第八話 みざる、いわざる、きかざる
もう五月なのだから、と棚田は春物のジャンパーで行くつもりだった。だが、みくからのアドバイスに従ってやめておいて正解だったと感謝せずにはいられなかった。
今年は企業によってはゴールデンウィークが第二土日まで延びている所もあり、世間は浮かれモードである。その陽気さが、天候と気候に乗り移っているようだった。
――たった二ヶ月で、ここまで気温差があるなんて。
本当にここは日本なのだろうか、と疑いたくなる。気温変動が激しさに、三度の河間町入りとなった棚田は、両手で首の下あたりを仰がずにはいられない。
だが、麗らかな春の陽射しは慈愛にあふれている。新しい生命が、この世を謳歌しようと爆発している最中であるのを目と耳とで感じられる。それを眺めていると、心は幾分、穏やかになり、我慢できるような気になってくるから不思議である。
しかし、そんな安らかな心持ちも、歩きだしてほんの数メートルのうちにあっさりと失われてしまった。暑さに舌が出る。
「あぁ、あっつ……」
つい、B級恐怖映画の冒頭に流れる悲鳴のような声が漏れる。
晴れているのに、何故だか山からの吹きおろしてくる季節風が三月の時よりも強く感じられる。髪の毛があっという間にボサボサになってしまった。
――河間町での取材を続行できるようなったのは、良いけど。
この強風を浴びていると、最初、受け入れて貰えているように見えていたのに、その実、上辺だけで、頑なに距離を取っている土地柄そのもののようではないか。
今回の訪問は、五月の第二の土日に行われる、おえんさん、つまり記念碑祭りの取材の為である。
一月に続き三月の取材時にまで、あんなことがあったのだ。気が重くなるのは当然だった。
――もう、絶対に疫病神とか死に神とか思われてるんだろなあ。
「嫌われてるに違いないよなあ……」
棚田の訪問時にのみ、ピンポイントで事故が連続して起こっている。最早、迷信云々などで片付けられない雰囲気が出来上がっていた。
しかも、事故にあったのが親しくなれた蒼生と直倫の父親なのである。
気が引けるとかいうレベルの話しではない。
それは、何も河間町内においてだけではなかった。
『またしても 大変だった 棚田君』
大学校内を歩く棚田の背中には、常に聞こえよがしに囁かれる噂話が突き刺さるようになっていた。
あれこれ言われるのには、もう慣れてきた。とは言え、それでもやはり、五・七・五の川柳を使って揶揄されるにまで至ると、さすがに心身共にこたえる。
口さがないゼミの学友達や助手のおばさん達の取材攻勢からようやく逃れた棚田は、口頭諮問会の時よりも、ずしん、と心に重くのしかかるものを感じていた。
三月のおしらさんの時、何があったのか。
友人と言っても良いほどの交流を持てるようになった直倫の父、席田和成がトラクターの下敷きとなっているところを発見された。
席田和成は警察と消防と救急の連携によって救出されたのであるが、時既に遅く、搬送途中の救急車の中で死亡が確認された。
場所は、前日に棚田が見かけた時の田の隣である。同様に、耕していた最中の事故であった。
なぜ、トラクターが横転してしまったのか。
それは、近辺の土壌の性質の為だった。あの辺りは水捌けが悪く酷くぬかるみが強い地質であり、昔から何度もトラクターや田植機が横転したり埋まって動かなくなったりという事故が多発している場所だったのだ。
席田和成自身の田であれば、単なる事故として処理される所なのだが、ある問題が事を複雑にしていた。
実は、事故現場となった田は、席田家のものではなかった。
堀田長太郎が所有者だったのである。
席田家と堀田家は、ほぼ全ての田が隣接している。そのよしみで手伝って欲しい、と堀田長太郎に頭を下げられた席田和成は依頼を了承し、事故を起こしてしまったのである。
河間町だけでなく市内の多くの田は、今で言うところのクリーク、つまり水捌け用の深い水路が櫛の歯のように走っているのが本来の姿だった。直倫が以前、田舟が嫁入り道具だった、と言っていたように、田植えなどの移動時には舟を使わねばならないような地質の悪さの上に、河川と自噴水に囲まれた土地に耕作地を作り上げる知恵なのだった。
一般に、このような田を『櫛田』と言い、クリークを『堀つぶれ』と言う。低い土地を彫り上げて耕作地とし、出来た窪地は結果的に潰れてしまった土地、つまり無駄な土地となってしまったので『堀つぶれ』、実に端的な物言いであり、農民の悔しさがにじみ出ている言葉と言えるだろう。一反のうち一割ほどが堀つぶれだとされているが、実際には三割から四割強であり、いかにその中で収穫量を上げるかという戦いに明け暮れていたのが、かつての農民の姿だった。
だが、戦後の土壌改良により、一転、あれだけ血道を上げていた土地との戦いに呆気なく休止符が打たれたのだ。一反丸々『田』として機能させることが出来るようになったのである。同時に、品種改良で収穫量が高い米の種も投入され、収穫量は倍増以上となった。
加えて、その十年ほど前に農地解放で小作地が我が物となっていたので、まさに当時を生きていた農業従事者は倍々ゲームの我が世の春を味わい尽くしていたのだった。
