね。異種族恋愛は壁が大きいよね」
そうだ。夏帆ちゃんに言われて改めて思う。
カケルくんとわたしでは寿命の差もある。
母が妖の父から逃げたように、わたしもいつかはカケルくんと別れる時がくるかもしれない。
それが無くとも、人間である以上どうしたってわたしが先に死ぬのだ。
あれだけ愛情深いカケルくんを置いていくのか、。それは、ひどく残酷なことでは無いのか。
「でもさぁ、暘ちゃん……やっぱり恋してるよ。水着一緒に選んだ時、覚えてる?」
「う、うん」
「水着を見せたい人いないのーって聞いた時の暘ちゃんの顔は、恋する乙女の顔だったよ」
はっきりと指摘されて、わたしは顔に熱が集まるのを感じる。
海に行ったとき、カケルくんに水着を褒められた時のことを思い出す。
――すごく、うれしかった。
ああ、そうだ。わたしはカケルくんが好きだ。
嫌いじゃ無い、なんてあいまいにしてたら失礼だ。
幼いころの約束を守り、陰ながらわたしを支えてくれていたカケルくん。
誰よりも速く、誰よりも頼もしい、黒い羽根の生えたあの背中。
妖から守ってもらう度、カケルくんのやさしさや深い愛情を垣間見る度、わたしはどんどんカケルくんを好きになっていたんだろう。
「……うまく、いくかな」
「それは分かんない。人間同士でくっついても別れたりするわけだしね。でもさ、それだけ愛されてるなら大丈夫じゃない?」
夏帆ちゃんの言葉に、背中を押された気がした。
そうだよね。人間同士でも何があるのか分からないのだし……。
何より、これから先カケルくん以上にわたしを愛してくれる相手が居るかも分からない。
結婚はやっぱり、まだ早い気がする。
わたしはまだ十六歳だし、子供と言われる年齢だ。
そういう不安も、全部カケルくんに伝えよう。
きっと、カケルくんなら受け入れてくれるだろうから――。




