十話「お礼」
「もし、もし」
声が聞こえる。
わたしを――呼んでいる?
「もし、もし。お前様、お前様」
綺麗な声だ。鈴の音のような……透き通った、綺麗な声。
ベッドに寝ているはずなのに、不思議と重力を感じなかった。ふわふわと、体が浮いているような感覚に包まれる。
ゆっくりとまぶたを押し上げると、そこには真っ白な長い髪を背中に垂らした、妙齢の女性が居た。
「こんばんは。昼間はうちの子を助けてくださり、ありがとうございました」
そう言って、女性は深々と頭を下げた。
昼間……ああ、あの白蛇のことか。もしかして、この女性はあの白蛇の母親?
声を出そうとして、はくはくと口を動かすが、喉から音は出なかった。
「うちの子をいじめたあの小童どもには灸をすえておきました。もうあんなことはしないでしょう」
灸をすえるって……まさか、祟ったりしてないだろうな。
声が出ない代わりにじっと女性の目を見つめると、女性はふっと口元をゆるめ、小さく笑った。
「ああ、ご安心を。今宵の夢見が少々悪くなる程度のものです。……まぁ、お前様があの子を助けてくださらなかったら、少々、どころでは済まなかったでしょうが」
紅を引いた赤い唇が弧を描く。
その美しい顔に、ぞっとした。やっぱり、あの時声を掛けてよかった。
女性はにこっと笑顔を見せた。先ほどの怪しげな笑みとは違う、穏やかな笑顔だ。
「そこで、お前様に礼の品を持ってきました」
品? 物か何かを持ってきたのか……。
正直、とても要らない。妖からのもらい物なんて、怖すぎる。
「まぁまぁ、受け取ってくださいまし」
女性が懐から出したのは、ネックレスだった。
コロンとした小さく丸い石が付いている。光の角度でいろんな色に見える、不思議な石だ。
女性はふふふ、と笑う。どこか嬉しそうだ。
「これは七色の石と呼ばれる、何でも願い事を一つだけ叶えてくれる石です。この石を握り願いを込めると、どんな願いも一つだけ叶うのです」
女性がにこやかに説明をする中、わたしはどうやって断ろう、と頭をフル回転させていた。
声は出ない。どうやら体も動かない。せめて首だけでも振れたらいいけど、無理っぽい。
どうやって意思表示をしようか……。
「遠慮せず、受け取ってくださいまし。人の子がこの石に何を願うのか、わたくし楽しみにしておりますわ」
それでは――そう言うと、女性は消えてしまった。
待って、このネックレス、持って帰ってー!
けたたましく鳴るアラームの音に、はっと目を覚ます。
夜中のうちに暑くて蹴ったのか、タオルケットがベッドからずり落ちていた。
スマホの画面を見ると、六時半ピッタリだった。
アラームを止め、しばし天井を見つめる。
何だか、妙に現実味のある夢を見た気がする……。
と、体を起こしたところで、ころりと何かが落ちた。
「え?」
床に落ちたのは、夢の中でもらったネックレス――七色の石だった。
窓から入ってくる朝日に照らすと、赤や緑、黄や橙と色んな顔を見せる。
「えぇー……」
……夢じゃ、無かった。
わたしは朝から頭を抱えたくなった。
こんな物もらって、どうしろって言うのだ。
何でも願い事を、一つだけ叶える石……。
わたしは、この石に何を願うのか。
ああ、でも。妖からもらった物なんて、怪しくて使わない方がいいかもしれない。
引き出しの奥にでも仕舞っておこうか。でも、このまま部屋に置いておくのもなんだか怖い。
「どうしよう……」
自分の情けない声に、大きくため息をついた。
「おはよう、和田さん」
「ああ、おはよう中谷くん……って、どうしたの? 何か……げっそりしてる?」
朝、いつも通り声を掛けてきた中谷くんの顔色が、心なしか悪い気がする。
中谷くんは覇気のない声で切り出した。
「これ、和田さんだから言うんだけど……」
「え? う、うん」
「……この教室、出る?」
そう言って、中谷くんがちらりと視線を向けたのは、教室の隅だった。
いつも、黒い人影がうずくまっているところ。
わたしは「ああ」と声が出た。
「居るよ。ただ、害は無いと思うから」