しかし、以前はクリークであった箇所は、当然、湿気と水分が多く土地が緩く、時代が進むにつれて機械による耕作が主流になると新たな問題が表面化するようになってきた。
地面が、機械の重さに耐えきれないのだ。柔い土地にずぶずぶと機体は沈み込み、あるいはタイヤがはまって脱出できなくなったりなどは序の口で、危険な横転事故が頻発した。
町内での協議の結果、更なる土壌改良を推し進めることになった。地下に暗渠を入れて水捌けを良くし、将来的により大型の機械にも耐えられるようにしよう、というわけである。
これはかなり先見の明がある英断である。
だが、暗渠を入れるのは一年掛かりの大工事となる。しかも、できる限り地区丸ごとやらねば意味がない。加えて、暗渠を埋める際に籾殻を供出せねばならないのがネックとなった。刈り入れの後、害虫や雑草の芽を摘む為に当時は野焼きを行っていたが、それには籾殻が必要不可欠だったのだ。
たとえ籾殻の一つであろうとも、己が田から出たものは己の財産である、という卑しい根性を発揮する人物はどこの世界にも居る。
つまり、暗渠に賛同せず未工事の田が点在している状態なのだ。
そう、席田和成が事故を起こした田は暗渠が入っていない地面が緩い箇所が櫛状に残っている古い時代のままの田だったのだ。
堀田長太郎は、席田和成に礼を言う為に田に向かった。
長く村八分を受けている堀田長太郎にとって、それでも変わりなく接してくれる席田和成は文字通り、地獄に仏であっただろうから、その心中は察して余りある。
だがそこで堀田長太郎が見たのは、田に埋没しているトラクターだった。
県道まで飛び出してパニック状態で騒ぎ立てる堀田長太郎と、墓参り途中の上田寛治と軽トラックで帰宅途中であった藪田陽吾に偶然出会わなければ、発見報告は更に遅れていたかも知れない。急を告げる役目を負ってくれた上田と藪田の二名であるが、だがこの時既に席田和成は鬼籍に入っていたと思われる。
検視の結果、席田和成の死因は圧迫死であるとされた。
田はまだ水が入っていない土くれ状態だったので窒息死というよりは、トラクターの下敷きになった為の圧死である。
ほぼ真下になっていたので、即死に近かったものと判断された。几帳面な性格で、どんな短距離だろうと必ず締めていたシートベルトを、事故当日は何故着用していなかったのか謎は残るが、横転した時に、完全に投げ出されてしまえば手足を挟まれはしても命は拾えたであろうが、不運が重なった事故としか言えなかった。
堀田長太郎は、村八分という現代社会においても江戸時代さながらの私刑的制裁を受け続けており、常に精神が疲弊した状態で、かつまた、休耕田への転換作物作付に対して非常に否定的である言動を取っていた事実もあった為、当初、事件性を疑ってかかった警察に対して、一番、その可能性を否定したのは直倫だった。
両家の間に酷い諍いはなかったと証言したのである。
僕と蒼生は、三年前から営農事業を始めていまして、お陰さまで、今年から休耕田への飼料米作付けの事業計画を進められるまでに成長することが出来ました。蒼生のとこもうちも、親父たちが出資して応援してくれてました。
そこでですが、なんで僕らが長は……やない、堀田さんの田を耕してやらんかったんか、という話しになりますけど、僕らも慈善事業をしてるわけじゃないですから、儲けが出るようにならん話しは受けんようにしとるからですわ。
堀田さんの怪我を知っとるのに俺達が動かんかったんは、村八分のせいなんかやないんです。
正式な依頼以外で無報酬で請け負ったら最後や、今後の事業に差し障りが出るから特例は決して出してはいけない、どんな作業にも見合うだけの料金は必ず取れ、というのが出資する際の親父たちの条件やったからです。
僕も蒼生も、そんな親父たちの言葉を守ってましたんで、堀田さんから快く思われてなかったんやろな、っていうのは肌感覚で知っとりました。
後は、ぶっちゃけた話、孫みたいな若造に預けるのは癪に障るっていうやつやったやろうな、と。
でも、こう言うのはこの位の年齢の人なら持って当然の心情ですから、しゃあないです。
頼みたいけれど頼めない、一旦張った意地を引っ込められなくなった、というにっちもさっちも行かない状況の中、親父は見るに見かねてと言うか、親切心を起こしたんやと思います。
繰り返しますけど、村八分がどうとかこうとか、関係ありません。
寧ろ、俺らの村の中では村八分ちゅうのは、火事葬式やないんです。
祭りと田んぼと言われてます。
祭りは横おいといて、ここでは、田んぼ作業いうもんは、一斉にするものと認識されとるからですわ。
上の方の、どっか一個の田んぼが不備が起これば、下の方の田んぼに迷惑がかかる。
そうならんよう、田の作業に関してだけは仲間外れにしたらあかん、村全体の死活問題になる、いう昔人の知恵というか悟性やったんやろうなと思います。実際問題、田んぼの作業を円滑化して水を如何にして押さえ込み自在に操るかが、安定した米の収穫に直結してますんで。
そうは言うても、仲間外れにされとる人と大っぴらに関わり持とうというのは、誰にとっても、なかなか胆力が要ることやないですか?
