十五話「おぼろげな夢」
家に帰り、お風呂を済ませベッドに寝転がる。
何だか今日は疲れた。
妖に襲われるし、祓い人に誘われるし……。
ああ、でも。夏帆ちゃんとゲームや花火をしたのはすごく楽しかった。
こんな風に、日常が穏やかに続けばいいのに……。
その日の晩、夢を見た。
気が付くと、わたしは寂れた祠の前に居た。
祠に視線を向けると、社に隠れるように小さな男の子が立っていた。
「わ!」
目が合うと、男の子は祠で身を隠すように隠れてしまった。
「……君、どうしたの? 迷子?」
年は五つか、六つぐらいだろうか。
裾がボロボロになっている服を身にまとっている。
男の子は、そぉっと祠の後ろから顔をのぞかせた。
目が合い、にこっとほほ笑んでみると、安心したのか、そろそろと野生動物のような動きでわたしの前に立った。
「あきらおねーちゃん」
「……? 何で、名前知ってるの?」
「あきらおねーちゃん。一緒に遊ぼ。ぼくと、遊んでくれる?」
不安をのぞかせたその顔に、わたしはできるかぎり優しくほほ笑む。
「いいよ、遊ぼうか」
「……! わぁい、やったー!」
男の子はぴょんぴょんとその場で跳ねまわり、うれしそうにわたしの手を握った。
こっちこっち、と誘われるまま付いて行く。
すると、大きな滝つぼに出た。
「わぁ、滝なんて見たの初めて。立派だねぇ」
「えへへ、そう? うれしいな。あきらおねーちゃん、水遊びしよ」
男の子はぺたぺたと滝つぼへ走っていく。
手を引かれるまま、わたしも後を付いて行く。
水の中にそっと入ると、身が引き締まるほど冷たかった。
「ひゃあ。山の水って冷たいね」
……そう言えば、前にも誰かが山の水は冷たいって言っていたような……。
「えへ、えへ。冷たくてきもちーね」
「そうだね。わ、魚だ」
「ぼく魚捕まえられるよ! それ!」
男の子は服が濡れるのも構わず、魚を追い回した。
ざぶん、と腕を勢いよく突っ込んだかと思うと、その手には魚がぴちぴちと跳ねる魚が握られていた。
「わぁー! すごいねぇ」
「えへ、すごい? ぼく、魚捕まえるの得意なんだ。あきらおねーちゃんの分も獲ってあげる!」
そう言って、男の子はもう一度魚を追い回す。
さぶさぶと水を足でかき分け、魚を隅に追いやり、勢いよく手を突っ込む。
「獲れたー!」
「わぁ、すごいね」
「魚、食べる? ぼく、火も起こせるんだよ」
二人して水から上がる。
ぺたぺたと濡れた足跡がスタンプのように地面に付く。
男の子は慣れた手つきで枝を拾い、火を起こした。
こんなに小さいのに、ずいぶんとしっかりしている子だ。
物珍しい光景を眺めていると、男の子は獲った魚に串を通し、火の傍に刺した。
パチパチと火花が散る音が響く。
あれ、何だか似たような音を前にも聞いたことがあるような……それも、つい最近のことだ。
「あきらおねーちゃん、魚焼けたよ」
「ありがとう」
記憶を手繰るより先に男の子に声をかけられ、焼きたての魚を受け取る。
けれど、魚を受け取った瞬間――食べてはいけない、と思った。
なぜなのか、分からない。けれど、本能が告げている。
「あきらおねーちゃん、どうしたの?」
「……ごめん、何だか食欲がなくて。魚は君が食べていいよ」
そう言うと、男の子はなぜかものすごく悲しそうな顔をした。
「あきらおねーちゃん。またきてね。ぼく、待ってるから」
はっと目を覚ます。
アラームは鳴っていない。自然に目を覚ましたのだろう。
スマホで時間を確認すると、朝の十時だった。
八時ごろにアラームをセットしておいたはずなのに、気付かずに寝続けてしまったのか。
それにしても、何か夢を見たような……そう、誰かが出てくる夢を。
あれは誰だったのか。よく覚えていない。
おぼろげに、幼い子供だったような気がする。
だとしたら、子供のころの夢でも見たのだろうか。
相変わらず、肝心のカケルくんとの約束は思い出せないままだと言うのに。
「んー」
うんと体を伸ばし、ベッドから降りる。
今日はずいぶんと寝てしまったので、早く着替えて課題に取りかかろう。
夕方になり、カケルくんが家にやってきた。
いつものように窓から入れる。外の空気は、日が傾いてもむっとした熱気がある。