多分、だけど。
でも、見えているわたしが入学して数ヵ月、まったくちょっかいをかけてこなかったから、害は無いのだろう。
絶対とは言い切れないのが、妖の厄介なところだ。
中谷くんは小さくうなずき、ややあって口を開いた。
「ミィにも言われてたんだ。そろそろかもしれないねって。みんなには見えないのがちょっとだけ恨めしいよ」
「分かるよ。わたしも……そう、思ったことあるし」
「和田さんは、子供のころから見えるんだもんね。……大変、だったね」
一つひとつ、選ぶように中谷くんが言葉を発する。
わたしは口元をゆるめた。
「大変だった時もあったけど、最近はそんなに。妖怪も悪いモノばかりじゃないって……分かってきたからかな」
昔は、怖い、恐ろしい……そんな気持ちばかりだった。
だって、顔が半分しかないモノ、首から上が無いモノ、手首だけで動くモノ……いろんなものが見えたから。
幼いわたしにとって、それらは等しく怖いモノ、だった。
でも、成長するにつれて、ただそこに居るだけで害は無い妖とか、そういったものの区別がつくようになった。
人に紛れて生活する妖も中には居るらしい。
それに、わたしはずっと守られてきたから。
わたしが思うより怖い目に逢ってこなかったのはきっと、カケルくんが陰で守ってくれていたから。
一度は拒絶したわたしを、ずっと、ずっと。
「そっか。僕も、怖がってばかりじゃいられないな」
そう言って、中谷くんも小さく笑みを見せた。
本屋でナンパされ、友達になった夏帆ちゃんからメッセージが届いていた。
――海に行かない? と。
急な誘いに戸惑う気持ちもあったけど、初めての女友達のお誘いだ。乗らないわけにはいかない。
とは言え、海か。実を言うと、わたしは海に行ったことが無い。
友達が居なかったので夏に誘われることも無かったし、家族と言っても母一人な上に仕事で忙しく、夏休みにどこか旅行へ……ということも無かった。
そうなると、水着が必要になるのでは? 学校指定の水着じゃ色々と不味いだろう。
買いに行くか……一人で。
そこまで考え、夏帆ちゃんにメッセージを返してなかったと気付く。
スマホを開くと、そこにはもう一通メッセージがきていた。
――よかったら一緒に水着買いに行かない? と。
何というありがたい誘い! 一人で買いに行こうとばかり思っていたので、夏帆ちゃんを誘うという手段が頭から抜けていた。
わたしは急いでメッセージを返した。
もちろん、っと。
「海かぁ……」
ふふ、夏の楽しみが一つ増えた。
女友達と海へ行くなんて、初めてだ。
初めてのことは少しだけ怖い。けれど、それ以上にワクワクする。
ああ、楽しみだなぁ。
わたしはベッドに寝転び、天井を眺める。
ふと、白蛇からもらったネックレスのことを思い出した。
部屋に置きっぱなしで良くのは危ない気がする。
今はとりあえず引き出しの奥に仕舞ってあるけど、どうしたものか……。
「……あ」
そうだ、と勢いよく体を起こす。
「てなわけで、預かっててくれない? カケルくん」
「……俺が居ないところで妖に絡むな。あと、それは暘に贈られた物だろう? 俺が持っていていいのか」
カケルくんのもっともな指摘に「うぐ」と詰まる。
だけど、持ち歩くのも不安だし、部屋に置いておくのも何だか不安だ。
妖からもらった物な上、握って願うと何でも一つだけ叶うと言う。
「でも、信頼して預けられるのカケルくん以外に居ないし……」
「はぁ。……仕方が無いな。預かるだけだぞ」
「ありがとう!」
カケルくんはわたしが持ってきたネックレスを、小袋の中に入れ、懐へ仕舞った。
「そう言えば、海へ行くんだってな」
「え」
何で知っているんだ。
相変わらずどこから情報を仕入れているのかよく分からない男だ。
「行くけど」
「海にも妖は出るから気を付けろよ」
確かに、水辺にも妖は多い。
特に、水辺の妖は水の中に引っ張り込むいたずら好きが多く、困る。
「うん、気を付けるよ」
夏帆ちゃんも一緒だし、変な行動取らないように気を付けないと。