そんなわけで、親父は一肌脱いだんやないかなと俺は思っとります。
つまり、親父が堀田さんの田んぼに入ったんは単なる親切心からで、大型トラクターやないのに横転してまったんは、万分の一の確率に引っかかって、車輪が沈んでまったんやないかと。
これらの証言と状況証拠から、今回も事件性はない、と警察は結論を出したのである。
エンバーミングが施された席田和成の遺体は家族の元に返されて、荼毘に付された。
葬儀は席田夫人を喪主として、遠方の総合葬儀場でつつがなく執り行われた――
……以上が、みくからのメールで知った、この二ヶ月間の河間町での動きだった。
今回は警察からの事情聴取を受ける事もなかったが、大学内は立て続いた事件に色めき立った。知り合いが囓った殺人事件や死亡事故は、他人事ゆえに、そこらのお昼のワイドショーなどより余程、刺激に溢れ、反応が直に目に出来る分、純粋に面白がれるバラエティなのである。
席田和成の死は新聞の地方欄に載ったのみであったが、棚田はそれを読んで目をむいた。なぜなら、席田和成の最終経歴は超有名銀行の支店長だったのである。
――直倫さん達へのアドバイスは、銀行員時代の経験からきていたのかもしれない。
かつての大地主な上に銀行の支店長クラスだったとすれば、相当に大掛かりな葬儀だったことだろう。通夜くらい顔を出したかったが、やめておいて正解だった、と棚田は寂しく思いつつも反面、安堵していた。
しかし、河間町の資料の編集作業に逆に没頭することで続いた不幸を忘れようとしたのであるが、むしろそれが良くなかったようで、蒼生と直倫の嘆きと落胆と悲哀と愁傷が、心中深くに刻まれてしまっていた。
バスの停留所に降り立った棚田は、陽光の中、レンゲの花が咲き誇っているのに気が付いた。小さな隙間を逃さずに咲いているレンゲの花は、まるで小さな初盆用のぼんぼりのようである。
「……綺麗だな……」
呟いてはみたものの、美しさを捉えている心と体が乖離しているようで、目で見たものへの感動が極端に薄い。
みくは「この先の取材の時は、自分が世話役してあげるから気にせずにおいでよ」と申し出てくれたが、だが明らかに、余所者をみくに押し付けて済ませてやろうという意思が透けて見える。
しかし、迷惑をかけると恐縮しつつも、みくとひなが相手をしてくれるのならば、確かに気は楽だった。
本当は、直倫の家を訪問したかったのだが、「ちょっと、今はやめておいたほうが良いかもしんないね」と窘められていたことも影響していた。
事故であったとはいえ、村の重鎮に当たる人物が立て続けて亡くなったのだ。
「直ちゃんが気にしなくっても、周りの人らが勝手に気にして大仰にしちゃうもんだから。落ち着いてからにして、今はやめておきなよ、ね?」
直截な物言いでみくは言ったが、まさにこれぞ田舎の煮詰まった姿、である。
バス停で待っていると、数台の車が通り過ぎていった。運転中の老人や老婆たちは、立っているのが棚田であると認めると、あからさまに嫌そうな顔つきになった。最後に通り過ぎた大型のバンには、数人の農作業着姿の中年の男達が乗っていた。
――あれ?
