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一話「出会い」

 青々と生い茂る草木をかき分け、ひたすら走る。

 もうどれぐらいの時間走ったのか分からない。足元はふらつき、肺は息を吸う度に軋むように痛む。

「おーい」

 背後から迫る声に、私は追い立てられるように走り続けた。

 茂みを超えた先に、小さな神社があったはずだ。そこに行けば、上手く撒けるだろう。

 走る。走る。走る。誰も居ない道を、一人足を動かして。

「おーい」

 しゃがれた声だ。聞き覚えのある声だった。年は六十半ば、東京からたまに遊びに来る孫娘を溺愛していた、二軒となりのご近所さん。去年の夏、山へ入ったきり、戻ってこなかった。

 さっき、姿はちらっと見た。三メートルはあろう、大きなヘドロみたいな体。大きいくせに、妙にすばしっこい。これだから、嫌なんだ。

「はぁっ、はぁっ」

「おーい」

 繰り返す声は聞こえない。なぜならアイツらは繰り返せない(・・・・・・)

 山に入ったとき、「おーい」と聞こえたら逃げるべきだ。アイツらは「おーい」と声をかけてくる。そうして人を呼び寄せて食らうのだ。

 一度聞こえたら引き返す。繰り返し聞こえたら人だと思え。

 あれは見えない人の言葉だけど――正しい。昔から伝わる文言は、何かしらの意味があるものだ。

 遠い昔、人は妖と共存していた。しかし、山を切り開き街ができ、夜遅くまで明かりが灯るようになり、やがて人は妖をその目に映さなくなった。

 だから、現代において妖を見ることのできるわたしのような人間の方が異端なのだ。

 幼いころから、不思議なモノをよく見た。それらはいわゆる妖と呼ばれる存在で、普通の人には見えないモノ。

 怖くて恐ろしい存在。妖は見える人間にちょっかいをかけてくる。襲われたり、怪我をさせられたり、からかわれたり。

 妖が見えるわたしの言動は、周囲の人から不気味に思われた。

 誰も、その目に妖を映すことなどできないのだから。理解できなくて当然だ。見えないモノは、無いモノとされる。

「おーい」

 声が近づいて来る。わたしの体力も限界が近い。そもそもわたしは運動部などでは無く、ただの非力な文芸部だ。

 部員の数は五名。小規模だけど、参加頻度が自由で熱心に部活動をする気の無かったわたしには好都合の部活だった。

 だから入部を決めたのだ。そして、今日はその部活に参加した帰り道だった。

 めずらしく部活なんてものに参加したからこうなったのか、いいや、そもそもあんなモノが見えるのがいけない。

 幼いころから嫌な思いばかりしてきた。周囲からは気味悪がられるし、母には疎まれる。「嘘つき」と言われたことは数知れず。妖なんて見えなければよかったのに、そう何度願ったことか。

 幼い子供には時々不思議なモノが見える。だが大人になるにつれて見えなくなっていく。

 そんな言葉を信じていたが、十六を迎えた今年も変わらず妖の姿は目に映る。

 見えているモノが、他の人には見えないかもしれない。そんな不安定な世界が、どれだけ怖いか。

「おーい」

「おーい」

「おーい」

 間隔をおいて呼びかけが続く。

 ぐっと足を踏み出す。その瞬間、盛り上がった土に足を取られ体勢を崩した。前のめりに転ぶ。

 じんじんと痛む膝。走り疲れしびれる足。息を吸う度に痛む肺。

 もううんざりだ。いい加減にしてほしい。

「もうやだ……。誰か、助けてよ……!」

「おぉい」

 目の前に現れたヘドロ妖が、大きく口を開ける。ぽっかりと開いた口は、真っ暗で何も見えなかった。

 妖に食われたら痛いのだろうか。それとも苦しいのだろうか。食われたことがないので分からないけれど、せめて最期ぐらい痛い思いも、苦しい思いもせず逝きたい――そう思い、迫る口に覚悟を決めた瞬間……。