入ってきたカケルくんが、すっと顔を寄せた。
そのまますんすんと鼻を引くつかせる。
「……お前、変なのに憑かれてないか?」
「えぇ?」
まったく身に覚えが無い。
心霊スポットに行った記憶も無いし、変な場所を通った記憶も無い。
最近関わった妖と言えば皿が渇いて生き倒れていた河童か、伊月さんに祓われた妖ぐらいなものだ。
何かほかにあったかな……と首をひねる。
「何だ、この気配……俺にもよく分からないな。まぁいい。何かあったらすぐ知らせろよ」
「はーい」
「やる気のない返事だな……」
呆れたような視線を見ないふりしてスマホを見る。
もうすぐ夏休みが終わる。
しかし、秋の気配はまだまだ遠い。
もうすぐ九月になるが未だ気温は三十五度以上を叩き出しており、毎日うだるような暑さに包まれている。
残暑、というには暑すぎる。
例年通りなら、十月ごろまで暑いのだろう。
こんな暑い中平気な顔をしているカケルくんが少し羨ましくも思う。
妖は暑さや寒さに頓着しないのだ。
今年も夏は暑かったけど、今年は去年と違い、思い出ができた。
夏帆ちゃんと水着を買いに行ったことや、海に行ったこと。
一緒にゲームをしたことや、花火の思い出は美しく、キラキラと輝いている。
「……今年はよかったな、暘」
「え、何急に。……まぁ、そうだね。今年は楽しかったよ」
おそらく五歳のときに出会ってからわたしのストーカーをしていたであろうカケルくんの言葉には重みがあって、それが何だかうれしかった。
今年の夏は、いつもと違う夏を過ごせた。
初めての女友達、初めての海。初めてのゲームに花火。
初めて尽くしで、とても楽しかった。
いい夏休みだった。
「おはよう、和田さん」
「おはよ、中谷くん」
夏休みが開け、久しぶりに中谷くんの顔を見た。
中谷くんは日に焼けておらず、夏休み前と変わらず文芸部らしい白い肌をしている。
「何だか和田さん、日に焼けたね」
「ああ、海に行ってきたんだよね」
「へぇ、それはいいね」
なんてことない会話を交わし、授業が始まると自分の席へと戻る。
教師の声を聞きながら、ノートへとペンを走らせる。
ふわぁ、とあくびが出た。
何だろう、何だか……すごく、眠い。
まぶたが重く、逆らえずにそのまま目を閉じた。
「あきらおねーちゃん、待ってたよ」
「あれ、君は……」
この間の男の子だった。
うれしそうにニコニコと笑っている。
「ね、遊ぼ」
「うん、いいよ」
手を引かれ、今度は滝つぼでは無く森の方へ連れていかれる。
森には木々が生い茂っていた。
虫の音や鳥のさえずり、頬を撫でるそよ風と揺れる葉っぱの音――どこか、懐かしさを感じる。
男の子に手を引かれるまま付いて行くと、そこにはログハウスがあった。
「あきらおねーちゃんのおうちだよ」
「そうなの? ……ありがとう」
男の子が用意したわけでは無いのだろう。こんな小さな子には無理だ。
けれど、そのどうだと言わんばかりの自慢げな顔に、わたしは大人しく礼を口にするだけにとどめた。
二人でログハウスに足を踏み入れる。
中はこじんまりとしていて、木のぬくもりが伝わってくる。
家具はベッドが一つと、チェスト。
チェストの上に、写真立てが置いてあった。
男の子と……もう一人は、母親だろうか。
「これは……」
「それはね、ぼくのおかーさん。やさしくてあったかい人だった」
男の子が写真立てを見ながら、ふくふくと笑って答えた。
「最後まで泣いてた。やさしい人だったから」
「……? 何の話?」
「あきらおねーちゃんは、おかーさんと同じ匂いがする。やさしい人の匂い」
えへへ、と笑って、男の子が足に抱きついてくる。
もみじのように小さな手が触れる。
「あきらおねーちゃんもこっちにおいでよ。ぼくと一緒に居て」
「おーい。起きろ、和田ー」
こつん、と教科書で頭を叩かれて、はっと目を覚ます。
いつの間にか机に伏せって寝てしまったようだ。
教師の声に、寝ぼけていた頭が覚醒する。
「すみません……」
くすくすともれる小さな笑い声に顔を伏せつつ、何か夢を見たような気がして、記憶を手繰る。
あれは――何の夢だったのだろう。