どこか、既視感を感じた。
「そうか」
走り去る車をぼんやり見つめながら、思い出してきた。初めて河間町にやって来た時、バスの中から見た集団だ。
男達が車の中から、こちらを振り返って、ジロジロ睨んでいるのが分かる。
――夾雑物扱いされているな。
左義長の時は、見知らぬ者どうしであろうとも袖振り合うもの意気で頭を下げ合って挨拶していたというのに、今は、はっきりと邪魔な余所者扱いされている。人の冷たさが身に沁み、こうなると、果たして、そもそも取材に訪れて良かったのかどうかと今更ながらに悩み、悶えたくなってきた。
一秒が一時間にも感じながら立っていると、パパパッ! とクラクションを鳴らしながら軽乗用車が現れた。みくの車である。
「お待たせ。さ、乗って」
運転席から降りてきたみくを見て、棚田は仰け反った。なんと、以前に蒼生が着ていたような、全身ワークマンで固めた出で立ちだったのである。
「みくさん、その格好は……」
「あ、これ? どう? 似合う? 今ね、実地訓練してきた所だったのよ」
「実地……?」
「ひなから聞いてたでしょ? 直ちゃんと蒼生の仕事、手伝ってるの」
言いながらみくは、腕まくりをすると力こぶを作る真似をしてみせた。細く滑らかな白い肌に、棚田の視線は自然と集中してしまう。
「えっ、じゃあ、みくさんも農作業を……?」
「これでも期待のルーキーなんだよ」
棚田の呆気にとられた顔が余程ツボにはまったののか、みくは声を立てて笑い転げている。
いや、思い起こしてみれば、確かにひなは『一緒に仕事をしている』と言っていた。棚田が勝手に、女性だから事務か何かだろうと思い違いをしただけなのだ。
電子制御されているとはいえ小柄なみくがあの大型機械を乗り回しているとすれば、確かに爽快だし何よりも格好良いし、自慢したくもなるだろう。
南まわりの道を使って、コミュニティセンターまで送って貰う道々、棚田はみくから、おえんさんがどういった祭りなのか、大体の情報を仕入れることにした。
「う~ん、お祭りというのとは、ちょっと語弊があるかも知れないかな」
「と、言いますと?」
「祭りは祭りでも、なんて言うのか、ぶっちゃけたとこ、蓮正寺の、あ、この村の師匠寺さんの名前ね、お寺さんのご縁さんにお経上げて貰うだけなんだよねえ」
「ほうほう?」
「お墓参りのついでに目の前で大掛かりな法事やっちゃってる、みたいな感じかな」
棚田は「なるほど」と頷きながら、ポケットに手を突っ込みデジカメの録画のスイッチを入れていた。白状すると、あれだけ買おうと誓っていたくせに、やっぱりまだボイスレコーダーを購入していないのだった。
「みくさんの助言をもらって、僕、三月のおしらさんの時に英魂石碑を見に行かせて貰ったんですけど、確かに墓碑というか慰霊碑ですよね」
「うん、大昔、それこそ江戸時代の話しなの。堤防を作る、いや作らせん、て言うので、近くの村とヤクザの抗争みたいになったらしいのよ」
「ヤクザの抗争」
「そう。で、まあ双方に、怪我人死人多数出たのね」
なるほど、と棚田は頷いた。
「未だに根深く恨み辛みが残ってるからねえ、抗争っていうか、戦争って言っても差し支えないかもねえ。お爺ちゃんの時代くらいまでは嫁取り嫁入りしないさせないとか、ガチでいがみ合ってたらしいし。道ばたでバッタリ会ったが最後、お前らが悪い手前らだろうがで、ケンカになったとか言ってたし」
「じゃ、ロミオとジュリエット的なエピソードなどもあったのかもしれませんね?」
ロマンス的な昔話を期待してたずねると、「んなアホなもん、ないわよ」とあっさり一蹴された。
「でも、抗争、じゃなくて利権争いの経緯とか、村史とかに記録が残されていたりとかしないんでしょうか?」
「村史? そんなゴリッパなもんが有るわけない――」
笑い声で言葉を途切れさせたみくだったが、「ん?」と呟き空を仰ぐようにすると、真顔になった。
「あ、待って、もしかしたら蒼生のとこにやったら、そんな感じの、あるかも」
「蒼生さんの家に?」
「うん、なんて言うのかな~、ほら、学校の生徒会の書記? みたいな感じのやつをやってた家系なのよ」
「生徒会の書記」
なるほど、言い得て妙だ、と棚田は興奮に胸が高鳴ってきていた。
「ま、村史とかじゃなくっても、古い会計報告っていうの? そういう資料とかはあるんじゃない?」
「情報、ありがとうございます、帰ったら、早速、調べてみます」
確かに、事務所を構えていたのだから、この程度の村の自治会の経理などお手の物だろう。
――かなり重要な情報を得られたんじゃないかな、これは。
市史等に編纂されてる可能性は勿論あるだろうが、蒼生の家に村史が残されているのだとしたら、これは途轍もなく重大な歴史的資料である。
棚田は、胸が弾むのを感じていた。
おしめさんで気になっていた、江戸時代に堤防補修が進まなかった理由の一つが、今し方聞いた騒動が原因だとすれば、その辺りの経緯も掴めるかもしれないのだ。
弾みついでといえば言葉は悪いが、棚田はずっと心に引っかかっていた事を問わずにはいられなくなった。
「あとですね」
「ん?」
「みくさんのお宅に、きよみずさんという井戸と、いそべさんという神社があると伺ったんですが」
「あ、聞いてるよ? なんか、見たいらしいね?」
みくはタバコを取り出そうとポケットを探っていた手を止めた。どうやら、指先に箱が当たらなかったらしい。
「橋の欄干にも、いそべ、と銘が刻まれていたんですけど、同じ意味なんでしょうか?」
「さあ? そこまでは。ただ、漢字はおんなじ。五十の部、って書いて、いそべ」
――なるほど。
てっきり、読んで字の如く、磯辺かとふんでいたのだが、少し的外れだったようだ。五十回目の場所という意味に取れる井戸と違い、こちらはどんな意味になるのだろうか?