 バサァッと何かがこすれる音と共に、視界に黒い影が見えた。ややあって、それが黒い羽根だと気付く。

 ヘドロ妖とわたしの前に体を滑り込ませたその黒い羽根は、短く「失せろ」と吐き捨てた。

 端的に、しかし確かな殺意のこもったその言葉に、ヘドロ妖はぶるぶるっと大きく震えたかと思うと、瞬きの間に姿を消した。

 残ったのは、黒い羽根を持つ人影だけ。

「おい、大丈夫か」

 振り向いた赤い瞳と、差し出される手のひら。

 ――わたし、この光景をどこかで……。

 ぐらりと視界が揺れる。

 振り向いた赤い瞳と、差し出される手のひら。握った瞬間感じる、少しひやりとした冷たい体温。

「あれ、は……」

 何? そう言いかけて、わたしの視界は真っ暗になった。


「ん……」

 目を覚ますと、大きな木の下に寝ていた。ゆっくりと体を起こす。両の手のひらを見て、足を見る。膝に黒い布が巻いてあった。

 ああ、あの時転んだ……と、そこまで考えて、ばっと立ち上がる。辺りを見渡すが、妖の姿はどこにも無かった。

 あの黒い羽根の妖は一体……。山に出る、烏天狗という妖だろうか。黒い羽根を持つ妖と言えば、そのぐらいしか思い浮かばない。

 それにしても、どうしてわたしを助けてくれたのだろう。烏天狗の知り合いは居ない。もちろん、助けてくれるような妖も。

 今まで会ったことのある妖は、無害というほどではないけど害があるというほどでも無い存在だった。

 脅かしてきたり、ちょっかいをかけてきたりする妖は居たけれど、食われそうになったのは初めてだ。

 怖かった……あの時、確かにわたしは死を覚悟した。妖が見えるというだけで、こんなにも危険なのか。

 すぅ、はぁ。息を整え、もう一度視線を膝に向ける。膝に巻かれた黒い布は、切れ端のようだった。何か、ハンカチのようなものを裂いて巻いてくれたのだろうか。

 巻いてくれたのは、やっぱりあの黒い羽根の妖……烏天狗なんだろうか。

 一体なぜ……と思考が堂々巡りし、かぶりを振った。こんなところで考えていても、どうしようも無い。

 暗くなる前に家へ帰ろう。ただでさえ幼いころの言動で母に疎まれているのだ。帰りが遅くなったらまた小言を言われるかもしれない。

 

「ただいま」

 玄関口で声をかけるが、返事は無い。室内は真っ暗で、電気も付いていなかった。

 母は看護師をしていて、とても忙しい。今日は夜勤なのかもしれない。

 我が家は、母一人子一人の二人家族だ。父のことは知らない。母から父について話されたことは無く、わたしからも聞いたことは無かった。

 リビングに入り、冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中にはご飯とおかず、それからサラダが器に盛られ、ラップをかけられた状態で置いてあった。

 幼いころ、妖が見えるわたしは見えない人には不気味と取られる言動を繰り返した。

 コップを人数分よりひとつ多く置いたり、何も無い場所を指さし「黒い犬が居る」と口にしたり。それらはすべてわたしにだけ見える妖で、他の人には見えなかった。

 母はそのたびにわたしを叱りつけ、「嘘をつくのは止めなさい」と怖い顔で言った。

 そんなことが繰り返されるうちに、わたしは段々と学んでいった。わたしが見えるモノは、他の人には見えないのだと。

 十歳になるころには妖が見えることは口に出さないようにしていた。それでも、ちょっかいをかけてくる妖に反応したり、おどろいたりしているわたしを周囲の人は気味悪がった。

 毎日忙しく働いている母と顔を合わせることは少ない。それでもご飯を用意してくれたり、家事をしてくれる母にわたしは感謝していた。

 わたしが居なくなっても母はきっと悲しまないだろう。それでも、命を落とすならなるべく人の世の中で死にたい。妖に食われてしまえば、骨すら残らないから。

 冷え切ったご飯とおかずをレンジで温め、手を合わせてから食べ始める。

 今日のおかずは野菜炒めだった。看護師らしい、野菜多めの健康志向のおかずだ。

 母はキリキリと毎日忙しなく働いている。そのため、進路相談なんかもしたことがなかった。高校も自分で決めて進んだ。

 この春から入学した高校は電車で通う距離にあるため、小、中と学校が同じだった子は一人も居ない。そういう場所に行った方がいいと、そう思ったからだ。

 ご飯を食べ終え、風呂に入り自室のベッドに寝転がる。

「烏天狗……」

 わたしは、今日の出来事を思い出していた。

 ヘドロ妖に食われそうになっていたわたしを、助けてくれた妖。声からして男の子だった。年も同じぐらいだろうか……しかし、妖は見た目と中身が比例しないので、年は不明だ。

 赤い瞳と、黒い羽根……。わたしは、前にも一度彼に会ったことがあるのかもしれない。どこかで見たような気がするのだ。よく、覚えてないけれど。

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