二十話「手作りお菓子」
「……!」
水神様の声が聞こえた気がして、はっと顔を上げた。
しかし、そこに水神様の姿は無かった。
寂しがり屋な小さい神様。また、会いにくるよ――約束。
だからそれまで、あの花畑で待っていて。
「行こうか、カケルくん」
「ああ」
カケルくんと二人、並んで歩き出す。
夏の残り香が鼻をかすめたような気がした。
季節は夏から秋へと移り変わった。
木の葉は鮮やかな赤やオレンジ色に染まり、金木犀の香りがどこからか流れてくる。
じっとりとまとわつくような暑さがようやく姿をひそめ、風が涼しい季節になった。
制服も半袖から長袖に変わった。
肉が無いせいかわたしは昔から寒がりで、そのためさらにカーディガンを羽織っている。
カーディガンの袖を指先まで上げる。風が冷たい。
ひゅるひゅると落ち葉が風に巻き上げられ、円を描く。
「お嬢、学校お疲れ様です!」
夏に道端で干からびていた河童にお茶をやってからというもの、河童はわたしにすっかり懐いてしまった。
なぜか通学路に立ち、こうして声をかけてくる。
わたしははいはい、と片手をゆるく上げて反応する。
見えるだけで、関わりたいとは思っていなかったはずなのに。
白蛇の子供もちょくちょく姿を見せる。
「おねえちゃん、あそぼ」
と声をかけてくるのだ。
無視するわけにもいかず、辺りに人目が無いことを確認して相手をしている。
「まさか人の変わりに烏天狗が願うとはねぇ……次からは誰が願うのか決めないといけないね」
と、白蛇の母親は愉快そうに笑っていた。
次なんてものはもう無い。……多分。
妖との関わりは、わたしが望もうが望むまいが、見える限り続いて行くのだろう。
そして、わたしもそろそろ現実に目を向ける時がきた。
カケルくんの、プロポーズの言葉を思い出したことについて、だ。
思い出したらもう一度伝える、とカケルくんは言っていた。
石に強く願ったカケルくんの思念が流れてきたのか、わたしは夢の中での出来事をはっきりと覚えていた。
――お前が十六歳になったら、結婚しよう。
そもそも、カケルくんにあの言葉を引き出させたのは幼いわたしの「それってプロポーズ?」の一言だ。
ああ、どうして子供というものは無邪気に余計なことをするのか。
おかげで今のわたしが頭を抱える羽目になっている。どうしてくれる。
素直にカケルくんに思い出したと伝えるべきか。否か。
カケルくんに対して、好きか嫌いかと聞かれたら好きだと言える。
嫌いでは無い。でも、結婚、となると話は別だ。
わたしはまだ十六歳で、結婚するような歳じゃない。
そりゃ法律で言えば結婚できる年齢だけど、そういうことじゃない。
それに……わたしの両親という、妖と人間がくっついて失敗したモデルがすでにあるわけで。
そう考えると、カケルくんのプロポーズに積極的な姿勢にはなれないのだ。
「暘」
顔を上げると、カケルくんが枝から降りてくるところだった。
涼しくなり、気温も下がってきたのでいつもの丘にきていた。
「ん? 今日は何だか甘い匂いがする」
すんすん、と鼻をひくつかせるカケルくんの距離の近さに、嫌では無いんだよなぁ……とぼんやり考える。
「ああ、これかな」
カバンから袋を取り出す。
今日の調理実習で作ったパウンドケーキだ。
料理はたまにするけど、好んでお菓子作りをするほどでは無い。
同じグループになった女子が張り切ってくれたおかげで、美味しそうなパウンドケーキが誕生したというわけである。
わたしに至っては、ほとんど洗い物担当をしていた。
皿のぬめりは許さないぜと言わんばかりの丁寧な洗い方によって、グループに貢献としたと言えよう。
「食べる?」
「……暘が作ってくれるなら食う」
「これも一応わたしの手加わってるけど」
まぁ、作る過程と言えば卵を割る程度の手しか加わってないけど。
カケルくんはなんとも言えない複雑な顔になった。
「お前が一から作った物なら食べる。これでいいか?」
「こっちの方が美味しいと思うよ?」
「いいんだよ、暘が作ったのが食いたい」
とんだわがまま坊ちゃんだ。