興味は尽きない。
「他に、謂れとかは、ご存知ないですか?」
「大昔にこっちに移ってきたご先祖様が掘り当てた井戸なんだとか」
「この村に移り住んだご先祖様?」
「そ」
直倫と蒼生から聞いた話とは、僅かに違う情報が転がり出てきた。棚田は鼻息も荒く、前のめり気味になる。そんな棚田を少々呆れた目で見詰めながら、みくは反対側のポケットを探り、目当ての箱を取り出した。
「元々、この村に住んでた人らが居たらしいんだけど、なんか、すっごい大変な事が起こって、そこに、直ちゃんと蒼生のご先祖様連中が仲間を引き連れて、パンパカパーン! てなもんで現れて、颯爽と解決したんだってさ」
「大変な事を解決?」
「う~んとね、うちのお爺ちゃんのそのまたのお爺ちゃんからの言い伝えにあるんだけどさ――」
突然、とうとうと話し出したみくに待ったをかけ、棚田は慌ててメモを取り出す。
天神の怒りにより大地におゆりが起きた。
この、おゆりは月の半分にも及んだ。
おゆりは天地を壊し入れ替えるだけに留まらず井戸という井戸を全て濁らせてしまった。
新たな井戸を求める事、四十九回。
しかし、全てが徒労に終わる。
このままでは村は死滅する。
慄く村人達の必死の祈りが天つ神に届いたのであろうか。
ある日、天つ神の言葉を知る人々が何処からともなく現れた。
天つ神の言葉を話す人々は五十回目となる井戸を掘り、清らかな水を蘇らせた。
それだけでなく、川の氾濫に悩む村人たちを護る術を惜しみなく与えた。
村人たちは天神の言葉を話す彼らに感謝し、やがて、移住者である彼らを村の代表者に据え置くようになった。
「とまあ、こんな感じの」
「では、蘇った井戸っていうのが」
「そう、きよみずさん。そのきよみずさんの守護者がいそべさんってわけね」
かなり詳細な民話である。棚田は興奮が隠せない。
――でも、おゆり、というのは何だろう?
単純に考えると、大揺り、がなまって、おゆり。とどのつまり、天変地異のことだろう。
何処からともなく現れた、というのは避難してきたと捉えるのが無難だろう。
本来ならば自分達も被災者である村人達に、突然現れた余所者を受け入れる余裕などないだろうが、自分達の生活の復興に手を貸してくれるとなれば話は別だろう。
生命維持に欠かせない真水を得られる井戸を掘る技術というのは古今東西、持て囃され、時として神通力として崇められもする。
川の氾濫から守るとは恐らく堤防を築いたのであり、こちらも高い技術力が窺える。
そんな技術者集団というか一族は、怖れて追放などするよりは、むしろ、自分達の懐深くに積極的に取り込んで、口は悪いが利用した方が得策だ。
――何だか、まるで流行りのラノベみたいな展開図だな。
だが、ここで一つ謎が残る。
――天つ神の言葉、っていうのが気になるな。
おゆりを天変地異とする、なみに単純に考えれば、聞き慣れない方言となるだろうか。
――それとも、もっと進んで、外国人とか?
白人の漂流者が天狗伝説の由来になっていたのではないか、とも言われているのだから、あながち見当違いな目線ではないのでは、と棚田は自分の推理に更に気持ちがもりあがってくる。
メモを取りつつ考えを纏めるのに必死になっている棚田をみやりながら、余程手持ち無沙汰になったのだろうか、みくは一、二度、タバコの箱を揺すった。が、すぐに顔を残念そうにしかめさせた。空だったようだ。その証拠に、箱を握り潰すとポケットに戻してしまった。
「他に何か特徴はありませんか? 祠とか、しめ縄とか、お札とか」
「小さい祠すら無いし、おしらさんと違って、しめ縄もないんよ」
やり場のなくなった手で、みくは前髪をかきあげた。
「ほんとにただの井戸でしか、ないんよ。石で出来た枠みたいにちょこん、って乗っかってんが、いそべさんなんよ。それでも見たいん?」
「それでもいいんです、是非」
「そこまで言うんなら……もう少しゴタゴタ感がなくなったら、お父さんに聞いてみるわ。井戸の管理してるの、お父さんだから」
「分かりました。もし見学が可能になるとして、いつくらいになりそうですか?」
「ん~……そうやね、学者先生の最後の取材の日くらい? その頃になれば、ごちゃごちゃ文句言う人も少なくなるやろうし、居たとしても、もう来なくなるんだから関係ないでしょ」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
みくが運転中でなければ、両手を握りしめていたところである。代わりに棚田は、メモ帳を取り出して予定を書き込んだ。
「あはは、学者センセ、おっとりしてそうで、そういう事に関しては、えらい行動派なんやねえ」
みくと話していると、気持ちがすうっと晴れやかになっていく。
――このまま、明日の取材まで何事もなく済みますように。
祈らずには、いられなかった。
※
みくが用意してくれていたトンカツ弁当を受け取り、コミュニティセンターの中に入った。時刻は十三時を過ぎようとしている。
まずは食料のチェックからはじめた。既にルーティンとなっている。
今回も、カップタイプのみそ汁とスープがあった。パンは四個入りのミニクロワッサン、特盛りのカップ焼きそば、冷蔵庫にはおこわのおにぎりとシーザーサラダとコーヒーゼリーとプリンとデザートチーズ、そしてやはりミカンとバナナ、そして、忘れちゃいないよとばかりに、一番目立つ所にいちごミルクの三角キャンディが入れてあった。飲み物は、缶コーヒーとペットボトルの炭酸ジュースとスポーツドリンクとお茶が数本ずつ揃えてあった。
「とりあえず、ご飯にしようかな」
昼はカップ焼きそばとおにぎり、シーザーサラダとコーヒーゼリーにし、夜にお弁当とみそ汁とプリン、翌日の朝にクロワッサンとスープ、チーズと果物にすると計画を立てた。あっという間に涌く電気ポットに毎度の事ながら感動しつつ、切った湯でスープができるタイプのカップ焼きそばをつくりあげた。
「あっちっち」
独り言ちながらテレビをつけ、ウェザーニューズにチャンネルを合わせる。これももう、ルーティンだ。
今日は一日中、雲一つない晴天に恵まれ、気温は更に上昇するものと思われます
布団や毛布など、冬物の大きめの洗濯物は今日中に行うと良いでしょう
ただいまの気温は22度、本日の最低気温は14度でした
本日の最高気温の予想は、26度となっております
明日は未明から天気は急激な下り坂となっていきます
強く降ることはないでしょうが、それでも断続的に、一日を通して雨が降るでしょう
北寄りの風が強くなり、体感温度はぐっと下がるでしょう
一枚軽く羽織るもので体温調節を行い、風邪などひかないように注意して下さい
来週は今週と比べて寒の戻りが激しい一週間となりそうです
体調管理にご注意下さい
「25度こえてくるとか……」
机の上に、いつものようにメモ帳と地図と祭りの予定表を広げる。今回は、デジカメに撮っておいた例の航空写真の引き延ばしたものとGoogleマップを印刷したものも置いた。
麺をすすりながら、予め付けておいた印を再チェックする。
「ええっと」
おえんさんは、今日のうちに英魂石碑を飾りつける所から始まる。飾り付けは係の瀬古によって変動するが、大抵は昼の三時か四時くらいに行われるということだった。
勿論、雨天予報の場合は翌日早朝に用意する運びとなり、飾り付けも簡素化するようである。
そして午前十時より、師匠寺の住職に経典を読み上げて貰う。下がられたお供え物を各戸に配って、終わりとなる。
これだけ見れば、確かに法要と大差ない。