なぜ確実に美味しいと分かっている方では無く、お菓子作り初心者が一から作った美味しいのかも分からない方を選ぶのだ。
理解に苦しむなぁ……。
「……作ってくれねーの」
眉を下げるカケルくんの顔は、捨てられた子犬か迷子になった子供をほうふつとさせる。
そんな顔をされて断れるわけが無い。
わたしにそんな鋼の精神は持ち合わせていない。
「美味しくなくてもいいなら」
「……! 暘が作ってくれるなら、何でも美味い」
途端に機嫌をよくするカケルくんに、これが恋は盲目ってやつか……と遠い目になる。
せっかく調理実習で作ったことだし、ならばパウンドケーキにでも挑戦してみようか。
「また今度持ってくるね」
「待ってる」
うれしそうな横顔を見ると、絆されてるなぁと自分でも痛感した。
お菓子作りとは、材料をキッチリと計ることが成功への道筋となる。
レシピ通りに作る。そうすれば、たいていの物は何とか作れるものだ。
母は料理本なら何冊が持っているが、お菓子本は一冊も持っていなかった。
そう言えば、我が家に手作りお菓子が登場したことは一度たりとて無かったと思い出す。
ならば、と手に持っているスマートフォンを使ってレシピを検索する。
出るわ出るわ、大量のレシピ。あまりの膨大な量に、どれから見て行ったらいいのかも分からない。
とりあえず材料が少な目で簡単に作れそうな物に絞ってみる。
バナナパウンドケーキのレシピがヒットした。
バナナなら冷蔵庫に眠っていたはず。他の材料も何とか揃いそうだ。
そうと決まれば、まず材料を集める。
バナナ、砂糖、卵……。レシピに乗っている材料を集め、手順通りボウルで混ぜていく。
うん、これなら何とか作れそうだ。
あとはオーブンで焼いて……あ、余熱するの忘れてた。
わたわたしながらも何とか生地をオーブンの中へ入れる。
焼いている間、甘い生地の匂いが部屋いっぱいに充満していた。
母が帰ってくるまでに換気をした方がいいかもしれない。
やがて、オーブンが焼けたことを知らせる。
生地を流し込んだ型を取り出すと、若干焦げていた。
「う。焼き過ぎちゃったかも」
とりあえずオーブンから取り出し、粗熱を取る。
型から外し、一切れ切り分けていざ実食。
「何か……もさもさしてる?」
調理実習で作ったパウンドケーキはもう少しふんわりしていた気がする。
ううむ。お菓子作りとは中々に難しい。
もさもさしたパウンドケーキは口の中の水分をあっという間に奪い、のどに詰まる前に慌てて牛乳で流し込む。
「これを渡すのはなぁ……」
あらかじめ「美味しくないかもよ」とは言ってあるとはいえ、わたしにもプライドというものがある。
どうせあげるのなら、もう少し美味しいものをあげたい。
「するか、リベンジ……」
わたしはもさもさのパウンドケーキをもう一切れ口に入れ、咀嚼しながらぐっと握りこぶしを作った。
翌週、わたしは調理実習で同じグループになった女子やネットにあるレシピなどを参考にし、パウンドケーキのリベンジ戦をやることにした。
焼いている間、部屋いっぱいに広がる甘い匂いを思い切り吸い込む。
今度は美味しくできるといいなぁ、と祈りながら焼けるのを待つ。
「焼けた!」
オーブンを開けて生地を確認すると、今度はいい感じの焼き色になっていた。
粗熱を取り、一切れを口に放り込む。
「……! うん、美味しい……かも」
少なくとも、前回作った物よりは美味しい。
何事も練習あるのみなのだなぁ、と実感した。
さっそく買ってきたラッピングの袋に切り分けたパウンドケーキを詰め、リボンを結ぶ。
美味しいと言ってくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。
まぁ、そもそも本人の要求があって作ったのだから喜んでもらえなかったら拳か足が出る可能性もあるが、カケルくんならきっとすごくうれしそうにもらってくれるだろう、という確信があった。
渡すのが楽しみだ。
ドキドキと早鐘を打つ心臓に胸を押さえ、自転車のペダルを踏みしめた。