「あれ?」
おしらさんの時と、開始時間が二時間も遅くなっている。
冬場に寒さと雪のために遅れるというのなら分かるが、これから日和が良くなっていくばかりの時期に時間が遅くなるというのは解せない。
「何かあるのかな?」
濃い味の焼きそばをやっつけるようにすすり上げながら、棚田はじっとメモ帳と地図とを交互に睨み付けたのだった。
※
昼食を終えた棚田は、英魂石碑まで出かける事にした。
もう一度、じっくりと石碑を確かめる為である。霊園というか墓地も、細かく確認しておきたかった。
実は、みくが提案したような調査は粗方済ませている。英魂石碑に刻まれていた四名の名が気になって、大学に戻ってから再びデジタルアーカイブを漁ってみたのである。だが、記載されている書物などを発見することが出来なかったのだ。
――何か、キーワード的なものを、見落としているかも。
写真を撮らなかったのであり得るし、墓地の方にも何かしらのきっかけというかヒントが隠されている可能性は大いにある。
今回は事前に蒼生とみくに、カメラとビデオ撮影の許可を取っておいたので、取りこぼしはない、と信じたかった。
しかし今回は、来て早々に一番の収穫があった。そう、蒼生の家に残されているかもしれない村史、資料の存在である。
――蒼生さんに了解をとって、早く確かめに行きたいな。
だが、気になる点がないでもない。
様々な面から古い仕来りだの伝承だのを取材しに来ている自分の為に、蒼生も直倫も、そしてみくも、諸々、手を尽くして助太刀してくれている。
周知しているのならば、最初からその存在を知らせてくれても良いようなものではないか? という疑問がどうしても拭えない。
――でもまあ、案外と当の本人は存在を忘れちゃったり、価値があるとか気にしなかったりするものだし。
自身に言い聞かせながら、棚田はペットボトルを手にしてコミュニティセンターを後にした。
外に出て歩き出すと、三月よりも強い風に紛れていたが気温は確実に上がっているのを、より身にしみて感じ取れた。つい普段の調子で羽織ってしまったが、薄手とはいえ春物の上着を着ていたのでは暑すぎるのである。慌てて脱いでデイパックに括りつける。汗をかいて風邪など引いている暇はないので、格好など構っていられなかった。
三十分ほどで、町の南の端にあたる堤防に出た。途中、二ヶ月前とは比較にならない程、田で稼働中のトラクターが見られた。
まさに大盛況、これぞ農村の春の姿といえた。
無論、直倫と蒼生が請け負ってる早生品種の飼料米を植える田は、田に水を入れて土をドロドロに掻き混ぜる代掻きという行為になっている。堤防の上まで出て眺めると、地面が濡れている所と乾いている所が入り交じっていた。
――まるで、囲碁の勝負中みたいだな。
まず、墓地へ入った。
さすが田舎と言うべきだろうか、どの墓も競うように綺麗に花が供えられ、丁寧に手入れがされていた。昨今よく耳にする墓仕舞いなどとは、それこそ縁が無い世界が広がっている。
背が高い蒔の垣根に隠れていたが、墓地と言えばで六地蔵があった。
「かなり大きいな」
棚田自身は中肉中背であるが、視線が上になっている。御堂を嵩上げしている石垣部分の高さプラスで百五十センチはありそうである。
――ほぼ、小学生くらいかな。
六地蔵は立派な瓦葺きの御堂の中で静かな微笑を浮かべている。六体はお揃いの、赤い布に犬のイラストがついたキルティングに白いレースをつけた前掛けと頭巾を身につけていた。きっと、有志の人の手作りだろう。
驚くべきことに、この前掛けと頭巾は、層になっていた。つまり、歴代の前掛けと頭巾が重なっており、相当な分厚さになっているのだ。
――すごいな。
どういった意味がある行為なのか、逆に全く何の意味もないのか、気になった。しかし、最下層の色あせてどんよりと土くれ色退色した前掛けは、まるで、ささくれになった人の皮膚のように見えて不気味なこと、この上ない。集合体恐怖症の人物は、きっと目を向けられないだろう。花と蝋燭と線香は、丁寧に手入れと掃除がされてから手向けられているので、余計に異様さが際立つ。
へっぴり腰になりながら、真正面から六地蔵をカメラに収める。出来れば、背面も写真に撮りたかったが、御堂の壁がギリギリまで迫っており、腕を伸ばしても無理そうだった。
――スマホだったら自撮り棒とかで何とかなってたかも。
取材には何が必要になるかなど分からないが、古い時代を愛するからといって、最新機種のスマホを利用しなかった自分が迂闊だったのかもしれない。もっとも、先立つものがないのだから、どうしようもないのであるが。
その隣に視線を移すと別の御堂があり、座像があった。かなり大きく、座した形で六地蔵よりも頭の位置が高い。一瞬、阿弥陀如来像かと思ったが、直ぐに違う、と思い直す。
「ええと、これは阿弥陀如来じゃなくて、地蔵菩薩座像、になるのかな?」
前掛けと頭巾のせいで見誤ったが、手の形が違う。
――丈六地蔵尊と似てるかな。
日本各地に点在している丈六地蔵尊は、文字通り一丈六尺、つまり五メートルの大きさがある。
有名な伝承では、足を悪くして歩けない子供にお地蔵様が自分の足を譲り渡してやり、お陰で子供は歩けるようになったが、お地蔵様は立てなくなっておしまいになられ、そこで座って子供たちを見守られるようになった、というものだ。そこまで巨大ではないが、隣の六地蔵よりは大きいので、もしかしたら似たような伝承がある可能性もなきにしもあらずである。
期待に、胸の音が一段大きく激しくなる。
――今度、聞いてみよう。
更に奥に、別の御堂がある。
ビデオカメラを手に、棚田は亀のように首を伸ばした。
「ん?」
目に飛び込んできたのは、六地蔵と同じほどの大きさの一面八臂の石仏であった。しかも、資料で幾つか写真で見たことがある長方形や舟形の石版や石柱に彫られたものではなく、立派な石像である。
六地蔵よりも古い時代の石仏らしく、彫りが風雨でなだらかになっており、判別が難しい。御堂が作られたのは、近年なのだろう。
だが、一面八臂の像、というのは実に特徴的である。
思いつくのは青面金剛像であり、だとしたら可能性があるのは一つだ。
「もしかしなくても、庚申塔?」
庚申信仰による造物は、庚申塔や庚申塚などと呼ばれている。
元々は中国が起源の道教の影響下にある信仰による造物で、庚申の日の夜になると三尸と言われる体内に棲みついた虫が天に昇り、天帝に常日頃の行為、主に悪行を言い付けられてしまい、そこで罪の裁きを受けると寿命が縮まってしまう。
なので、庚申の日は三尸が抜け出ないよう、夜っぴって有り難い講話に耳を傾けて身を慎む。
これを庚申講と言い、十八回までを終えると供養塔が建てられる。それが庚申塔というわけだ。
その他、道祖神や塞の神としての色彩が濃い地域もあり、村と村の境界の目印であったり、彫物が青面金剛ではなく猿田彦であったりなど、様々な役目と変形がみられる。
土着信仰と新たな教義が複雑に混ざり合い独自独特な進化を遂げていくのは日本の民族性のオハコであり、こと、歴史のある土地では逆に良く見られる事象である。それまでの信仰を隠しながら伝え、保つ為の手段であったりもする。
そういう所を学問として、探り探ってゆくのが棚田にはたまらなく楽しいのだが、両親や祖父母には、なかなか分かって貰えない感覚なのだった。
「それにしても……」
ビデオカメラから顔を離し、棚田は眉を寄せた。
庚申塔だとしても、この青面金剛像は特異的すぎるのである。
青面金剛像は、左右に童子を従え、日月と二鶏を配し、足下に疫神である鬼を踏み潰し、全面に三猿、いわゆる『みざる・いわざる・きかざる』が配置されるのが基本形となる。
特に面が三面であったり、臂の数が二であったり四であったり六であったりもし、従えているものが入れ違っていたりするが、踏み潰される鬼神と三猿はほぼ必ず描かれる。
しかし、この青面金剛像は一面八臂であり、首に蛇を巻き付けているのである。それも、三重に、である。
特異な点はまだあり、鬼神を踏み潰していない。そのものズバリ、牙と角を生やし目を裂いた極悪の表情を浮かべた鬼が、青面金剛像の目の前に立っているのだ。
それも、青面金剛が鬼を見張っているというよりも、傍観者のようにも見えるのである。
そしてこの、鬼の前に居るのは三猿ではなく、幼い三人の子供なのだった。
子供の三像は鬼を恐れて小さく背中を丸めてしゃがみ込み、泣きじゃくる姿で『みざる・いわざる・きかざる』が表現されており、殆ど表情の読み取れない青面金剛像と違い、子供の三像はどれも悲痛な思いが迫ってくる、まさに入魂の像なのであった。
――どういう謂れがあるんだろう。
奇妙であり、奇っ怪である。
一面八臂の青面金剛像の御堂、庚申塔の真正面に立った棚田は、そこで初めて気が付いた。
「あっ」
鬼の形相とはかくや、と言わんばかりの鬼の像と、泣きじゃくる子供の三像は、はるか昔の村の英雄譚を伝える慰霊碑の真正面に位置していたのである。
「……村八分……」
何故だか分からない。
だが棚田はこの時、無意識に呟いていた。
次話:泉田俊樹